2026/5/2 鈴木秀美×東響 モーツァルト「交響曲第33番」2026年05月02日 15:36



東京交響楽団 モーツァルト・マチネ第65回

日時:2026年5月2日(土) 11:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:鈴木 秀美
共演:ヴァイオリン/石上 真由子
演目:行進曲 ニ長調K.249
   セレナード第7番 ニ長調K.250
      「ハフナー・セレナード」第1楽章
   ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調K.207
   交響曲第33番 変ロ長調K.319


 何年ぶりかでモーツァルト・マチネに復帰、シーズン連続券を購入した。来年3月の下野竜也による「グラン・パルティータ」が第一の狙いだが、10月には太田弦の「ハフナー」、次回9月にはヴィオッティの「プラハ」が用意されている。そして今日、鈴木秀美が佳品「交響曲第33番」を振る。
 モーツァルトは23歳のとき、尾羽打ち枯らし失意のなかザルツブルクに帰郷した。なのに、この年の作品は「戴冠式ミサ」「ポストホルン」「ディヴェルティメント第17番」「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」…この「交響曲第33番」も。あの気難しいカルロス・クライバーが「リンツ」とともにレパートリーにしていた曲である。

 コンサートの開始は「ハフナー・セレナード」の演奏者入場のための雄大なマーチから。そのまま「ハフナー・セレナード」の第1楽章へ。モーツァルトはこのとき20歳、ザルツブルクの名門ハフナー家の令嬢の婚礼のために音楽を書いた。
 東響はチューニングをしないまま立奏、ノンヴィブラート。鈴木秀美は精力的なリズムの序奏から音階を上下行するテーマを切れ味良くさばく。はじけるような祝祭的なリズムと音符が好ましい。颯爽とした華やかな世界が出現するなかで抒情が見え隠れする。全曲聴きたいところだけど1時間近くもかかるからここは我慢しなければならない。

 「ヴァイオリン協奏曲第1番」ではトランペットとファゴットが舞台から下がり、管はオーボエとホルンのみ。オケは着席した。ソロの石上真由子は春らしくロングドレスではなく浅葱色の膝が隠れるほどの衣装で登場した。
 「第1番」はモーツァルトが17歳のとき、「小ト短調交響曲」の年であり、他のヴァイオリン協奏曲群に数年先行している。にぎやかで愉快な開始楽章から悲哀を隠したアダージョを経てフィナーレは速足の行進曲風。技巧的にはそんなに難しい作品ではないと思うが、だからこそ逆に、聴き手を納得させるのは難しいはず。
 石上は細身の音ながら柔らかく伸びやかで温かみのある音、ガット弦だったかもしれない。彼女のモーツァルトはテクニックや華やかさだけでなく、思慮深く豊かな感受性が備わっていて、演奏途中、協演する管弦楽の奏者たちと何度か微笑みあっていた。

 「交響曲第33番」はザルツブルク最終期のシンフォニーであり、もともとはイタリア風の3楽章構成で、メヌエットはウィーンに移住してから付け足したという。
 始まりは3拍子の軽快なリズムのなかヴァイオリンとヴィオラがスタッカートで躍動しつつ駆けだす。鈴木×東響はくっきりと輪郭を描き、繊細な強弱の対比によって明るい空気をつくりだす。ときどきモーツァルトらしい翳りも。アンダンテは室内楽を思わせる伸びやかな主題にはじまり、ニキティンと吉江美桜を中心とした弦が主体となって細やかな表情をみせる。荒木良太の切ないオーボエも心に沁みる。メヌエットでは幅広い音域を力強く行き来し、トリオにおいて木管を牧歌的に歌わせた。ベートーヴェンが「交響曲第8番」のモデルにしたといわれているフィナーレでは、跳躍する3連符を土台に変化に富んだフレーズを繰り出し、木管の合奏がふざけているよう。コーダは宴を突然閉じるようにして終結させた。
 それにしても「交響曲第33番」の編成はオーボエとファゴット、ホルンが各2本のみ、ティンパニも用いない小さなものであるけれど何という充実した音楽だろう。モーツァルトはウィーンを拠点にして、この「第33番」に手を加え「ハフナー」「リンツ」「プラハ」を書き継いでいく。

 久しぶりにミューザで聴く東響のモーツァルトに心を奪われた。ミューザの響き、東響のサウンド、アットホームな雰囲気など、至福の昼のひとときを過ごした。「ハフナー」「プラハ」「グラン・パルティータ」など、この先のモーツァルト・マチネが楽しみでならない。

2026/5/4 高橋勇太×MM21響 マーラー「交響曲第5番」2026年05月04日 21:13



みなとみらい21交響楽団 第30回定期演奏会

日時:2026年5月4日(月・祝) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:高橋 勇太
演目:R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
   マーラー/交響曲第5番 


 R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。冒頭、弦と金管が一斉に力強く上昇し、精力的で活気に満ちた主題を提示し、ソロヴァイオリンがロマンチックな旋律を歌う。オーボエを中心とした木管たちが多様な彩りを加えると、それらをホルンの強奏が遮り、対抗するように英雄的なテーマが奏でられる。こういった楽器のやりとりが続き、そのうち音楽は暗く沈み込み事切れるように終わる。20代半ばで書いた出世作は、物語の展開や管弦楽の取り扱いなど、10年後の最後の交響詩「英雄の生涯」を予告している。
 官能的で鮮やかな色彩とスピード感を合わせ持ち、音階をとてつもない速度で駆け上がったり、急ブレーキをかけたりして、弦管打楽器とも高度な演奏技術が必要なR.シュトラウス。この作家に挑戦するアマオケは、余程技量に自信があるのか、無謀な試みを趣味にしているのか、そのどちらかだろう。MM21響は以前も「家庭交響曲」などを取り上げており、“技量”も“無謀”も両方併せ持ったオケである。指揮の高橋勇太は難曲「ドン・ファン」をバランス良く鳴らし、アマオケ相手に破綻なく見事な仕上がりをみせてくれた。
 
 マーラーの「交響曲第5番」は第3楽章のスケルツォを真ん中にして1・2楽章と4・5楽章が対称的に配置される。葬送行進曲からはじまり、憤怒が爆発し、舞曲が曲の中心におかれる。アダージェットはヴィスコンティの『ヴェニスに死す』で一躍有名になった。フィナーレは開放的にどこまでも明るく高揚する。
 葬送行進曲はトランペット1本ではじまるから、奏者にとっては緊張するところだけど、まずまずの滑り出し。葬送の歩みは足を引きずるよう。途中の悲壮で激しく情熱的な部分を経て葬列が彼方に去って行く。次楽章の嵐のように荒ぶるところも悪くはなかったが、中間部のゆったりとした鄙びた旋律が美しかった。スケルツォではホルンのトップが舞台下手のハープの後方に移動して立奏、オブリガート・ホルンとして大活躍した。ここでも中間部の静かで幻想的なトリオが魅力的だった。アダージェットはハープと弦のみ、アマオケによるこれほど陶酔的な演奏は賞賛に価しよう。フィナーレはここまでのモチーフを変形しながら回想する。高橋勇太はどちらかというとオケを冷静にコントロールするほうだが、さすが徐々に熱量を増しつつコーダに向かって周到にクライマックスをつくった。

 高橋勇太はテンポやダイナミクスに無理がなく息遣いが自然で好ましい。MM21響は金山隆夫や田部井剛なども指揮を執るが、高橋との相性が一番いいのではないかと思う。今日も期待を裏切らないMM21響の立派な演奏会だった。

季節の花2026年05月12日 11:26



 昨年、はじめて山法師の花が咲いたのだけど数えるほどしかなかった。今年は数えきれないほどの花をつけた。4枚の真っ白な花弁が空に向かって開いている。この花弁、もともとは花の付け根の葉(総苞片)が変化したものらしい。確かに観察してみると、最初は葉と見分けがつかないほどの色合いが、だんだんと白くなって花弁のように装飾されて行く。

 山法師は近縁種のハナミズキのように新しい葉が出る前に花が咲くのではなく、葉が出揃ったあと枝先に花をつける。花弁の先端は鋭く尖っており開花時期も遅い。山法師はハナミズキのような華やかさはなく控え目だが、これはこれで野性味があって見応えがある。

 そういえば、今年はどういうわけか、どの草木もたくさん花をつけた。沈丁花からはじまって姫空木、紫蘭、薔薇、満天星、匂蕃茉莉、芍薬など春の花が一巡した。ここから初夏にかけては、この山法師と梔子がともに白い花でもって競うことになる。