プロジェクト・ヘイル・メアリー2026年04月07日 16:35



『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

原題:Project Hail Mary
製作:2026年 アメリカ
監督:フィル・ロード
   クリストファー・ミラー
脚本:ドリュー・ゴダード
音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:ライアン・ゴズリング、ザンドラ・ヒュラー、
   ライオネル・ボイス、ジェームズ・オルティス


 原作はアンディ・ウィアーによる同名のベストセラー小説で、SF分野ではかなり有名な本らしいけど未読。映画の予告編もあえて見逃し、ライアン・ゴズリングとザンドラ・ヒュラーが出演するということだけでぶっつけ本番、白紙のまま鑑賞した。
 以前、ゴズリングがエミリー・ブラントと共演するからと観に行った『フォールガイ』と同じようなものだ。ザンドラ・ヒュラーはドイツ出身、『落下の解剖学』にとても感心した。ゴズリングとどのような丁々発止をするのか期待は大きい。

 アンディ・ウィアーは映画との関係ではマット・デイモン主演の『オデッセイ』において原作『火星の人』を提供している。脚本を書いたドリュー・ゴダードも『オデッセイ』の台本を担当した。科学的なリアリティと人間ドラマを両立させるには万全の布陣である。
 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』については、事前に本に目を通しておけばアストロファージとかペトロヴァ・ライン、タウメーバやキセノナイト、何より惑星エリドとエリディアン文明などの詳細が知識となり、別の楽しみ方が出来たかも知れない。いやいや、そうはしなかったけど、この映画は映画として最高であって大満足の一作だった。

 「ヘイル・メアリー」とは「アヴェ・マリア」の謂いで、英語圏では「イチかバチか」「神頼み」の意味で使われることがあるという。未知の物質によって太陽が衰え、地球は氷河期に突入し全生命の滅亡まであと30年しかない。人類を救うミッションの責任者ストラット(ザンドラ・ヒュラー)は科学教師グレース(ライアン・ゴズリング)らを宇宙船ヘイル・メアリー号に乗せ、はるか11.9光年彼方の不思議の星タウ・セチへと送り込む。人類の存亡を賭けたプロジェクトに挑むグレースと宇宙で出会う異星人との連帯と奮闘が描かれる。ファースト・コンタクトものでもある。
 人類の滅亡という重いテーマだけど、映画の感触はポジティブでユーモアに溢れ、ポップな画面やファンタスティックな映像にワクワクする。宇宙での現在と地球での過去の出来事が交錯し、だんだんと事態が明らかとなり物語が姿を現す。荒唐無稽なスペース・オペラではあってもSF的要素は物語の背景であり、主題は境界のない友情あるいは無償の愛あるいは正真正銘の自己犠牲である。それも惑星をこえ、種をこえた、とてつもなく大きな友情と愛と自己犠牲の物語。
 主人公のグレースは決して勇敢でも偉大でもない、臆病で責任など引き受けたくもない現実逃避型のそこらじゅうにいる普通の人間、そのヒーローらしからぬヒーローの振舞いをゴズリングが好演する。『ファースト・マン』の重さとは真逆であって、ちょっと軽めのコミカルな役どころを奥行きをもって演じる。ザンドラ・ヒュラーはやはりピリリと辛め、ゴズリングとの複雑な感情のやりとりは見応え十分ながら絡みはわずかなのが残念。その代わりゴズリングのほとんど一人芝居をたっぷりと楽しむことができる。
 もう一人の主人公が異星人のロッキー、岩のような見かけだからグレースが名付けた。形はゴツイ蜘蛛のようにもみえる。どうやら視覚を備えていなくて潜水艦におけるソナーのごとく音で世界を認識している。この造形が滅茶苦茶可愛い。CGでなくてパペットを使ったようで存在感十分、映画『ロッキー』同様、何度倒されてもけっして挫けない。理性的で理屈っぽい地球外生命だけど友情と愛と自己犠牲は人間以上、その表現や仕草が愛おしい。

 画中、小ネタもいろいろ楽しめる。
 グレースとロッキーとのファースト・コンタクトのとき、『未知との遭遇』におけるUFOが意思疎通に使った音階をグレースが口ずさみロッキーが反応する。
 ロッキーとコミュニケートする際にグレースが踊るダンスは『ラ・ラ・ランド』でみたような。
 グレースがロッキーと会話するための音声変換で試しにメリル・ストリープの声を聞かせる。グレースは「名優だな」と呟く。メリル・ストリープの声だけのカメオ出演である。ロッキーの声は最終的にはジェームズ・オルティスが務めるのだが、オルティスはパペットであるロッキーの操演が本職らしい。
 地球救済のためのデータと試料を地球に送るための小型無人探査機の名前が「ビートルズ」、4機ありジョン、ポール、ジョージ、リンゴという名前がついている。
 などなど遊び心がいっぱい。これらの幾つかは原作に書かれているのだろうか?

 そして、音楽が素晴らしい。担当はイギリスのダニエル・ペンバートン、挿入曲のセンスが抜群で泣かせる。
 映画を観終わってから調べたのだけど、ロック、タンゴからフォルクローレ、マオリ民謡まで、歌詞が字幕で紹介されることもあり、どうしてこうも物語にぴったりの曲を探し出したのかと驚くほど。
 宇宙船のなかで一人ぼっちになり、孤独と絶望に打ちひしがれるグレースが聴くクリス・クリストファーソンの「Sunday Mornin’ Comin’ Down」、アコースティックギターの爪弾きと哀愁の歌声が心に沁みる。
 グレースとロッキーの宇宙船が同期しながら回転するときにアルゼンチン・タンゴの名曲「El amanecer」が流れる。
 プロジェクトの責任者ストラットがカラオケで歌うハリー・スタイルズの「Sign of the Times」、非情なはずの彼女がふと温かい人間の顔をみせる。このシーンのために歌詞があるのでは、と錯覚するほど意味深い内容である。
 グレースとロッキーがそれぞれの惑星に帰るときには、マオリ族の民謡「Po Atarau」(Now Is The Hour)を使う。素朴な別れの歌が涙を誘う。
 小型探査機「ビートルズ」が地球に打ち出されるときには「トゥ・オブ・アス」が歌われる、“僕らは帰る途中、僕らは帰る途中…”もちろんビートルズの。
 エンドクレジットにはアイク&ティナ・ターナーのゴスペルソングである「Glory, Glory」が重なる。苦難の旅路のあとである、”重荷は降ろした、栄光あれ、ハレルヤ、もう家に帰ろう”と。
 挿入曲は以下のサイトでまとめて確認することができる。

https://filmmusik.jp/project-hail-mary/

 監督のロード&ミラーの映像は軽やかなコミック調でありながら俳優やパペットの表現によって主題をどんどん膨らましていく。とんでもなく残酷で救いようのない状況だからこそ、その友情や愛や自己犠牲によけい泣かされ笑わされる。小さな勝利のたびにグレースとロッキーとで生命維持防具をはさんでグータッチやハグが繰り返される。そのたびに感情が抑えきれなくなって困った。
 ロード&ミラーはウォシャウスキー姉妹やコーエン兄弟のようなふたり組の監督だけど詳しくは知らない。映画ではアニメーションの監督・脚本でスタートし、過去にはアニメ「スパイダーマン スパイダーバース」で破天荒な映像表現を創作したという。アニメ制作で鍛えただけあって誇張や軽薄さを恐れない。だからこそ、常識をこえたロッキーという異星人を容易にあやつりパペットに命を吹き込むことができたのだろう。ピノキオをつくったゼペット爺さんみたいなものだ。若き監督ではあるけど才能の塊、革新的な映像クリエーターである。
 
 ありきたりの臆病な人間が異星人とともに全生命の救済をめざして闘う。かけがいのない異形の友と一緒に困難を克服していく。過酷で絶望的な環境であってもユーモアを忘れず、友情、愛、自己犠牲といった使い古された主題を高めていく。
 映画のなかの出来事だと分かってはいても、前向きで楽天的で諦めることを知らない彼らに拍手喝采し、人間はまだまだ捨てたものではないと思う。たとえ幻想だとしても艱難辛苦の先に良き世界があり、勇気や希望を失ってはならないと言い聞かせてみたくなる。これって凄いことじゃないか。
 映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、原作の小説を読んでから再度観たい。しかし、文庫本上下巻で計900頁を超える大部を上演期間中に読み切る自信がない。
 この映画の製作はAmazon MGMスタジオだから、半年か1年後にはPrime Videoで公開されるだろう。それまでに読破すればPrime Videoで見直すことはできる。
 そうと決まれば、近々もう一度大型画面で観てもいいのではないか、と思案している。

2025/12/20 沼尻竜典×神奈川フィル ベートーヴェン「第九」2025年12月20日 20:20



For Future 巡回公演シリーズ横浜公演
       ベートーヴェン「第九」

日時:2025年12月20日(土) 14:00開演
会場:みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:トランペット/林 辰則
   オルガン/小島 弥寧子
   ソプラノ/伊藤 晴
   メゾソプラノ/山際 きみ佳
   テノール/チャールズ・キム
   バリトン/青山 貴
   合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:J.S.バッハ/18のライプツィヒ・コラール集より
       「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」
   J.S.バッハ/オルガン小曲集より
       「われらキリストを讃えまつらん」
   ヘンデル/組曲ニ長調HWV341より
       Ⅰ.序曲 Ⅲ.エア Ⅳマーチ
   ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125
       「合唱付き」


 沼竜典尻はデビュー間もない頃に集中して、その後は断続的に、そして神奈川フィルの監督となってからは継続的に聴いているが、彼の「第九」は初めて。
 以前、『ぶらあぼ』のインタビューで監督は、“「昭和の第九」をやりたい。例えば1楽章の最初は宇宙の始まり、そのあとビックバンが来るようでないと物足りない。シュタイン、サヴァリッシュ、マタチッチ、スウィトナーのような、自分が聴いて育ったタイプの音楽を求めている。若い頃は、突っ張って「最新の研究に基づく第九はこうです」というような演奏をしていたこともあった。でも結局、自分の原点に戻ったのだと思う”と語っていた。
 若いころの沼尻の「第九」は知らないが、“シュタイン、サヴァリッシュ、マタチッチ、スウィトナーのような”とは頼もしい。昭和生まれとしては望むところだ。

 なるほど、揺るぎのないずっしりとした堂々たる演奏で、昭和の時代をブラッシュアップした見事な「第九」だった。昭和に比べればオケの性能は圧倒的に向上しており、今は地方オケでさえ当時のN響を凌ぐくらいの実力がある。合唱はプロの精鋭たち。ソリストも一級で、昔の古き良き「第九」を思い出しつつ、一段とパワーアップした精密で重厚なベートーヴェンを堪能することができた。
 神奈川ハーモニック・クワイアは岸本大が率いた各声部10人ずつの計40人、数としては決して多くはないが、プロ歌手だから声量が格段に違う。体格や姿勢、年齢からしてもアマチュアとの差は歴然としている。ソリストのうちバリトンは先だっての「ラインの黄金」でヴォータンを歌った青山貴、テノールはフロー役のチャールズ・キム、女性陣も優秀で4人のバランスが素晴らしく感動的な“合唱”だった。

 前半は小島弥寧子が弾くバッハの2曲のオルガン作品と、そのオルガンを伴奏にしたヘンデルのトランペット組曲の抜粋が演奏された。トランペットは首席の林辰則、相変わらず達者な腕前である。
 15分の休憩をはさんで「第九」。合唱団は最初から待機し、ソリストは第4楽章の演奏中に登場した。もちろん昨年の大植「第九」のように軽く演技をしながらではなく、ごく普通の入りである。コンマスは石田泰尚、弦の編成は14型だった。

 ところで、みなとみらいホールの空調(暖房)は少々きついのではないか。ウインドブレーカーを脱いだだけでは暑くてしかたない。セーターも膝の上に置いてシャツ一枚となって聴いた。体調のせいだろうか。見渡すとコートを着たまま視聴していた人も居たから場所によって違うのかも知れない。それに寒暖の感じ方は人それぞれ、適温かどうかについて本当のところは何ともいえないが、ミューザ川崎のほうが上手く空調管理されているような気がする。

2025/9/13 シュルト×神奈川フィル リスト「ファウスト交響曲」2025年09月13日 20:57



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第407回

日時:2025年9月13日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:クレメンス・シュルト
共演:トランペット/エステバン・バタラン
   テノール/村上 公太
   男声合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:アルチュニアン/トランペット協奏曲変イ長調
   リスト/ファウスト交響曲 S.108


 この夏は毎週のようにアマオケ通いだった。久しぶりに神奈川フィルの定期演奏会を聴く。指揮のクレメンス・シュルトはドイツ生まれの俊英、現在、カナダのケベック交響楽団の音楽監督。日本でもすでに読響、新日フィル、名フィル、京響、広響などを振っている。神奈川フィルへはリストの「ファウスト交響曲」をひっさげての登場となった。

 最初はアルチュニアンの「トランペット協奏曲」。ソリストのエステバン・バタランはスペイン出身のシカゴ響の首席、一時フィラデルフィア管の首席も務めた。もともとアメリカのオケは金管が強力、なかでもシカゴ響は最強といわれる。その首席奏者であるからには期待が高まる。
 アルチュニアンの協奏曲はハイドンやフンメルと並んで有名だけど、戦後に作曲された比較的新しい楽曲。もっともゲンダイ音楽の語法ではなくて、出身地アルメニアの民謡を取り入れた親しみやすい旋律とリズムにあふれている。
 とはいえソロパートは高速タンギングや旋律の大きな跳躍があり、リズムの表現力、緩徐部分の音色、終結部のカデンツァなど難関がいくつもある。バタランは抜群の安定度で、いとも容易く軽々と吹奏する。輝かしくも多彩な音色、滑らかな音量変化、鋭い音から典雅な音まで、びっくりするほどの手練れで、曲が終わると同時に会場は大騒ぎとなった。

 リストの「ファウスト交響曲」は演奏するに1時間をゆうに越え、声楽も必要だから実演の機会が少ない。過去に一度だけ生演奏に出会っている。ただこの時、前半のアッカルドが弾いたパガニーニの協奏曲が驚異的な演奏だったので、大曲「ファウスト交響曲」の記憶が霞んでしまっている。指揮は井上道義、オケは名フィル、もう何十年も前の出来事である。
 で、ちょっと予習をした。普通は「ファウスト交響曲」と呼ばれるが、正式には「3人の人物描写によるファウスト交響曲」と名づけられている。3人とは戯曲『ファウスト』の主要人物である「ファウスト」と、恋人である「グレートヒェン」、そして悪魔の「メフィストフェレス」である。『ファウスト』の物語を忠実に追うわけではなく、それぞれの人物を音で描写する。
 ファウストを描いた第1楽章は真理を探求するファウストの多面的な性格を複数の主題で表現する。第2楽章はかつての恋人だったグレートヒェンの清純な美しさを抒情的に描いている。第3楽章の悪魔メフィストフェレスは、ファウストの主題をパロディ化し、人間性を嘲笑い、卑しめ、破壊するグロテスクな音楽となる。ただし、グレートヒェンの主題だけは変形されず悪魔も手を出せない。このグレートヒェンの主題が終盤の「神秘の合唱」となる。
 シュルトは大きな身振りで情熱的な指揮ぶりだが、真面目に拍子をとってわかりやすい。地味な音づくりでスタートしながら徐々に温度を高め、メフィストフェレスでの音楽は燃えさかるよう。そして、「神秘の合唱」ではオルガンが鳴り、テノール独唱と男性合唱が高らかに歌い上げ、グレートヒェンの主題が全てを救済して感動的な幕切れとなった。
 「ファウスト交響曲」とは、この最後10分の「神秘の合唱」ために、その前の1時間が必要であったということをシュルトは教えてくれた。シュルトは口髭、顎鬚を蓄え、40歳ではあるけれど身体は引き締まり好青年と呼びたいほど。神奈川フィル(コンマスは読響の戸原直)も柔軟な演奏で応えて初顔合わせとは思えない。このコンビでの再共演を望みたい。

 なお『ファウスト』の結尾「神秘の合唱」は森鷗外の翻訳が「青空文庫」にある。
    一切の無常なるものは
    ただ影像たるに過ぎず。
    かつて及ばざりし所のもの、
    こゝには既に行はれたり。
    名状すべからざる所のもの、
    こゝには既に遂げられたり。
    永遠に女性なるもの、
    我等を引きて往かしむ。

9月の旧作映画ベスト32024年09月30日 13:37



『マイ・ボディガード』 2004年
 監督は『トップガン』のトニー・スコット。原作はイギリスのA・J・クィネルが発表したバイオレンス小説「燃える男」。心に傷をもつ元CIAエージェントのクリーシー(デンゼル・ワシントン)が、誘拐された少女ピタ(ダコタ・ファニング)を命懸けて守る。物語はメキシコの治安問題や人身売買といった社会的テーマを潜在させながら、単なるアクション映画に留まらない。ありきたりの復讐とは違って贖罪と救済の展開に震えるような感情を掻き立てられる。デンゼル・ワシントンが圧倒的な存在感をみせる。ダコタ・ファニングはこのとき10歳、たんに可愛いばかりでなくその成熟した演技は驚嘆にあたいする。映像面でも動き回るカメラやジャンプカット、クイックズームの多用など、主人公の感情に合わせた大胆な視覚化に挑戦しており、時代を先取りしたような画面効果が新鮮だ。トニー・スコットにはもっと生きてほしかった。

『グレイテスト・ショーマン』 2017年
 「地上でもっとも偉大なショーマン」と呼ばれた19世紀実在の興行師バーナムの人生を描いたミュージカル。主演はヒュー・ジャックマン。共演するゼンデイヤやミシェル・ウィリアムズ、レベッカ・ファーガソンなどの女優陣も魅力的。貧しい仕立て屋の息子であるバーナムは家族を養うために様々な挑戦を経て「バーナム博物館」を開く。しかし博物館の客足はのびず失敗。日陰者たちを集めた「見世物小屋」を思いつき、特異な人たちのサーカスが成功を収める。ここから彼の人生は大きく変転する。道徳性や倫理性などという野暮なことは棚上げして、そのまま音楽、踊り、演技、映像が融合したエンターテインメントを楽しめばいいと思う。音楽は『ラ・ラ・ランド』の製作チームが手がけ、楽曲はいずれも親しみやすく、主人公たちの内面的な葛藤や成長に寄り添い強い共感を呼ぶ。監督は本作が実質映画デビューのマイケル・グレイシー。

『イコライザー THE FINAL』 2023年
 70歳のデンゼル・ワシントン、30歳を目の前にしたダコタ・ファニングが19年ぶりに共演。イコライザー・シリーズの最終章。舞台はイタリア、アマルフィ海岸やナポリ、ローマなどの風景が美しく物語に華を添える。シチリア島の事件で負傷した元国防情報局のマッコール(デンゼル・ワシントン)は、アマルフィ海岸沿いの田舎町にたどり着く。温かい町の人々に救われた彼はここを安住の地にしたいと願う。しかしその町にもマフィアが迫りマッコールは大切な人々を守るため再び立ち上がる。ダコタ・ファニングはCIAエージェントを演じるが、どうしても彼女でなければ、という役柄とはいえず居心地が悪い。『マイ・ボディガード』の少女はダコタ・ファニング以外は考えられないほどの凄みだったけど。エリザベス・テイラーやジョディ・フォスター、ナタリー・ポートマンなどの例はあっても名子役が大成するのは難しい。

『レコード芸術』が復刊――Web版2024年07月25日 14:06



 昨年7月に休刊した『レコード芸術』(音楽之友社)が、今年4月にクラウドファンディングを実施し、目標額の1,500万円を達成したことで、この9月からオンライン版で復刊するという。
 クラシック音楽の録音・録画メディアのポータルサイト『レコード芸術ONLINE』として生まれ変わるわけだ。新譜月評、新譜一覧、執筆陣による講座、アーカイヴ連載などを月1,100円(予定価格)で提供、一部無料記事も掲載する。もちろんレコードアカデミー賞も装いを新たにして継続する。

 ただ、『レコード芸術』休刊時には3,000人ほどの復活嘆願書が集まって話題になったけど、今のところオンライン版の購読予定者は800人程度らしい。これでWeb版の継続が可能かどうかについてはよくわからない。 
 しかも、この先どれほどの有料購読者の増加が見込めるのか。音楽の聴き方が音盤からストリーミングやインターネット経由のダウンロード再生などに変化しており、CDやDVDの売上げも随分減っているはずだ。
 専門家による音盤評価や連載記事がクラシック音楽の普及に役立っているとは言っても、時代の趨勢とはズレがあるような気がしないでもない。

 一方、演奏会情報としては、同じ音楽之友社の『音楽の友』がある。紙媒体で発刊し、音楽ニュースや演奏家インタビュー、演奏会日程、演奏会時評などを提供しているが、これも将来にわたって安泰かどうかは難しいところである。
 正直、公演情報だけであれば『ぶらあぼ』で十分である。Netと紙媒体とを連携させ、最新の業界ニュースから注目公演の紹介、コンサート検索など知りたい情報が網羅されている。
 『音楽の友』は戦前の創刊で80年以上の歴史があり、発行部数10万部、『ぶらあぼ』は創刊して30年、発行部数3万5000部である。『音楽の友』のほうが断然優勢のようだけど、『レコード芸術』だって公称10万部であったのにこの有様である。実売部数は公称する発行部数の何分の1かに過ぎない。それに『ぶらあぼ』は広告収入による運営だから無料コンテンツであることが何よりの強味だ。

 出版業界の販売不振は深刻で、とりわけ雑誌の売上は1997年を頂点に四半世紀のあいだ連続してマイナスを記録し、販売額はピーク時の3分の1以下に落ち込んでいる(出版科学研究所)。
 とうぜん音楽之友社についても雑誌衰退の影響をモロにかぶっている。老舗、音楽之友社といえども生き残るためにはデジタル化の充実を含め一層の工夫が必要だろう。