シティフィルの来期プログラム ― 2022年11月14日 17:16
見落としていたが、先週、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の来シーズンラインナップ(2023/4~2024/4)が発表になっていた。
https://www.cityphil.jp/news/common/pdf/program_2023.pdf
東京オペラシティの定期が全9回、ティアラこうとうの定期が全4回である。
常任指揮者の高関健、首席客演指揮者の藤岡幸夫、桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎が中心となり、秋山和義、沖澤のどか、松本宗利音を招聘し、すべて邦人指揮者で固めた。
高関は演奏会形式の「トスカ」、マーラーの「第5番」、藤岡は吉松の「第3番」、「オルガン付き」など。
飯守の定期は「グレイト」を含むシューベルト公演のみながら、4月にサントリーホールにおいて2回の特別演奏会が予定されている。演目はいずれもブルックナーの交響曲で、7日が「第8番」、24日が「第4番」である。
https://www.cityphil.jp/news/detail.php?id=525
2022/11/18 沖澤のどか×新日フィル モーツァルト、マーラーそしてブラームス ― 2022年11月18日 19:44
新日本フィルハーモニー交響楽団
すみだクラシックへの扉 #11
日時:2022年11月18日(金) 14:00開演
会場:すみだトリフォニーホール 大ホール
指揮:沖澤 のどか
共演:バリトン/大西 宇宙
演目:モーツァルト/フリーメイソンのための
葬送音楽 K.477
マーラー/亡き子をしのぶ歌
ブラームス/交響曲第4番 ホ短調 op. 98
一度目はウーハンコロナによる入国制限、二度目は出産のため、いずれもキャンセルとなった沖澤のどか、“三度目の正直”である。
それにしても、よりによって悲劇的な曲を選んだものだ。「フリーメイソンのための葬送音楽」について、アインシュタインは「宗教的な楽曲で…ハ短調荘厳ミサ曲(K.427)とレクイエム(K.626)を結ぶきずな」(『モーツァルト その人間と作品』白水社 476頁)と述べた。「亡き子をしのぶ歌」は、リュッケルトの、二人の子供を失った悲しみを詠いあげた同名詩に基づいている。ブラームスが「交響曲第4番」で目指したのは、「ギリシア悲劇やシェイクスピアの『リア王』『オセロ』ような絶対的な悲劇だ」と金子建志は書いている。悲しみの歌ばかりである。
「フリーメイソンのための葬送音楽」
管楽器の暗く低い音域の沈鬱な響きと、弦の痛切な鋭い音が全てを物語る。終結部は短調から長調の和音へ転調し、希望が浮かび上がるものの、曲全体は生者が死者に向かい合ったときの慟哭そのものである。10分足らずの短い曲ながら、悲しくも痛ましい心情をこれ以上に表現した曲があっただろうか。
演奏会の冒頭にこの傑作を持って来るのは卑怯だけど、音盤でもワルター、クレンペラーなど偉大な指揮者の名盤がそろっていて、これらを聴いて育った人間を、実演だからといって説得するのはなかなか難しかったようだ。
「亡き子をしのぶ歌」
マーラーの連作歌曲は本作と「さすらう若人の歌」のふたつのみ。歌詞は悲痛の極みで曲もとうぜん明るくはない。しかし、円熟を増したマーラー中期の作品で美しい。とくにホルンの音色は意味深い。
第1曲「いま、太陽は明るく昇らんとする」、第2曲「いまならわかる、なぜあれほど暗い炎を」、第3曲「おまえのお母さんが」、第4曲「よく思う、あの子たちは出かけているだけ」、第5曲「こんな天気、こんな風のなか」の全5曲。曲と詩の実際はこれらのタイトルからも窺い知ることができる。
息の長いメロディ、独特の和声の動き、管楽器の重ね合わせ、低音楽器の表情付けなどを駆使して、マーラーは心理と景色を描いて行く。子守歌のような曲全体の結尾は、完全に「大地の歌」の告別に通じている。
大西さんは厚い管弦楽の響きを掻い潜って確実にマーラーの歌を届けてくれた。彼を聴くのは二度目、今、もっとも注目すべき声楽家の一人だ。オケでは日高さんのホルンがさすが立派だった。
「交響曲第4番」
アウフタクトで開始、3度の下降音列による構成、終楽章が懐古的なシャコンヌ。情緒的に見えながら理論的な考えのもとに書かれている。
ブラームスを感情の赴くまま緩く演奏すると聴くに耐えないものとなるのは衆知の通り。音盤におけるセルの素晴らしさが逆にこれを証明している。実演では大昔バルシャイ×東フィルの精緻な演奏に涙が途切れることがなかった。東フィルはときとして荒っぽい演奏になることがあるが、指揮者に恵まれると驚異的な精度を保ち感動させる。
第1楽章、ソナタ形式、ホ短調はめずらしい、前半部は3度下降進行の連続、終結部は讃美歌のアーメン終止。第2楽章には教会旋法、ここでも執拗な3度進行、寂寥感がただよう。第3楽章は2拍子のスケルツォ、おどけた進軍のよう、威勢がいいけどカラ元気ともいえる。第4楽章、バロック時代に頂点を迎えた変奏曲形式(30変奏とコーダを伴うシャコンヌ<パッサカリア>)。ここでのトロンボーンは神託か。教会音楽の要素を用いることによって、宗教や死を自ずから連想させるようにつくられている。
沖澤のどかは、前半、ちょっと優等生的な指揮ぶりだったが、ブラームスになって小柄な身体を大きく使い、身振りが激しくなった。アンサンブルの精度はもうひとつだが、音楽の表情はたしかに濃厚になり、熱演であった。
ブラームスが交響曲において、古き時代のシャコンヌを用いたことは、後世へ少なからぬ影響を与えた。ドヴォルザークは「交響曲第8番」の最終楽章で変奏曲形式を採用した。ヴェーベルンは管弦楽による「パッサカリア」を書いた。ショスタコーヴィチ、ブリテンなども管弦楽のためのシャコンヌ、パッサカリアを作曲している。ブラームスの「交響曲第4番」は、それまでの作曲技術に新たな焦点をあて、次世代へ継承したともいえる。懐古主義者ブラームスではなく、先駆者ブラームスとしての面目躍如である。
2022/11/19 小泉和裕×神奈川フィル オネゲル「典礼風」とベートーヴェン「英雄」 ― 2022年11月19日 19:37
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会第381回
日時:2022年11月19日(土) 14:00
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:小泉 和裕
演目:オネゲル/交響曲第3番「典礼風」
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55
「英雄」
みなとみらいホールの改修が終わった。10月下旬にリニューアル記念事業として沼尻×神奈川フィルの演奏会(アルプス交響曲)が開催されたが、行くことができなかった。今日が初御目見得である。
ホールのリニューアルオープンにあたっては、スプリンクラー事故や、落下防止網棚の対応など新聞沙汰が相次ぎ、幸先のいい出足ではない。とくに、新たな落下防止策は不評で、批判を受けて張り出した網棚を慌てて撤去したものの、手摺やワイヤーは設置されたままで視界の妨げとなっている。もともとこのホールのバルコニー席はオペラシティホールと同様、舞台の視認性はよくない。それをさらに悪化させたのだから非難囂囂の騒ぎとなってしまった。
このホールに小泉和裕とともに神奈川フィル定期演奏会が帰ってきた。シンフォニー2曲を携えて。
1曲目は「典礼風」。
小泉は、指揮台に上がって、両足の位置を決めたら、曲が終わるまで半歩も動かない。楽章間に足を踏み替えることもしない。上半身のみでの指揮である。目を閉じることはないけど恩師カラヤンの指揮姿にますます似てきた。譜面台は置かない。協奏曲でさえ暗譜で振る人だから、当たり前か。そんな指揮のスタイルでもって、オネゲルを堅牢な構築物として作り上げた。
「典礼風」とは不思議な標題だが、キリスト教の儀礼のことを指しているらしい。各楽章のタイトルも「怒りの日」「深き淵より」「我らに平和を」とミサや詩編から採られている。第1楽章は、低音楽器とピアノが絶叫する威圧的で狂暴な音楽。こういったピアノの使用法は、ショスタコーヴィチにもみられる。そういえば、ショスタコはこの「典礼風」を2台のピアノのために編曲している。音楽は激しい嵐のあと、減衰して終わる。第2楽章は深く沈潜した祈りの音楽、フルートによって吹奏される結尾の主題は、第1楽章の最後でも登場した「鳩のテーマ」、第3楽章は行進曲、機械的に前進を続け、制御不能なまでに拡大し、破壊し尽くされる。そのあと訪れる静寂、ピッコロがやはり「鳩のテーマ」を復唱し、静けさの中へ消えていく。
この曲、前の大戦のあと、すぐに書かれている。機械文明が戦争の厄災を大きくし、その進行は止めようがない、とオネゲルは音楽で語っているよう。見方によれば「パシフィック231」もそうだった。人は、いずれ『ターミネーター』の世界と対峙することになるのだろうか。
2曲目が「エロイカ」。
小細工は一切なし、基本インテンポで押し通す。しかし、各楽章を並べてみると、急緩急緩。第2楽章は葬送行進曲だから当然だが、第4楽章をじっくり聴かせた。スケルツォの勢いにまかせて、終楽章を畳みかけるように息せき切って演奏する場合もある。小泉はコーダの追い上げは凄まじいが、一つ一つの変奏を丁寧に描き分けるように演奏した。その第2楽章と第4楽章がとりわけ名演だった。聴き終わって、やはりこの曲はとてつもなく革新的で巨大な曲だ、と再認識させるような演奏だった。
小泉は音楽を建造物のように構築する。そして、音楽がどれほど激情してもその形が崩れない。だからこそ交響曲が交響曲として現前に屹立する。それぞれの交響曲の価値がしっかりと伝わってくる。シンフォニーを振らせて、シンフォニーそれ自体を再認識させる指揮者は、それほど多くいるわけではない。
2022/11/20 ノット×東響 オペラ「サロメ」 ― 2022年11月20日 19:23
東京交響楽団 特別演奏会
R.シュトラウス/オペラ「サロメ」
(演奏会形式、全1幕)
日時:2022年11月20日(日) 14:00
会場:サントリーホール 大ホール
指揮:ジョナサン・ノット
演出監修:サー・トーマス・アレン
出演:サロメ/アスミク・グリゴリアン
ヘロディアス/
ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
ヘロデ/ミカエル・ヴェイニウス
ヨカナーン/トマス・トマソン
ナラボート/岸浪愛学
ヘロディアスの小姓/杉山由紀
兵士1/大川博
兵士2/狩野賢一
ナザレ人1/大川博
ナザレ人2/岸浪愛学
カッパドキア人/髙田智士
ユダヤ人1/升島唯博
ユダヤ人2/吉田連
ユダヤ人3/高柳圭
ユダヤ人4/新津耕平
ユダヤ人5/松井永太郎
奴隷/渡邊仁美
ノット×東響がダ・ポンテ3部作に続いて、R.シュトラウスのオペラを演奏会形式でシリーズ化する、その第一弾。多くの交響詩が書かれたあと、R.シュトラウスが最初に成功をおさめたオペラ「サロメ」。大編成のオーケストラに、当代一のサロメ役といわれるアスミク・グリゴリアンが出演する注目の公演である。
ピットの制約がないため、100人前後のオケのメンバーが舞台いっぱいに並ぶ。指揮台の横に数脚の椅子が置かれ、歌手は立ったり座ったりして歌う。譜面台はなく歌手全員が暗譜、そして、狭いスペースである舞台の前面を移動しながら演技も行う。井戸の中のヨカナーンはP席の上手で歌った。
ノットの指揮する東響の音は強烈かつ緻密、「すべてのことを音楽で表現できる」と言ったR.シュトラウスの音楽を、まさに各場面場面が目に見えるように演奏した。
アスミク・グリゴリアンのサロメは、オケの大音量をものともせず突き抜けるほどの声量と表現力。その美貌とモデルのようなスタイル、演技力にも感嘆した。当代一のサロメというのは誇張でも宣伝文句でもない、まさにその通りの実力と魅力を放つ歌手である。
ヨカナーンのトマス・トマソンも気品のある朗々とした声でホールを満たした。真の預言者が降臨したかのよう。
この二人が頭抜けていたが、ヘロデ王のミカエル・ヴェイニウスの俗物性、ヘロディアス女王のターニャ・アリアーネ・バウムガルトナーの存在感もなかなか。
主役級の海外勢4人は、よくぞ揃って出演してくれたものだ、と感心するほどのレベル。邦人も健闘したけど、海外勢があまりに高水準で、今回はちょっと差が目立ってしまった。
物語のあらすじは、
国王ヘロデが宴会を開いている。後妻ヘロディアスの連れ子である王女サロメは宴会を抜け出して、井戸に幽閉された預言者ヨカナーンの声を聞く。サロメはヨカナーンに恋心を抱き、接吻しようと試みるが、ヨカナーンに拒否される。サロメを呼び戻したヘロデ王は、サロメに踊りを所望する。サロメは、王の「何でも望みを叶える」という言質をとって妖艶な踊りを舞う。踊りのあとサロメが求めたのはヨカナーンの首。サロメは斬首されたヨカナーンへ口づけし、恍惚の表情を浮かべる。これをみたヘロデは恐怖し、サロメの殺害を命じる。
おぞましい話で、退廃的、背徳的ながら、凄い音楽に圧倒された。正直言葉がみつからないほど。R.シュトラウスの器楽、声楽に対する操作にも心底脱帽である。
模範的な家庭人で常識人でもあったであろうR.シュトラウスが、このような淫蕩で悪魔的なオスカー・ワイルドの戯曲に音楽をつけたのは、職人ゆえの関心なのだろうか。生活者としての、芸術家としての、そして、もうひとつナチとのアンビバレンスな対応からして、政治的人間としての、それらを統合した人格のR.シュトラウスに思いを巡らせてしまう。
まずは、今年のベストコンサートの筆頭だろう。
日フィルの来期プログラム(速報版) ― 2022年11月21日 13:34
日本フィルハーモニー交響楽団の新年度は9月から始まる。早くも2023/9~2024/8のラインナップが速報版として発表になっていた。
https://japanphil.or.jp/sites/default/files/2023%EF%BC%8F2024%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E9%80%9F%E5%A0%B122.11.pdf
サントリーホールにおいて、金土と2日間同一プログラムで催される東京定期演奏会と、みなとみらいホールにおける横浜定期演奏会である。
来年、首席指揮者となるカーチュン・ウォンはマーラーの「交響曲第3番」や「交響曲第9番」などを振る。桂冠名誉指揮者の小林研一郎は「カルミナ・ブラーナ」や「オルガン付き」を、芸術顧問の広上淳一は「グレイト」や「第九」を指揮する。
一方、桂冠指揮者兼芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフは、来年末と再来年の6月に来日し、東京と横浜で公演が予定されているものの内容は調整中。ウクライナ紛争後は全く入国できなかった。この状況下では同じことが繰り返されるかも知れない。