シラノ2022年03月17日 15:59



『シラノ』
原題:Cyrano
製作:2021年 イギリス・アメリカ合作
監督:ジョー・ライト
脚本:エリカ・シュミット
音楽:ブライス・デスナー、アーロン・デスナー
出演:ピーター・ディンクレイジ、ヘイリー・ベネット、
   ケルビン・ハリソン・Jr


 ご存じ、エドモン・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」を原作にしたミュージカル映画。もとはオフ・ブロードウエイの舞台ミュージカル。

 舞台版の生みの親はエリカ・シュミット、脚本を書き演出を務めた。題名役はピーター・ディンクレイジ。エリカとピーターは私生活でのパートナー。ロクサーヌを演じたのはヘイリー・ベネット。ヘイリーの交際相手が本監督のジョー・ライトで、恋人の招きで『シラノ』の初演舞台を観て感銘を受け、シラノとロクサーヌのキャストや音楽はそのままに、シュミットの新たな脚本によって、『シラノ』舞台版を映画化したいと申し出た。特別な関係の男女二組がこの映画製作にかかわっているというのが面白い。

 ミュージカルになった「シラノ・ド・ベルジュラック」。戯曲からはだいぶ翻案され、枝葉がかなり刈り取られている。もちろん大筋に変更はないものの味付けは薄目。だけど、歌や踊りは思いのほか違和感がない。道具立てや美術が華やかで美しい。
 ジョー・ライトの演出は、小気味よいテンポでサクサク進む。映像は『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』でもみせたように、光の使い方、スローモーション、俯瞰のカメラワークなど魔術的。感心するショットがたくさん詰まっている。
 デスナー兄弟の音楽は、サントラを買いたくなるほど、どれもこれも魅力いっぱい。有名なバルコニーシーンや戦場で家族に託した歌などに心震える。
 俳優陣ではタイトル・ロールのピーター・ディンクレイジに尽きる。シラノは群集劇でありながら一人芝居でもあるわけで、ピーター・ディンクレイジの存在感に圧倒される。シラノのコンプレックスは、大きな鼻ではなく小人症に置き換えているが、これもすんなりと納得させてしまう。ボサボサの髪と無精ひげ、眉間の皺と思慮深い目、その表情とその演技に引き込まれる。そして、張りのある低音の声が心地よい。

 しいて難点をあげると、戯曲でいえば最終章「5幕 シラノ週報の場」。ここはもっとじっくり物語を練り込んでほしかった。時も夕闇迫る時刻でなければ。
 ド・ギーシュ、ル・ブレ、ラグノオも登場させないから、シラノが倒れるまでのいきさつが分からないし、時が人に与える残酷さも諦念も浮かび上がってこない。
 それに、ロクサーヌが「あなたの不幸は私故」と嘆き、シラノが「滅相な、私は永く女の愛を知らなかった。母も私を醜い子だと思っていた。妹もいない。大人になって恋しい女の目に宿るあざけりを恐れていた。しかし、私は、初めてあなたのおかげで、少なくとも女の友をもつことができた。おもしろくもない生涯に、過ぎ行く女の衣摺れの音を聞いたのも、あなたのお陰」と応えつつも、ロクサーヌを愛していることを頑なに認めない。シラノは最期まで彼の美学を貫き死んでいく。ここがこの戯曲の最大の見せ場で、それによって悲劇が完成するのだと思うけど、名台詞ともども欠落している。ちょっと残念。

 以前、「シラノ・ド・ベルジュラック」については、まとめて書いた。
 http://ottotto.asablo.jp/blog/2021/06/06/9385123

 ともあれ、「シラノ・ド・ベルジュラック」は、百数十年にわたって人々を魅了し、愛されてきた物語だから、どう料理しても見ごたえはある。この『シラノ』は不朽の名作を、歌物語という新しい切り口で表現して、「シラノ・ド・ベルジュラック」の演劇史・映画史に、新しい1頁を付け加えたといっていいのだろう。

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