2026/4/12 大井駿×春オケ ベルリオーズ「幻想交響曲」2026年04月12日 21:48



Orchestra of Spring flat PROJECT vol.7

日時:2026年4月12日(日) 13:30開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
指揮:大井 駿
演目:サン=サーンス/交響詩「死の舞踏」
   ロイド=ウェバー/交響組曲「オペラ座の怪人」
   ベルリオーズ/幻想交響曲


 大井駿は気になる音楽家の一人である。ピアニスト、古楽器奏者であり、広島の次世代指揮者コンクールにて優勝し、そのあとハチャトゥリアン国際コンクールで第2位となった。文筆活動にも積極的である。
 大井は今シーズン、といっても来年の1月、東響の名曲全集に登場するけど、その前にアマチュアのOrchestra of Spring(春オケ)を振るというのでチケットを取った。東響の名曲全集といえば2月には喜古恵理香がラーンキと共演するから、この両公演は今から待ち遠しい。
 そう、喜古についても数年前に春オケを相手にしたコンサートを聴いた。春オケは設立して10年ほどの新しいアマオケだが、有望な若手指揮者を招聘して演奏会を開いてくれる。

 今日は「定期演奏会」ではなく「flat PROJECT」というシリーズ。春オケのHPによると、「flat PROJECT」とはクラシックに馴染みのない人も気軽に立ち寄れる演奏会のことらしい。今回のテーマは「ゴシック・ロマンス」、“怪しくも楽しく、哀しくも美しい…そんな、音楽が描く魅惑の舞台へ”と謳っている。だから「幻想交響曲」に併せて「オペラ座の怪人」などが演目に入っている。各曲の開始前には堀井秀子さんのナレーションがついた。

 まずはサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」。ヴァイオリンとピアノ曲にアレンジされたりピアノ独奏曲にもなっており、管弦楽のヴァイオリンソロは変則調弦された楽器で弾く。コンマスの役割は大きい。
 コンマスは黒いガウンを頭から被り仮面をつけて指揮者と一緒に登場した。楽曲の不協和音は死神を表現しているというからそれに仮託した衣装かも。曲は「怒りの日」の主題が現れたり、シロフォンによる骸骨のぶつかり合う音や明け方の鶏の鳴き声などの描写があって分かりやすい。
 大井は小泉和裕と同じように下半身ほぼ不動で上半身のみをゆったりと動かし、音楽は先を急ぐことなく悠然と進む。若いのに老成した練達の指揮ぶりにみえる。

 「オペラ座の怪人」は舞台ではなく映画で観た。ジェラルド・バトラーがファントム役で、今思うとバトラーが歌ったなんてちょっと信じられない。
 音楽の始まりは上昇音型から下降音型へとミューザのパイプオルガンとオケが派手に鳴る。オルガンの奏者は澤菜摘。この4月、大木麻理の任期満了に伴いホールオルガニストに就任した。
 ミュージカル界の巨星・ロイド=ウェバー作曲の「オペラ座の怪人」組曲は何種類かあるが詳細は不明、演奏時間30分程度の抜粋版だった。大井は序曲と終曲を迫力十分に響かせ、途中は対比させるように切ないメロディーラインを美しく際立たせた。

 「幻想交響曲」はフルネ以前はほとんど記憶に残っていないが、フルネ以降はエッティンガー、スダーン、デュトワ、R.アバドや川瀬、下野などをよく覚えている。トルトゥリエなど期待外れもあったけど。
 「幻想交響曲」となると、大井はさすが下半身不動というわけにはいかず、各パートにしっかり身体を向け上半身の身振りも激しくなった。音楽の骨格は太くがっしりしており、音の増量も減量もスムーズで作為を感じない。各楽器の輪郭は明確で歩みは悠々としてテンポを神経質に動かさない。それでいて起伏の作り方が上手いからドラマチックに盛り上がっていく。
 大井はオケに無理をさせているようにはみえないけど各楽器が非常によく鳴った。例えば第3楽章のクラリネットの超高音域、イングリッシュホルンと舞台外のオーボエとの掛け合い。第4楽章の行進曲におけるティンパニ2組、バスドラム2個を並べた打楽器のめざましい働き、最終楽章となると「怒りの日」のファゴットやクライマックスへ向けてのホルン、トロンボーン、チューバなどの金管群の咆哮など。アンサンブルや技術に多少の難があっても音楽として崩れることがないのには感心した。春オケの各奏者も大健闘であった。

 大井駿は傑出した若手指揮者の一人であると確信した。東響との演奏会はまだまだ先ながらモーツァルトの「交響曲第39番」とR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲などが予定されている。とても楽しみである。

2026/1/12 下野竜也×東フィル 東京音コン優勝者コンサート2026年01月12日 22:11



第23回東京音楽コンクール 優勝者コンサート

日時:2026年1月12日(月) 15:00 開演
会場:上野文化会館 大ホール
指揮:下野 竜也
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:朝岡 聡
出演:クラリネット/三界 達義
   テノール/チョン・ガンハン
   ピアノ/本堂 竣哉
演目:ニールセン/クラリネット協奏曲 Op.57
   ヴェルディ/「椿姫」より
        「燃える心を」
   ビゼー/「カルメン」より
        「おまえが投げたこの花は」
   レハール/「微笑みの国」より
        「君こそ我が心のすべて」
   ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調
        Op.73 「皇帝」


 新年、初っ端は東京音楽コンクール優勝者のお披露目コンサート。伴奏は下野竜也が指揮する東フィルで、司会進行は朝岡聡が務めた。

 最初はクラリネットの三界達義。三界さんはすでに広響の首席奏者。曲はニールセンの「クラリネット協奏曲」。編成が変わっていて、弦5部にホルンとファゴットが2本、打楽器は小太鼓のみ。曲自体はまさに20世紀音楽そのもので調性もリズムも不安定で辛辣、歪んだり軋んだりしながら進行し、すんなりとは耳に入ってこない。クラリネットにとっては難物だということが知れるばかり。三界さんはこの低音域から高音域までの大変な曲を巧みに吹きこなす。その技に感心しているうちに、単一楽章25分の楽曲が終わった。

 次のチョン・ガンハンは21歳、ソウル大学に在学中。声楽を志したのは16歳のときというから、まだ5,6年しか学んでいない。なのに質感のある密度の高い声、伸びのある超高音に聴き惚れる。3曲とも愛の歌、相手の女性のタイプは異なるものの、それぞれへの愛を歌いあげた。チョン・ガンハンは体格からして立派で音量豊富。歌の表情はまだまだこれからだとしても大成すること間違いない。今日、ワーグナーはなかったけどヘルデンテノールとしても有望ではないか。将来が非常に楽しみだ。韓国は近年声楽のみならず器楽においてもコンクールの優勝者を輩出している。往年の日本のようになってきた。

 最後はピアノの本堂竣哉。藝大の4年生だからチョン・ガンハンとほぼ同世代。だけど体型は大人と子供、華奢で小柄。ところが演奏となればベートーヴェンとがっぷり四つに組んで、それはそれは見事な「皇帝」を披露してくれた。音は煌めくように輝きに満ち、曖昧なところが一切なく美しく綺麗。その音でもって繊細な弱音から豪胆な強音まで滑らかに弾き分ける。下野×東フィルも勇壮なだけに終わらず切れ味のあるあたたかな伴奏で盛り上げる。下野は先だっての「幻想交響曲」でも感心したけど音楽の組み立てが堅牢で、構えも一回り大きくなっている。第1楽章の直後、会場からかなりの拍手が起こったのも無理はない。第2楽章の静謐な夢見るような情感、第3楽章の躍動感あふれるピアノさばきなど、どんどんその演奏に引き込まれてしまった。コンクールにおいて聴衆賞を獲得したというのも納得である。終演後のインタビューでは天真爛漫というか天衣無縫、グレン・グールドが好きで5歳で「ゴルトベルク」を弾いたと笑って言う。天才肌というべき逸材の誕生である、新年早々大いに悦びたい。

2025/11/9 デュトワ×N響 メシアンとホルスト「惑星」2025年11月09日 21:30



NHK交響楽団 第2048回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年11月9日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:シャルル・デュトワ
共演:ピアノ/小菅 優
   オンド・マルトノ/大矢 素子
   女声合唱/東京オペラシンガーズ
演目:メシアン/神の現存の3つの小典礼
   ホルスト/組曲「惑星」作品32


 デュトワがN響定期に戻ってきた。昨年、NHK音楽祭へ出演したのは定期演奏会への地ならしだったようだ。N響の名誉音楽監督であり、20年ほど前に監督を退任したあとも毎年のようにN響を振っていた。が、セクハラ疑惑(告発記事があり本人は否定)によってN響との関係がおかしくなった。
 この騒動に対する日本のオケはどちらかというと鷹揚で、SKOや大阪フィル、新日フィル、九響などはデュトワを招いて彼の名誉回復に力添えしたようなところがあった。しかし、N響は役所体質が色濃いからひょっとしたらこのままか、と思ったけど、再び定期演奏会を任せることになった。デュトワはもう89歳、年齢から言っても嫌疑そのものが信じがたいが、真偽はさておき8年ぶりのN響定期復帰は目出度いかぎりである。

 前半はメシアンの「神の現存の3つの小典礼」。第二次世界大戦中に書かれ、戦後に初演された宗教曲。30人ほどの弦楽合奏とチェレスタやヴィブラフォン、タムタム、マラカスなどの鍵盤・打楽器、女声合唱にピアノとオンド・マルトノのソロが参加する。
 東京オペラシンガーズによる無調風の女声合唱と小菅優のピアノがとけあって美しい。大矢素子のオンド・マルトノも効果的でいかにもメシアンらしい。デュトワは多彩な響きと巧みなリズム処理で30分強の演奏時間を飽きさせない。息遣いは繊細で宗教音楽がむやみやたらに肥大することがない。それでいてスケール感に物足りなさはなく、各楽章の終盤での休止の間合いや緩急によって心憎いほどの頂点をつくり上げた。
 メシアンによれば全3楽章において神の存在の異なる側面を描いたのだというが、厳密な宗教曲として捉われる必要はないように思う。各楽章ごとに独特の旋律やリズム、色彩感があり、メシアンらしい響きのなか鳥の声が聴こえたり、ガムランが鳴ったり、「トゥランガリーラ交響曲」を連想させたりもした。

 後半は第一次世界大戦の最中に書かれたホルストの「惑星」。太陽系の地球を除く7つの惑星が扱われる。ホルストは惑星にかかわる占星術やローマ神話についても詳しく調べたうえで作曲したようだ。
 勇壮な第1曲「火星(戦争の神)」、緩徐楽章にあたる第2曲「金星(平和の神)」、スケルツォ風の第3曲「水星(翼を持った使いの神)」、組曲の中心ともいうべき第4曲「木星(快楽の神)」、壮大でゆったりとした第5曲「土星(老年の神)」、再度スケルツォ風の第6曲「天王星(魔術の神)」、女声合唱がヴォカリーズで加わる神秘的な第7曲「海王星(神秘の神)」からなる。曲順は必ずしも太陽からの遠近順ではない。
 ホルストのオケが持つ様々な楽器を活かした管弦楽法は、ワーグナーやR.シュトラウスに倣ったものだろう。感情を深く揺さぶる類の音楽ではないし、心の襞に分け入るような深刻な作品でもない。優れた音響、旋律、リズムなどによって興奮度を高めていく。昔はダイナミックレンジや音の分離、楽器音の再現性などオーディオチェック用の音源としても用いられたくらい。管弦楽技法の集大成といえる曲である。そして、ワーグナーやR.シュトラウスと同様、後年の映画音楽に大きな影響を与えた。実際、過去にはホルスト財団がハンス・ジマーを著作権侵害で訴えているし、ジョン・ウィリアムズの『Star Wars』だってホルストを抜きにしては考えられない。こうしてクラシック音楽は、第一大戦を境に映画音楽の中へと溶解していくことになる。
 デュトワはそのホルスト「惑星」を品格ある音楽として聴かせてくれた。変化に富んだ各曲を見事に描き分けた。雄弁で力強くキレがあり滑らかなクレッシェンドは迫力満点。各楽器の点描にも狂いがない。相手がN響のせいか重心は低く、強靭な低弦が刻まれるなかしっかりと旋律が歌われる。金管が伸びやかに吹奏し、木管が絶妙にコントロールされ、打楽器の打ち込みとともに音楽の規模が悠々と広がっていく。「惑星」がこんなに格調高く奏でられることは滅多にない。
 デュトワの身のこなしや歩く姿は軽快そのもの、指揮ぶりはしなやかで溌剌としている。とても90歳になろうとする人には見えない。数年前の新日フィルを振ったとき、いや、20年前のN響の監督のときと比べても歳を取ったとは思えないほどだ。恐るべき老人である。

2025/9/15 大野和士×都響 モーツァルト「戴冠式ミサ」2025年09月15日 21:57



東京都交響楽団
  サラダ音楽祭メインコンサート 

日時:2025年9月15日(月・祝) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:大野 和士
共演:ダンス/Noism Company Niigata
      演出振付/金森 穣
   ソプラノ/砂田 愛梨
   メゾソプラノ/松浦 麗
   テノール/寺田 宗永
   バス/狩野 賢一
   合唱/新国立劇場合唱団
     合唱指揮/冨平 恭平
演目:モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲 KV620
   モーツァルト/ミサ曲ハ長調 「戴冠式ミサ」
   ペルト/フラトレス~弦楽と打楽器のための
   ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」第2組曲
   ラヴェル/ボレロ


 「サラダ音楽祭」とは身体に良さそうな名称だけど、食べる「サラダ」ではなく、“Sing and Listen and Dance〜歌う!聴く!踊る!”をコンセプトにした音楽祭とのこと。器楽だけでなく声楽、舞踏を統合した祭りで2018年に始まったという。盛沢山なプログラムのなか、モーツァルトの「戴冠式ミサ」K.317が目当て。

 モーツァルトの宗教曲といえば「レクイエム」や「ハ短調ミサ」が高名だが、いずれもウィーン時代に書かれた未完の作品。完成された教会音楽としてはザルツブルグ時代の「戴冠式ミサ」が最高傑作だろう。
 青年モーツァルトの最も辛い時期である。彼は21歳のとき母とともにマンハイム・パリへ就職活動の旅に出た。世間は冷たく何処も雇ってくれない。異国の地パリでは母を亡くし、マンハイムやミュンヘンでのアロイジアとの恋は実らない。仕方なしに従妹ベーズレに慰めてもらいながら負け犬となって帰郷する。このときモーツァルトは23歳になっていた。
 ザルツブルクに逼塞したモーツァルトの心情は、その時書かれた作品が手がかりになるはずだけど、悲壮感や大きな叫びは一つとしてない。ただ、この年「ポストホルン・セレナーデ」「ディヴェルティメント第17番」「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」、そしてこの「戴冠式ミサ」という後のウィーン時代に匹敵する陰影の濃い楽曲が残された。いずれも明るさや希望を失うことなく、深い哀しみと憂いをたたえた、信じられないほど美しい音楽たちである。

 「戴冠式ミサ」は通常文のキリエ(憐れみに讃歌)によってスタートする。合唱が「キ」と強く発声し、「リエ」と声を潜めて歌い始める。新国の合唱団はたっぷりとした余裕のある歌声。その極めて印象的な出だしからソリストたちの「キリスト、憐れみたまえ」が続く。ソプラノの砂田愛梨は芯のある伸びやかな声で客席までよく届く。グローリア(栄光の讃歌)はエネルギッシュで華やか。クレド(信仰宣言)は輝かしく限りない高揚感に満ちている。
 涙に濡れた音楽じゃない。失意の帰郷から2か月、モーツァルトに何が起こっているのか。1月の末、モーツァルトは嫌々ながら馬車に乗り、従妹ベーズレの膝枕で帰郷した。「戴冠式ミサ」が完成したのは3月下旬である。ベーズレは数カ月の間モーツァルト家に留まった。二人はじゃれ合っていたに違いない。ベーズレは音楽や心根を語る相手ではなかったかも知れないが、モーツァルトが言う“天使”の役割を務めてくれた。モーツァルトの青春時代の最大の危機を救ったのは彼女だった。
 サンクトゥス(聖なるかな)は天空から神が舞い降りたかのよう。ここでの合唱団の歌唱も堂々たる音楽というだけでなく親しみやすさを兼ね備えていた。ベネディクトゥス(ほむべきかな)は穏やかな前奏のあとソリストたちが落ち着いた四重唱を聴かせる。アニュス・デイ(神の子羊)はソプラノ・砂田の見事な独唱。この旋律がオペラ「フィガロの結婚」の第3幕、伯爵夫人のアリア「美しい時はどこへ」によく似ている。それゆえ「戴冠式ミサ」は聖俗混同と問題にされ、否定論の根拠とされたこともあった。
 でも、これはおかしい。「戴冠式ミサ」が先に書かれ「フィガロ」は後にできた。順序が逆である。伯爵夫人の祈りの気持ちをミサの旋律からから引用したのであれば、論説自体が牽強付会、笑止千万である。
 最後にむかってアニュス・デイのテンポは少し速くなり,冒頭の「キリエ」の旋律が再現し、曲は次第に盛り上がり、決然とした合唱で全曲が結ばれた。 
 大野和士と都響とは親密さを増し、大野は一段と総卒力を高めているようだ。新国立の合唱団も大野のいわば手兵であり、統制のとれた管弦楽と声楽が感動的な「戴冠式ミサ」を披露してくれた。

 「戴冠式ミサ」の前には「魔笛」序曲が演奏された。オペラ指揮者でもある大野の手にかかると、舞台への期待感が嵩じてくる。このところ「魔笛」はご無沙汰である。
 前半はモーツアルトの2曲を終えて休憩となった。

 後半の最初はペルトの「弦楽と打楽器のためのフラトレス」。弦5部と打楽器の演奏にNoism Company Niigataの舞踏を加えて上演された。Noism Company Niigataは、東響の新潟定期演奏会の会場でもある「りゅーとぴあ」(新潟市民芸術会館)専属の舞踊団、新たな舞踏芸術を創造することを目的としているという。
 前方の客席を5列ほど潰し舞台を拡張し、そこで舞踏が演じられた。8名の男女が黒っぽい衣装に同色の頭巾を被り、はじめはさり気ない小さな動きからはじまり、音楽に合わせて段々と動きは大きく激しくなっていった。音楽は一種の変奏曲でほの暗く神秘的で静謐な音型が繰り返され、ときどき発せられる打楽器が印象的な作品。ベルトはエストニア生まれ、中世音楽やミニマル・ミュージックにも通じるシンプルな和声やリズムに特徴がある。ヒーリング音楽としても愛聴されている。
 
 続いて、管弦楽だけでファリャの「三角帽子」。ディアギレフが手がけたバレエ作品のための音楽。2つの組曲があり、第2組曲は「隣人たちの踊り」「粉屋の踊り」「終幕の踊り」の3曲からなる。
 いずれもホルンが大活躍する。ホルンのトップは客演の大野雄太だった。東響の首席を辞めたあと大学の教師に転職したと思っていたが、いつのまにか新日フィルの首席に復職していた。古巣に戻ったわけだ。久方ぶりに思い切った気持ちのいい吹奏を聴かせてもらった。
 
 最後は再度Noism Company Niigataとの共演で「ボレロ」。昨年大好評だったことから今年もプログラムに入った。
 舞台では紅い衣裳の井関佐和子を中心に、黒い衣装の8人が円形に囲んで待機している。スネアドラムが3拍子のリズムを刻み始めフルートが重なり、次々と楽器が加わる。音楽のリズムに紅い衣装が反応し、その動きが周囲に伝播する。やがて大きな輪は3人ずつに分割され、さらに横方向に伸びていく。音楽は最大のクライマックスを迎え、舞踏は圧倒的な熱量をもって解放された。

 大野和士は2015年から都響の音楽監督を務め、2026年3月まで任期を延長している。都響は来年以降の指揮者体制についてこの秋頃に発表するとしているが、果たして誰になるのだろう。
 大野のさらなる延長は有り得ないことではないが、普通に考えれば首席客演指揮者であるアラン・ギルバートが後任としては順当といえるだろう。ギルバートは現在エルプフィルハーモニーの首席指揮者とデンマーク王立歌劇場の音楽監督を務めている。都響人事に注目である。

025/9/7 阿部未来×都民響 シベリウス「交響曲第3番」とニールセン「不滅」2025年09月07日 20:33



都民交響楽団 第139回定期演奏会

日時:2025年9月7日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:阿部 未来
演目:ニールセン/序曲「ヘリオス」作品17
   シベリウス/交響曲第3番ハ長調 作品52
   ニールセン/交響曲第4番「不滅」作品29


 アマチュアオーケストラ界の老舗である都民響の定期演奏会。HPによると戦後すぐの1948年(昭和23年)に創立されているから80年近くの歴史を誇る。いっとき東京文化会館の事業課が運営していたようだが、現在は東京都の支援を離れ団員が自主運営しているという。年2回の定期公演のほか離島での演奏会にも力を入れている。
 ざっと見渡すと御歳を召した方がかなり目につく。団員は20代から70代までの幅広い年齢層で構成されていると書いてある。まさか創立以来のメンバーはいないにせよ、在籍50年、40年に及ぶ団員は当たり前に居そうである。年季の入った楽団である。
 その139回定期は北欧プログラムで、ニールセンの2曲とシベリウス。ニールセンもそうだがシベリウスの「交響曲第3番」はなかなか生演奏で取り上げない。シベリウスの交響曲は「第2番」の演奏頻度が圧倒的で、次いで「第1番」「第5番」といったところだろう。「第4番」「第7番」はたまに演奏されるが「第3番」「第6番」となるとぐっと少なくなる。今日はその「第3番」をミューザ川崎まで出向いて演奏してくれた。
 
 開始はニールセンの「ヘリオス」。日の出から真昼、日没までを描く標題音楽的な演奏会用の序曲。つい最近もヴァンスカ×東響で聴いた。この曲、アマオケが演奏するにはホルンの難易度が高すぎる。指揮の阿部未来はテンポ設定が巧みで、真昼に至る手前の音量を増加しつつ加速する手腕はなかなか見事、最後は物語を閉じるかのように緩やかに曲を終えた。

 管・打楽器を中心にメンバーが入れ替わりシベリウスの「交響曲第3番」。シベリウスはニールセンと生まれ年が同じ。ニールセンよりずっと長生きしたけど、早くに筆を折ってしまったから作曲活動の時期はほとんど重なる。
 「第3番」は、「第1番」や「第2番」に比べると地味で抑制された作品である。とはいっても後期交響曲のように深遠で凝縮されたというよりは、ロマン派的な部分も引き摺りつつ、表面的な華やかさよりも奥底の感情を追求しようとした過渡的な作品と言えるかもしれない。彼の交響曲の新たな方向性を示した楽曲といえる。好きな曲のひとつ。
 全3楽章で構成され、第1楽章は自然のさまざまなざわめきを聴いているよう、弦楽器と木管楽器が美しく調和する。シベリウスらしい管弦楽の掛け合いが印象的だ。中間楽章は切なくも親しみやすい旋律が変奏されていく。民俗舞踊につけられた音楽のようにも聴こえる。シベリウスが書いた緩徐楽章の最高傑作だと思う。終楽章の前半はスケルツォ風、後半はコラール主題がフィナーレの中心となる。リズムとメロディの両方が徐々にエネルギーを蓄え規模を拡大しながら高揚し壮大な頂点を築く。阿部は各楽章の音色、テンポにメルハリをつけ全体としては躍動的な演奏、「第3番」の美しさをよく引き出していた。

 「不滅」はニールセンの管弦楽曲のなかでは人気がある。第一次世界大戦のさなかに作曲され、内部が4部に分かれた単一楽章の交響曲。2組のティンパニが大活躍し、ティンパニ交響曲と名付けたっていいくらいだ。
 第1部は様々な音響が衝突する戦闘的な音楽、ティンパニは他の楽器とあまり関連なく傍若無人に動く。第2部は木管楽器が主体となった牧歌的な音楽。ティンパニはお休み。第3部はティンパニと弦楽器だけで始まる厳粛な音楽で緊張感が徐々に高まっていく。第4部は2組のティンパニが対決する。ティンパニは舞台の両端に置かれていた。短いリズムの繰り返しによる動機が支配する。後半は金管楽器のコラールから第1部の主題が再現され力強い響きをもって終結する。
 音の重なりが独特で混濁しがちなこの曲を阿部は見通し良くすっきりと演奏した。ティンパニ奏者はマレットを持ち替え、音程調整や音止めなど目が回るほど忙しい。これは音盤では分からない、生での醍醐味だった。

 阿部未来は、プロオケにおいてしっかりしたポストが得られない。大きなコンクールの受賞歴はないものの留学してコレペティトゥアとしても経験を積んでいる。実力も才能もあると思う。
 もっとも、日本のプロオケのポストは少ない。オーケストラ連盟の正会員が27、準会員が13だから合わせて40である。それに必ずしも邦人指揮者が監督や常任になるわけではなく、海外の指揮者が選ばれることも間々ある。
 我が国に指揮者と呼ばれる人がどれほどいるか知らないが、ブザンソンなど有名コンクールの優勝者でもポストに就いていない人もいる。オーケストラの奏者になるのも狭き門だが、指揮者の競争は熾烈で厳しい世界ではある。
 相変わらずの痩身ながら3年前に比べる身体の安定度は増したように思う。一度、プロオケを振る阿部未来を聴いてみたい。