2026/3/17 松井慶太×OEK+野村萬斎 「恋は魔術師」 ― 2026年03月18日 13:23
オーケストラ・アンサンブル金沢 第42回東京定期公演
野村萬斎with OEK「恋は魔術師」ファリャ生誕150年記念
日時:2026年3月17日(火) 18:30開演
会場:サントリーホール
指揮:松井 慶太
共演:演出・出演/野村 萬斎
振付・舞踊/中村 壱太郎
振付/花柳 源九郎
舞踊/花柳 ツル ほか
フラメンコ/工藤 朋子
メゾソプラノ/秋本 悠希
演目:徳山美奈子/交響的素描「石川」
加賀と能登の歌による「海の男」
シューマン/蝶々
ファリャ/バレエ音楽「恋は魔術師」
メインプログラムは野村萬斎とオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)とのコラボによるファリャの「恋は魔術師」。2024年に初演された「萬斎のおもちゃ箱Vol.2」の再演で、東京公演のみならず全国各地を巡業している。
「恋は魔術師」は能・狂言、日本舞踊、フラメンコ、クラシック音楽など様々なジャンルを混淆した舞台で、これはこれで興味あるが、松井慶太が指揮をするというのでチケットを取った。松井はOEKのパーマネント・コンダクター。昨年、アマオケと音大オケ相手の演奏を聴いてとても感心した。
サントリーホールの舞台は大きく設え直してあり、前方には方形の本舞台がつくられ、橋がかりのような路ができていて上手、下手から舞台に出入りできる。また、本舞台前方の左右には階があって客席に降りられるようになっていた。オーケストラは舞台後方に位置し、オペラと同様譜面灯が用意されている。舞台がはじまると照明が落とされるのだろう。
最初はオーケストラの演奏のみで交響的素描「石川」から。プログラムノートによると「石川」はOEKの創設者岩城宏之の委嘱によって作曲された。「加賀と能登の歌による」という副題がつけられており、そのフィナーレ「第3楽章 海の男(七尾まだら)」という部分らしい。10分足らずの曲で最初から最後まで太鼓をはじめとする打楽器の音が途切れることがない。どこかの民謡をオーケストレーションしたような勇ましくも親しみのある楽曲だった。会場には作者である徳山美奈子の姿もあった。
交響的素描「石川」が終わると舞台には野村萬斎が登場し、「萬斎のおもちゃ箱」を企画した経緯や出演者などの紹介があり、途中からは松井慶太と一緒に「蝶々」と「恋は魔術師」の簡単な解説をしてくれた。大方、20分くらい喋っていただろうか。さすが能・狂言で鍛えた声は魅力的で良く通る。
シューマンの「蝶々」はもともとはピアノ曲。1分前後の小品12曲から構成されている。これもプログラムノートによるとジャン・パウルの小説『生意気ざかり』に描かれる仮面舞踏会の情景を音楽化しており、蝶々とはその仮面の形を示しているという。物語は夢想家のヴァルトと、情熱家のヴルトという双子の兄弟が、同じ女性に恋をする。そして仮面舞踏会の一夜、彼女がどちらを選ぶのかを見極めようと…
管弦楽への編曲は青島広志が担当し、花柳ツルなど6、7人が舞踊で表現した。もともと小説からインスピレーションをうけた音楽ゆえか、イメージを膨らませた華やかな舞となり、黒子が扱う小道具の蝶々は舞台から客席へとゆらゆらと飛翔して行った。青島広志の編曲はウェーバーとベルリオーズに倣ったということだが、さまざまな楽器が活躍してなかなか手際よい。青島広志も客席で賞賛を浴びていた。
休憩後にファリャの「恋は魔術師」。スペインのアンダルシア地方が舞台で、浮気者の夫を亡くしたカンデーラは新たな恋人カルメーロと結ばれたいと望み、嫉妬で邪魔する夫の亡霊を女友だちのルシーアに誘惑してもらう、という筋書きのバレエ音楽。亡霊役が萬斎、カンデーラは花柳ツル、カルメーロは藤間礼多、ルシーアはフラメンコの工藤朋子という布陣。
楽しい舞台だった。萬斎の動きや台詞は笑わせるし、花柳ツルや工藤朋子らの舞踊はジャンルが異なるのに違和感はなく見応えがあった。音楽は激しい舞踏の場面と静寂な情景描写とが繰り返し、不気味な調べと爽やかな響きとが対比されるなど変化に富み、松井慶太は変拍子を振り分けながら明暗の交錯する音楽を色彩感豊かに表現した。残念だったのはカンデーラの想いを歌うメゾの秋本悠希の声量がちょっと不足気味、それと毎度のことだけどOEK(コンマス=アビゲイル・ヤング)の各奏者が大人しい。もっと一人一人が目立ったほうがいいと思う。アンサンブルは大事だけど全体のなかに各奏者が埋没しまいがちなのは良くない。アンコールは予想通り「火祭りの踊り」だった。舞台では手拍子、足拍子も高らかに振付を変えて再度踊ってくれた。
2026/2/13 トッパン・ランチタイムコンサート シューマン「ピアノ四重奏曲」 ― 2026年02月13日 16:34
ランチタイムコンサート Vol.138 特別企画
1909年製ベーゼンドルファーの息吹 II
日時:2026年2月13日(金) 12:15 開演
会場:トッパンホール
出演:ピアノ/佐藤 麻理
ヴァイオリン/瀧村 依里
ヴィオラ/田原 綾子
チェロ/築地 杏里
演目:マーラー/ピアノ四重奏曲断章 イ短調
シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.47
トッパンホール・ランチタイムコンサートの特別企画。副題にある“ベーゼンドルファー”とはフランツ・リストへの敬愛をこめて「リスト・フリューゲル」の愛称で親しまれていたモデル250のこと。通常のモダンピアノよりも4鍵盤拡張された92鍵で、ウィーン国立歌劇場内のリハーサル室で使用されていたという。日本へは2012年頃輸入されたものらしい。このピアノを用いてピアノ四重奏曲を2曲披露してくれた。
12時20分になって背丈がほぼ同じ4人の女神がにこやかに登場した。このなかで田原綾子は何度も聴いたことがある。田原は一番の笑顔で挨拶、演奏中も目立つほど身体を揺らし表情も豊かであった。
最初はマーラーの若書きの断章。ウィーン音楽院在籍中の16歳のときの習作で第1楽章のみが残され、マーラーの室内楽曲では現存する唯一の作品。この断章はディカプリオ主演の映画『シャッター・アイランド』のなかで使われ、「これはブラームスか」「いや、マーラーだ」という印象的な会話が交わされていた。
開始はピアノがテーマの断片を奏でる。ピアノは深く重い低音、柔らかな中音、キンキンしない上品な高音と、全体に重厚でしっとりとした響きを聴かせる。ピアノを弾いた佐藤麻理はウィーン国立音大の講師を務めているという。ピアノに次いで弦楽器が加わりながら全体を形成していく。弦楽器は圧倒的にヴァイオリンが優位で、とくにコーダのカデンツァでは暗く耽美的な楽想を歌い、悲劇を予感させるように終わる。ヴァイオリンの瀧村依里は読響の首席奏者。
なるほど、この曲は若さが溢れるというよりは内省的で、ピアノの伴奏の上を弦楽器が呟いているよう。たしかに、何も知らずに聴かされたら「マーラーだ」と答えることは難しく、やはり「ブラームスか?」と尋ねることになりそうだ。
2曲目はシューマン。シューマンの室内楽曲というと「ピアノ五重奏曲」しか知らない唐変木だが、この「ピアノ四重奏曲」は「弦楽四重奏曲」「ピアノ五重奏曲」に続いて「室内楽の年」の最後に書かれた。因みにプログラムノートによればシューマンの作品を辿ると1840年が「歌曲の年」、41年が「交響曲の年」、42年が「室内楽の年」だという。
第1楽章は序奏付きで、主題が提起されそのあとアレグロの快活な音楽が展開する。第2楽章は無窮動的なスタッカートで緊張感が漂う。とくにチェロのパッセージは見た目にも軽業のよう。チェロの築地杏里はクァルテット・インテグラにいてミュンヘンやバルトークなどのコンクールで名を馳せたあと、今はフリーランスの奏者として活躍している。第3楽章は感動的なアンダンテ・カンタービレ、幸せに満ちた過去や現在を各楽器が奏でていく。とりわけ田原のヴィオラの旋律に聴き惚れる。エンディングの手前ではチェロが弦を低く調弦し直すという見所があり、調弦後のチェロの持続音が耳に残る。第4楽章は明るいフガートから始まる活き活きとした音楽。4人の女神それぞれの創意工夫のフガートが興奮を高め華麗なコーダで幕が閉じられた。
ひょっとしたらシューマンは楽器が積み重なる交響曲より、楽器が制約された室内楽や歌曲のほうがより楽しめる作曲家なのかも知れない。
2026/2/8 ジョルダン×N響 ワーグナー「神々のたそがれ」抜粋 ― 2026年02月08日 22:12
NHK交響楽団 第2057回 定期公演 Aプログラム
日時:2026年2月8日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:フィリップ・ジョルダン
共演:ソプラノ/タマラ・ウィルソン
演目:シューマン/交響曲第3番 変ホ長調「ライン」
ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」
ジークフリートのラインの旅
ジークフリートの葬送行進曲
ブリュンヒルデの自己犠牲
土日は雪との予報があったため、期日前投票をしようと区役所へ出向いたところ、週半ばの平日昼だというに長蛇の列、どう見ても小一時間は並ばなければならない。次の予定もあり期日前投票を断念した。
だから、投票日の今日、雪のちらつくなか午前中に一票を投じ、そのままNHKホールに向かった。プログラムはライン川つながりでシューマンの「交響曲第3番」とワーグナーの「神々のたそがれ」抜粋という魅力的なプログラム。
指揮のフィリップ・ジョルダンはスイス出身。スイスというと古くはアンセルメやコルボ、現役ではデュトワやバーメルト、若手ではヴィオッティなど優れた指揮者を輩出している。ジョルダンはどちらかというと歌劇場畑でウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、昨年のウィーン国立の来日公演でも指揮している。しかし、ウィーンは伏魔殿だからお決まりの意見対立で退任し、来年からはフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任する。これからはコンサート指揮者へと軸足を移すのかも知れない。N響とは初共演である。
「ライン」は「第3番」となっているが、シューマンの4曲の交響曲のうち最後に書かれた作品。変ホ長調はベートーヴェン「エロイカ」の調性、開始楽章の雄大な冒頭部やホルンの活躍も「エロイカ」を彷彿とさせる。全体の5楽章構成は「田園」と同じ。ベートーヴェンの正当な後継者はブラームスで、シューマンはベートーヴェンが確立した交響曲の約束事を逸脱しているといわれるけど、いやいやベートーヴェンの影響は大きい。第2楽章は田舎風の素朴な舞曲、同一メロディの繰り返しが船で揺られているように、あるいは川のうねりのように聴こえないこともない。第3楽章は牧歌的な旋律をクラリネットがリードする。第4楽章は短いが宗教的な雰囲気の厳かな音楽、最終楽章は晴れやかな気分のなか喜びに満ち最後には堂々たるフーガも登場する。
ジョルダンは悠然とした歩みで各楽章とも同じようなテンポ感。楽章内も速度をあまり動かさない。一貫した空気感を生み出し単一楽章の交響曲のように描いた。シューマンの管弦楽法は複数の楽器が同じフレーズを重複するから、ちょうど絵具を塗り重ねるように濁りが増し重く分厚い響きとなりやすいが、ジョルダンの音楽はまろやかで滑らか。バランス感覚が鋭くオケの鳴らし方をよく知っているのだろう。
後半は「神々のたそがれ」から3曲、4時間有余のドラマを40分に凝縮してつないだ。そして「リング」15時間・4部作の終曲はブリュンヒルデの声楽付きである。
「ジークフリートのラインの旅」は、ブリュンヒルデとの愛に目覚めたジークフリートが、ブリュンヒルデの愛馬グラーネにまたがってライン川へと旅立つ勇壮な曲。N響の弦や管は逞しく強靭。コンマスは長原幸太、今井仁志のホルンや長谷川智之のトランペットが壮麗に鳴る。ジョルダンの丁寧で急がない悠々たる音楽はワーグナーでますます生きて來る。
「ジークフリートの葬送行進曲」は、ハーゲンによってジークフリートが殺害された直後の音楽、「剣の動機」「ジークフリートの動機」「英雄の動機」などジークフリートに関わるライトモチーフが連続し、悲壮で壮大に盛り上がりクライマックスを築く。ジョルダンはワーグナーの毒素をあからさまにぶちまけるより、抑制を保ちつつドラマの悲劇性を追及するようで思わず涙する。
終曲の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、ハーゲンを殺害し指輪を奪い返したブリュンヒルデが指輪をラインの乙女たちに返し、ジークフリートの亡骸が横たわる薪に火をかけ炎の中へ身を投げる。その炎は神々の城ヴァルハラまで燃え上がり神々の世界は滅び去る。指輪は浄化され欲にまみれた神々の支配は終焉し、愛と自己犠牲による世界の救済というワーグナーの思想が巨大な管弦楽の圧倒的な迫力でもって描写される。ブリュンヒルデを歌ったタマラ・ウィルソンは米国出身でトゥーランドットやイゾルデなどもレパートリーとし、メトロポリタンだけでなく欧州でも活躍している。ウィルソンの声はしなやかで力強いが可憐な表情もあって好感度大。ジョルダンは歌劇場指揮者らしくオケの音量調節が完璧で、歌手の声を際立たせ品格の高いワーグナーを聴かせてくれた。
2026/2/1 川瀬賢太郎×東響 メンデルスゾーン「イタリア」 ― 2026年02月01日 21:05
東京交響楽団 名曲全集 第215回
日時:2026年2月1日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/牛田 智大
演目:モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲第26番 ニ長調K.537
「戴冠式」
メンデルスゾーン/交響曲第4番 イ長調op.90
「イタリア」
モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲でスタート。1年前の川瀬賢太郎はびっくりするほど恰幅がよくなっていたが、今日はまた随分と身体を絞ってきた。神奈川フィル時代に戻って若返った。川瀬本来のキビキビとした序曲が高速で駆け抜けた。
「戴冠式」のソロは牛田智大。以前プレトニョフ×東フィルと共演したグリーグの協奏曲を聴いたことがある。グリーグのときは十代、今は26歳のほっそりとした好青年、上背は並ぶと川瀬を超えている。今日の会場は女性比率が高くほぼ満席、牛田が目当てなのだろう。
モーツァルトの「ピアノ協奏曲第26番」は、神聖ローマ皇帝レーオポルト2世の戴冠式のときに演奏されたというが、もとは自らの予約演奏会用に作曲されたもの。自分自身が演奏するつもりだったから、ピアノ独奏のパートは空白だらけでカデンツァも書かれていない。そのぶん奏者の即興に依存する部分が大きいわけだ。最近は人気がなくて20番以降の名作群のなかではもっとも演奏頻度が低くいようだ。
第1楽章はモーツァルトらしい転調もあまりなく平凡に思えるけど、牛田は表面的な華やかさを抑えつつチャーミングに弾いて行く。続くラルゲットは素朴で淡々とした穏やかな楽章、牛田のピアノの音は自身の内部へ沈潜していくような気配で、「戴冠式」のラルゲットでこれほど心を揺さぶられたのは初めて。モーツァルトの緩徐楽章の凄みをあらためて感じさせた。最終楽章でも普通は輝かしいパッセージが目立つのだが、独奏ピアノは煌びやかさよりは室内楽的な落ち着きがあって感心した。川瀬×東響も大会場での演奏というよりは親密なこじんまりとしたサロンで伴奏しているような気遣いだった。
ソロアンコールはシューマンの「トロイメライ」。ここでも牛田は夢見るようにピアノの響きを自分の内部に向けている風情。モーツァルトもシューマンも見事な解釈だけど、この若さであまり考え過ぎないほうがいいのではないか、とちょっと心配になった。
メンデルスゾーンは、ついこの前、松本×神奈川フィルで聴いたばかり。当然耳は比較する。それと、東響の「イタリア」といえばコロナ禍における指揮者なしでの演奏が鮮烈で強く耳に残っている。
「交響曲第4番」はイタリア滞在中に作曲が始められ、最終楽章にイタリア舞曲であるサルタレッロが取り入れられていることから「イタリア」と呼ばれ親しまれている。豊かな歌、躍動的なリズム、歓喜と熱狂、明暗の交錯などが均整のある楽章構成の中で描かれている。
ただ、当時の交響曲として異例なのは開始楽章が長調でありながら最終楽章が短調で終わる。川瀬の「イタリア」はその革新性に目を付け、明らかにこの最終楽章に焦点を当て全体を組み立てたようだった。ゆったりとした陽光のさす開始楽章、荘重な行進である第2楽章、優美で穏やかな第3楽章、ここまではテンポを引き伸ばし、それでいて軽やかに歩を進め、最終楽章の舞曲で全精力をつぎ込んで思いっきり弾けた。このテンションの高さと加速感に聴衆は大興奮、川瀬の設計ゆえの勝利だろう。
メンデルスゾーンの生涯は38年、モーツアルトは36年しか生きることが許されなかった。天からこれほどの才能を与えられたのなら長生きできるわけはない。凡人は彼らの作品を聴きながら老醜をさらすのみである。
2026/1/17 松本宗利音×神奈川フィル メンデルスゾーン「イタリア」 ― 2026年01月17日 19:15
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第410回
日時:2026年1月17日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:松本 宗利音
共演:ヴァイオリン/ジュゼッペ・ジッボーニ
演目:ビゼー/序曲「祖国」Op.19
パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調Op.6
メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調Op.90
「イタリア」
宗利音と書いて“しゅうりひと”と読む。割と知られている話だが、松本の父親が名指揮者のカール・シューリヒトの大ファンで、シューリヒトの奥様と親交があり、その奥様に名付け親をお願いして決まった名前だという。
松本は30歳を超えたばかり。昨年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、首都圏のオケを振ることも増えてきている。初見参である。
ビゼーの演奏会用序曲「祖国」からスタート。作曲家自身が語っていないのでタイトルの由来はよく分からないけど、普仏戦争の敗北やポーランドの分割占領の悲劇がきっかけになっている、と指摘する人もいるようだ。愛国的な雰囲気をまとった楽曲である。松本は低音域を偏愛するようなところがあり、金管などもバストロンボーンを含めたトロンボーンを強調し、序曲にしては存在感のある堂々とした曲となっていた。
ジュゼッペ・ジッボーニはアッカルドの弟子でパガニーニ国際コンクールの覇者、イタリア人としての優勝は四半世紀ぶりだという。甘美な音色に安定した技巧、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の弾き手としてこれほど相応しい人はいないだろう。ただ、松本×神奈川フィルの伴奏が重くどっしりした音楽で、飛び跳ねるような軽みや小洒落た空気感が不足している。ジッボーニの粋な節回しとはチグハグで、ソリストとオケとが最後まで嚙み合わなかった。
ジッボーニのアンコールはギターの名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」の編曲版、珍しいものを聴いた。
後半は「イタリア」。松本は痩身で背が高く落ち着いた指揮ぶりだが、この曲では若者らしい溌剌とした推進力を期待した。しかし、重心が低いのは許せるとしても、どうにも音楽が単調でワクワク感に乏しい。颯爽とした「イタリア」を聴くことができなかったのは残念だった。