2024/9/28 D・R・デイヴィス×神奈川フィル P・グラス「Mishima」 ― 2024年09月28日 19:40
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第398回
日時:2024年9月28日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:デニス・ラッセル・デイヴィス
共演:ピアノ/滑川真希
演目:ドヴォルジャーク/交響曲第7番ニ短調Op.70
黛敏郎/饗宴
フィリップ・グラス/ピアノとオーケストラ
のための協奏曲「Mishima」
デニス・ラッセル・デイヴィスは随分前に聴いたことがある。演目も演奏内容も全く思い出せなくて、期待外れで落胆したことだけをぼんやりと覚えている。リンツ・ブルックナー管のときの録音が話題になっていた頃だから、多分プログラムにはブルックナーの交響曲が入っていたと思う。アメリカ出身の指揮者ながら長くヨーロッパのオケのシェフを歴任し、今でもチェコ・ブルノ国立フィルとライプツィヒMDR響の首席指揮者を兼務している。この秋、ブルノ国立フィルは韓国ツアーの予定で、デイヴィスは韓国遠征に合わせて神奈川フィルを振るのだろう。もう80歳である。
今シーズンの神奈川フィルについてはセレクト会員に変更した。デイヴィスの演奏会を選択するかどうか迷ったけど、フィリップ・グラスの「Mishima」に、三島由紀夫の朋友である黛敏郎の「饗宴」を組み合わせて演奏するといった尖ったプログラムに魅かれてチケットを取った。
前半はドヴォルジャークの「交響曲第7番」。この曲の背景にはヤン・フスの悲劇と民俗の悲願があるとされるが、実生活においても長女、次女、長男を失い、母を亡くすという不幸な時期に書かれている。「第8番」「第9番」に比べると演奏機会が少ないが、ドヴォルジャークの重要な作品のひとつ。重く痛切な嘆きがこめられ、調性の二短調はモーツァルトの「レクイエム」と同じである。
デイヴィスはゆったりとしたテンポで重心の低い骨太な音をつくりだすが、各楽章ともそのテンポ感がほぼ同じだから平板でのっぺりした感じがする。楽章内においても緩急がはらむ緊張感がうすく、どこか弛緩したままで推進力に乏しい。凡庸なドボルジャークだった。神奈川フィルのコンマスは藝大フィルの植村太郎がゲスト、クラリネットには都響首席のサトーミチヨが参加していた。
後半は演奏時間10分ほどの「饗宴」から。若き黛敏郎の作品でオケのなかにサックス5本が並び、打楽器奏者を10人ほど揃えた。ラテンのリズム、ジャズの即興性、アジアの響き、日本的な音階などが混在した熱く激しい曲。響きとリズムの、まさにその饗宴を楽しんだ。聴き方によっては「シンフォニック・ダンス」に通じるところがある。バーンスタインの弟子の佐渡裕や大植英次が振ると面白いかも知れない。
最後がグラスの「Mishima」、ピアノとオーケストラのための協奏曲。三島由紀夫の半生を描いた日本未公開映画『Mishima:A Life In Four Chapters』(1985年)の音楽を素材にしてキーボード奏者のマイケル・リースマンが編曲した。ソロの滑川真希はグラス作品の世界初演を幾つか手がけているし、このピアノ協奏曲もデイヴィスの指揮のもと海外では音盤になっている。日本初演である。
滑川は小柄、白装束をまとい裸足で登場、まるで神事に携わるような雰囲気が漂う。ピアノは休むことなくほぼ弾きっぱなし、シンプルなメロディーとリズムの反復がオケと一体となって波のように寄せては引いていく。指揮のデイヴィスは大半を滑川に任せていたようだが、ぴったりと息が合っている。実際にも夫婦というから当たり前か。
グラスはミニマル・ミュージックの先駆者、自身の音楽を「劇場音楽」と称しているが、その劇的でありながら抒情的な音楽に陶酔し興奮した。
盛大な拍手に応えて、滑川のアンコールは当然グラスのピアノ曲。「エチュード11番」だと案内されていた。
文学界、音楽界、映画界などは左巻きばかりだから、文学の三島も音楽の黛も映画の『Mishima』も疎んじられがちだけど、すべては歴史に委ねればいいことだ。
映画『Mishima』は遺族の反対や街宣右翼の脅迫(しょせん左翼を利するための活動だろう)といったこともあって日本では未公開、DVDの販売や配信もない。製作総指揮はフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督・脚本はポール・シュレイダーという信じがたいメンバーで、主演は緒形拳。
来年は三島由紀夫の生誕100周年だが、いつかこの映画を観ることができる日が来るのだろうか。