2026/5/17 ヴィオッティ×東響 ベートーヴェンとマーラーの「交響曲第1番」 ― 2026年05月17日 21:47
東京交響楽団 名曲全集 第217回
日時:2026年5月17日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
演目:ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調op.21
マーラー/交響曲第1番 ニ長調「巨人」
昨日の定期公演(サントリーホール)が新監督ヴィオッティとして初の演奏会であり、今日、同一プログラムを名曲全集でも取り上げた。ヴィオッティはこのあと川崎定期と特別演奏会でR.シュトラウスとラヴェルを披露する。これらが就任公演ということになろうか。
数年前、ノットの監督退任がそれとなく話題になっていたころ、後任の本命はヴィオッティかウルバンスキだろうと予想していたが、丁度その時期にヴィオッティに関するニュースがあった。首席指揮者を務めていたオランダ国立歌劇場(及びオランダ・フィルハーモニー管弦楽団)との契約を更新しない、その理由が「私生活と発展を優先させる」というものだった。
「私生活を優先させる」…となればスイス―オランダよりスイス―日本のほうが遥かに遠い。これでヴィオッティの東響監督就任は難しくなった。ウルバンスキが俄然有力となり、ダークホースとしてマリオッティかオラモもありうるのではないかと思った。
そうこうするうちに2024年の夏、突然、ロレンツォ・ヴィオッティが東響の次期音楽監督に就任するとの発表があった。就任のいきさつは徐々に明らかになるだろうが、オランダを退任する理由のなかの「発展を優先させる」との言葉を見落としていたようだ。もし“発展”のひとつの具体化が東響であるとするならこんな嬉しいことはない。
ヴィオッティの東響デビューは10数年前のウルバンスキの代役で、これが彼のプロ指揮者としてのデビューでもあった。2014年のこの演奏会は知らないが2019年のヴェルディ「レクイエム」は聴いた。腰が抜けるほどの衝撃だった。その後のドヴォルザークとブラームス、二つの英雄など、これはいよいよ只者ではないと確信した。
さて、その新音楽監督の第一声はベートーヴェンの「交響曲第1番」である。ベートーヴェンもブラームスほどではないにせよ最初の交響曲には苦労した。30歳くらいになってようやく交響曲は完成した。
ヴィオッティのベートーヴェンは解像度が高くキレのある素晴らしい演奏だった。開始楽章はひねりの効いた序奏からはじまり、主題の登場まで時間をかけ焦らしに焦らす。その後は溌剌として明快、全体的に弦よりも管を目立たせ木管楽器同士の対話を強調する。福井さんのファゴットの小刻みな動きもユーモラスだ。第2楽章はワルツ風の優美で可憐なカンタービレ、終盤のオーボエ荒さんとホルン上間さんのデュエットが美しい。メヌエットはもうスケルツォと呼んでいいほど、軽快にして大胆に音を散らす。柔らかな印象はなくユーモラス、大袈裟に鳴らされるバロックティンパニも楽しい。アタッカで最終楽章へ。スローテンポから徐々にスピードを上げスリル満点。東響のパワーが全開となりワクワクする。山響から東響に移籍した知久翔のフルートも美しい。終結はベートーヴェン節が炸裂し豊かな響きで大団円となった。
コンマスは景山昌太郎、弦の並びはノットの時と違い第1ヴァイオリンの隣に第2、中央にヴィオラ、舞台上手にチェロを置き、その後ろがコントラバスだった。
「交響曲第1番」に関してはマーラーとしても難産となった。調べてみると、20代の半ばから4年ほどかけて作曲され、初演は1889年ブタペストで行われた。その時は「2部からなる交響詩」と呼ばれ全5楽章で標題はなかった。その後、大小の改訂がたびたび行われ、最終稿まで10年ほどかかっている。まずはハンブルク稿で「交響曲形式の交響詩 巨人」と標題が付され楽章には副題をつけた。次いでがワイマール稿、楽曲構成は変わらないが副題が拡充され、楽器編成がハンブルク稿の3管から4管へと拡大された。続いてベルリン初演において初めて交響曲として改訂する。第2楽章の「花の章」が削除され全4楽章となり、標題も各楽章の副題も取り払われた。そして、最終稿はベルリン初演のあと1906年から1907年にかけ改訂され、ティンパニを2セットとするなど楽器編成の見直しも行われ、これが現在の演奏の標準形となっているようだ。
ヴィオッティは弦楽器のフラジオレットを極度の弱音で開始した。だから、否応なしに木管群の鳥の声が耳に残る。ちょっと極端すぎるのではないかと訝ったが、これが終楽章への伏線だった。レントラーは前楽章とは反対に弦楽器を思う存分鳴らした。コントラバスによる葬送行進曲は最初のテンポを与えたあと民謡風の旋律が現れるまで指揮棒を振ることはなかった。そのせいもあって聴き手はえらく緊張した、これは反則技だ。終楽章の激情は開始楽章の再現との対比で凄まじいクライマックスとなった。見事な演奏を聴いたというより得体の知れないとてつもないものに出会ったという感想だった。ヴェルディの「レクイエム」を聴いた時と同様の感触が蘇ってきた。
ヴィオッティはたんに才能のある優秀な指揮者というより、ある種の狂気を孕んだような感性と天賦の才とを合わせ持った若者である。彼の音楽を聴いていると、通り慣れた道であっても知らないところへ連れて行かれるような恐れと不安を感じるときがあった。音楽の密度は濃く個性的、戸惑う人もいるはずで賛否両論が喧しくなるだろう。
この先、老人が追いかけるべき指揮者かどうか自信がない。よほど体力を温存しておかないと耐えられない気がする。ショスタコーヴィチの交響曲などはどうなってしまうのだろう。とりあえずは怖いものみたさで期待をしておこう。
ヴィオッティは2028年からノセダの後任としてチューリッヒ歌劇場の音楽総監督に就任する。東響の音楽監督は秋山、スダーン、ノット、ヴィオッティと受け継がれてきた。東響事務局と楽団員の驚くべき慧眼にただただ敬服するばかりである。
2026/5/4 高橋勇太×MM21響 マーラー「交響曲第5番」 ― 2026年05月04日 21:13
みなとみらい21交響楽団 第30回定期演奏会
日時:2026年5月4日(月・祝) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:高橋 勇太
演目:R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
マーラー/交響曲第5番
R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。冒頭、弦と金管が一斉に力強く上昇し、精力的で活気に満ちた主題を提示し、ソロヴァイオリンがロマンチックな旋律を歌う。オーボエを中心とした木管たちが多様な彩りを加えると、それらをホルンの強奏が遮り、対抗するように英雄的なテーマが奏でられる。こういった楽器のやりとりが続き、そのうち音楽は暗く沈み込み事切れるように終わる。20代半ばで書いた出世作は、物語の展開や管弦楽の取り扱いなど、10年後の最後の交響詩「英雄の生涯」を予告している。
官能的で鮮やかな色彩とスピード感を合わせ持ち、音階をとてつもない速度で駆け上がったり、急ブレーキをかけたりして、弦管打楽器とも高度な演奏技術が必要なR.シュトラウス。この作家に挑戦するアマオケは、余程技量に自信があるのか、無謀な試みを趣味にしているのか、そのどちらかだろう。MM21響は以前も「家庭交響曲」などを取り上げており、“技量”も“無謀”も両方併せ持ったオケである。指揮の高橋勇太は難曲「ドン・ファン」をバランス良く鳴らし、アマオケ相手に破綻なく見事な仕上がりをみせてくれた。
マーラーの「交響曲第5番」は第3楽章のスケルツォを真ん中にして1・2楽章と4・5楽章が対称的に配置される。葬送行進曲からはじまり、憤怒が爆発し、舞曲が曲の中心におかれる。アダージェットはヴィスコンティの『ヴェニスに死す』で一躍有名になった。フィナーレは開放的にどこまでも明るく高揚する。
葬送行進曲はトランペット1本ではじまるから、奏者にとっては緊張するところだけど、まずまずの滑り出し。葬送の歩みは足を引きずるよう。途中の悲壮で激しく情熱的な部分を経て葬列が彼方に去って行く。次楽章の嵐のように荒ぶるところも悪くはなかったが、中間部のゆったりとした鄙びた旋律が美しかった。スケルツォではホルンのトップが舞台下手のハープの後方に移動して立奏、オブリガート・ホルンとして大活躍した。ここでも中間部の静かで幻想的なトリオが魅力的だった。アダージェットはハープと弦のみ、アマオケによるこれほど陶酔的な演奏は賞賛に価しよう。フィナーレはここまでのモチーフを変形しながら回想する。高橋勇太はどちらかというとオケを冷静にコントロールするほうだが、さすが徐々に熱量を増しつつコーダに向かって周到にクライマックスをつくった。
高橋勇太はテンポやダイナミクスに無理がなく息遣いが自然で好ましい。MM21響は金山隆夫や田部井剛なども指揮を執るが、高橋との相性が一番いいのではないかと思う。今日も期待を裏切らないMM21響の立派な演奏会だった。
2026/3/22 バッティストーニ×東フィル マーラー「復活」 ― 2026年03月22日 21:34
新宿文化センター合唱団演奏会
マーラー交響曲第2番「復活」
(東京フィルハーモニー交響楽団)
日時:2026年3月22日(日) 15:00開演
会場:新宿文化センター 大ホール
指揮:アンドレア・バッティストーニ
共演:ソプラノ/佐藤 康子
メゾソプラノ/脇園 彩
オルガン/高橋 博子
合唱/新宿文化センター合唱団
合唱指導/山神 健志
演目:マーラー/交響曲第2番「復活」
いまバッティストーニはマーラーをときどき振るけど、10年ほど前には全くレパートリーにしていなかった。代役として急遽「交響曲第1番」を東フィル定期で指揮したのが最初のはずである。それが素晴らしい演奏となり、東フィルの首席指揮者就任へのきっかけの一つとなった。
ところが、それから10余年、今度は2026年シーズン開幕の東フィル1月定期演奏会――皮肉にも演目は同じ「交響曲第1番」をバッティストーニがキャンセルするという事態を引き起こした。バッティストーニ側のエージェントの不手際によるダブルブッキングのせいと言われ批判を浴びた。東フィル事務局に落ち度がなかったのかどうかは分からない。
まったくもって下衆の勘繰りだが、バッティストーニはここ何年か首席指揮者としては定期演奏会への登壇回数が少ないし、名誉音楽監督であるチョン・ミョンフンのほうがオケの顔のようになっている。前任のダン・エッティンガーも似たようなものだったから、これが東フィルにおける首席の位置づけかも知れないけど、バッティストーニと東フィルとの関係がギクシャクしているように見えなくもない。
そんな騒動のあとバッティストーニと東フィルがマーラーの「復活」を取り上げる。東フィル主催ではなくて新宿文化センター再開を記念しての新宿文化センター合唱団の演奏会ではあるが、先行き波乱含みと勝手に思い込んでいるバッティストーニと東フィルによるマーラー「復活」は、この機会を逃したらなかなか聴くことは難しいだろう。ということでチケットを確保した。やはり完売公演となった。
あのときの「巨人」を思い出すと、バッティストーニは初めてのマーラーで急ぎ代役を務めたのだから、マーラーの交響曲全体を俯瞰したうえで革新的な交響曲である「巨人」を振ったわけではなかった。作曲家の成熟の成果など目もくれず若さにまかせて真正面からぶつかって行ったに違いない。情熱に満ちた驚くほど鮮烈な演奏だった。
それに比べるとこの「復活」はふくよかなたっぷりとした音楽で、各楽章を思う存分描き分け、歌唱が入ってからはオケとのバランスやテンポ設定などに細心の注意を払い、まるっと歌劇を聴いたような腹持ちのよい満腹感のある演奏となっていた。合唱は200人ほど、2人のソリストは貫禄の歌唱で、東フィルとの間にもぎこちない雰囲気は感じなかった。バッティストーニは各楽器のそれぞれに自己主張を求めながらオケをひとつの楽器としてまとめ、熱量の高い演奏を最後まで繰り広げた。
最近はあまり話題にならないが、かってはアンドレア・バッティストーニ、ミケーレ・マリオッティ、ダニエーレ・ルスティオーニの3人を「イタリア若手指揮者の三羽烏」と呼ぶこともあった。日本ではバッティストーニが東フィルの首席ということもあって圧倒的な露出度だが、マリオッティはここ数年、東響に客演して評判を高め、ルスティオーニは4月から都響の首席客演指揮者に就任する。世界における活躍をみるとバッティストーニはトリノ・レージョ劇場の音楽監督に加え、1月からはダブルブッキングの原因となったオペラ・オーストラリアの音楽監督を務めている。マリオッティはローマ歌劇場の音楽監督であり、この秋からはRAI国立交響楽団の首席指揮者を兼務する。ルスティオーニはフランス国立リヨン歌劇場の名誉音楽監督とともにメトロポリタン歌劇場の首席客演指揮者となった。いずれも順調にポストを固めつつある。3人ともこの先ますます多忙を極めると思うが日本の楽団との関係を維持してほしいものである。
2026/2/16 インバル×都響 マーラー「千人の交響曲」 ― 2026年02月17日 14:36
東京都交響楽団 都響スペシャル
インバル90歳記念
日時:2026年2月16日(月) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:エリアフ・インバル
共演:ソプラノⅠ/ファン・スミ
ソプラノⅡ/エレノア・ライオンズ
ソプラノⅢ/隠岐 彩夏
メゾソプラノⅠ/藤村 実穂子
メゾソプラノⅡ/山下 裕賀
テノール/マグヌス・ヴィギリウス
バリトン/ビルガー・ラッデ
バス/妻屋 秀和
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊
演目:マーラー/交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」
インバルが90歳にして都響とは三度目となるマーラー・ツィクルスに挑戦している。10年ほど前の二度目のツィクルスのときは番号順に3年くらいかけて完成した。あのときは東京と横浜で公演し、「第1番」と「第2番」は聴き逃したものの「第3番」以降「第9番」までをみなとみらいホールで聴いた。クック版の「第10番」や「嘆きの歌」も演奏されたがこれらはパス、「大地の歌」はツィクルスに含まれていなかったと思う。
今回は一昨年の「第10番」からスタート、昨年は中断し今年のこの「第8番」で再開となった。芸術主幹の国塩哲紀さんは2024年2月の都響HPで【インバル/都響 第3次マーラー・シリーズ】のプランについて、
「第10番から開始し、原則として番号を遡り、マエストロの選択により第2番《復活》か第9番のいずれかを最後にする計画です。
2024年度は、かねて計画していたブルックナー第9番フィナーレ付きと、コロナ禍でキャンセルとなったショスタコーヴィチ第13番《バービイ・ヤール》のリスケジュールのため、インバル氏のマーラー・シリーズはスキップし、2025年度から再開します。
インバル氏は基本的に年1回来日予定ですので、今回のマーラー・シリーズは数シーズンかけてのゆるやかな歩みとなります。いったいどのような旅となるか…。どうぞ気長におつきあいくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。」と記していた。
どうやら降順で演奏するようで来期は「第7番」が予定されている。けれど、年1回の来日では毎年1、2曲しか取り上げることができない。下手すれば完遂するに10年近くかかる。インバルはたしかにマーラーの権威であるにしても終わるころは100歳、こうなると化け物か妖怪である。もっとも同世代のメータやデュトワ、100歳近いブロムシュテットなどもまだ現役なのだから、インバルならきっと三度目のツィクルスを実現してしまうのだろう。
児童合唱はオケの後方、舞台奥に2列となって弧を描くように並ぶ。ソリストはスミ、ライオンズ、藤村、山下、ヴィギリウス、ラッデ、妻屋の順にP席最前列の中央に位置し、新国立劇場合唱団はソリストたちを取り囲むようにP席の前4列ほどを埋めつくす。オケは舞台からあふれるばかり、壮観である。「栄光の聖母」の隠岐彩夏は第2部の後半にLBの最上部で歌った。バンダはLCとLD、RCとRDの間の通路に、それぞれ金管奏者6、7人が出入りして吹奏した。
インバルはあいかわらずエネルギッシュで緩いところが全くない。強烈な推進力である。といって空回りしたり力余る様子はない。千人とはいかないが数百人の音楽家たちを完全にコントロールする。無理強いでも強制でもなく音楽そのものに語らせることによって人々を結集させる。音楽は自然に伸縮し息づき広々としている。インバルが振ると都響の音は見違えるほど精彩を放つ。歌手の一人一人が表現力豊かに変貌する。これはもうマジックである。1時間半にわたって祝典かつ神秘的な世界が繰り広げられた。
「千人の交響曲」というと、「宇宙が震え鳴り響くさまを想像してほしい。我々が耳にするのは、もはや人間の声ではなく、惑星や太陽の運行なのです。」とマーラーがメンゲルベルクへ送った書簡が有名である。前代未聞の大編成による音響と視覚的な仰々しさ(初演時の演奏者は1030人)、上演するに難易度が高いこともあって催事の音楽として扱われやすい。実際、オケの創立記念公演とか定期演奏会の節目とかに演奏されることが多く、今回も“創立60周年記念”とか“インバル90歳記念”とか銘打たれてある。
しかし、この曲の第1部は交響曲様式である厳格なソナタ形式で書かれ様々な主題が提示される。第2部ではその主題たちが発展しながら再登場する。プログラムノートで岡田暁生が「第1部は一種の序曲として機能している」と書いているが、第1部の讃歌「来たれ、創造主」によるラテン語も第2部の『ファウスト』からのドイツ語も詳しくは知り得ないものの、対訳を見ながら音楽を聴くと1部と2部とのテキストの間には意味内容の対応関係があるように思う。当然、音楽の主題と言葉には関連性があり、そのことによって聴き手のエモーションが高められて行く。けっして虚仮威しだけの催事用音楽ではない。
なかでも「神秘の合唱」で大団円を迎えるコーダの部分は、第1部の冒頭主題が回帰し、永遠の女性的なるものが「われらを高みへと引き上げる」と何度も上行音形として繰り返され、「永遠に!永遠に!」と歌われる。このまま音楽によって天上に魂が引き上げられるのではないかと身震いするほど。今までのインバルであればクライマックスだからといってことさら力を込めたり見得を切ったりはしないのだけど、今回はかなりテンポを落とし楽譜の隅々にまで光をあてるような演奏だった。やはり90歳の誕生日におけるマーラー「交響曲第8番」は特別な感慨を齎すものだったのだろう。
終演後、インバルが何回か舞台へ呼び戻されたあと、コンマス・矢部達哉のリードによるオケと歌手全員から「Happy Birthday to You」をインバルにプレゼント。そして、幾つもの花束贈呈があり、あろうことかバースデーケーキまでが登場し、観客も加わり大騒ぎのなか「インバル90歳記念」公演が終了した。
2026/2/13 トッパン・ランチタイムコンサート シューマン「ピアノ四重奏曲」 ― 2026年02月13日 16:34
ランチタイムコンサート Vol.138 特別企画
1909年製ベーゼンドルファーの息吹 II
日時:2026年2月13日(金) 12:15 開演
会場:トッパンホール
出演:ピアノ/佐藤 麻理
ヴァイオリン/瀧村 依里
ヴィオラ/田原 綾子
チェロ/築地 杏里
演目:マーラー/ピアノ四重奏曲断章 イ短調
シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.47
トッパンホール・ランチタイムコンサートの特別企画。副題にある“ベーゼンドルファー”とはフランツ・リストへの敬愛をこめて「リスト・フリューゲル」の愛称で親しまれていたモデル250のこと。通常のモダンピアノよりも4鍵盤拡張された92鍵で、ウィーン国立歌劇場内のリハーサル室で使用されていたという。日本へは2012年頃輸入されたものらしい。このピアノを用いてピアノ四重奏曲を2曲披露してくれた。
12時20分になって背丈がほぼ同じ4人の女神がにこやかに登場した。このなかで田原綾子は何度も聴いたことがある。田原は一番の笑顔で挨拶、演奏中も目立つほど身体を揺らし表情も豊かであった。
最初はマーラーの若書きの断章。ウィーン音楽院在籍中の16歳のときの習作で第1楽章のみが残され、マーラーの室内楽曲では現存する唯一の作品。この断章はディカプリオ主演の映画『シャッター・アイランド』のなかで使われ、「これはブラームスか」「いや、マーラーだ」という印象的な会話が交わされていた。
開始はピアノがテーマの断片を奏でる。ピアノは深く重い低音、柔らかな中音、キンキンしない上品な高音と、全体に重厚でしっとりとした響きを聴かせる。ピアノを弾いた佐藤麻理はウィーン国立音大の講師を務めているという。ピアノに次いで弦楽器が加わりながら全体を形成していく。弦楽器は圧倒的にヴァイオリンが優位で、とくにコーダのカデンツァでは暗く耽美的な楽想を歌い、悲劇を予感させるように終わる。ヴァイオリンの瀧村依里は読響の首席奏者。
なるほど、この曲は若さが溢れるというよりは内省的で、ピアノの伴奏の上を弦楽器が呟いているよう。たしかに、何も知らずに聴かされたら「マーラーだ」と答えることは難しく、やはり「ブラームスか?」と尋ねることになりそうだ。
2曲目はシューマン。シューマンの室内楽曲というと「ピアノ五重奏曲」しか知らない唐変木だが、この「ピアノ四重奏曲」は「弦楽四重奏曲」「ピアノ五重奏曲」に続いて「室内楽の年」の最後に書かれた。因みにプログラムノートによればシューマンの作品を辿ると1840年が「歌曲の年」、41年が「交響曲の年」、42年が「室内楽の年」だという。
第1楽章は序奏付きで、主題が提起されそのあとアレグロの快活な音楽が展開する。第2楽章は無窮動的なスタッカートで緊張感が漂う。とくにチェロのパッセージは見た目にも軽業のよう。チェロの築地杏里はクァルテット・インテグラにいてミュンヘンやバルトークなどのコンクールで名を馳せたあと、今はフリーランスの奏者として活躍している。第3楽章は感動的なアンダンテ・カンタービレ、幸せに満ちた過去や現在を各楽器が奏でていく。とりわけ田原のヴィオラの旋律に聴き惚れる。エンディングの手前ではチェロが弦を低く調弦し直すという見所があり、調弦後のチェロの持続音が耳に残る。第4楽章は明るいフガートから始まる活き活きとした音楽。4人の女神それぞれの創意工夫のフガートが興奮を高め華麗なコーダで幕が閉じられた。
ひょっとしたらシューマンは楽器が積み重なる交響曲より、楽器が制約された室内楽や歌曲のほうがより楽しめる作曲家なのかも知れない。