2025年の演奏会のまとめ ― 2025年12月30日 19:01
今年も均すとだいたい週1回、年間54公演を聴いた。定期会員となっている東響と神奈川フィル、それに何かと興味のあるアマオケがほぼ月1回のペース。それ以外はN響と都響が年5、6回、新日フィルとシティフィル、音大、地方オケ&海外オケがそれぞれ年2、3回といったところ。読響、東フィル、日フィルなどには足を運ばなかった。
会場への交通の便や開催時間、指揮者や演目の好みなどによって、この傾向は数年来かわっていない。以前は読響や都響、日フィルや新日フィルの会員になっていたこともあるが長続きしない。年々東京に出るのが億劫になり、夜公演が辛くなっている。今の横浜、川崎を中心とし、時々サントリーや芸術劇場、文化会館などへ出向くというかたちが身体に合っている。
この1年、印象に残った演奏会は、東響ではマリオティが指揮したロッシーニの「スターバト・マーテル」、ノットの「戦争レクイエム」と「マタイ受難曲」、神奈川フィルでは沼尻の「ラインの黄金」といった声楽を含む規模の大きな楽曲ということになろうか。そうそう、大野×都響による「戴冠ミサ」という佳品もあった。
ロッシーニ歌手を集めた「スターバト・マーテル」やロシア、イギリス、ドイツの3カ国から選抜した「戦争レクイエム」のソリストは粒ぞろいであったし、毎度のことながら東響コーラスの歌唱が素晴らしかった。「マタイ受難曲」は管弦楽の編成が大規模とは言えないものの、現代の機能的なオケだからこそのバッハのメッセージが思いがけない衝撃となった。エヴァンゲリストに多少不満があったけど、イエスと2人の女性ソリストには圧倒された。マリオティとノットの指揮に敏感な反応をみせた東響は、やはり驚嘆すべきオケである。
「ラインの黄金」は演奏会形式ながら、水際立った沼尻のコントロールとわが国の代表的な歌手たちによる大満足の公演だった。来シーズンの神奈川フィルDramatic Seriesは「トスカ」となるが、いずれ「リング」の続編を期待したい。「リング」といえばフェスタサマーミューザの開幕公演においてノットが言葉のない「指環」を指揮をした。このマゼール編の「ニーベルングの指環」にも興奮した。年初には新響が「ジークフリート」の抜粋に挑戦、飯守の弟子筋の城谷正博が指揮したがこれはもうひとつ。
モーツァルトの「戴冠ミサ」は何年ぶりかで聴いた。「サラダ音楽祭」における盛沢山なプログラムに埋もれた演目だったが、大野和士の統率のもと手兵である都響および新国立合唱団による管弦楽と声楽が、感動的な「戴冠式ミサ」を披露してくれた。なお、特筆すべきはそのときのソプラノ、砂田愛梨に要注目である。
通常の管弦楽曲でいえば、まずはノット×東響のブルックナー「交響曲第8番」の第1稿版が筆頭だろう。ノットはこの珍しい初稿版を確信を持って振り、東響は完璧にその要求に応えた。とんでもない音圧でありながら透徹した音楽による温かみのあるブルックナーが現前した。「第8番」の初稿版は、統一感を高めた2稿版に比べれば原初的で素朴だけど見事に完成されている。独墺の交響曲というものが行きついた究極ではないかと感じた。あと、ブルックナーでは山上紘生が振った「第7番」、征矢健之介の「第8番」(通常の2稿版)、太田弦の「第9番」が収穫だった。いずれもアマオケ相手だが特に征矢健之介の飯守を彷彿とさせる「第8番」には激しく心を動かされた。
マーラーでも、ノット×東響の「交響曲第9番」が気合の入った卓越した演奏で、10数年前の監督就任の記念公演を思い出させるものだった。松井慶太と東京音大との「巨人」は聴きごたえがあった。松井はアマオケを指揮したシベリウスとベートーヴェンでも納得の作り込みで、来年は松井を追いかけなければならない。松井の音大の先輩である川瀬賢太郎が名フィルを振った「悲劇的」は熱演だったけど力が入りすぎた。
ショスタコーヴィチでは、ソヒエフ×N響の「レニングラード」とインバル×都響の「バビ・ヤール」、沼尻×神奈川フィルの「第10番」が出色の仕上がりだった。さらに沼尻と音大合同オケとの「第4番」や、ボレイコと新日フィルとの「第11番」も堪能した。ウルバンスキが都響に客演した「第5番」は、東響相手で聴き直したい。高関健×シティフィルは最初と最後の交響曲を組み合わせ、好企画で期待したが、ちょっと重厚すぎて肩が凝った。もう少しアイロニカルな軽妙さがほしい。
脇道にそれるがN響について少し書いておく。今年は珍しくN響を何度か聴いた。ソヒエフの「レニングラード」に感心し、急いでポペルカのチケットを取り、そのドヴォルザークやヤナーチェクがまた良かった。で、ヨーロッパ公演に持って行くマーラーの「交響曲第3番」のチケットを確保した。しかし、ルイージの強引で窮屈な指揮で躓いてしまった。ヨーロッパ公演の評判は詳らかにしないけど、インバルの融通無碍でありながら引き締まったマーラーなどとは比べようもない。N響はその後メナやデュトワで名誉回復したものの積極的にはなれない。引き続きぽつりぽつり厳選して聴く。
そのほか思いつくまま列挙しておく。ビショコフが指揮したチェコフィル、素朴でパワーあふれる「わが祖国」に素直に感動した。アバドと下野の「幻想交響曲」、アバドは東響を下野は洗足音大を振り、それぞれの解釈が作品の長所を引き出していた。ヴァンスカ×東響のプログラムも魅力的だった。メインのプロコフィエフ「交響曲第5番」も悪くなかったが、前半のバルナタンをソリストに迎えたベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」が途方もない名演だった。ピアノ協奏曲といえば久しぶりに聴いた清水和音のブラームスに感銘を受けた。伴奏は沼尻竜典×神奈川フィルで後半の「田園」も好演だった。バーンスタインの曲をいくつか聴いた。佐渡×新日フィルの「カディッシュ」や大植×神奈川フィルの「キャンデード組曲」など。「カディッシュ」は大作だけどバーンスタインはこういった深刻な楽曲より「キャンデード組曲」や「管弦楽のためのディヴェルティメント」のような快活で解放感ある曲のほうがはるかに面白い。当日の大植×神奈川フィルは「春の祭典」でも躍動していた。
規模の小さな楽曲を最後に幾つか。もともと室内楽を聴く機会は少ないが、河村尚子の「展覧会の絵」は色彩感あふれる強靭な演奏で忘れられない。シュロモ・ミンツと都響メンバーによる2つの「四季」も素敵な演奏。とりわけ「ブエノスアイレスの四季」(ファビアン・ベルテロ編曲)は鮮烈だった。ピアソラは原曲の五重奏だけでなくピアノトリオや同じ弦楽合奏でもデシャトニコフ編曲版など様々なバージョンがあるらしい。この先、叶えられるかどうか分からないけど、それぞれの違いを確かめるのが楽しみになりそう。