2026/5/30 濱田芳通×神奈川フィル ヘンデル「水上の音楽」2026年05月30日 22:08



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
    音楽堂シリーズ 第36回

日時:2026年5月30日(土) 15:00開演
会場:神奈川県立音楽堂
指揮:濱田 芳通(リコーダー)
共演:リコーダー/織田 優子
   チェンバロ/上羽 剛史
   リュート/高本 一郎
   ソプラノ/中山 美紀
   ピアノ/居福 健太郎
演目:J.S.バッハ/管弦楽組曲第3番ニ長調
   ヘンデル/歌劇「リナルド」より
      「恐るべき鬼女たちよ」
   ヘンデル/歌劇「ジュリオ・チェーザレ」より
      「難破した船が嵐から」
   野見祐二/くもりのちはれ 
   J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調
   ヘンデル/組曲「水上の音楽」より8曲
       +歌劇「リナルド」より
      「さえずる小鳥たちよ」


 濱田芳通は古楽アンサンブル「アントネッロ」を主宰し、指揮者兼リコーダー、コルネット奏者である。オペラ創成期からバロック期のオペラ、ルネッサンス音楽や南蛮音楽などの普及に務めている。バロック以前の音楽に関心が強いようだが、バッハ、ヘンデルには幼いころから親しんでいたという。
 今日はそのバッハの2作品、ヘンデルの歌劇から3曲と「水上の音楽」組曲、そして、野見祐二による委嘱作品「くもりのちはれ」というプログラムだった。

 最初のバッハ「管弦楽組曲第3番」は、そのなかのエアを編曲した「G線上のアリア」が有名で、バッハでは最も知られている作品のひとつだろう。第1曲はフランス風の序曲、トランペットとティンパニなどが大活躍し祝祭的で華やか、中間部は協奏曲風のフーガとなる。第2曲が件のエア(アリア)、管・打楽器はお休みで通奏低音と弦による息の長い美しいメロディが流れる。第3曲がガヴォット、宮廷舞踏会という雰囲気。分かりやすいリズムに乗ってトランペットが跳ね回る。第4曲はブレー、活気に満ちた舞曲。終曲の第5曲はジーク、速いテンポと複雑なリズム、軽やかなメロディーによって締めくくられる。打楽器はティンパニだけでなく太鼓やタンバリンなども加わっていつになく賑やか。濱田のつくりだす神奈川フィルの音色はモダン楽器とは思えないほど素朴なザラッとした色合いで独特の味わいがあった。

 「管弦楽組曲第3番」が終わるとすぐにソプラノの中山美紀が登場し、そのままヘンデルの歌劇からアリアを2曲歌った。「恐るべき鬼女たちよ」は魔女アルミーダが地獄の鬼女たちを呼び出し、十字軍の騎士リナルドに復讐を果たそうとする強烈な歌。劇的で情熱的なコロラトゥーラが聴きものだった。「難破した船が嵐から」はクレオパトラが愛するジュリオ・チェーザレ(シーザー)生還の喜びと凱旋を歌う華麗で希望に満ちた曲。これもコロラトゥーラのきらびやかで力強い歌唱が耳に残った。

 前半の最後は「くもりのちはれ」、リコーダー、ピアノと弦楽合奏のための新作でもちろん世界初演。管・打楽器奏者が退場し、弦楽器は6-4-3-2-1の編成。ピアノは中央に配置された。野見祐二は「耳をすませば」「風、薫る」などのアニメ音楽やTVドラマ音楽、映画音楽の作曲家。突然、現代音楽の響きに変わったが、旋律は馴染みやすくリズムも大人しい。何の抵抗もなく優しくさらさらと流れて行く。日本の典型的な劇伴音楽で、ついウトウトとなってしまった。

 後半は「ブランデンブルク協奏曲第4番」から。「第4番」は昨年、竹山愛、濱崎麻里子のフルートと佐藤俊介のヴァイオリンで聴いた。今日は濱田芳通、織田優子のリコーダーとコンマス松浦奈々とが協演した。まず2本のリコーダーが鳥のように囀る。牧歌的な旋律のなかをヴァイオリンが彩を加えながら鮮やかに駆け巡る。独奏の松浦は日本センチュリー響のコンマスで、この4月から神奈川フィルの客演コンマスに就任した。中間楽章は憂いをおびたもの悲しい歌が繰り返される。独奏群と合奏群との対話がエコーのよう。最終楽章はフーガ。リコーダー、ヴァイオリン、そして合奏のそれぞれが圧倒的なエネルギーを発散させながら複雑かつ華麗に絡み合いクライマックスへと駆け上がった。佐藤俊介×東響の「第4番」はいかにも洗練された都会的な音楽だったけど、濱田芳通×神奈川フィルは野太く古風な趣、といって鈍いところは一切なく野趣あふれた勢いのある演奏だった。

 最後はヘンデルの「水上の音楽」。ヘンデルはバッハと同い年。バッハとは対照的にドイツに留まることなく,イタリアヘ、イギりスへと旅をし,最終的にはイギリスの市民権を獲得した。オペラとオラトリオを書きまくり、作曲ばかりでなく劇場の経営や劇音楽の興行にも携わった。
 管弦楽曲としては何といってもこの「水上の音楽」が代表作。王様の舟遊びのために作られた20曲前後の大組曲、今回はそのなかから8曲を選曲した。なお、途中で中山美紀が再登場し、歌劇「リナルド」より「さえずる小鳥たちよ」を「水上の音楽」のなかに挿み込んだ。中山はリナルドの恋人アルミレーナによる小鳥のさえずりを模したアリアを美しく爽やかに歌った。
 「水上の音楽」ではホルンが加わり、トランペットと一緒にファンファーレなどで主役を務めた。リコーダーは鄙びた響きで旋律を歌い、オーボエは哀愁を漂わせながらも力強く吹奏された。ここでも打楽器はティンパニだけでなく数種類の太鼓やタンバリンなどが参加し、メリハリの効いた豊穣な音楽が鳴り響いた。濱田はアゴーギクを柔軟に施しつつ劇的で元気溌剌としたヘンデルの音楽をつくりあげた。

2026/5/23 ヴィオッティ×東響 「4つの最後の歌」と「ダフニスとクロエ」2026年05月23日 21:48



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第105回

日時:2026年5月23日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
共演:ソプラノ/マリーナ・レベカ
   合唱/東響コーラス
   合唱指揮/河原 哲也
演目:R.シュトラウス/4つの最後の歌
   ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」


 「4つの最後の歌」は、はじめから4曲をまとめる構想があったのかどうか分からない。アイヒェンドルフの「夕映えの中で」という詩に特別の心情をいだき、ヘッセの3つの詩、「春」「九月」「眠りにつくとき」が加わった。
 マリーナ・レベカは芯のある強靭な声、音圧は高く各音域とも充実した声量で輝かしい。リート歌手というよりは典型的なオペラ歌手だろう。身振り手振りも大きく立ち居振る舞いからして歌劇場の華という雰囲気がある。ヴィオレッタ役で有名なソプラノらしいがワーグナーも楽々とこなせそう。
 1曲目、ヴィオッティは弱音に拘り、暗から明、明から暗へ転調を繰返しながら揺れ動く「春」を描く。「春」は楽器より声が勝ったような印象だったが、2曲目以降は互いがしっとりと馴染んで聴こえた。「九月」の終盤、ホルンの上間さんのソロに陶然とする。「眠りにつくとき」は小林壱成のソロと、さらにホルンとの掛け合いなどもあり、それらの楽器を掻き分けて聴こえてくるレベカの歌に涙した。「夕映えの中で」になるとフルートとピッコロの鳥が鳴き、管弦楽と歌とが重なった景色の美しさに正気を失った。

 とうの昔にクラシック音楽は終わってしまっているのだけれど、その終焉を象徴する楽曲は何か、と問われたら、それはR.シュトラウスの「4つの最後の歌」と答えるだろう、純然たる器楽曲であれば「メタモルフォーゼン」と。
 もちろん、そのあと、ロシアにはショスタコーヴィチ、フランスにメシアン、イギリスにブリテンがいて、「交響曲第15番」、「彼方の閃光」、「戦争レクイエム」などが生み出された。でも、これらはみな独墺音楽の残影ともいうべき作品だ。
 クラシック音楽は第1次世界大戦によって破壊された。R.シュトラウスが第2次世界大戦後まで生き延びたため命を長らえたに過ぎない。そして、R.シュトラウスは挽歌と呼ぶに相応しい2つの作品を残した。独墺音楽の美は遂にここまで到達していた。
 
 「ダフニスとクロエ」の実演は、不案内なバレエ公演を別として、コンサートの演目としてはほとんどが「第2組曲」で、全曲にはなかなか出会えない。演奏するに1時間近くかかるし、ありとあらゆる楽器を揃えなければならない、合唱も必要だから無理もない。直近では2年ほど前にカンブルラン×音大FOで聴いた。
 ヴィオッティ×東響の「ダフニスとクロエ」は、音の解像度が高くリズムは卓越し、豊かな色彩をもち柔らかな音色だった。ヴィオッティはノットのような即興の面白味はないが、綿密な設計による構成力が尋常ではない。多分、練習では強弱や緩急、音色やバランスを緻密に計算し、オケに高い要求水準を課すのだろうけど、本番では力の限り締め付けるわけではない。今日も奏者任せで指揮棒を振らないことが何度かあったけど、設計図はもちろん手放さない。場面ごとの雰囲気や各楽器の持ち味を大切にして正統派の音楽を繰り出す。指揮ぶりは老練と言っていいほどだ。
 「序奏」から「宗教的な踊り」にかけての神秘性、「ドルコンの踊り」の不気味さ、「夜想曲」の色気、「戦いの踊り」の野趣あふれる響き。そして3場に入ってからは「夜明け」における細やかな表現、「パントマイム」の精妙さ、「全員の踊り」の鮮烈なリズムと加速感などなど、大興奮の演奏だった

 ヴィオッティは軽快でしゃれた楽曲であっても、いい意味で時間がゆっくりと過ぎて行く。品があり繊細だけど音楽がみっちり詰まっているから演奏後の疲労度は大きい。
 とにかく、この先ヴィオッティの指揮を楽しみに期待はしつつ、聴き続けるだけの体力を維持できるかどうかが心配の種である。

2026/5/17 ヴィオッティ×東響 ベートーヴェンとマーラーの「交響曲第1番」2026年05月17日 21:47



東京交響楽団 名曲全集 第217回

日時:2026年5月17日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
演目:ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調op.21
   マーラー/交響曲第1番 ニ長調「巨人」


 昨日の定期公演(サントリーホール)が新監督ヴィオッティとして初の演奏会であり、今日、同一プログラムを名曲全集でも取り上げた。ヴィオッティはこのあと川崎定期と特別演奏会でR.シュトラウスとラヴェルを披露する。これらが就任公演ということになろうか。

 数年前、ノットの監督退任がそれとなく話題になっていたころ、後任の本命はヴィオッティかウルバンスキだろうと予想していたが、丁度その時期にヴィオッティに関するニュースがあった。首席指揮者を務めていたオランダ国立歌劇場(及びオランダ・フィルハーモニー管弦楽団)との契約を更新しない、その理由が「私生活と発展を優先させる」というものだった。
 「私生活を優先させる」…となればスイス―オランダよりスイス―日本のほうが遥かに遠い。これでヴィオッティの東響監督就任は難しくなった。ウルバンスキが俄然有力となり、ダークホースとしてマリオッティかオラモもありうるのではないかと思った。
 そうこうするうちに2024年の夏、突然、ロレンツォ・ヴィオッティが東響の次期音楽監督に就任するとの発表があった。就任のいきさつは徐々に明らかになるだろうが、オランダを退任する理由のなかの「発展を優先させる」との言葉を見落としていたようだ。もし“発展”のひとつの具体化が東響であるとするならこんな嬉しいことはない。
 ヴィオッティの東響デビューは10数年前のウルバンスキの代役で、これが彼のプロ指揮者としてのデビューでもあった。2014年のこの演奏会は知らないが2019年のヴェルディ「レクイエム」は聴いた。腰が抜けるほどの衝撃だった。その後のドヴォルザークとブラームス、二つの英雄など、これはいよいよ只者ではないと確信した。
 
 さて、その新音楽監督の第一声はベートーヴェンの「交響曲第1番」である。ベートーヴェンもブラームスほどではないにせよ最初の交響曲には苦労した。30歳くらいになってようやく交響曲は完成した。
 ヴィオッティのベートーヴェンは解像度が高くキレのある素晴らしい演奏だった。開始楽章はひねりの効いた序奏からはじまり、主題の登場まで時間をかけ焦らしに焦らす。その後は溌剌として明快、全体的に弦よりも管を目立たせ木管楽器同士の対話を強調する。福井さんのファゴットの小刻みな動きもユーモラスだ。第2楽章はワルツ風の優美で可憐なカンタービレ、終盤のオーボエ荒さんとホルン上間さんのデュエットが美しい。メヌエットはもうスケルツォと呼んでいいほど、軽快にして大胆に音を散らす。柔らかな印象はなくユーモラス、大袈裟に鳴らされるバロックティンパニも楽しい。アタッカで最終楽章へ。スローテンポから徐々にスピードを上げスリル満点。東響のパワーが全開となりワクワクする。山響から東響に移籍した知久翔のフルートも美しい。終結はベートーヴェン節が炸裂し豊かな響きで大団円となった。
 コンマスは景山昌太郎、弦の並びはノットの時と違い第1ヴァイオリンの隣に第2、中央にヴィオラ、舞台上手にチェロを置き、その後ろがコントラバスだった。

 「交響曲第1番」に関してはマーラーとしても難産となった。調べてみると、20代の半ばから4年ほどかけて作曲され、初演は1889年ブタペストで行われた。その時は「2部からなる交響詩」と呼ばれ全5楽章で標題はなかった。その後、大小の改訂がたびたび行われ、最終稿まで10年ほどかかっている。まずはハンブルク稿で「交響曲形式の交響詩 巨人」と標題が付され楽章には副題をつけた。次いでがワイマール稿、楽曲構成は変わらないが副題が拡充され、楽器編成がハンブルク稿の3管から4管へと拡大された。続いてベルリン初演において初めて交響曲として改訂する。第2楽章の「花の章」が削除され全4楽章となり、標題も各楽章の副題も取り払われた。そして、最終稿はベルリン初演のあと1906年から1907年にかけ改訂され、ティンパニを2セットとするなど楽器編成の見直しも行われ、これが現在の演奏の標準形となっているようだ。

 ヴィオッティは弦楽器のフラジオレットを極度の弱音で開始した。だから、否応なしに木管群の鳥の声が耳に残る。ちょっと極端すぎるのではないかと訝ったが、これが終楽章への伏線だった。レントラーは前楽章とは反対に弦楽器を思う存分鳴らした。コントラバスによる葬送行進曲は最初のテンポを与えたあと民謡風の旋律が現れるまで指揮棒を振ることはなかった。そのせいもあって聴き手はえらく緊張した、これは反則技だ。終楽章の激情は開始楽章の再現との対比で凄まじいクライマックスとなった。見事な演奏を聴いたというより得体の知れないとてつもないものに出会ったという感想だった。ヴェルディの「レクイエム」を聴いた時と同様の感触が蘇ってきた。

 ヴィオッティはたんに才能のある優秀な指揮者というより、ある種の狂気を孕んだような感性と天賦の才とを合わせ持った若者である。彼の音楽を聴いていると、通り慣れた道であっても知らないところへ連れて行かれるような恐れと不安を感じるときがあった。音楽の密度は濃く個性的、戸惑う人もいるはずで賛否両論が喧しくなるだろう。
 この先、老人が追いかけるべき指揮者かどうか自信がない。よほど体力を温存しておかないと耐えられない気がする。ショスタコーヴィチの交響曲などはどうなってしまうのだろう。とりあえずは怖いものみたさで期待をしておこう。
 ヴィオッティは2028年からノセダの後任としてチューリッヒ歌劇場の音楽総監督に就任する。東響の音楽監督は秋山、スダーン、ノット、ヴィオッティと受け継がれてきた。東響事務局と楽団員の驚くべき慧眼にただただ敬服するばかりである。

N響の2026/27シーズン・プログラムの詳細2026年05月14日 13:38



 N響のシーズン開始は9月であり、昨年秋に2026~27年のプログラムが速報されたが、詳細が先月公表になっていた。

https://www.nhkso.or.jp/news/NHKSO2026-27season.pdf

 2026年はN響創立100年という節目にあたる。
 改めてプログラムをみると、Aプログラムでは9月にルイージが指揮するシュミットの「7つの封印の書」からスタートし、10月にブロムシュテットがブルックナーの「交響曲第5番」を振り、11月はソヒエフがショスタコーヴィチの「交響曲第8番」を披露する。
 9月の「7つの封印の書」はヴィオッティ×東響との競演となり、10月は100歳近いブロムシュテットの来日が不安で、いずれもN響はパスしようと考えていた。
 しかし、ヴィオッティ×東響は希望の席が取れない。ブロムシュテットが来日不能の場合はカバーコンダクターとしてマティアス・バーメルトが控えている。そして、ソヒエフはもちろんどうしても聴きたい。となると、N響の秋のシーズン会員券を手配するという選択肢もある。
 冬以降のAプログラムは12月のデュトワとアルゲリッチ、来年6月のソヒエフによるブルックナーの「交響曲第3番」なども面白そうだ。
 Bプログラムはサントリーホールの改修工事のため3回のみの公演、Cプログラムはベートーヴェンの交響曲とピアノ協奏曲の全曲演奏会となっている。ほかには芸術劇場やNHKホールで行われる特別公演があり、そのなかではコープマンが指揮する「マタイ受難曲」が注目である。
 2026/27シーズンのN響へは、どうやら5・6回ほど足を運ぶことになりそうだ。

季節の花2026年05月12日 11:26



 昨年、はじめて山法師の花が咲いたのだけど数えるほどしかなかった。今年は数えきれないほどの花をつけた。4枚の真っ白な花弁が空に向かって開いている。この花弁、もともとは花の付け根の葉(総苞片)が変化したものらしい。確かに観察してみると、最初は葉と見分けがつかないほどの色合いが、だんだんと白くなって花弁のように装飾されて行く。

 山法師は近縁種のハナミズキのように新しい葉が出る前に花が咲くのではなく、葉が出揃ったあと枝先に花をつける。花弁の先端は鋭く尖っており開花時期も遅い。山法師はハナミズキのような華やかさはなく控え目だが、これはこれで野性味があって見応えがある。

 そういえば、今年はどういうわけか、どの草木もたくさん花をつけた。沈丁花からはじまって姫空木、紫蘭、薔薇、満天星、匂蕃茉莉、芍薬など春の花が一巡した。ここから初夏にかけては、この山法師と梔子がともに白い花でもって競うことになる。