川崎大師2022年01月23日 16:47



 道の両側の、咳止め飴、久寿餅、おかき、煎餅などを売っている店を眺めつつ、駅から10分ほど歩き、川崎大師に参詣した。
 正式には金剛山金乗院平間寺という。本尊が厄除弘法大師さまで、もろもろの災厄をことごとく消除する、霊験あらたかな仏さまとして篤い信仰を集めている。
 以前、正月のとき人人人で大変な目にあった。で、その後は横着して少し遅らせてお参りすることにしている。
 それでも、この時期1月はたいそうな人出で、昨年もそうであったが、護摩祈祷の本堂のなかは人でびっしり、足の踏み場さえない。「密を避けてください」という綺麗ごとのアナウンスもない。悪鬼など加持祈祷によって逃散するのだろう。
 おみくじを引く男女や、献香所の人だかり、屋台で焼きそばやベビーカステラを買い求める家族連れなど、平間寺では、たしかに全員マスク着用ではあるけれど、数年前とほとんど変わらない日常が広がっていた。

2022/1/22 スダーン×東響 サン=サーンスの協奏曲と交響曲2022年01月22日 20:03



東京交響楽団 名曲全集第173回

日時:2022年1月22日(土) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ユベール・スダーン
共演:チェロ/上村 文乃
   オルガン/大木 麻理
演目:サン=サーンス/チェロ協奏曲 第1番
           イ短調 op.33
   サン=サーンス/交響曲 第3番 ハ短調 op.78
            「オルガン付き」


 11月下旬に政府が発表した「オミクロン株に対する水際措置の強化」による外国人の新規入国停止措置以降、海外勢指揮者のほとんどが来日不能となった。その代役はもちろん日本人指揮者が中心となっている。なかにはデスピノーサやアクセルロッドのように入国停止措置以前に来日し、滞在を延長してまで代役を引き受けてくれている指揮者もいる。スダーンも東響をはじめとして、2月上旬には札響のマティアス・バーメルトの代役を3公演ほど務める。
 この名曲公演は、指揮者がピエール・ブリューズからユベール・スダーンに変更となった故にチケットを取った。
 まぁ、そういう客が中にはいるとしても、各楽団においては煩雑な交代折衝や事務量の増大、営業面での打撃など大変な事態が続いている。やはりというか、楽団とマネジメント事務所や指揮者とのトラブルも発生しているようで、関係者は、もういいかげん勘弁してほしい、と嘆きたいところだろう。

 だいたいウーハンコロナへの対応が世界中で失敗している。ロックダウンによって感染は収束しなかった、ワクチン接種率が高い国ほど感染割合が高い。ロックダウンにしてもワクチンにしても何かおかしい。
 いまヨーロッパの国々をはじめ多くで感染者数が増加している。なかでもワクチン接種率の高い国、ブースター接種が進んでいる国こそ感染者数が急上昇している。薬品によって人の自然免疫が破壊されたり、変異株の出現が早まる恐れはないのだろうか。ワクチンが重症化を防ぐといって、昨年はコロナ以外の突然死、過剰死が異常なほど増えている。この一部には副作用の可能性もないとはいえない。
 フランス大統領は「ワクチン未接種者の生活を困難なものにしたい」と発言し、過半の国民から賛同を得ているようだが、イスラエル、ポルトガル、デンマーク、アイスランド、フランスなどはワクチン接種率が70%を越えている。さらに3回目の接種を大規模に進めている国もある。しかし、これらの国々は人口100万人あたり1日の新規感染者がいずれも上位にある(Our World in Data)。普通に考えれば、ワクチン未接種者がウイルス拡散の原因だ、という口実など通用しないはず。

https://ourworldindata.org/explorers/coronavirus-data-explorer?time=2021-06-21..latest&facet=none&uniformYAxis=0&Metric=Confirmed+cases&Interval=7-day+rolling+average&Relative+to+Population=true&Color+by+test+positivity=false&country=DNK~JPN~FRA~PRT~ISL~ISR

 米国の最高裁が政権の「企業のワクチン義務化措置」を阻止する判断を下したのは、まだわずかながらも良識が残っている。反ワクチンを標榜するわけではない。このワクチンは長期的にみて安全とも危険ともわかっていない。正確な情報の提供と選択の自由が確保されることを望んでいるだけだ。選択肢のひとつとしてのワクチン提供であれば結構なこと、接種義務化とは狂気の沙汰としか思えない。
 昨日から適用された「蔓延防止措置」や、今までの「水際対策」の有効性にも疑問がある。オミクロン株の脅威はインフルエンザ以下だという専門医もいる。正しく恐れるに尽きる。感染者数が日本の比でない英国では、首相が「水際対策」の緩和を発表した。経済や文化活動を止めてまで移動制限をする必要と価値があるのかどうか、再検討すべきではないか。
 ウーハンコロナに対し懸命に努力していることは認めるにしても、人が過剰に介在することで却って事態が悪化する、という疑いを捨てきれない。自然免疫を含め本来生物が持っている生命力をもっと信頼したらどうだろう。いま求められているのは自然の摂理を畏怖したうえで考え行動することだと思う。 
 このままだと人々が集団催眠にかけられているようで空恐ろしい。映画『マトリックス』の世界でもあるまいに。ウイルス騒動が『V フォー・ヴェンデッタ』で描かれた、さらなる分断と強制、そして専制を招くのではないかと、半分冗談ながら心配している。


 話が大きく脱線した。
 今日のコンサート、サン=サーンス特集の話だった。

 昨年が没後100年にあたっていたサン=サーンスは、3歳で作曲をし、10歳で演奏会を開き、13歳でパリ音楽院に入学、16歳で最初の交響曲を書いた。神童であった。もっとも音楽家は総じて早熟、モーツァルトはもちろん、ベートーヴェン、シューベルト、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ブラームス、ビゼー、ショスタコーヴィチなど数限りない。サン=サーンスは、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍する一方で、文筆家、批評家でもあり、詩や戯曲も書いた。自作詩による声楽作品も存在する。

 サン=サーンスの「チェロ協奏曲第1番」は、急、緩、急の3楽章が続けて演奏される。単一楽章のようなこじんまりした作品。演奏時間は全体で20分ほど。チェロの名曲「白鳥」の作者だから当たり前、「チェロ協奏曲」も手慣れた佳品である。
 ソリストはユリア・ハーゲンに代わって上村文乃になった。上村さんは大柄で、音量も豊富。力強い音で良く歌うが、中間部の子供が踊っているようなオケの伴奏のうえを、チェロが優しくわたっていく場面など、しみじみと情感溢れた演奏で感心した。アンコールは藤倉大「sweet suites」、これも目の覚めるような快演。

 「交響曲第3番 オルガン付き」は、サン=サーンスの最後の交響曲。全盛期に作曲され、友人であったリストに献呈されている。プログラムノートによると、彼は「すべきことはすべてやった。このようにはもう二度と作曲できないだろう」と述べていたらしい。形式は2楽章構成だが、各楽章がはっきりと2部に分かれ、1楽章の後半が緩徐楽章に、2楽章の前半はスケルツォになっている。
 まずは、聴こえるか聴こえないかの穏やかな弦の導入部と、オーボエの音で一気に引き込まれた。その後のフルート、バスーンの音も美しい。やはりスダーンと東響は特別な間柄だ。続くザワザワとした弦のきざみ、ちょっと「未完成」の出だしに似ている。これが全曲の循環主題のテーマにもなっている。このテーマはベルリオーズも用いたグレゴリオ聖歌の「怒りの日」から採られた。第1楽章の後半、オルガンが静かに入って来る。今日の大木さんは、パイプ前の定位置にいない。鍵盤をステージに置き舞台上で演奏。弦がコラール風の旋律を奏でる。このあたりが涙曲線の頂点。
 第2楽章の前半は、緊迫した弦楽器の激しい音楽。トリオでピアノが軽やかな動きで参加してくる。スダーンは牧歌的な風景に目もくれず駆け抜ける。オルガンの強烈な響きで後半になだれ込む。短調で始まったザワザワが長調で出現する。全体の構成は「運命」の苦悩から歓喜の再現、あるいは「復活」の宗教的な鎮魂と救済の先取りである。個人的な好みとしては、第2楽章の後半はもっと速度を落として歌い上げてほしかったが、熱量まさるスダーンの推進力は尋常じゃない、一気呵成。これで75歳の爺さま。ずっと高椅子に座りながら指揮していたが、さすが最後は立ち上がった。終演後、拍手のなか椅子に座り直してしばし瞑目、その姿が感慨に耽っているようで印象的だった。

 いやいや、とても代演というレベルではない、演奏会を何十回と聴いたうち一度あるかどうかの仕上がり。これがあるから「辛い」とか「シンドイ」とかいいながらも、演奏会通いが止められない。
 スダーンは拍手で3,4度舞台に呼び戻されたあと、珍しくオーケストラ・アンコールとなった。曲はオッフェンバック「ホフマンの舟歌」。拍手のさなか席を立つお客さんがほとんどいなかったから、アンコールがあると予め知っていた? そんなはずはない、それほど演奏が素晴らしかったということだろう。
 アンコールが終わってスダーンは、各弦のトップたちと穏やかに丁寧に手を取り合っていた。自ら10年と決めた音楽監督であった。その座を降りたいまも、お互いの信頼関係が現前しているようで、また目頭が熱くなった。


 今日の演奏会もニコニコ動画で配信された。いつものように暫くはタイムシフト視聴ができると思う。

https://live.nicovideo.jp/watch/lv335284747

2022/1/20 下野竜也×読響 ブルックナー交響曲第5番2022年01月21日 10:24



読売日本交響楽団 第614回 定期演奏会

日時:2022年1月20日(木) 19:00 開演
会場:サントリーホール
指揮:下野 竜也
演目:メシアン/われら死者の復活を待ち望む
   ブルックナー/交響曲第5番 変ロ長調 WAB 105


 1年以上も前、2021年度の定期演奏会の演目が発表されたときから、ツァグロゼクのプログラムを楽しみにしていた。
 ツァグロゼクは、昔から現代音楽への取り組みでいろいろと話題になっていて、名前だけは馴染みがあったが、はて、その演奏となると放送でも音盤でも真正面から聴いたことはなかった。2019年2月の読響とのリーム&ブルックナーの実演が初めての出会いとなった。
 そのブルックナー「交響曲第7番」が素晴らしかった。ブルックナーの「7番」は、「5番」「8番」などに比べ、前半の二つの楽章に対し後半が弱い。アダージョまでが勝負で、あとは印象薄く流れてしまうことが多い。1,2楽章の名演はあっても、全体を通して満足することがなかなかできない。そのせいもあって後々まで演奏の余韻が残ってくれない。
 ところがツァグロゼクは明らかに4楽章にクライマックスを設計し、楽章を追うごとに熱量を増していった。いつもなら全曲のコーダは、途中で断ち切られたような中途半端さがつきまとうのだが、このときは違った。じわりじわりと盛り上げ完全に燃焼した。全編にわたって稠密で細密画のようでありながら巨大さを失わず、「7番」における過去最高の演奏となった。
 3年ぶりの来日で今度は「5番」を振るという。期待の大きさが分かろうというもの。しかし、変異株による入国制限のため来日不能。正直、かなりガッカリした。
 このツァグロゼクの代役が下野竜也だという。下野は9年前の読響正指揮者の退任公演で「5番」を取り上げた。絶賛されたその演奏を聴き逃している。で、気を取り直して、チケットを手配したという顛末。

 プログラムは、メシアンの「われら死者の復活を待ち望む」から始まった。
 管楽器と打楽器のための合奏作品。管楽器は木管・金管を問わないが、打楽器は金属製打楽器のみ、鍵盤や木製は使わない。5曲からなり、それぞれに聖書から引用されたテクストがそえられている。20世紀の半ばフランス文化相のマルローから二つの大戦の犠牲者を追悼するための曲として委嘱を受けたという。タイトルの通り死者の復活と救済を祈る鎮魂歌。
 下野は休止を慎重にはさみ残響を意識した音づくり、不協和音が一杯ながら苦痛ではない。メシアンらしくガムラン風の響を背景に鳥の声や人の声などが聴こえる。不思議な音響に包まれる。読響の管・打はなかなかの好演、荘厳で豊かな響きのなかで30分ほどの時間が短く感じた。

 次いで、ブルックナーの「5番」(ハース版)。
 構築物の巨大さからいえば「8番」に並ぶ。終楽章で各楽章の主題を次々と出してくるところなどは、明らかにベートーヴェンの影響。これが畢竟「8番」終結の各楽章の主題を同時に鳴り響かすというとんでもないコーダに結実する。コラールだとかフーガだとかの結構も大きい。でも、全体の印象は茫洋として、いたって地味。だから、多分、ブルックナーのシンフォニーのなかでは、聴かせるがための演奏がもっとも難しい厄介な曲。しかし、嵌まると「8番」と同じように、とてつもないことになる。
 「5番」には鮮烈な思い出が二つある。
 そのひとつは、20年ほど前、朝比奈の代演でハウシルトが新日フィルを振った。この演奏がまことに見事で聴衆を興奮させた。そのせいもあってかハウシルトはその後も何度も来日したと思う。あのときは最終楽章のコーダのみ金管を増量させた。ラッパ吹きの何人かが3楽章が終わると舞台に入ってきて、ずーっと沈黙していたあと、結末だけを壮大に吹奏した。その後も「5番」は何度も聴いたけど、こういった手管はこの時だけ。楽譜に指定があるわけではなかろう。外連味たっぷりで禁じ手のような気もしたが、その効果は絶大だった。
 もうひとつは、10年ほど前、飯守×シテイフィル。ブルックナーチクルスの一環で、指揮者もオケも最初から気合が入っていた。曲の進行につれ音楽は魁偉を極め、終楽章に到達。その半ばあたり、ここぞというコラール主題の登場で金管が飛び出した、大事故である。音楽は一瞬ばらけたが、泰然として音楽は進み無事結末を迎えた。シティフィルといえば飯守の信頼する手兵である。そうであっても事故が起きる。飯守の棒は分かりにくい。だからこそ逆にオケの緊張が持続するのだろう。そもそも飯守は洗練された音楽を目指しているわけではなく、素朴であっても心の底から迸る情趣を現前させようとする。それは確かに陰影深く実現された。生じた事故の大きさとともに記念碑的演奏となった。
 ブルックナー演奏は、朝比奈やマタチッチのように細部には拘らず大掴みで、ひたすら悠然と、あるいは豪快に歩みを進めるものから、ヴァントやスクロヴァチェフスキのごとく細部を彫琢し尽くし、ヴァントは重厚に、スクロヴァチェフスキは鋭利に、それぞれの感性で徹底的に透明に仕上げるもの、スダーン、飯守のように全体を見通し、各声部をバランスさせ、洗練と無骨という違いがあるにせよ、真面目に音を積み上げていくやり方、ツァグロゼクやノットのように現代音楽の側からブルックナーに光を当て、室内楽のように緻密にかつ大きさを失わず、あるいは当意即妙でありつつダイナミックに再構築する方法、そして、これは音盤だけの感想だけど、冷たく繊細で、それでいて強靭なチェリビダッケや、剛毅でありながら端正なカイルベルトまで様々だけど、では、下野竜也は如何に。
 下野のコントロールに隙はない。楽章ごとのテンポ設定、楽章のなかでの緩急、音量調整、強弱のタイミング、いずれもきっちり整理されている。オケもほとんどミスはなく、弦は重厚、管もよく鳴って、読響がブックナーを得意とするオケであることがよく分かる。全体に引き締まっていながら滑らかな、いい演奏だったと思う。
 しかし、それが心に訴えてこない。ブルックナーの音楽は、主題が出てくるごとに、転調するごとに、次々と新しい風景をみせてくれる。その風景から立ち上がる音を聴いていると、いつのまにか高みに引き上げられる、あるいは、跪きたくなることがある。ところが、下野の音楽は、なんの問題もなく前進し、内声部もよく聴こえるのに景色が変わって行かない。色彩も単調で物語が展開しない。どうして?
 これは突拍子もないことだし、話したことも人柄も知らないので放言の類だが、下野が善人すぎるのではないか。あまりに音楽が真っ直ぐで雑味がないことが、面白味を欠くのかも知れんと邪推する。もっとも、発信する側に問題がないのに、素直に受け止められないのは、たんに受信するこちら側の心象に欠陥があるのかも知れないが。
 結局、一言、今回は嵌まらなかったわけだ。

2022/1/15 高関健×シティフィル ブリテン・ラロ・メンデルスゾーン2022年01月15日 21:01



東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第348回定期演奏会

日時:2022年1月15日(土) 14:00 開演
会場:東京オペラシティ コンサートホール
指揮:高関 健
共演:ヴァイオリン/戸澤 采紀
演目:ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」より
           4つの海の間奏曲
   ラロ/スペイン交響曲 二短調 作品21
   メンデルスゾーン/交響曲第3番 イ短調 作品56
           「スコットランド」

 
 20世紀末までは、子正月の今日15日が「成人の日」と定められていた。その後、三連休をつくるため月曜日に祝日が移動した。現在では1月の第2月曜日が「成人の日」、今年はすでに終わった。
 「成人の日」に限らないが祝日の移動は本来の意味が薄れる。余暇の拡大、景気対策などを意図するなら、祝日の移動より別途その名目で三連休などを設けるほうがいいような気がする。もっとも、休みが多すぎるといった意見はあるし、今のように身動きがとれない事態が続いているようでは、連休も何もあったものではないけど。

 さて、新年最初の演奏会は、高関健×シティフィルとなった。
 プログラムの両端に英国関連の、それも海つながりの音楽を置き、真ん中にヴァイオリン協奏曲という3曲構成である。

 1曲目はブリテンの「4つの海の間奏曲」。
 オペラ「ピーター・グライムズ」の幕間音楽を再構成したもので、必ずしも舞台の進行通りとは違う。「夜明け」「日曜の朝」「月光」「嵐」と並ぶ。間奏曲の一つひとつは、いずれもわずか3、4分なのだけど、通して聴くと巧みな自然描写もあり、まるで交響詩を聴いているよう。「夜明け」は広大な海から朝日が昇る、高音のヴァイオリンとフルートにハープが絡む主題は厳しい北の海。「日曜の朝」はスケルツォ、木管楽器がしきりにスタッカートするなか、金管のコラール、鐘の音が響く。「月光」は緩徐楽章、低弦とバスーンが主導する弔いの音楽、フルートとハープは月の光か。「嵐」は冒頭からティンパニの連打、全楽器で描き出す凶暴な海の嵐。
 あいかわらず高関さんは丁寧でがっしりした音作り、それに応えるシティフィルは分厚く重量感たっぷり。「ピーター・グライムズ」の悲劇がいっそう強調される。ただ、オペラシティホールは、音量の増大に伴い音が飽和気味になって(席の関係かも)、解像度が落ちるのが残念。
 ブリテン、メシアン、ショスタコーヴィチは、多分、現代音楽のなかで後世まで残るであろう作家。と言っても現代音楽の定義や範疇は曖昧だから、作品を年代で区切り第二次大戦以降としておく。ほかの有象無象の無調音楽、前衛音楽を書いた作家たちは、書物の片隅には残るかも知れないが、音楽としては跡形もなくなっているだろう。なんの、壮大な実験だった、と思えば惜しむ必要はない。

 2曲目はラロ。
 ラロといえば「スペイン交響曲」。「チェロ協奏曲」「イスの王様(序曲)」なども稀に演目にのるが、50歳を越えてから書いたこの「スペイン交響曲」だけは今日でも普通に演奏される。たとえ1曲でも150年も聴き続けられている。偉大なことだ。先の話のつながりでいえば100年後、現代の作家のなかで何人がラロに匹敵することができようか、それこそ死屍累々といった光景が目に浮かぶ。
 「スペイン交響曲」は交響曲という名のヴァイオリン協奏曲。5楽章構成。初演した名手サラサーテに捧げられている。「スペイン交響曲」の初演の1カ月後にビゼーの「カルメン」が上演されている。そのあともシャブリエ、ラヴェル、ドビュッシーなどによるスペイン風の作品が続く。「スペイン交響曲」はパリにおけるスペインブームの嚆矢でもあった。さらに、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が「スペイン交響曲」に触発されてつくられたことは有名な話。
 ソリストは戸澤采紀。まだ二十歳そこそこ、成人になったかならないかという年頃。見かけも小柄。これで線が細いと「スペイン交響曲」は厳しい、と懸念したが、とんでもない。音量は溢れるほど、音色も低音から高音まで潤いがあって、歌いまわしも間合いも余裕を持った堂々たるもの。
 冒頭いきなり「ダンダン,ダー,ダダダ,ダーン」とオケが力強いモチーフで開始したあと、ヴァイオリンの導入部でまずもって惹きつけられた。2楽章は3部形式、スペインの民族舞踊のような趣、引きずるようなリズムも見事。3楽章、間奏曲、ヴァイオリンが物憂げで悲哀を漂わせる、G線の音がほんとに豊潤、ここでついに落涙。4楽章、緩徐楽章、哀愁をおびた荘厳で甘美な世界をじっくりと歌う。5楽章、飛び跳ねるような楽想、オケはほとんど沈黙、独奏ヴァイオリンが名人芸を披露、戸澤さんの一人舞台。
 いやビックリした。戸澤采紀さんは、シティフィルのコンマスの戸澤哲夫さんの愛娘、親子共演というおまけまでついた。今日の演奏会の最大の収穫は、この戸澤采紀さん、この先が楽しみだ。

 3曲目がメンデルスゾーン。
 「スコットランド」は3番となっているがこれは出版順。出版が遅れた4番「イタリア」、5番「宗教改革」のほうが早く仕上がっている。「スコットランド」を構想したのは「イタリア」「宗教改革」より早かったようだが、速筆のメンデルスゾーンがめずらしく完成まで10年以上かけた。彼の最後の交響曲。
 「スコットランド」は、暗鬱な北の海をイメージしたということだけではない。着想を得たのは、スコットランド女王メアリー・ステュアートが居城としたホリールード宮殿、そこで最初の楽想が書き留められている。
 メアリーは凄惨な運命に翻弄され、最期は陰謀と暗殺の首謀者としてエリザベス1世の命により刑死している。メアリーとエリザベスの話は何度も映画になっている。最新の映画は2018年、アメリカ・イギリス合作の『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』。
 当然、メンデルスゾーンはその史実からインスパイアーされている。そのためもあってか音楽は全編にわたって陰鬱で暗く重い。その意味では、シティフィルの音色はこの曲に相応しい。あまりにも重すぎるきらいはあるけど。
 面白いのは終楽章、コーダに至って、唐突にイ長調の讃歌が出現する。それが不自然だという人もいる。短調のまま終えるのがメンデルゾーンの本意ではなかったかと。たとえば指揮者クレンペラーは最晩年、2度目のステレオ録音(1969年 バイエルン放送交響楽団とのライブ)のとき、問題のイ長調部分をカットし、イ短調で終わらせるという大胆な改変を行っている。
 一方で、着手して10年以上の時を経た交響曲である。年齢を重ねるにつれ暗いまま終わらせたくないというメンデルスゾーンの心境の変化が反映されたのかも知れない。さらには、メンデルスゾーンはこの交響曲を英国のヴィクトリア女王に献呈している。終楽章の突然の讃歌は、彼が愛したであろう英国の弥栄と王室への敬愛をこめたものではなかったかと解釈する人もいる。
 さすが高関さんは、ここのコーダをじっくりと聴かせた。アッチェレランドをかけるという軽薄なことはしない。いっそう重心を落としテンポに細心の注意を払って、悲劇を越えたあとの讃歌を存分に奏でた。
 事実、メアリー・ステュアートの子ジェームスは、スコットランド王として即位するとともにイングランドの王位を継いだ。グレートブリテン王国の端緒である。もう一人の女王エリザベス1世は子を残さなかった。メアリーの血は連綿と続いて行く。この後の英国王はすべてメアリーの直系子孫である。

長谷寺の蝋梅(ロウバイ)2022年01月14日 16:36



 江ノ電が4両編成で走っているので、ちょっとビックリした。それとも2両編成だと思っていたのが記憶違いなのだろうか。
 鎌倉駅から、それこそ4、5分乗り、長谷寺に行ってみた。蝋梅が季節だという。
 まさしく蝋のような艶の黄色い花が見頃。梅は紅も白も一輪か二輪ほどで、ほとんどが蕾だったが、たしかに蝋梅は季節だった。

 長谷寺は、池と花木の按配が見事で、高台まで足を運べば鎌倉の海も一望にできる。境内には堂が五つ六つあり、経蔵、書院、鐘楼も配置されている、長谷寺の観音様は、「かきがら」の導きによって鎌倉に流れ着いたという伝承があり、「かきがら稲荷神社」があわせて祀られている。

 再び江ノ電で鎌倉駅に戻り、鶴岡八幡宮の参道を経由して北鎌倉駅まで歩いた。北鎌倉ではゆっくり昼食をとり、夕方にならないうちに帰ってきた。
 真冬にしては幸いにも暖かい日差しで、散歩日和でした。