2026/8/6 FSM:梅田俊明×昭和音大 ベートーヴェンと「春の祭典」 ― 2026年08月07日 15:46
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026
昭和音楽大学管弦楽団
テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
日時:2026年8月6日(水) 18:30開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:梅田 俊明
演目:ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調
ベートーヴェン/交響曲第4番 変ロ長調
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
ミューザのお祭りには川崎市にある音楽大学、洗足学園と昭和音大が毎年参加する。
昭和音大は卒業生に対するキャリア支援の一環として、自前劇場であるテアトロ・ジーリオ・ショウワ専属のオーケストラを組織している。東京音大のTCMオーケストラ・アカデミーや桐朋学園のオーケストラ・アカデミーと同様、プロのオーケストラ奏者の養成を兼ねているのだろう。そのオケが大学オケと合同で公演する。
まずは「レオノーレ 第3番」。ベートーヴェンの唯一の歌劇「フィデリオ」には4つの序曲が残されている。「フィデリオ」は難産で成功を収めるまで何度も推敲したから序曲もその都度書き直された。「レオノーレ 第3番」は、その4つ序曲のなかの、いやベートーヴェンの全序曲のなかの最高傑作といってよい。
アダージョで序奏が始まり、主部は構造物のように堅牢。展開部ではトランペットのファンファーレが舞台裏から聴こえる。再現部に入るとフルートの難所があり、弦楽器の快速のパッセージがコーダを導き、最後は熱狂的に盛り上がって終わる。
梅田俊明×昭和音大は広いダイナミックレンジと納得の緩急でもって大きなベートーヴェンをつくった。序曲というよりは交響詩のよう。トランペットやフルートのソロも美しい。梅田は華奢で温厚な紳士だが、見かけとは大違い、逞しい音楽だった。
「交響曲第4番」は先月、松井慶太で聴いたばかり。好きな曲だから毎週でも構わない。
謎めいた序奏、予測不能な和音と転調。主部では木管が掛け合い、弦が縦横無尽に走り回る。昭和音大はさすが若人たちの集団らしく元気いっぱい。音階が上昇し音量が高まっていく。いっとき、夏の暑さを忘れる。これはベートヴェンという清涼剤だ。
幸福感に包まれた緩徐楽章は「第4番」の核心。昭和音大の弦や木管は優雅、金管やティンパニは力強い。終盤のホルンの響きは万感こもごも到る。スケルツォは迫力満点、トリオは鄙びた感じでその対照が面白い。梅田はかなりスピードアップしてフィナーレに突入した。一瞬危ういと思ったけど、昭和音大は大きく乱れることなくご機嫌に飛ばす。難関のファゴットのソロもこの速度をものともせず見事に決め爽やかに終えた。
後半は「春の祭典」、難曲である。梅田は派手さをきらい穏やかな演奏をするというイメージがあるが、強弱の幅は大きく、木管も金管も思い切って吹かせる。管楽器は破裂音を魅力的に響かせ、歌いまわしも丁寧。弦は分厚く表現はかなり濃厚だった。
「春の祭典」はその時々で主役の楽器が変化し続けるのだけど、主役をしっかりと強調し、それでいて全体のバランスを崩さない。メリハリを効かせながら楽曲の流れはスムーズだ。音楽には広がりと奥行きがあり、激しさもずっしりとした重さもあり感心した。
「春の祭典」は演奏者によって第1部の「大地礼賛」か、第2部の「生贄の踊り」のどちらかが印象に残るものだが、梅田×昭和音大は全曲にわたって隙がない。奇をてらった解釈をするわけではない。次々と変わる各楽器のソロを活かしながら、安定したアンサンブルをもって熱量の高い音楽を繰り広げ、激しい不協和音と変拍子のリズムで衝撃を与えてくれた。暑さを吹き飛ばす好演だった。
2026/8/1 松井慶太×PPT ラフマニノフ「交響的舞曲」 ― 2026年08月01日 21:34
パシフィックフィルハーモニア東京
第182回 定期演奏会
日時:2026年8月1日(水) 14:00開演
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:松井 慶太
演目:ヒナステラ/バレエ音楽「エスタンシア」組曲
コープランド/静かな都会
バーンスタイン/シンフォニック・ダンス
ラフマニノフ/交響的舞曲
松井慶太が首都圏のプロオケ定期を振ることは珍しい。加えて、プログラムが凝っている。バーンスタインとラフマニノフ2人のシンフォニック・ダンスはもちろん楽しみだが、ヒナステラとコープランドの2曲はレア、実演で聴けることはめったにない。「エスタンシア」と「静かな都会」については予習をした。
Wikiによるとヒナステラはアルゼンチン出身。「エスタンシア」とはラテンアメリカでみられる大規模農園のこと。1,農園で働く人々、2.小麦の踊り、3.大牧場の牛追い人、4.終幕の踊り(マランボ)の4曲で構成される。YouTubeにはドゥダメルの演奏などがアップされている。
変拍子やオスティナートを多用し、民俗的要素が濃厚で、ストラヴィンスキーの影響もありそうなこの曲を、松井×PPTはのっけから迫力をもって描いた。やはり終曲の「マランボ」が打楽器を打ち鳴らし興奮させてくれる。が、この手の作曲家としては好みながらメキシコのレブエルタスのほうが面白い。
コープランドの「静かな都会」は、もとは舞台劇のための楽曲を演奏会用に編曲したもの。楽器編成が変わっていて弦楽合奏をバックにトランペットとイングリッシュホルンのソロが協演する。ソロ楽器は劇中の人物――トランペットはユダヤ人の少年、コーラングレはホームレス――が割り当てられているらしい。イングリッシュホルンの堀口憲一は舞台下手の最前列に位置し、トランペットの依田泰幸は舞台上手のコントラバス後ろの一段高いところで吹いた。
冷たい触感の弦楽器とイングリッシュホルンのやり取りからはじまり、それを基調としてトランペットが旋律を吹き続ける。全体に静けさを感じさせるちょっと感傷的な音楽で、都会の夜を表現しているとのこと。イングリッシュホルンと弦楽器のからみは耳に優しく、トランペットはしっとりとした美しい響きで、早朝の街のようでもあった。
バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」は、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の中のダンスナンバーを中心に管弦楽のための演奏会用組曲としたもの。切れ目なく演奏され、1.プロローグ、2.サムウエア、3.スケルツォ、4.マンボ、5.チャ・チャ、6.出会いの場面、7.クール~フーガ、8.決闘、9.フィナーレで構成される。
松井×PPTはいずれのシーンも見事な演奏を繰り広げた。「プロローグ」のスイングジャズによって一気に映画が思い出され、「サムウエア」の切ない祈り、「スケルツォ」の変拍子の軽快さ、「マンボ」の熱狂、「チャ・チャ」の静かなステップ、「出会いの場面」のマリアの旋律、「クール~フーガ」の怒りを押し殺した緊迫感から、「決闘」の打楽器や金管楽器による暴力と悲劇の描写、「フィナーレ」の喪失と悲しみまで、「ウエスト・サイド・ストーリー」の雰囲気を一通り味うことができた。松井の師匠は汐澤と広上だからリズム感は抜群、もっとも彼らの弟子たちはみな例外なくリズム感は一級品だけど。
休憩のあと、もう一つの「シンフォニック・ダンス」であるラフマニノフの「交響的舞曲」。ラフマニノフの最晩年、作曲家人生の集大成と言える作品。どちらかというとラフマニノフは苦手な作家だが、この「交響的舞曲」と「パガ狂」だけは特別で、コンサート案内で演目をみつけると聴きたくなる。「交響的舞曲」はラフマニノフの“白鳥の歌”。過去作を引用したり、大胆な和声進行があったりして、自らの作曲活動を振り返りながら、渾身の力をふり絞って書いた作品だと思う。
第1楽章は舞曲といっても行進曲風、中間部のアルト・サックスのメランコニックな旋律は有名で、松井はオーボエ、フルート、クラリネットなどの木管が次々とアルト・サックスと絡む際に、抒情に濃淡をつけるよう注意深く極めて繊細に音を紡いだ。オーボエは東響にいた最上峰行が、フルートはシテイフィルの多久和怜子が客演していた。やがて「怒りの日」の楽句が現れ、冒頭の行進曲風の舞曲に戻ると、その先は過去の作品たちが引用され楽章が閉じられた。
第2楽章はミュート付トランペットやトロンボーンによる不吉なファンファーレが鳴るなか、弦楽器たちがおずおずと妖しくも切ないワルツを奏でる。松井のテンポは相当遅く、音の軌跡は大きくうねるようで、最後まで不気味で頽廃的な雰囲気を漂わせていた。
最終楽章は死者のための旋律「怒りの日」がそこらじゅうに出現する。仄めかしもあれば極めて明瞭に現れることもあり、ラフマニノフの執着のほどが知れる。もちろんそればかりではなく聖歌らしい音型や活発な舞踏の音楽が入り交じって怒涛の展開となる。終盤、松井は冒頭部を再現したあと金管群による最後の「怒りの日」を強奏したが、「アレルヤ」の旋律をそれ以上に強調し、「怒りの日」を打ち消すように力強く全曲を締めくくった。
演奏が終わるや否や、指揮者の棒が下りるのを待ちきれないのか、客席の四方八方からフライング拍手が巻き起こった。これはあまり宜しくないが、松井×PPTの熱演のせいだとすれば、まぁ、気持ちは分からないでもない。
前回PPTを聴いたのは数年前の汐澤のときで、客の入りは随分寂しかった。今日は1階、2階ともほどよく席が埋まっていた。もちろん3階は空きが多く都響公演のように満杯とはいかないけど、それでも師匠のときより集客は数倍上回っていた、めでたい。
2026/3/14 藤岡幸夫×東響 THE協奏曲 ― 2026年03月14日 21:54
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第104回
日時:2026年3月14日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:藤岡 幸夫
共演:ヴァイオリン/若尾 圭良
チェロ/佐藤 晴真
ピアノ/福間 洸太朗
演目:プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調
サン=サーンス/ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調
「エジプト風」
オーケストラの定期演奏会で協奏曲だけを並べるのは珍しい。
最初は若尾圭良のソロでプロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第2番」。若尾はボストン生まれの20歳、父親がボストン交響楽団のオーボエ奏者だという。
プロコフィエフは長い亡命生活のあと祖国に戻ると決めた頃に「第2番」を書いた。ロシアから亡命する直前の「第1番」より演奏機会は多く、過去にはベルキンのさりげない自然体の素敵な演奏があった。
曲は急―緩―急の古典的な3楽章構成。第1楽章は哀愁を帯びた歌謡風というか民謡風の旋律。若尾は音程に揺るぎがなくシャープで瑞々しい。第2楽章は弦楽器のピツィカートの上を、独奏ヴァイオリンが抒情的なメロディを奏でる。若尾の高音域は魅力的で素直な節回しが好ましい。第3楽章はカスタネットが加わり、打楽器がリズムを刻み、独奏ヴァイオリンが華やかに盛り上げる。藤岡幸夫のサポートはそつがなく若尾は伸び伸びと弾いていた。ソリストが指揮者に寄り添い過ぎかとも思ったけど、かえってそれが初々しくて好感度が爆上がりとなった。
2曲目は「ドボコン」、ドヴォルザークのアメリカ時代における置き土産とも言うべき名曲。ソロはミュンヘン国際音楽コンクールの覇者である佐藤晴真。「チェロ協奏曲」において最も著名なこの作品はいつ聴いても楽しませてくれるけど、今日はそのなかでも最高級の出来ばえ。佐藤のソロは鷹揚でありながら繊細、東響の木管首席たちと絡む幾多の場面は至福のひと時だった。
第1楽章、佐藤は大きな起伏と切ないチェロの響を交錯させ堂々たる音楽をつくった。第2楽章はクラリネットのヌヴーとの掛け合いが聴かせる。中間部はオーケストラの強奏で突然表情が変わり、佐藤はほの暗い主題を纏綿と歌う。コーダを前にしたカデンツァは完璧な変奏で泣かせる。第3楽章は行進曲風な歩みの中で、民謡風の美しい主題も登場する。フルートの相澤政宏、オーボエの荒絵理子、コンマスの小林壱成とのやりとりに手に汗握り、長めの終結部の激情に感極まる。ちなみにドヴォルザークはアメリカから帰国後、妻アンナの姉であるヨゼファの訃報をきいて終結部に手を入れたというのは有名な話。
藤岡の「ドボコン」は、以前ソッリマのソロで聴いているが、各楽器の点描を強調し情熱的かつ劇的に作り上げる。それに応えた若き佐藤晴真は小柄な身体ながら貫禄十分、王者の風格で心底感服した。
最後はサン=サーンスの「ピアノ協奏曲第5番」、“エジプト風”と愛称されている。ソロの福間洸太朗はすでに40歳を越えた。ピアニストとしての活動も20年以上、メディア出演やYouTubeでの活動も目立っている。
「ピアノ協奏曲第5番」はサン=サーンス最後のピアノ協奏曲、自身のピアニストデビュー50周年の記念演奏会のための作品で、避寒地のエジプトに滞在していた時の体験に基づくという。特に第2楽章にはエキゾチックな旋律やリズムが用いられ異国情緒的な雰囲気がある。
冒頭からオーケストラの和音を背景に福間のピアノが歌うよう。爽やかなパッセージが清々しい。第2楽章はエジプトの香りというよりは何処とも知れない東洋風の音楽。銅鑼や打楽器の響きが印象的。虫の音や動物の鳴き声を模倣したようなところもある。福間の硬質な音色が千変万化して心地よい。終楽章、福間は強烈なタッチや溌剌としたアクセントなど野性的ともいえるエネルギーを投入し圧巻の演奏。技巧はもちろんだが体力や気力を消耗しそうなくらい大変そう、こうなると合わせるオケも完全燃焼せざるを得ない。コーダに向かって圧倒的に高揚し駆け抜けた。
定期演奏会はオケの真価を問う場だから協奏曲はあってもメインの演目ではなく前半のプログラムとなることがほとんど。今日のようなプログラミングは異例というべきだけど、改めてソリストの引き立て役だけでは終わらない東響の実力を確認させてもらった。
2025/12/7 音大オケ・フェス シベリウスとチャイコフスキー ― 2025年12月07日 21:15
第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
国立音大・東邦音大
日時:2025年12月7日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:国立音楽大学(指揮/藤岡幸夫)
東邦音楽大学(指揮/大友直人)
演目:シベリウス/交響曲第1番ホ短調(国立)
チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(東邦)
2025年音大オケ・フェスの最終日、藤岡幸夫×国立音大のシベリウスから。
藤岡は渡邉曉雄の弟子だからシベリウスは大事なレパートリーのひとつ。「交響曲第1番」は以前シティフィルで聴いたことがある。そのときの前半のプログラムがシューベルト「ピアノ協奏曲」という怪作だった。シューベルトの最後のピアノソナタを吉松隆が遊び心で田部京子のためにピアノ協奏曲化したもの。四半世紀も前に編曲しその後お蔵入りになっていた作品の世界初演だった。これがたいそう面白く、田部さんのピアノで完全に魂を抜かれ、後半のシベリウスはほとんど上の空で聴いていた。だから、今回は藤岡のシベリウス「第1番」の再確認である。
第1楽章の冒頭はティンパニを伴ったクラリネットのソロで始まる。このティンパニは全曲を通しほぼ休みなしでマレットを頻繁に替えながら叩き続ける。奏者は細身の綺麗なお嬢さんだった。悲劇的な旋律から突然弦楽器のトレモロが登場する。第1主題は明るく、第2主題はフルートが主導し、第3主題は様々な楽器によって繰り返され、北の国の自然が描かれる。展開部は金管楽器が加わり音量を増し、コーダはコラールを経て決然と終結する。第2楽章はハープからはじまるゆったりした楽章、主題は第1ヴァイオリンとチェロによる歌謡的な旋律。旋律は変奏され様々に展開していく。最後は冒頭の穏やかな曲調へと戻り遠ざかるように閉じられる。第3楽章は弦楽器のピチカートと激しいティンパニの連打によってはじまるスケルツォ。中間部はホルンによるやすらぎの音楽だが、すぐに荒々しさが回帰し最後は勢いを増して駆け抜ける。第4楽章は開始楽章の最初の主題が情熱的に出現し曲を統一する。エネルギーに満ちた主題が提示され各楽器に広がっていく。慌ただしい部分を経て雄渾な旋律が盛り上がり、最後はピチカートによって静まるように終結する。
シベリウスの「第1番」と「第2番」は後期の内省的な交響曲とは違い、起伏は大きく語る内容もロマンチック。でも、チャイコフスキーのようにウエットで粘っこくはなく、乾燥し硬質な肌ざわりがあって好ましい。今日はこのシベリウスを音大オケを相手にした藤岡幸夫の巧みな指揮でじっくり聴かせてもらった。
今年の音大オケ・フェスの大詰めは大友直人×東邦音大のチャイコフスキー。
「交響曲第4番」は先週聴いたばかり、同じフェスティバルのなかでの競演となった。原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーはワインディングロードを疾駆して車酔いにでもなったような演奏だったが、大友直人×東邦音大はそんなことはなかった。大友は楽曲を綿密に構築しつつ引き締まった音楽をつくった。
絶対的な馬力やスピードは原田×武蔵野が上回っていたと思うが、体感的には大友×東邦のほうが力が漲り速度も快適だった。大友の音量調節と緩急管理のうまさゆえだろう。上品な乗り心地のまま最速で目的地に着いたという感じがした。
大友に出会うのは久しぶり、体型は変わらないけど髪は真っ白になった。濃厚で情熱的なチャイコフスキーが衒いもなく品格を保ち円熟味のある音楽として再現された。大友は還暦をとっくに過ぎて70歳に近くなった。もっと聴かなければならない指揮者の一人である。
2025/11/30 音大オケ・フェス チャイコフスキー、マーラー、ベルリオーズ ― 2025年12月01日 14:58
第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
武蔵野音大・東京音大・洗足音大
日時:2025年11月30日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:武蔵野音楽大学(指揮/原田慶太楼)
東京音楽大学(指揮/松井慶太)
洗足学園音楽大学(指揮/下野竜也)
演目:チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(武蔵野)
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(東京)
ベルリオーズ/幻想交響曲(洗足)
月が替わって12月になってしまったが、昨日、毎年恒例の音大オケ・フェスの2日目を聴いた。初日の東京芸術劇場はパスしたが、来週のミューザ川崎の最終日は聴く予定である。
原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーでスタート。
全楽章をアタッカでつなげ激烈で火が燃え上がるような演奏。最大限の緩急と強弱、スピードは違反レベル、音量は限度一杯、やりたい放題と形容していいほど。学生オケだからこそ可能となった演奏だろう。プロオケだったら楽団員から顰蹙を買いそう。もっともチャイコフスキーの交響曲だから許容範囲というべきか。とまれ原田の外連味たっぷりの曲芸的な解釈に武蔵野音大はよく食らいついて行った。
原田慶太楼は現在東響の正指揮者だけどノットと同様今シーズン限りで退任する。コロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役として全国各地のオケを振って話題となった。当時はまさに八面六臂の活躍でオケの事務局からは頼りにされていたに違いない。東響を退任したあとは愛知室内オーケストラの首席客演指揮者やアメリカにおける音楽監督の活動が中心となりそうだが、引き続き各地のオケを指揮してくれるはず。来シーズンは神奈川フィルの定期にも登場する。
次いで、松井慶太が東京音大を振ったマーラー。
松井はこの夏にアマオケのシベリウスとベートーヴェンを聴いていたく感心した。この音大オケ・フェスでの公演を楽しみにしていて、結果は期待を遥かに上回った。全体の雰囲気は穏やかで大声で叫ぶことはないものの。ひとつひとつの音に神経が行き届き、それぞれの音が各楽章の核心に向かって行く。そして、必然であるかのように曲全体の頂点へ収斂し解放される。マーラーの心の奥底、感情の揺らぎが聴き取れるようだった。第1楽章の副題でいう「春、終わりのない」の鳥のさえずり、第2楽章のロットからの引用、第3楽章の葬送行進曲と突然の民謡風の調べ、終楽章の騒擾と静寂、いずれもこれ以上ない理想的というべき演奏だった。
編成は管楽器が4管、打楽器も多分最終稿通りなのに、第1ヴァイオリンは10人しかいなかった。チェロ、コントラバスは増強されているものの、ヴァイオリンはセカンドを含めても明らかに不足している。楽器のバランスが難しいのではと危惧したが無用な心配だった。最初から最後まで崩れることなく均衡を維持し全く気にならなかった。終演後、聴衆の何人かがスタンディングオベーションで称えていたがさもありなん、入魂のマーラーだった。
松井の指揮姿は武骨で不器用といえるほどだが、つくりだす音楽は広上や川瀬より汐澤の衣鉢を継いでいるように思える。汐澤や飯守の亡きあとの指揮者を見つけ出したかも知れない。今のところ首都圏のプロオケを振ることが少ないが、とりあえずパーマネント・コンダクターを務めるOEKの東京公演のチケットを取りたい。
最後は下野×洗足音大のベルリオーズ。
休憩を挟んだものの松井慶太×東京音大の余波で第1楽章は呆然としたまま通り過ぎてしまった。ぼんやりしたまま全曲が終わるのかと懸念したがとんでもない。下野はもともと誠実な音楽家で、毎回大きく失望したことはないが、この「幻想交響曲」でも楽譜に隠れている思いがけない音を引き出して微笑させ、楽章を追うごとに熱量をあげ迫真の演奏を繰り広げた。
とくに第3楽章の「野の風景」をきっかけにして、「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」における狂乱ぶり、奇怪さは下野の別の一面をみたかのよう。それでいて細部まで統制は行き届き、圧倒的なクライマックスを築いた。洗足音大はずっと秋山さんの指導あってのオケであったが、よき後継者を得たようだ。
演奏会は3時に開始された。普通ならメインプログラムとなる1時間近い作品を3曲並べ、それぞれの楽曲の前には共演校からエールをこめたファンファーレが演奏された。楽曲の間には20分間の休憩が置かれ、終了したのは大方7時だった。4時間もホールにいた勘定になる。
3校の共演はさすがに辛い。毎年、年齢が加算され疲れも酷くなる。来年はプログラムノートの記載によると昔のように2校ずつ4日間の日程となっている。この改善は大歓迎である。