せせらぎ緑道2024年01月10日 14:10



 交通量の多いバス通りから一本入ったところに小川が流れている。バス通りに並行し東西に流れる本川と、途中から寺の横を北に向かう支川とに分かれている。小川といっても自然の川ではなくて、市街化に伴い汚染されてしまった水路を親水空間として再生したものらしい。

 流れる水は下水処理場によって高度処理され、自然の小川を模した蛇行するせせらぎと、川に沿った遊歩道が整備されている。本川も支川も歩くとそれぞれ30分くらいかかる。川の両岸には戸建てやマンションなどが切れ目なく並んでいるから解放感はあまりない。そのかわりバス通りの騒音はほとんど気にならない。

 小川は人工的に造られたものとはいえ、自然石や土管、樹木などの材料を巧みに使っている。水草が繁茂し、鯉や小魚、ザリガニなどの水生生物も生息している。さまざまな野鳥が寄り付き、街中では珍しいコサギを見かけることもある。水深は最大で30cmくらい、浅いところでは10cmもないように見える。整備されてからけっこう年数が経っているので自然の景色にも負けないくらいだ。
 川沿いの遊歩道は狭いながら草花が植えられベンチもあって、散策するに気持ちがよい。老人や子供、ベビーカーのお母さんたちが行き交っている。「自転車は降りてください」と案内されているのに、たまに自転車に乗ったまま走り去る怪しからん輩がいることが残念だけど。

 この「せせらぎ緑道」まで家からは距離があり気楽に利用できないが、通院のついでに散歩をしている。「鯉に餌をやるな!」との注意書きはないようだから、今度は餌持参で訪れてみようかと思っている。

あじさい寺 後編2022年06月17日 17:20



 あじさい寺といえば明月院、明月院といえばあじさい寺。朝9時前に、その明月院へ。
 しばし並ぶことを覚悟していたが、幸運にも拝観手続きまでの待ち時間はゼロ。もちろん境内に入ると凄い人。ツアーの老人たちや高校生の団体も混じっているものの、平日だというのに若い男女や女性たちの小グループが目につく。原宿の雑踏以上か。
 長蛇の列は何かと思えば、本堂の丸窓「悟りの窓」を撮影するためだという。仕方なく30分ほど並んだ。丸窓の前に立ったとき、リスが一匹現れた。壁を垂直におりて、畳の上にちょこんと座った。スマホのカメラを向けたら奥の「悟りの窓」をほうに走り去って見えなくなった。
 明月院の紫陽花は数・種類とも桁が違う。過去、3、4度は訪れているが、紫陽花がこれほど壮観なものとは思わなかった。微妙に季節がずれていたのだろう。今年はぴったしの時期に訪れることができた。圧巻、明月院ブルーの景色を堪能した。

 線路を挟んで反対側に浄智寺がある。
 谷戸に堂宇を並べた簡寂な佇まい。境内には天然記念物のビャクシンやコウヤマキが聳える。紫陽花も野趣あふれ、明月院とは別世界。
 人もまばらでゆっくり散策できる。木造の文化財が多くあり、本尊の三世仏坐像、達摩大師像、観音菩薩立像などが安置されている。洞窟には布袋尊も祀られている。今まで、あまり拝観したことはなかった。山寺のような雰囲気もある。大いに気に入った。

 浄智寺から北鎌倉駅のほうへ少し戻ると東慶寺である。
 北鎌倉へ来れば必ず立ち寄るお寺。紫陽花もそこかしこに花をつけているが、自己主張することなく沈静し、簡素な境内の風景に溶け込んでいる。ここは何時の季節に来ても素敵な空間だ、心が落ち着く。
 東慶寺は境内撮影禁止となった。それでもカメラやスマホを操作する幾人。この程度のルールは守りましょうよ。

 三つのお寺を拝観したらお昼になった。
 午後の時間はいつもの食事処で過ごした。前回は「蔓延防止措置」が実施されていた2月で、われわれ1組だけだったが、今日は満席。美味しい食事を提供してくれる場所である。お客が戻ってきて良かった。
 北鎌倉駅に着いたら、もう3時になっていた。

あじさい寺 前編2022年06月15日 16:13



 季節はあじさい寺だから、今週の金曜日、いつもの北鎌倉の食事処を予約した。
 準備は万端なのだが、予定を眺めてみると、一日ではちょっと難しい。とくに、昼食時間をゆっくり確保するには厳しい計画となっている。
 で、急遽、二日に分けることにして、雨のなか鎌倉へ出かけた。

 長谷寺は今年のはじめ訪れているし、江ノ電・長谷駅の混雑ぶりを見て、一つ先の極楽寺駅で降りた。
 門前の紫陽花が出迎えてくれる極楽寺。
 開山は癩病者・貧者救済に努めた忍性。縁起によれば金堂、講堂、十三重塔などのほか約50の塔頭を備えた大伽藍だったという。現在、その面影はなく、合戦や火災、地震により茅葺屋根の山門と本堂を残すのみで、こじんまりとした境内である。その境内の紫陽花もひっそりと雨に打たれている。拝観は無料、京都の寺とは大違い。わずかばかりの志を納めて外に出た。

 極楽寺坂切通に沿った石段の、西結界から成就院に向かう。
 参道の紫陽花は、震災後200株以上を南三陸町へ寄贈し、今は30株ほどのようだ。あいにく由比ヶ浜の海はけぶって見えなかったが、雨に映えた紫陽花はさすが趣がある。紫陽花の跡地には宮城県の花である萩を植えたという。秋にはまた格別の見ものとなるだろう。山門の大きな鉢には様々な色彩の紫陽花が活けてあり、手水鉢にも紫陽花が浮かべてある。境内には御本尊の不動明王の分身が祀ってある。この歳ではもう縁ないが、恋愛成就のお寺だという。ここも拝観料をとらない。本堂のお不動様にも手を合わせてきた。

 切通を長谷駅の方へおりて行くと、成就院の境外仏である虚空蔵菩薩の堂があり、並んで鎌倉十井のひとつ星の井がある。昼でも井戸を覗き込むと星の影が見えたことから、星の井と名づけられ、僧行基はこの井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身として虚空蔵堂を建てたという伝説がある。

 これらをゆっくり廻って約半日、そのまま鎌倉駅まで戻り、帰路についた。
 週末は北鎌倉で紫陽花と再会する。

つゆのあとさき2022年06月08日 13:17



 おととい、気象庁は関東の梅雨入りを宣言した。平年より1日、去年より8日早いという。
 梅雨の合間を見計らって歩くことにする。だいたい、漫然と歩くよりは、目的地を定めたほうがいい。

 ひとつは公園。近ごろの公園は規模の大小問わず、子供用の遊具だけでなく、大人用の道具が設置されているところがある。滑り台やブランコ、ジャングルジムといった子供向けの定番だけでなく、大人用と注意書きのあるぶら下がり器、背が半円形になったベンチ、身体をひねる器具等々。むかし、室内用のぶらさがり健康器具が流行ったが、その屋外バージョン、背伸び用のベンチ、回転台のついた手すりなどだ。
 お気に入りはぶらさがり器、最初は3秒と握れなかったものが、繰り返すうちに1分くらいは何とか我慢できるようになった。もっとも、これによって猫背が矯正されるとか、握力が増すとか、筋力がつくとか、といった効果はほとんどないと思う。でも、身体を動かすことは悪いことではない。

 もうひとつは寺社。この辺りは神社なら天照大御神、熊野権現、大物主神、稲荷神、八幡神など八百万の神が御座る。仏閣なら真言宗、法華宗、浄土宗、真宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗など各宗が集まっている。
 一度で4、5社寺ほど巡ることができる。境内では四季折々の花々に感心し、手入れの行き届いた樹々を楽しむことができる。時には犬猫を揶揄って時間をつぶす。

 今日は公園を目的地にした。
 この季節、歩いていると、『つゆのあとさき』の断片の幾つかがぼんやりと纏わりつく。時代は違っても、長年世話になった日比谷、数寄屋橋、銀座の街並みや、梅雨の始めから終わりの移り変わり、浅薄な男と奔放な女の絡み合いが、突き放したような筆の運びでもって描かれていた。

 この鬱陶しい時代の鬱陶しい季節、あらためて荷風を読んでみようか。「静かな処で小さく暮すのが、私に一番適当して居る」といった反時代主義者の荷風を。

圓融寺2022年06月02日 16:49



 散歩するには、厳しい季節になりつつある。雨模様が続き、湿気も多く蒸し暑い。

 それでも今日は比較的天候に恵まれていたので、目黒区の学芸大学駅へ行ったついでに、圓融寺まで足をのばした。
 学芸大学駅で用事を済ませ、昼、蕎麦を食べてから、碑文谷の圓融寺に向かった。

 経王山文殊院圓融寺、平安時代創建と伝えられる天台宗の古刹、閑静な住宅街の中にあって立派な寺である。
 東門より参詣すると、まずは阿弥陀堂がそびえている、これは昭和の建立。次いで、室町時代とされる重文の釈迦堂をみて、隣接する墓地を一巡りした。渡哲也、西城秀樹の墓がある。境内はサツキかツツジか、まだまだ花が盛りで見事なり。そのあと、仁王門、山門をくぐって西小山駅まで歩いた。これで歩数にして約1万歩。

 今回は立ち寄ることができなかったが、林試の森公園、目黒不動尊龍泉寺なども徒歩圏にある、散歩コースとしてお勧めである。