せせらぎ緑道2024年01月10日 14:10



 交通量の多いバス通りから一本入ったところに小川が流れている。バス通りに並行し東西に流れる本川と、途中から寺の横を北に向かう支川とに分かれている。小川といっても自然の川ではなくて、市街化に伴い汚染されてしまった水路を親水空間として再生したものらしい。

 流れる水は下水処理場によって高度処理され、自然の小川を模した蛇行するせせらぎと、川に沿った遊歩道が整備されている。本川も支川も歩くとそれぞれ30分くらいかかる。川の両岸には戸建てやマンションなどが切れ目なく並んでいるから解放感はあまりない。そのかわりバス通りの騒音はほとんど気にならない。

 小川は人工的に造られたものとはいえ、自然石や土管、樹木などの材料を巧みに使っている。水草が繁茂し、鯉や小魚、ザリガニなどの水生生物も生息している。さまざまな野鳥が寄り付き、街中では珍しいコサギを見かけることもある。水深は最大で30cmくらい、浅いところでは10cmもないように見える。整備されてからけっこう年数が経っているので自然の景色にも負けないくらいだ。
 川沿いの遊歩道は狭いながら草花が植えられベンチもあって、散策するに気持ちがよい。老人や子供、ベビーカーのお母さんたちが行き交っている。「自転車は降りてください」と案内されているのに、たまに自転車に乗ったまま走り去る怪しからん輩がいることが残念だけど。

 この「せせらぎ緑道」まで家からは距離があり気楽に利用できないが、通院のついでに散歩をしている。「鯉に餌をやるな!」との注意書きはないようだから、今度は餌持参で訪れてみようかと思っている。

ドリーム・ホース2023年02月01日 14:23



『ドリーム・ホース』
原題:Dream Horse
製作:2020年 イギリス
監督:ユーロス・リン
脚本:ニール・マッケイ
音楽:ベンジャミン・ウッドゲーツ
出演:トニ・コレット、オーウェン・ティール、
   ダミアン・ルイス


 動物映画にハズレがないとは良く言ったもので、この作品も心地よい感動を呼ぶ。
 グレートブリテン島南西部、ウェールズの小さな町に住む主婦ジャン(トニ・コレット)は、無気力な夫ブライアン(オーウェン・ティール)との二人暮らし。バーとスーパーマーケットのパートを掛け持ちしながら、両親の介護に追われている。
 ある日、勤めているバーで会計士のハワード(ダミアン・ルイス)から馬主をしていたという体験談を聞く。ジャンは味気ない日常からの脱出をめざして一念発起、競走馬について独学で勉強し、貯金をはたいて牝馬を購入、有望な血統の種馬を見つけ交配させる。
 しかし、自分の収入だけで競走馬を育てることは難しい。町の人達に向け出資を募る。ジャンの熱意に感化された人々は、週に10ポンドずつ出しあって組合馬主になる。組合設立の会合で「儲けではなく欲しいのは胸の高鳴りだ」、と皆は言う。ジャンは仔馬をレースに出場させるという夢があって毎日が輝いてくる。20人の共同馬主たちも胸のときめきを隠せず、平凡な日々の生活が徐々に変わっていく。
 トニ・コレットは、ありきたりの中年主婦が目標に向かって邁進していく姿を好演。オーウェン・ティールも駄目亭主ながら包容力を秘め、いつも女房の味方となって憎めない。ダミアン・ルイスは馬好きの正義感あふれる人物を鮮やかに演じる。組合馬主たちも一人ひとりが個性的で、彼等の喜怒哀楽が画面いっぱいに広がる。

 ドリーム・アライアンス(夢の同盟)と名付けられた仔馬は、ジャンたちの愛情を受けて成長する。仔馬の大きな優しい瞳と甘える仕草が途轍もなく可愛い。そして、ジャンの行動力によって、一級の調教師にも面倒をみてもらえることになった。
 逞しく育った仔馬は、障害レースで着実に成績を残していく。カメラは躍動感たっぷりの走りと、迫力あふれるレースの光景を様々な角度から臨場感豊かに捉え、観る者を興奮させる。
 映画の終盤ともなると、ドリーム・アライアンスは、もはや映画の中にとどまらず、映画の観客すべての競走馬となる。レースで足の腱を故障するというアクシデントを乗り越え、1年半ぶりに再びレースへ復帰する。それはウェールズにおける最高峰の障害レース「ウェルシュナショナル」の舞台である。映画の観客たちは手に汗握り、息をのみ、懸命に応援することになる。
 絵に描いたようなサクセス・ストーリーだが、実話に基づいているという。馬主なんぞ富裕な人々の楽しみのはずで、その世界に平民階級の人馬が勝負をいどみ奇跡を起こす。うらぶれたウェールズの片田舎の町にも活気が満ち溢れてくる。爽快な大団円である。

 音楽はベンジャミン・ウッドゲーツ。素朴な音楽と荘厳な音楽とを対比させ、レース場では馬たちの疾走感をいやがうえにも盛り上げる手腕が素晴らしい。加えて「ウェルシュナショナル」の開会式で、南ウェールズ出身のメゾソプラノ、キャサリン・ジェンキンスが歌うウェールズ国歌が胸熱だ。
 エンドロールでは、映画のモデルとなった本人たちも登場し、出演者と肩を並べ、キャストを含め、やはり南ウェールズ出身のトム・ジョーンズの「デライラ」を合唱するというキュートな映像が流れる。誰しもが幸せな気分になれる一作である。

砂浴び2023年01月19日 11:48



 こじんまりとした花壇が設えてある。正方形と長方形の小さなブロックプランターを2個ずつ並べたもの。そこに季節ごとの様々な花をとっかえひっかえ植えてきた。
 いまはナデシコとウインターコスモス、それにカーネーションが元気で、3個のプランターを1年以上も占領している。残りの1個はケイトウを駄目にしたあと、そのまま空き地になっている。

 最近、その空いた花壇にスズメがやってきて、砂浴びをするようになった。
 ある日の朝、20羽近くが集まった。ほとんどのスズメは庭の土のうえを飛び跳ねながら何かを啄んでいるのだけれど、そのうちの3羽ほどが交代で砂浴びをしだした。足と嘴と頭で花壇の土をかき分け、羽をふくらましてブルブルする。ひと時、砂浴びをして立ち去ったあとには、とうぜん穴ぼこができていた。
 庭に餌をまいているわけでない。プランターには砂でなく培養土が入っている。スズメが寄りつくのも砂浴びをするのも理由はよくわからない。

 毎日ではなくたまのことであっても、このスズメたちの仕草はなかなか愛らしい。思わず見とれてしまう。シジュウカラやメジロ、ヒヨドリなども訪れるが、スズメほど大胆ではない。地面には降りないし、窓の内側の人の気配を感じると逃げてしまう。
 ありきたりのスズメとはいえ、こんな何の取り柄もなく面白味のない狭い庭に来て、気持ちよく戯れてくれる。その親しげな姿は可愛くて癒される。

 この穴ぼこの小さな花壇、しばらくはこのまま放置しておこうかと思っている。

根岸森林公園と根岸競馬記念公苑2022年02月09日 18:06



 横浜にある根岸森林公園へ行くには、JR京浜東北根岸線の根岸駅か山手駅から歩く。地図でみると僅かながら山手駅の方が近そうなので、山手駅を利用することに決めた。

 途中、けっこう道が入り組んでいる。簡単な地図を用意したが迷子になった。所要時間10分のはずが、倍の20分経っても着かない。どんどん道は細くなる。
 地図を見ながら目的地をめざすのは諦め、スマホのgoogleナビに頼ることにした。位置情報をonにしてナビに任せた。狭い階段道や急坂を案内されたが、5,6分で連れて行ってくれた。振り返ると、とても自分の力では見つけられない道、さすがgoogle先生である。

 根岸森林公園は、根岸競馬場の跡地に整備された公園。
 根岸競馬場は幕末に開設された日本初の洋式競馬場で、居留地住民のためのものだった。その後は日本政府の欧化政策の舞台としても利用された。天皇賞や皐月賞など大レース発祥の地でもある。
 大東亜戦争が開戦すると軍港が一望できるということで海軍省が接収、閉場となった。
 敗戦後は競馬場の復活を試みたものの、様々な障害のため再開を断念。結局、横浜市が根岸森林公園として整備し、併せて日本中央競馬会によって根岸競馬記念公苑が設けられた。

 根岸競馬記念公苑のなかには馬の博物館がある。入館料100円なので見学することに。根岸競馬場の歴史を写真と解説文で克明に辿ることができる。テーマ展もあって、今は「武者絵の世界 ――人も馬も大あばれ――」などが開催中である。
 「武者絵の世界」は、源平合戦や戦国時代、遠く中国の『三国志演義』や『水滸伝』から、馬が大活躍する場面を切り取った歌川国芳や国安の浮世絵版画が展示されている。

 隣接する根岸森林公園は広大で芝生が敷き詰められ、散策するには気持ち良さそうだが、十分な時間が必要だ。午後から出かけてきて、馬の博物館で時間を費やしたら余裕がなくなった。桜の季節などに改めて訪れたい。

 帰りは最初からgoogleナビ頼り。来る時とは全く違う道を案内された。やはり裏道で下り坂ではあったが、きっちり10分で山手駅に着いた。さすが先生である。

稲荷神社の柴犬2022年01月02日 14:11



 稲荷神社がある。線路沿いの細い道から十数段ほど石段を登ると、もう鳥居である。普段、鳥居のふもとには柴犬が繋がれている。今日は社務所の前に移されていた。
 境内は初詣の人で賑わっていて、社殿は開け放たれ灯がともされ、神主が正装で御幣を手にしていた。社殿の手前には一対の小ぶりの石のお狐様が鎮座している。今まで、ちゃんと境内を見渡すことがなかったせいか、柴犬に気をとられていたせいか、目に入らなかった。稲荷神社だからお狐様が居て当たり前だ。

 社務所前の柴犬はというと、参拝客の子供やご婦人方から頭や首を撫でられ目を細め愛嬌を振りまいている。
 いつもは柴犬に手を出しても寄って来ない。一瞥され尻を向けられるのがオチだ。だいたいが石段の天辺か中途で、寝てるか座り込んで起き上がりもしない。このあたりの犬や猫は、なんて愛想なしが多いのか、と思っていた。
 ところが今日である。神社としては書き入れ時だろう。ふつうは閑散としている境内にも初詣のお客さんが溢れている。神社の柴犬は、うんともすんとも言わないものの、ちゃんと自分の役割をわきまえ奉仕している。

 鳥居の下が定位置であるはずの柴犬が、朝夕いないときがある。
 ある日の夕方、神社のそばで宮司の奥さんらしき女性に連れられて歩いているのを見たから、朝夕は散歩に出ている。また小雨が降っているときにも姿が見えなかった。きっと社務所のなかで雨宿りしているのだろう。
 けっして放置されているのではない。それどころか大事に育てられている。だからといって、今日のような振る舞いをしてみせる、というわけではもちろんないだろうけど。頭のいい犬だ。