シクラメンの再移植 ― 2022年11月01日 11:45
昨年の春に、2株のガーデンシクラメンを夏越しさせようと、庭の南側の日向から東側の半日蔭に移した。その後、ほとんど手入れをしなかったが、二度の夏を無事乗り切り、まだ枯れずにいる。
本家のシクラメンは地植えが難しく、室内に置いて繊細な管理が必要な鉢花だけど、本家を改良したガーデンシクラメンは、相当丈夫だと知った。
しかし、大半が日陰となる移植場所のせいもあろう、1年半経ち、太陽が大好きなガーデンシクラメンは、やはり葉を減らし花も咲かなくなった。
このため、もう一度南側の日向に移すことにした。ただし、今回はこの南側で来年の夏を越させる予定だから、午前中はしっかり陽が当たり、午後からは陰となって、特に西日が避けられるような場所を選んでみた。
上手く行くかどうか、もう一度シクラメンの花に挑戦である。
2022/11/6 寺岡清高×フィルハーモニック・ソサィエティ・東京 マーラーの「交響曲第3番」 ― 2022年11月06日 19:37
フィルハーモニック・ソサィエティ・東京
第10回定期演奏会
日時:2022年11月6日(日) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:寺岡 清高
共演:メゾソプラノ/中島 郁子
合唱/東京アカデミッシェカペレ
児童合唱/すみだ少年少女合唱団
演目:マーラー/交響曲第3番 ニ短調
寺岡清高は、以前マーラーとブルックナーを聴いている。強烈な刻印こそないが手堅く曲をまとめてくる印象がある。大阪交響楽団の常任指揮者を長く務め、「世紀末ウィーンの知られざる交響曲」と銘打って、コルンゴルトやツェムリンスキー、フランツ・シュミットなどを紹介していた。ハンス・ロットを一早く演奏したのも彼だった。もともとウィーンで勉強した人で、マーラーをライフワークにしている、と何かで読んだことがある。
寺岡が大阪交響楽団の常任を離れる最後の定期演奏会でマーラーの「交響曲第3番」を指揮した。その「第3番」を、相手はアマオケであっても聴いてみようかと、先週と同様ミューザへ足を運んだ。
フィルハーモニック・ソサィエティ・東京は、東京都内の学生オーケストラ出身者が中心となり、2016年に結成されたアマチュアオーケストラだという。結成後の歴史が浅いから当たり前だが、メンバーは20代、30代の若者で占められている。
今日は演奏時間が100分を要する世界一長い交響曲にチャレンジ。編成も大きい。弦には分奏があったり独奏があって、激しい感情表出を演じる。木管は鳥や獣の現実音を正確な音程を避けながら吹かなければならない。金管でいえば難易度の高いソロが幾つか。第1楽章はトロンボーン、弱音のニュアンスを伝えるのが難しい。第3楽章はトランペット奏者のポストホルン、困難を極める長いソロ。第4楽章はホルンがアルト独唱を支える。声との均衡を保ち声を引き立てる役目を負わされる。
トロンボーンは、恐れず果敢に攻めて上出来。ポストホルンは、今ではトランペットにミュートを装着するか、コルネットやフリューゲルホルンなどを用いるらしい。夢見るような天上の美しさにはほど遠いものの、大きく破綻することはなかった。4階席で吹奏した模様。アルト(メゾソプラノの中島さん)に張り付いたホルンは、少々苦しかった。曲冒頭のホルンの斉奏からはじまって、ずっと活躍してきたあとの声楽の伴奏である。よく健闘した。
アマオケがマーラーの「交響曲第3番」に挑むとは、無謀といえば無謀、全員が若さをぶつけた懸命の演奏だった。
読響の来期プログラム ― 2022年11月09日 13:32
各楽団の来期プログラムの発表が、首都圏のオケ以外でも九響、京都市響、名古屋フィルなど相次いでいる。
首都圏では昨日、読売日本交響楽団が来シーズン(2023/4~2024/3)のラインナップを発表した。
https://yomikyo.or.jp/2022/11/2023yomikyo.pdf
サントリーホールの定期、名曲がそれぞれ年10公演、東京芸術劇場でのマチネが土日同一プログラムで計20公演、横浜みなとみらいホールにおけるマチネが8公演である。
読響の定期公演は相変わらず尖がっていて、ヴァイグレの指揮するシュレーカー、アイスラーなどあまり馴染みのない音楽家が並ぶ。名曲ではツァグロゼクのブルックナー「交響曲第8番」が必聴。マチネのなかでは横浜の小林資典に注目しよう。
読響の定期会員への復帰は来期も見送るつもり。夜公演が辛いし、新しい曲への意欲が失せて来ている。
何よりも演奏会通いを減らしたい。神奈川フィルと東響の定期は継続予定で、新日フィルをどうするか迷っている。多分、他は厳選して聴くことになろう。
2022/11/12 川瀬賢太郎×東響 ベルリオーズの「幻想交響曲」 ― 2022年11月12日 21:28
東京交響楽団 名曲全集 第181回
日時:2022年11月12日(土) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/三浦 謙司
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」op.9
ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調
ベルリオーズ/幻想交響曲 op.14
川瀬賢太郎との最初の出会いは、母校を振った「幻想交響曲」だった。毎年通っている年末の音大フェスティバルでのこと。いたく感心して、神奈川フィルの定期会員にもなった。
その後、神奈川フィルばかりでなくシティフィル、OEK、新日フィルなどを相手にした彼の指揮を何度か聴いた。期待を裏切られることは稀だった。
「幻想交響曲」については、遠くはフルネの日フィル、都響との名演から、近くはエッティンガー、スダーンのともに東響との公演など、忘れられないコンサートが幾つかある。
その川瀬と東響の「幻想交響曲」だという。
前回の東響の演奏会、ノットの川崎定期のときは、客席が3~4割程度と寂しかった。今日はせいぜい半分も埋まればいい方だと思っていたが、1階席や2階席の正面、P席はほぼ満席、P席隣の左右ブロックだけ空きが目立っていて全体では7、8割ほどの入り。まずまずの集客。プログラムの牽引力と、同日の他の演奏会との力関係だろう。
前半の1曲目「ローマの謝肉祭」は、シュテンツ×新日フィルで、2曲目のラヴェルの「ピアノ協奏曲」は、リーズ・ドゥ・ラ・サールのソロ、ブランギエ×東響の伴奏で、今年聴いている。
「ローマの謝肉祭」は、冒頭の元気のいい導入から、テンポを落として優しく「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の主題が引用される。ここで最上さんの憂いを帯びた美しいコールアングレ(イングリッシュホルン)が登場。そのあとの熱狂の舞曲から終幕までは、打楽器をうまく活かした熱い演奏。
ラヴェルの両手の「ピアノ協奏曲」は、ソロも伴奏もジャズ風のスウィング感があふれ小気味よい。トランペットの澤田さんがこの味付けに大いに加担した。最上さんのコールアングレもピアノと絡み合って楽しい。
小粋といえばラ・サール+ブランギエに軍配を挙げるべきだろうが、三浦+川瀬はメリハリの効いた気持ちよい演奏だった。
三浦さんのアンコールはドビュッシーの「月の光」。
後半の「幻想交響曲」、この爆演は好き嫌いが分かれるかも知れない。エッティンガーほど変態的ではないが十分にグロテスク。スダーンほど精緻ではないが描写的、場面場面が映画を見ているように目に浮かぶ。
母校を振ったときよりもデフォルメがきつく、音楽の振り幅が大きい。当然プロなのだから演奏技術も表現能力も高度なわけで、川瀬の要求水準はより高く、意図がより実現されたといえるのだろう。川瀬の指揮ぶりも過去にないほどの暴れぶり。
第2楽章の絶妙の間合いのワルツから、第3楽章以降のまさに奇怪な音楽に引きずり込まれた。実演はこのくらい燃えたほうがいい。本当に面白く聴かせてくれた。
弦は14型、Vn.1とVn.2が隣り合わせで、低弦楽器が上手に並ぶ一般的なストコフスキー・シフト。コンマスは小林壱成。ハープはエッティンガーのときと同様、指揮台の左右に2台。ハープニストは第2楽章のあと役目が終わって舞台袖に下がった。第3楽章の舞台裏のオーボエはなんと古部賢一、対するコールアングレはもちろん最上さん。
プログラムの3曲はいずれもコールアングレが準主役級、さしずめ今日は最上峰行dayともいうべきか。
2022/11/13 井上道義×N響 伊福部とショスタコーヴィチ ― 2022年11月13日 21:54
NHK交響楽団 第1968回 定期公演Aプログラム
日時:2022年11月13日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:井上 道義
演目:伊福部 昭/シンフォニア・タプカーラ
ショスタコーヴィチ/交響曲第10番 ホ短調 作品93
改修後のNHKホールへ出かけた。渋谷駅からだらだら坂を約20分、上りの坂道がこたえる年齢となった。足が遠のくのは無理ない。
伊福部とショスタコーヴィチの組み合わせは相性がいいと思うが、なかなか有りそうで無いプログラム。そのうえ、両作家への思い入れが強い井上が振るとなれば、興味を掻き立てられる。
ショスタコの「交響曲第10番」は恐怖のラザレフ体験以来、躊躇する気持ちがある。でも、洒脱な井上がどう料理するか、怖いもの見たさである。
久しぶりのNHKホールにおけるN響である。ホールは、どこが新しくなったのか、とんと分からない。客はよく入っていた。土日同一プログラムの2日目だというのに3000席の8、9割は埋まっていた。定期会員らしき老人たちは相変わらず健在だけど、思いがけず若い男女を多く見かけた。井上人気なのかプログラムのせいなのか、頼もしいかぎりだ。
「シンフォニア・タプカーラ」。
こんなに危なげのない「タブカーラ」は初めて。この曲、演奏するには危険な箇所がそこら中にあって、アマオケなどではハラハラドキドキする場面が頻発する。プロでも必死の形相になるときがある。しかし、N響は余裕綽々で調子抜け。当たり前とはいえ一級のオケゆえである。その分、スリルを味合うには物足りない。
井上はいつものように踊っていたが、踊りでオケをリードするというよりは、湧き出る音楽にあわせてダンスをしているよう。おまけに演奏の終了と同時に、オケ全員を起立させた。ひと汗かいたものの余力十分といったポーズにみえた。
ところで、年度末の来年3月には、井上が音楽大学フェスティバル・オーケストラを振って、同じ「シンフォニア・タプカーラ」を公演する。スリルはそこで味合うことにしよう。
休憩の間に、井上は正装に着替えて、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」。
第1楽章、暗く陰々滅々とした楽章。暗澹たる雰囲気が長く続く。聴くにも忍耐が必要で、じわりじわりと恐怖が押し寄せるところ。井上の解釈は諦念とはいわないが、どこか客観的に見つめているようなところがあって救われる。
第2楽章は、典型的なショスタコのアレグロ。叫ぶピッコロ、機関銃のようなスネア、トランペット、テインパニが入り乱れ、このスケルツォは駆け抜けてあっという間に終わる。井上の指揮の真骨頂。
第3楽章に入ると、意味深な音名象徴、皮肉と諧謔が混じった狂った舞曲となる。井上の指揮台のダンスと音楽とがぴったし合っていた。
第4楽章の導入のアンダンテは、第1楽章に呼応する。ラザレフのときには最大限の恐怖に襲われたが、今日はここで一息ついた。アレグロに変わってからは音名象徴が混乱を極め、ここから結尾に向けてのハチャメチャぶりは井上の独壇場だった。
井上のショスタコーヴィチは、メッセージ性や暗号解読よりは、楽想や音響をそのまま楽しめ、と言っているよう。「ショスタコーヴィチは自分だ」と豪語する井上にとって、ショスタコは自家薬籠中の音楽でもある。作者への敬意をこめて「交響曲第10番」を裸のままで示してくれたのであろう。