2026/4/29 田中一嘉×水響+伊東裕 ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」2026年04月29日 21:13



水星交響楽団 第71回定期演奏会

日時:2026年4月29日(水・祝) 13:30開演
会場:昭和女子大学 人見記念講堂
指揮:田中 一嘉
共演:チェロ/伊東 裕
演目:メンデルスゾーン/序曲「夏の夜の夢」ホ長調
   ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調Op.104
   シューベルト/交響曲第8番 ハ長調D.944
        「ザ・グレイト」


 都響首席にて葵トリオの一員である伊東裕が「ドボコン」を演奏するというので三軒茶屋まで出かけることにした。先月も佐藤晴真の名演を聴いたが、いま日本の若手チェリストは他にも上野通明や北村陽、水野優也、上村文乃など国際的に活躍する注目株ばかりで目が離せない。伊東と共演するのは創立40年になるアマオケの水響、指揮の田中一嘉は斎藤秀雄の弟子で古希を過ぎた。

 まずは「夏の夜の夢」から、17歳のメンデルスゾーンがシェイクスピアを読んで触発された序曲だという。神秘的な導入から妖精たちのざわめき、行進曲、恋の大騒ぎ、陽気な舞曲などを経て、妖精たちのテーマが再現して終わる。わずか10数分ながら若きメンデルスゾーンの瑞々しい音楽が満ちていた。

 お目当てのドヴォルザークの「チェロ協奏曲」。静かな前奏からオーケストラがたっぷりと演奏したあと、チェロのソロがゆっくりと入ってくる。伊東裕の身体の動きは小さい。感情をぶつけるような気配を見せず淡々と弾いて行くが、音は豊かで力強くとてもよく歌う。オケのフルート、オーボエ、クラリネットなどの木管群がチェロと絡む。中間楽章はクラリネットの旋律で始まりチェロと掛け合う。ここでの伊東はゆっくりめのテンポで思いっきり情感をこめる。音色は魅惑的で表現は深い。滑らかで率直なボウイングが見ていて気持ちよい。楽章の半ば、管弦楽の強奏のあとは初恋の人ヨゼファに書いた歌曲が引用される。出会いから30年、ドヴォルザークはアメリカにいてヨゼファの病を知らされた。何よりも彼女の無事を祈っていたのだろう。最終楽章は行進曲からはじまり民俗的なリズムや舞曲風のモチーフがチェロと木管群との間でやりとりされ、コーダの直前にはチェロのソロとヴァイオリンのソロとがぶつかり合う。伊東のチェロは気高く溌剌とした響き、その類まれなる音楽性がオケ全体を巻き込むようにして見事な終結へと導いた。コーダの部分はドヴォルザークが帰国してのちヨゼファが亡くなったあと、第1楽章を回帰させ再度歌曲の旋律を引用するなどして大きく書き直した。祖国への郷愁とヨゼファへの想いが何重にもこめられた傑作がうまれた。
 それにしても伊東裕の「ドボコン」は予想を遥かに上回った。管弦楽の首席、室内楽奏者としてはもちろんのこと、ソリストとしても最上である。アンコールはバッハ無伴奏のさわりを(第1番プレリュード)。端正で気品のある美しさに陶然となった。全曲聴きたいと強く思わせる演奏で、伊東裕にはますます注目しなければならない。

 「グレイト」は最も好きな交響曲のひとつ。牧歌的なホルンのソロで始まり、力強いリズムと色彩溢れるオーケストレーションでもって表情を変えながら盛り上がっていく開始楽章、哀愁を帯びたオーボエの旋律と堂々としたリズムの交錯が印象的な第2楽章、舞曲風でエネルギッシュな推進力を持つスケルツォ、トリオは唐突に楽園が現前したような浮遊感と幸福感を与えてくれる。フィナーレは疾走感があって喜びに満ち心の奥底を燃えたたせる。しかし、シューベルトはベートーヴェンとは違う。田中×水響はたしかに熱演ではあったけど、力で押しまくっても如何ともしがたい。シューベルトは精緻なアンサンブルと音色の魅力がどうしても必要でアマオケにとっては演奏するに難しい。少々騒がしく冗長に感じたのは致し方ない。

2026/3/14 藤岡幸夫×東響 THE協奏曲2026年03月14日 21:54



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第104回

日時:2026年3月14日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:藤岡 幸夫
共演:ヴァイオリン/若尾 圭良
   チェロ/佐藤 晴真
   ピアノ/福間 洸太朗
演目:プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調
   ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調
   サン=サーンス/ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調
          「エジプト風」


 オーケストラの定期演奏会で協奏曲だけを並べるのは珍しい。

 最初は若尾圭良のソロでプロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第2番」。若尾はボストン生まれの20歳、父親がボストン交響楽団のオーボエ奏者だという。
 プロコフィエフは長い亡命生活のあと祖国に戻ると決めた頃に「第2番」を書いた。ロシアから亡命する直前の「第1番」より演奏機会は多く、過去にはベルキンのさりげない自然体の素敵な演奏があった。
 
 曲は急―緩―急の古典的な3楽章構成。第1楽章は哀愁を帯びた歌謡風というか民謡風の旋律。若尾は音程に揺るぎがなくシャープで瑞々しい。第2楽章は弦楽器のピツィカートの上を、独奏ヴァイオリンが抒情的なメロディを奏でる。若尾の高音域は魅力的で素直な節回しが好ましい。第3楽章はカスタネットが加わり、打楽器がリズムを刻み、独奏ヴァイオリンが華やかに盛り上げる。藤岡幸夫のサポートはそつがなく若尾は伸び伸びと弾いていた。ソリストが指揮者に寄り添い過ぎかとも思ったけど、かえってそれが初々しくて好感度が爆上がりとなった。

 2曲目は「ドボコン」、ドヴォルザークのアメリカ時代における置き土産とも言うべき名曲。ソロはミュンヘン国際音楽コンクールの覇者である佐藤晴真。「チェロ協奏曲」において最も著名なこの作品はいつ聴いても楽しませてくれるけど、今日はそのなかでも最高級の出来ばえ。佐藤のソロは鷹揚でありながら繊細、東響の木管首席たちと絡む幾多の場面は至福のひと時だった。
 第1楽章、佐藤は大きな起伏と切ないチェロの響を交錯させ堂々たる音楽をつくった。第2楽章はクラリネットのヌヴーとの掛け合いが聴かせる。中間部はオーケストラの強奏で突然表情が変わり、佐藤はほの暗い主題を纏綿と歌う。コーダを前にしたカデンツァは完璧な変奏で泣かせる。第3楽章は行進曲風な歩みの中で、民謡風の美しい主題も登場する。フルートの相澤政宏、オーボエの荒絵理子、コンマスの小林壱成とのやりとりに手に汗握り、長めの終結部の激情に感極まる。ちなみにドヴォルザークはアメリカから帰国後、妻アンナの姉であるヨゼファの訃報をきいて終結部に手を入れたというのは有名な話。
 藤岡の「ドボコン」は、以前ソッリマのソロで聴いているが、各楽器の点描を強調し情熱的かつ劇的に作り上げる。それに応えた若き佐藤晴真は小柄な身体ながら貫禄十分、王者の風格で心底感服した。

 最後はサン=サーンスの「ピアノ協奏曲第5番」、“エジプト風”と愛称されている。ソロの福間洸太朗はすでに40歳を越えた。ピアニストとしての活動も20年以上、メディア出演やYouTubeでの活動も目立っている。
 「ピアノ協奏曲第5番」はサン=サーンス最後のピアノ協奏曲、自身のピアニストデビュー50周年の記念演奏会のための作品で、避寒地のエジプトに滞在していた時の体験に基づくという。特に第2楽章にはエキゾチックな旋律やリズムが用いられ異国情緒的な雰囲気がある。
 冒頭からオーケストラの和音を背景に福間のピアノが歌うよう。爽やかなパッセージが清々しい。第2楽章はエジプトの香りというよりは何処とも知れない東洋風の音楽。銅鑼や打楽器の響きが印象的。虫の音や動物の鳴き声を模倣したようなところもある。福間の硬質な音色が千変万化して心地よい。終楽章、福間は強烈なタッチや溌剌としたアクセントなど野性的ともいえるエネルギーを投入し圧巻の演奏。技巧はもちろんだが体力や気力を消耗しそうなくらい大変そう、こうなると合わせるオケも完全燃焼せざるを得ない。コーダに向かって圧倒的に高揚し駆け抜けた。

 定期演奏会はオケの真価を問う場だから協奏曲はあってもメインの演目ではなく前半のプログラムとなることがほとんど。今日のようなプログラミングは異例というべきだけど、改めてソリストの引き立て役だけでは終わらない東響の実力を確認させてもらった。

2025/2/24 カシオペイアSQ 「MISHIMA」と「アメリカ」2025年02月24日 19:02



かなっくクラシック音楽部 フロイデコンサート
 
日時:2025年2月24日(月・祝) 14:00 開演
会場:かなっくホール
出演:カシオペイア・クァルテット
     ヴァイオリン/渡辺 美穂
     ヴァイオリン/ビルマン 聡平
     ヴィオラ/村松 龍
     チェロ/弘田 徹
演目:バーバー/弦楽四重奏曲第1番 Op.11
   グラス/弦楽四重奏曲第3番 「MISHIMA」
   ドヴォルザーク/弦楽四重奏曲 第12番
          「アメリカ」


 フィリップ・グラスの「MISHIMA」を聴きたくてチケットをとった。前後には「弦楽のためのアダージョ」と「アメリカ」という鉄壁のプログラム。
 カシオペイアSQは、かなっくホールを拠点とする四重奏団、新日フィルの弘田とビルマン、N響の村松、そして、紅一点渡辺美穂で編成されている。以前、モーツァルトとシューベルトを聴いている。

 最初がバーバーの「弦楽四重奏曲第1番」。この第2楽章を弦楽合奏に編曲したのが有名な「弦楽のためのアダージョ」。さらに、第2楽章は無伴奏混声合唱曲「アニュス・デイ」としても編曲されているらしい。
 オリジナルの弦楽四重奏曲は、第1楽章と第3楽章が鋭く激しく切り裂くような曲調で、間に挟まれた第2楽章が別世界のような美しい音楽となっている。途中、三重奏となって第1Vn.と第2Vn.が交代で休止する。このため渡辺美穂のソリストらしい華やかな音と、ビルマン聡平の地味ではあっても奥行きのある音との対比が絶妙で、深い哀しみのなかに安らぎと癒しが浮かび上がってくる。それにしてもこの曲、バーバー26歳のときの作品というが信じられないほどの完成度である。

 グラス「MISHIMA」のSQ版は、もちろん映画「MISHIMA」のための音楽を土台にしている。昨年聴いたピアノ協奏曲版はグラス本人ではなく、マイケル・リースマンが編曲したものだけど、SQ版はグラス自らが筆をとった。演奏するに15分から20分ほどの長さで、1.受賞のモンタージュ、2.市ヶ谷、3.祖母と公威、4.ボディビル、5.血の誓い、6.三島/エンディング、の6つの曲から成る。
 音楽はひたすら内面に向かう。反復と断絶、漸増と漸減、高揚と抑制を繰返しながら進行する。鬱屈した精神に悲壮な決意が充填される。カシオペイアSQの寄せては返す波のような音のうねりに身を委ねていると、三島の生涯が重なり押しつぶされそうになる。今年は三島由紀夫の生誕100年である。

 最後はドヴォルザークの「弦楽四重奏曲第12番」、“アメリカ”の愛称で親しまれ、「新世界より」「チェロ協奏曲」と並ぶ滞米中の代表作。異文化を背景に故郷への愛情や郷愁が色濃く反映している。
 第1楽章はアレグロ、ゆったりとしたボヘミア民謡風の旋律で開始される。有名なこの主題はその後の楽章にも形を変えて出てくる。村松龍のヴィオラがしっとりとした旋律を奏でる。展開部ではフーガ的な音の動きが興奮をよぶ。第2楽章はレント、郷愁をさそう伸びやかな緩徐楽章。黒人霊歌に着想を得たといわれる歌謡的な部分が印象的。それぞれの楽器に短いソロが用意されていて、ここでも渡邊とビルマンの色合いの違いが活かされていた。弘田徹の深々としたチェロの響きで終わる。第3楽章はスケルツォ。ボヘミアの舞曲による主題が使われているようだが、軽快なリズムに彩られ、鳥のさえずりも引用されている。第4楽章フィナーレ、リズミカルな主題はネイティブアメリカンの影響だという。力強い副主題と讃美歌的な旋律との対比が鮮やか。最後は激しい気迫で4人揃ってコーダへ雪崩れ込んだ。

 アンコールは松任谷由実の「春よ、来い」を披露してくれた。そう、あと数日すれば3月、春到来である。今年も時間は足早に過ぎて行く。

2025/2/9 ポペルカ×N響 二つの「シンフォニエッタ」2025年02月09日 20:54



NHK交響楽団 第2031回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年2月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:ペトル・ポペルカ
共演:ラデク・バボラーク
演目:ツェムリンスキー/シンフォニエッタ
   R.シュトラウス/ホルン協奏曲第1番
   ドヴォルザーク/交響詩「のばと」
   ヤナーチェク/シンフォニエッタ


 N響初登場のポペルカ、数年前マティアス・ピンチャーの代役で東響を振ったのが日本デビュー。この公演を聴き逃してしまった。昨年のプラハ放送響の来日公演も行くことができなかった。で、今回、N響との組み合わせで聴くことに。
 プログラムはツェムリンスキーとヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を最初と最後に置き、間にR.シュトラウスの協奏曲とドヴォルザークの交響詩を挟むという凝ったもの。

 「シンフォニエッタ」といえば、ヤナーチェクがあまりにも有名で、ツェムリンスキーは珍しい。ツェムリンスキーの作品は「抒情交響曲」しか聴いたことがない。ぼんやりとマーラーとシェーンベルクの間にあるようなイメージだけどよくは知らない。略歴をみると妹がシェーンベルクの妻であり、アルマ・シントラーとは一時恋愛関係にあったらしいから、当たらずといえども遠からずだろう。しかし、作品の印象はシェーンベルクにもマーラーにも似ていない。
 「シンフォニエッタ」は3楽章形式。第1楽章は活気あるリズムで辛辣かつシニカル。第2楽章は神秘的なバラード、途中爆発的に高まり最後は静寂のなかへ消えて行く。第3楽章は舞踏的でエキゾシズムな雰囲気がある。ポペルカは活き活きと曲を運び、リズムのキレもいい。指揮姿もつくりだす音楽もしなやかだ。ただ、ツェムリンスキーの曲自体に手ごたえが乏しい。一度聴いただけでは正直作品の良さがよく分からない。

 R.シュトラウスの「ホルン協奏曲第1番」は彼が18か19歳のときに書いたものだという。モーツァルトをお手本にしたような古典的な作風。冒頭のファンファーレからしてバボラークは超一級。中間のアンダンテを典雅にうたい、最終のロンドはホルンではとても難しい跳躍を連続してこなしていく。思わずトランペットではないのだから、と呟いてしまった。
 R.シュトラウスは赤子のときから父親のホルンの響きのなかで育ってきた。管弦楽曲作品でもホルンが効果的に用いられている。そのR.シュトラウスの「ホルン協奏曲」をバボラークが吹いてワクワクしないわけがない。演奏後、バボラークに対してN響のホルン奏者が大きな拍手で称えていた。

 「のばと」はアメリカから帰国したドヴォルザーク晩年の作品。チェコの詩人エルベンの詩集「花束」に基づく連作交響詩のうちのひとつ。「のばと」の物語は、夫を毒殺して若い男と再婚した女が、故人の墓の上の木にとまった野鳩の鳴き声を聴いて、良心の呵責に苛まれ自死する、というちょっとおぞましい内容。ドヴォルザークはこの話を1.夫の葬送、2.若者の出現、3.求婚、4.墓の野鳩、5.女の葬儀、という5つのセクションに分けて作曲した。
 冒頭はフルートとヴァイオリンで奏でられる葬送行進曲、女に迫る若者の姿はトランペットで表わしているのだろう。第3のセクションに入ると若者と再婚した女が踊るダンスの場面、第4セクションは苛烈、野鳩の鳴き声が女の罪の意識を刺激し、悲劇的な最期に導く。落ち着かないオケの音響と低域のバスクラリネットが印象的。最後は再び葬送行進曲が流れ今度は女を弔う。コーダは長調に転じ浄化されるように終わる。
 ポペルカはドラマの各場面を巧みに描き分け、終始見通しのよいドラマをつくった。ドヴォルザークの音楽は写実的で、小交響曲と交響詩の違いがあるにせよツェムリンスキーに比べると圧倒的に分かりやすい。

 ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」は最晩年の傑作。第一大戦後、祖国は独立しヤナーチェク自身は老いらくの恋の真っ最中。その高揚と情念が「シンフォニエッタ」を生み出したかも知れない。1.ファンファーレ、2.城、3.修道院、4.街路、5.市庁、の5楽章構成で、交響曲の型にはまらない自由さと奔放さがある。
 第1楽章はバンダとティンパニだけのファンファーレ。バンダはトランペットを中心に13人が舞台最後列に並び、ステージ上のオケではティンパニ奏者のみが演奏する。リズムは複雑、メロディは幾つかの声部に分かれ掛け合う。13人のバンダが優秀で見事なファンファーレを吹奏した。
 第2楽章は民俗舞曲調、ポペルカは速めのテンポで旋律の歌わせ方も上手い。第3楽章は優美な曲調と過激な曲調が同居し、ポペルカは才気あふれる指揮でもって捌いて行く。第4楽章のトランペットの執拗なオスティナートも颯爽とした演奏。
 第5楽章は「タラス・ブーリバ」を思い起こさせる。楽章の後半において沈黙していたバンダが再び加わる。このファンファーレ以降のポペルカのテンポの伸び縮みは絶妙としかいいようがない。力任せのところが全くないのにどこまでも高みに昇って行く。
 N響の適応力も素晴らしく鳥肌がたつほどだった。コンマスは長原幸太、この4月からN響の第1コンサートマスターに就任する。

2024/9/28 D・R・デイヴィス×神奈川フィル P・グラス「Mishima」2024年09月28日 19:40



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第398回

日時:2024年9月28日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:デニス・ラッセル・デイヴィス
共演:ピアノ/滑川真希
演目:ドヴォルジャーク/交響曲第7番ニ短調Op.70
   黛敏郎/饗宴
   フィリップ・グラス/ピアノとオーケストラ
             のための協奏曲「Mishima」


 デニス・ラッセル・デイヴィスは随分前に聴いたことがある。演目も演奏内容も全く思い出せなくて、期待外れで落胆したことだけをぼんやりと覚えている。リンツ・ブルックナー管のときの録音が話題になっていた頃だから、多分プログラムにはブルックナーの交響曲が入っていたと思う。アメリカ出身の指揮者ながら長くヨーロッパのオケのシェフを歴任し、今でもチェコ・ブルノ国立フィルとライプツィヒMDR響の首席指揮者を兼務している。この秋、ブルノ国立フィルは韓国ツアーの予定で、デイヴィスは韓国遠征に合わせて神奈川フィルを振るのだろう。もう80歳である。
 今シーズンの神奈川フィルについてはセレクト会員に変更した。デイヴィスの演奏会を選択するかどうか迷ったけど、フィリップ・グラスの「Mishima」に、三島由紀夫の朋友である黛敏郎の「饗宴」を組み合わせて演奏するといった尖ったプログラムに魅かれてチケットを取った。

 前半はドヴォルジャークの「交響曲第7番」。この曲の背景にはヤン・フスの悲劇と民俗の悲願があるとされるが、実生活においても長女、次女、長男を失い、母を亡くすという不幸な時期に書かれている。「第8番」「第9番」に比べると演奏機会が少ないが、ドヴォルジャークの重要な作品のひとつ。重く痛切な嘆きがこめられ、調性の二短調はモーツァルトの「レクイエム」と同じである。
 デイヴィスはゆったりとしたテンポで重心の低い骨太な音をつくりだすが、各楽章ともそのテンポ感がほぼ同じだから平板でのっぺりした感じがする。楽章内においても緩急がはらむ緊張感がうすく、どこか弛緩したままで推進力に乏しい。凡庸なドボルジャークだった。神奈川フィルのコンマスは藝大フィルの植村太郎がゲスト、クラリネットには都響首席のサトーミチヨが参加していた。

 後半は演奏時間10分ほどの「饗宴」から。若き黛敏郎の作品でオケのなかにサックス5本が並び、打楽器奏者を10人ほど揃えた。ラテンのリズム、ジャズの即興性、アジアの響き、日本的な音階などが混在した熱く激しい曲。響きとリズムの、まさにその饗宴を楽しんだ。聴き方によっては「シンフォニック・ダンス」に通じるところがある。バーンスタインの弟子の佐渡裕や大植英次が振ると面白いかも知れない。

 最後がグラスの「Mishima」、ピアノとオーケストラのための協奏曲。三島由紀夫の半生を描いた日本未公開映画『Mishima:A Life In Four Chapters』(1985年)の音楽を素材にしてキーボード奏者のマイケル・リースマンが編曲した。ソロの滑川真希はグラス作品の世界初演を幾つか手がけているし、このピアノ協奏曲もデイヴィスの指揮のもと海外では音盤になっている。日本初演である。
 滑川は小柄、白装束をまとい裸足で登場、まるで神事に携わるような雰囲気が漂う。ピアノは休むことなくほぼ弾きっぱなし、シンプルなメロディーとリズムの反復がオケと一体となって波のように寄せては引いていく。指揮のデイヴィスは大半を滑川に任せていたようだが、ぴったりと息が合っている。実際にも夫婦というから当たり前か。
 グラスはミニマル・ミュージックの先駆者、自身の音楽を「劇場音楽」と称しているが、その劇的でありながら抒情的な音楽に陶酔し興奮した。
 盛大な拍手に応えて、滑川のアンコールは当然グラスのピアノ曲。「エチュード11番」だと案内されていた。

 文学界、音楽界、映画界などは左巻きばかりだから、文学の三島も音楽の黛も映画の『Mishima』も疎んじられがちだけど、すべては歴史に委ねればいいことだ。
 映画『Mishima』は遺族の反対や街宣右翼の脅迫(しょせん左翼を利するための活動だろう)といったこともあって日本では未公開、DVDの販売や配信もない。製作総指揮はフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督・脚本はポール・シュレイダーという信じがたいメンバーで、主演は緒形拳。
 来年は三島由紀夫の生誕100周年だが、いつかこの映画を観ることができる日が来るのだろうか。