パシフィックフィルハーモニア東京の騒動2025年12月11日 16:15



 首都圏のオーケストラのうち、パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)だけが来シーズンのプログラムを発表していない。

 HPを見に行くとそれどころではないようだ。この11月末で19人が退団した。楽団のニュースを遡ると、3月末には首席クラス5人が辞め、昨年の3月には16人が退団している。現在のメンバー表をみると団員は24人しかいない。クラリネットとホルン奏者は全くの不在である。これではフル・オーケストラとはいえない。チェンバー・オーケストラの規模でさえない。

 閉鎖的なクラシック界隈のことだから、この話はオールドメディアやネットニュースにあまり取り上げられていない。仮に記事になったとしても一般の人からすれば、オケのひとつが傾こうと潰れようと関係ない、という意見になりそうでニュース価値はないのだろう。

 パシフィックフィルハーモニア東京は東京ニューシティ管弦楽団が2022年に名称変更した楽団。前身のニューシティ管は指揮者の内藤彰が個人で作ったようなオケで、コロナ禍のダメージをうけて実業家の日野洋一に譲渡した。しかし、経営が変わっても混乱は解消されない。労働争議が起こり、楽団員の流出が続き、夏には理事長も事務局長も交代してしまった。

 日本音楽家ユニオンからは「PPTよ、プロの楽団たれ 音楽家の人権を踏みにじり、音楽文化を破壊する運営に抗議する」といった以下のようなステートメントも出されている。

https://www.muj.or.jp/wp-content/uploads/2025/06/5f9b8a6b7d7eb69353a68b573f30545f.pdf

 パシフィックフィルハーモニア東京は飯森範親を音楽監督に迎えて再スタートし、一時は高木凜々子がコンマスとして在籍していた。正直、何がどうなっているのか詳細はわからないものの、危機的な状況であることは確か。存続が危ぶまれる事態ではないかと思う。

2025/12/7 音大オケ・フェス シベリウスとチャイコフスキー2025年12月07日 21:15



第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
    国立音大・東邦音大

日時:2025年12月7日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:国立音楽大学(指揮/藤岡幸夫)
   東邦音楽大学(指揮/大友直人)
演目:シベリウス/交響曲第1番ホ短調(国立)
   チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(東邦)


 2025年音大オケ・フェスの最終日、藤岡幸夫×国立音大のシベリウスから。
 藤岡は渡邉曉雄の弟子だからシベリウスは大事なレパートリーのひとつ。「交響曲第1番」は以前シティフィルで聴いたことがある。そのときの前半のプログラムがシューベルト「ピアノ協奏曲」という怪作だった。シューベルトの最後のピアノソナタを吉松隆が遊び心で田部京子のためにピアノ協奏曲化したもの。四半世紀も前に編曲しその後お蔵入りになっていた作品の世界初演だった。これがたいそう面白く、田部さんのピアノで完全に魂を抜かれ、後半のシベリウスはほとんど上の空で聴いていた。だから、今回は藤岡のシベリウス「第1番」の再確認である。
 第1楽章の冒頭はティンパニを伴ったクラリネットのソロで始まる。このティンパニは全曲を通しほぼ休みなしでマレットを頻繁に替えながら叩き続ける。奏者は細身の綺麗なお嬢さんだった。悲劇的な旋律から突然弦楽器のトレモロが登場する。第1主題は明るく、第2主題はフルートが主導し、第3主題は様々な楽器によって繰り返され、北の国の自然が描かれる。展開部は金管楽器が加わり音量を増し、コーダはコラールを経て決然と終結する。第2楽章はハープからはじまるゆったりした楽章、主題は第1ヴァイオリンとチェロによる歌謡的な旋律。旋律は変奏され様々に展開していく。最後は冒頭の穏やかな曲調へと戻り遠ざかるように閉じられる。第3楽章は弦楽器のピチカートと激しいティンパニの連打によってはじまるスケルツォ。中間部はホルンによるやすらぎの音楽だが、すぐに荒々しさが回帰し最後は勢いを増して駆け抜ける。第4楽章は開始楽章の最初の主題が情熱的に出現し曲を統一する。エネルギーに満ちた主題が提示され各楽器に広がっていく。慌ただしい部分を経て雄渾な旋律が盛り上がり、最後はピチカートによって静まるように終結する。
 シベリウスの「第1番」と「第2番」は後期の内省的な交響曲とは違い、起伏は大きく語る内容もロマンチック。でも、チャイコフスキーのようにウエットで粘っこくはなく、乾燥し硬質な肌ざわりがあって好ましい。今日はこのシベリウスを音大オケを相手にした藤岡幸夫の巧みな指揮でじっくり聴かせてもらった。

 今年の音大オケ・フェスの大詰めは大友直人×東邦音大のチャイコフスキー。
 「交響曲第4番」は先週聴いたばかり、同じフェスティバルのなかでの競演となった。原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーはワインディングロードを疾駆して車酔いにでもなったような演奏だったが、大友直人×東邦音大はそんなことはなかった。大友は楽曲を綿密に構築しつつ引き締まった音楽をつくった。
 絶対的な馬力やスピードは原田×武蔵野が上回っていたと思うが、体感的には大友×東邦のほうが力が漲り速度も快適だった。大友の音量調節と緩急管理のうまさゆえだろう。上品な乗り心地のまま最速で目的地に着いたという感じがした。
 大友に出会うのは久しぶり、体型は変わらないけど髪は真っ白になった。濃厚で情熱的なチャイコフスキーが衒いもなく品格を保ち円熟味のある音楽として再現された。大友は還暦をとっくに過ぎて70歳に近くなった。もっと聴かなければならない指揮者の一人である。

2025/11/30 音大オケ・フェス チャイコフスキー、マーラー、ベルリオーズ2025年12月01日 14:58



第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
    武蔵野音大・東京音大・洗足音大

日時:2025年11月30日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:武蔵野音楽大学(指揮/原田慶太楼)
   東京音楽大学(指揮/松井慶太)
   洗足学園音楽大学(指揮/下野竜也)
演目:チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(武蔵野)
   マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(東京)
   ベルリオーズ/幻想交響曲(洗足)


 月が替わって12月になってしまったが、昨日、毎年恒例の音大オケ・フェスの2日目を聴いた。初日の東京芸術劇場はパスしたが、来週のミューザ川崎の最終日は聴く予定である。

 原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーでスタート。
 全楽章をアタッカでつなげ激烈で火が燃え上がるような演奏。最大限の緩急と強弱、スピードは違反レベル、音量は限度一杯、やりたい放題と形容していいほど。学生オケだからこそ可能となった演奏だろう。プロオケだったら楽団員から顰蹙を買いそう。もっともチャイコフスキーの交響曲だから許容範囲というべきか。とまれ原田の外連味たっぷりの曲芸的な解釈に武蔵野音大はよく食らいついて行った。
 原田慶太楼は現在東響の正指揮者だけどノットと同様今シーズン限りで退任する。コロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役として全国各地のオケを振って話題となった。当時はまさに八面六臂の活躍でオケの事務局からは頼りにされていたに違いない。東響を退任したあとは愛知室内オーケストラの首席客演指揮者やアメリカにおける音楽監督の活動が中心となりそうだが、引き続き各地のオケを指揮してくれるはず。来シーズンは神奈川フィルの定期にも登場する。 

 次いで、松井慶太が東京音大を振ったマーラー。
 松井はこの夏にアマオケのシベリウスとベートーヴェンを聴いていたく感心した。この音大オケ・フェスでの公演を楽しみにしていて、結果は期待を遥かに上回った。全体の雰囲気は穏やかで大声で叫ぶことはないものの。ひとつひとつの音に神経が行き届き、それぞれの音が各楽章の核心に向かって行く。そして、必然であるかのように曲全体の頂点へ収斂し解放される。マーラーの心の奥底、感情の揺らぎが聴き取れるようだった。第1楽章の副題でいう「春、終わりのない」の鳥のさえずり、第2楽章のロットからの引用、第3楽章の葬送行進曲と突然の民謡風の調べ、終楽章の騒擾と静寂、いずれもこれ以上ない理想的というべき演奏だった。
 編成は管楽器が4管、打楽器も多分最終稿通りなのに、第1ヴァイオリンは10人しかいなかった。チェロ、コントラバスは増強されているものの、ヴァイオリンはセカンドを含めても明らかに不足している。楽器のバランスが難しいのではと危惧したが無用な心配だった。最初から最後まで崩れることなく均衡を維持し全く気にならなかった。終演後、聴衆の何人かがスタンディングオベーションで称えていたがさもありなん、入魂のマーラーだった。
 松井の指揮姿は武骨で不器用といえるほどだが、つくりだす音楽は広上や川瀬より汐澤の衣鉢を継いでいるように思える。汐澤や飯守の亡きあとの指揮者を見つけ出したかも知れない。今のところ首都圏のプロオケを振ることが少ないが、とりあえずパーマネント・コンダクターを務めるOEKの東京公演のチケットを取りたい。

 最後は下野×洗足音大のベルリオーズ。
 休憩を挟んだものの松井慶太×東京音大の余波で第1楽章は呆然としたまま通り過ぎてしまった。ぼんやりしたまま全曲が終わるのかと懸念したがとんでもない。下野はもともと誠実な音楽家で、毎回大きく失望したことはないが、この「幻想交響曲」でも楽譜に隠れている思いがけない音を引き出して微笑させ、楽章を追うごとに熱量をあげ迫真の演奏を繰り広げた。
 とくに第3楽章の「野の風景」をきっかけにして、「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」における狂乱ぶり、奇怪さは下野の別の一面をみたかのよう。それでいて細部まで統制は行き届き、圧倒的なクライマックスを築いた。洗足音大はずっと秋山さんの指導あってのオケであったが、よき後継者を得たようだ。

 演奏会は3時に開始された。普通ならメインプログラムとなる1時間近い作品を3曲並べ、それぞれの楽曲の前には共演校からエールをこめたファンファーレが演奏された。楽曲の間には20分間の休憩が置かれ、終了したのは大方7時だった。4時間もホールにいた勘定になる。
 3校の共演はさすがに辛い。毎年、年齢が加算され疲れも酷くなる。来年はプログラムノートの記載によると昔のように2校ずつ4日間の日程となっている。この改善は大歓迎である。

2025/11/29 今井清治×YACO モーツァルトとベートーヴェン2025年11月29日 19:33



横浜アマデウス室内合奏団
  第37回定期演奏会 ~古典派の円熟~

日時:2025年11月29日(土) 14:00開演
会場:日本キリスト教団 清水ヶ丘教会
指揮:今井 清治
共演:クラリネット/小野 ユカ
演目:モーツァルト/クラリネット協奏曲 K622
   ベートーヴェン/交響曲第3番 Op.55「英雄」


 京急本線の横浜駅から横須賀方面に向かって4つ目に南太田という駅がある。駅から北の坂道を歩いて5分もかからないところに清水ヶ丘教会があり、ここで無料コンサートがあった。
 主催は横浜アマデウス室内合奏団(YACO)。YACOはHPをみると今井清治の呼びかけにより2006年に創立したチェンバー・オーケストラで、年3回の定期演奏会をこの教会にて続けているという。

 で、土曜日の午後、交通の便は悪くないし天気もまずまず、プログラムにも魅かれて散歩がてら出かけることにした。
 教会は壁面が煉瓦造りで屋根は緑・茶・橙の三色の洋瓦で葺いてある立派な建物。礼拝堂は2階席もあり300席くらいだろうか、ほぼ満席だった。天井は高く簡素な設えながら空調も照明も完備されている。教会のなかは冷えるのではないかと覚悟をしていたが、なんのなんの極めて快適な空間だった。

 今井さんは読響のホルン奏者だったらしい。かなりの御歳で全曲座って指揮をした。この御歳だと、多分、山岸さんと一緒に活躍されていたはずだが覚えてはいない。

 モーツァルトの「クラリネット協奏曲」のソリストは楽団のメンバー。YACOの定期演奏会は同一のプログラムで2公演あり今回は22日と29日。2人の楽団員がそれぞれソロを担当した。今日の小野ユカさんはアマチュアとは思えないほど無理のない端正な演奏でとても上手。秋も深まったこの季節のモーツァルトが心にしみた。

 休憩後は「エロイカ」。教会の音響は素晴らしく、チェロやコントラバスの低音は地を這うように伝わり、ヴァイオリンや木管の高音は天井に吸い込まれていく。編成が小さいせいもあって各声部が明瞭に聴きとれる。アンサンブルに多少の難はあるが、今井さんは極端な制御や無理強いをすることなく自然体で温厚、それでいてベートーヴェンらしい迫力ある演奏だった。

 散歩を兼ねての演奏会、発駅と着駅からの往復で万歩計をみると7000歩、一日の目安5000歩はゆうに越えた。
 それにしても日本のアマチュア音楽家の活動はフルオケからチェンバーオケ、室内楽団、もちろんソロまで多様で層が厚い。アマチュアとは思えないほどの演奏に出会うこともある。アマチュアの楽団をまとめて聴くのはなかなか難しいけど、機会をみながらウオッチするのは楽しい。

2025/11/23 ノット×東響 マーラー「交響曲第9番」2025年11月23日 21:51



東京交響楽団 名曲全集 第212回

日時:2025年11月23日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:笙/宮田 まゆみ
演目:武満 徹/セレモニアル
   マーラー/交響曲第9番 ニ長調


 東響の定期演奏会(サントリーホール)と名曲全集(ミューザ川崎)にノットが監督として登場するのはこれが最後となる。演目は12年前にノットが監督就任した最初の定期演奏会と全く同じである。
 この間、ノットのマーラーでいえばやはり就任記念の「第9番」が一番記憶に残っている。お互い手探りではあったけど緻密かつ繊細な演奏で、この時はじめてマーラーの「第9番」が、喪失とか崩壊とかというネガティブな世界だけではなく、エネルギーが充溢し希望に満ちた音楽だと気付いて吃驚したことをよく覚えている。

 今日の「セレモニアル」は笙の宮田まゆみがP席上段のホール・オルガンの横に位置し、2階席正面と3、4階席のバルコニーに3組の木管奏者が並んだ。丁度、ソリストと木管奏者が上方から舞台を囲むような配置である。宮田さんは前回同様白装束、さすが御歳を召された。10分ほどの武満の楽曲が終わり、休憩なしでそのままマーラーの「交響曲第9番」となった。もっとも楽器の追加や木管奏者が舞台上に戻るまでの時間が必要で、「第9番」の開始は2時半近くになっていた。

 マーラーの「交響曲第9番」は当然ながら気合が入っていた。会場は息苦しくなるほどの緊張感が漂う。とは言っても、縦横無尽のノットの指揮に柔らかく応じる東響のレスポンスには感心する。ノットは全体をきっちり設計し、練習では厳しい要求を突きつけていると思うが、本番では勢いと熱気のまま当意即妙に動く。東響の反応力と融通性を信頼してのことだろう。響きは立体的で音が密集している、振幅は大きく平板になるという不満がない。厳格というよりは精緻で柔軟、まさに十数年にわたった両者の集大成といえる演奏だった。
 第1楽章の冒頭はチェロとホルンによって不規則なリズムでひそやかに始まる。ハープの短い旋律が続く。ホルンは2番奏者が吹く。藤田麻理絵のゲシュトップト奏法の音色が印象的。そして、第2ヴァイオリンによる「大地の歌」の告別のテーマがはっきりと聴こえてくる。その後、音楽は幾度もフォルテが訪れ激しく苦闘し、最後は安らかに終わる。フォルテの主題はいずれも威圧的で破壊的なものだが、強く耳に残ったのは「永遠に…」という告別のテーマだった。
 第2楽章は舞曲。まずは皮肉っぽいレントラー、無骨で粗野な踊り。次いで速いテンポのワルツ、優雅どころか荒々しい。最後は再びレントラー舞曲、ここでも「告別のテーマ」が紛れ込み舞踏は終わる。
 第3楽章はブルレスケ。ノットのスピードは狂気をはらみ、乱雑な道化芝居のようであったが、東響の演奏は冴え渡り混乱は全くない。途中、美しくも天国的な世界を垣間見せるが長くは続かない。音楽は再び狂喜乱舞へ。極めて挑戦的で闘争的な演奏だった。
 終楽章はアダージョ。弦楽合奏を中心にした崇高ともいえる音楽。ゆっくりと穏やかに弦楽器の音が重ねられ、クライマックスの後に長い静寂が訪れた。コンマス・小林壱成、チェロトップ・伊藤文嗣のソロが秀逸で、ノット×東響は渾身の演奏だった。告別ではあってもそれは悲劇や絶望ではなく、広々とした将来を展望するようなメッセージがこめられているように思えて落涙した。

 ノットと東響は、このあと年末に「第九 2025」と「ジルベスターコンサート 2025」を演奏してお別れとなる。