2026/3/17 松井慶太×OEK+野村萬斎 「恋は魔術師」 ― 2026年03月18日 13:23
オーケストラ・アンサンブル金沢 第42回東京定期公演
野村萬斎with OEK「恋は魔術師」ファリャ生誕150年記念
日時:2026年3月17日(火) 18:30開演
会場:サントリーホール
指揮:松井 慶太
共演:演出・出演/野村 萬斎
振付・舞踊/中村 壱太郎
振付/花柳 源九郎
舞踊/花柳 ツル ほか
フラメンコ/工藤 朋子
メゾソプラノ/秋本 悠希
演目:徳山美奈子/交響的素描「石川」
加賀と能登の歌による「海の男」
シューマン/蝶々
ファリャ/バレエ音楽「恋は魔術師」
メインプログラムは野村萬斎とオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)とのコラボによるファリャの「恋は魔術師」。2024年に初演された「萬斎のおもちゃ箱Vol.2」の再演で、東京公演のみならず全国各地を巡業している。
「恋は魔術師」は能・狂言、日本舞踊、フラメンコ、クラシック音楽など様々なジャンルを混淆した舞台で、これはこれで興味あるが、松井慶太が指揮をするというのでチケットを取った。松井はOEKのパーマネント・コンダクター。昨年、アマオケと音大オケ相手の演奏を聴いてとても感心した。
サントリーホールの舞台は大きく設え直してあり、前方には方形の本舞台がつくられ、橋がかりのような路ができていて上手、下手から舞台に出入りできる。また、本舞台前方の左右には階があって客席に降りられるようになっていた。オーケストラは舞台後方に位置し、オペラと同様譜面灯が用意されている。舞台がはじまると照明が落とされるのだろう。
最初はオーケストラの演奏のみで交響的素描「石川」から。プログラムノートによると「石川」はOEKの創設者岩城宏之の委嘱によって作曲された。「加賀と能登の歌による」という副題がつけられており、そのフィナーレ「第3楽章 海の男(七尾まだら)」という部分らしい。10分足らずの曲で最初から最後まで太鼓をはじめとする打楽器の音が途切れることがない。どこかの民謡をオーケストレーションしたような勇ましくも親しみのある楽曲だった。会場には作者である徳山美奈子の姿もあった。
交響的素描「石川」が終わると舞台には野村萬斎が登場し、「萬斎のおもちゃ箱」を企画した経緯や出演者などの紹介があり、途中からは松井慶太と一緒に「蝶々」と「恋は魔術師」の簡単な解説をしてくれた。大方、20分くらい喋っていただろうか。さすが能・狂言で鍛えた声は魅力的で良く通る。
シューマンの「蝶々」はもともとはピアノ曲。1分前後の小品12曲から構成されている。これもプログラムノートによるとジャン・パウルの小説『生意気ざかり』に描かれる仮面舞踏会の情景を音楽化しており、蝶々とはその仮面の形を示しているという。物語は夢想家のヴァルトと、情熱家のヴルトという双子の兄弟が、同じ女性に恋をする。そして仮面舞踏会の一夜、彼女がどちらを選ぶのかを見極めようと…
管弦楽への編曲は青島広志が担当し、花柳ツルなど6、7人が舞踊で表現した。もともと小説からインスピレーションをうけた音楽ゆえか、イメージを膨らませた華やかな舞となり、黒子が扱う小道具の蝶々は舞台から客席へとゆらゆらと飛翔して行った。青島広志の編曲はウェーバーとベルリオーズに倣ったということだが、さまざまな楽器が活躍してなかなか手際よい。青島広志も客席で賞賛を浴びていた。
休憩後にファリャの「恋は魔術師」。スペインのアンダルシア地方が舞台で、浮気者の夫を亡くしたカンデーラは新たな恋人カルメーロと結ばれたいと望み、嫉妬で邪魔する夫の亡霊を女友だちのルシーアに誘惑してもらう、という筋書きのバレエ音楽。亡霊役が萬斎、カンデーラは花柳ツル、カルメーロは藤間礼多、ルシーアはフラメンコの工藤朋子という布陣。
楽しい舞台だった。萬斎の動きや台詞は笑わせるし、花柳ツルや工藤朋子らの舞踊はジャンルが異なるのに違和感はなく見応えがあった。音楽は激しい舞踏の場面と静寂な情景描写とが繰り返し、不気味な調べと爽やかな響きとが対比されるなど変化に富み、松井慶太は変拍子を振り分けながら明暗の交錯する音楽を色彩感豊かに表現した。残念だったのはカンデーラの想いを歌うメゾの秋本悠希の声量がちょっと不足気味、それと毎度のことだけどOEK(コンマス=アビゲイル・ヤング)の各奏者が大人しい。もっと一人一人が目立ったほうがいいと思う。アンサンブルは大事だけど全体のなかに各奏者が埋没しまいがちなのは良くない。アンコールは予想通り「火祭りの踊り」だった。舞台では手拍子、足拍子も高らかに振付を変えて再度踊ってくれた。
2026/2/24 川瀬賢太郎×名フィル R.シュトラウス「英雄の生涯」 ― 2026年02月25日 15:03
名古屋フィルハーモニー交響楽団
東京特別公演
日時:2026年2月24日(火) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:語り/五藤 希愛
アコーディオン/大田 智美
ヴァイオリン/小川 響子
演目:武満徹/系図-若い人たちのための音楽詩
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」
毎年恒例の名フィルの東京特別公演、今回は従来のオペラシティコンサートホールから場所を移してサントリーホールでの開催となった。
川瀬賢太郎は月初に東響相手の演奏を聴いたばかり。あたためて引き締まった身体が好ましい。昨年の状態ではこのまま恰幅がよくなるばかりか、と心配をしていた。指揮者にとって運動能力が大切なのは言うまでもない、スポーツ選手と同様にウエイトコントロールは大事である。
武満の「系図」でスタート。武満の楽曲のなかでは聴く機会が多い。調性的な後期の作品で、発表時の批判をものともせず代表作のひとつとなった。「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」は、それぞれ老い、死、孤独、不在に焦点が当てられる。「むかしむかし」で家族の始源がためらいがちにひらかれ、「とおく」で家族のこれからを垣間見るように閉じられる。眺める少女の目線は作為がなくとも複雑で胸を突く。谷川俊太郎のシンプルでありながら研ぎすまされた言葉と、静謐で柔らかな武満の音楽とが相まって心が大きく揺り動かされる。
五藤希愛は愛知出身の今年16歳、10歳のときから俳優として活動しているらしい。楽譜も台本も置かず完全に自分の言葉とし、発声は明瞭で朴訥ながら瑞々しい語りを聴かせてくれた。アコーディオンの大田智美は沼尻のときにも共演をしていた。終曲のアコーディオンの旋律は何度聴いても目頭が熱くなる。オケの音はあたたかく少し重たい。川瀬のことだから鈍いところはないけれど、もっと浮遊感のある飛翔するような軽やかさが欲しかった。
R.シュトラウスの「英雄の生涯」はヴィオッティ×東響の「ふたつの英雄」以来、もう3、4年まえになるか。シュトラウスの交響詩時代の最後の作品、「エロイカ」と同じ変ホ長調、ホルンが大活躍する。編成は4管、舞台上に100名を超える奏者が揃った。演奏する側にとっては難曲だが聴き手にとっては魅力満載の楽曲。
いきなり低弦とホルン9本の強奏で「英雄」のテーマが提示される。跳躍の多い雄渾な音楽。川瀬はチェロ、コントラバスをはじめ低音域をしっかりと響かせる。でも威圧的ではなくさりげないくらいで、初っ端から意表をつかれる。英雄のテーマは力を蓄え、様々な動機を組み合わせながら立体的に盛り上がっていく。頂点に達したところで突如休止し次の場面へ。
スケルツォ風のカリカチュア化した主題が木管群により吹奏される。「敵」が現れる。吹き散らかすようなフルートは客演の東フィル首席・神田勇哉、「系図」の滑らかな旋律に耳を奪われたが、敵としての尖りかたでもひときわ目立つ。嘲笑するようなざわざわとした木管たちの動機が勢いを増し、それに対抗するように英雄の主題が現れては消える。
「伴侶」は緩徐楽章、独奏ヴァイオリンがテーマを提示する。ソロヴァイオリンはオケと交錯しながら甘美な情景を描く。ここはコンマスの小川響子に尽きる。会場は最大限の緊張状態、音の艶といい旋律の歌いかたといいヴァイオリン協奏曲のソリストでも稀にしか出来ないほどの芸当。麗しく妖艶で鬼気迫る演奏、過去に例をみない最高の伴侶だった。プログラムノートの案内によれば来年の名フィル東京公演では、小川は葵トリオとして出演、カゼッラの「三重協奏曲」が予定されている、楽しみである。
舞台裏のファンファーレから始まる「戦場」。トランペットが鳴り敵との戦いが始まる。打楽器の連打の中で英雄と敵の主題が交錯する。川瀬の設計と思われるが打楽器群の音圧は常に一律ではなく、ティンパニ、バスドラム、フィールドドラム、スネア、シンバルなどそれぞれが主役となって移り変わっていく。激烈な戦いのシーンにおけるすさまじい効果となった。そして、時折り伴侶であるヴァイオリンが英雄を支え、これまでのテーマや動機が入り乱れ目も眩むようなオーケストレーションが展開された。
曲は落ち着き「業績」が披瀝される。R.シュトラウスの10作品ほどが引用されているといわれるが、作品の断片が巧みに織りこまれているためか聴くだけではほとんど判別できない。そのうちテンポがさらに落とされ自己の内部に沈潜していくような趣となる。
イングリッシュホルンの音が聴こえ「隠遁と完成」に至る。「ドン・キホーテ」終曲のテーマが鳴り諦観の気分が色濃くなる。闘争の動機,伴侶の動機などが回想され、敵の批判も英雄の意欲も収まっていく。小川響子のヴァイオリンと安土真弓のホルンのやり取りは涙なしには聴けない。英雄の動機が最後のクライマックスを築き力を失い静かに全曲が閉じられた。
R.シュトラウスの音楽描写は、緻密で幾層にも重なる分厚いオーケストレーションから生み出される。個々のプレーヤーの技量はもちろん、それを整理し組み立てる指揮者の力量も試される。川瀬は振幅を大きくとった濃厚な表現、陰影も際立っている。それに加えさまざまな局面で意外性をみせ頼もしい。名フィルは昨年も感じたが低音域の存在感が無類でその重量感は賞賛に値する。川瀬とは名コンビで豪奢な音響が着実に進化している。
「英雄の生涯」の“英雄”とはR.シュトラウス自身のことで、R.シュトラウスというのは自己顕示欲の強い鼻持ちならない奴、との評価もある。たしかに「業績」において自作品を多数引用し、シュトラウス本人も実利的な現実主義者であったことは確かだ。
でも一方で、彼はモーツァルトと同様、全てのことを音楽で表現できると発言するほどの職人だった。作品にのめりこんで我を失うような醜態をさらすはずはなく、華麗な音楽とは裏腹にシャイで冷静沈着、自己顕示や自己宣伝などとは遥かに遠いところにいた。「英雄の生涯」において自伝を書こうとしたわけではないだろう。
「英雄の生涯」は“生涯”とは言ってもR.シュトラウスが30歳半ばに書いたもので、「ドン・キホーテ」と一対になる作品とも語っているのだから、空想の英雄に憧れ見果てぬ夢を追い続ける物語と、現実の英雄としてのありうべき物語とを対比させてみたのかも知れない。
邪推だがR.シュトラウス自身は自嘲しつつ「ドン・キホーテ」的人生――口煩い伴侶はいないし、世間など一顧だにする必要もない人生、を夢想し親近感させ覚えていたのではないか。しかし、実際のR.シュトラウスはこのあと50年を生きて、皮肉にも「英雄の生涯」に近い道を歩んだ、と。
衝撃の川瀬×名フィルの「英雄の生涯」を聴かされたあと、そんな徒然を帰りの電車のなかで反芻していた。
2025/10/20 ビシュコフ×チェコ・フィル スメタナ「わが祖国」 ― 2025年10月21日 09:42
NHK音楽祭 2025
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
日時:2025年10月20日(月) 19:00開演
会場:NHKホール
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演目:スメタナ/連作交響詩「わが祖国」
チェコ・フィルはビエロフラーヴェクのときに聴いたことがある。演目のメインはブラームスだったと思う。演奏の内容はおぼろげだけど、素朴な弦の音色とサントリーホールが飽和するかのような音圧だけは覚えている。
チェコ・フィルの「わが祖国」は一度聴いておきたい。円熟のビシュコフ×チェコ・フィルがNHK音楽祭で演奏してくれる。ビシュコフはイリヤ・ムーシンに師事したユダヤ系ロシア人だが、20代の早い時期に西側へ亡命している。2018年にチェコ・フィルの音楽監督に就任し、2028年の退任が決まっている。後任は長期政権になりそうなフルシャとなった。ビシュコフ×チェコ・フィルを聴く機会はこの先わずかである。
チェコ・フィルはやはりNHKホールをものともしない。何ならこのくらいの容量が相応しいくらい。弦・管・打楽器とも懐の深い音色が魅力的で音量も桁違い。この基礎体力でもって隙のない演奏を繰り広げる。「わが祖国」であれば楽団員一人ひとりが楽曲の隅々まで熟知しているからどんな局面でもバランスが崩れない。ビシュコフは粘りのある音楽をつくるが、奏者の自主性に任せているところもあるようで、メンバーがとても楽しそうに演奏していた。「わが祖国」は聴き手にも体力を要求するけど、休憩なしの1時間半がもたれることなく短く感じた。
「わが祖国」はチェコの伝説(1.ヴィシェフラド[高い城]、3.シャールカ)と自然(2.ヴルタヴァ[モルダウ]、4.ボヘミアの森と草原から)と歴史(5.ターボル、6.ブラニーク)が音によって描かれ、スメタナはこの作品に帝国の支配下にあったチェコの復活と独立への渇望を託した。チェコの人々にとっては国歌に等しい曲だろう。そして、他の国の人々にとっても自らの国への思いは共通のはずで、「わが祖国」という楽曲にこめられた熱き願いが普遍性を持ち共感を呼ぶ。ロシアで生まれスターリン時代の共産主義の弾圧の歴史と対峙したビシュコフであれば尚更のこと。ビシュコフ×チェコ・フィルの「わが祖国」に感服した。
2025/2/25 川瀬賢太郎×名フィル マーラー「交響曲第6番」 ― 2025年02月26日 11:33
名古屋フィルハーモニー交響楽団
東京特別公演
日時:2025年2月25日(火) 19:00開演
会場:東京オペラシティ コンサートホール
指揮:川瀬 賢太郎
演目:マーラー/交響曲第6番イ短調「悲劇的」
名フィルは森正あたりから聴き始め、外山雄三やモーシェ・アツモンを経て、飯守泰次郎、沼尻竜典の時代に数多く通った。前任の小泉和裕が率いた東京公演にも2、3度足を運んでいる。川瀬賢太郎が監督になってからは初めて。加えて、葵トリオの小川響子が昨年の4月からコンマスに就任している。
名フィルのコンマスは、長く務めた日比浩一が退任し小川響子が入り、森岡聡、後藤龍伸に加え、客演に荒井英治と山本友重を擁している。コンマス5人体制は豪華である。まぁ、名古屋を中核とした東海地方は大手メーカーが集中しており、とうぜん寄付もあって楽団の財政は裕福なのだろう。
今回の東京特別公演は、その小川響子がコンマスを担い、チェロのトップには同じ葵トリオの一員であり都響首席の伊東裕がゲストで座っていた。演目は川瀬賢太郎の得意なマーラー、潔く「交響曲第6番」の1曲のみ。完売公演となった。
弦は16型、管楽器は4ないし5管編成、ありとあらゆる打楽器が並び、大きくないオペラシティコンサートホールの舞台からはみ出しそうだった。ホールは容量も小ぶりだから飽和する音を懸念したが心配は無用だった。音圧は在京のオケでもあまり経験したことがないほどの強度にもかかわらず、騒々しさも音が不鮮明になることもなかった。川瀬のバランス感覚によるものだろう。川瀬は少し恰幅がよくなって指揮ぶりも温厚になってきた。
しかし、この「第6番」の音楽は悲劇に焦点をあてるよりは闘争に重きを置いたように荒らぶっていた。もっとも音の解像度は高く、今まで気が付かなかった音が聴こえてきて面白くはあった。ただ、聴き終わって心底感動したかといえば、素直には頷くことができない。途中、夢見るような瞬間はあったとしても、全体を通して壮絶な闘いを見聞しているようで、交響曲としての悲劇への物語性が希薄に感じられたせいかも知れない。
名フィルの演奏水準は随分向上している。東京公演ということで力が入ったせいか、二度の地元公演の疲れが出たせいか、強奏時の木管の濁りや、金管合奏の乱れが多少あったものの、管楽器の鳴りは見事で、弦楽器の進境は著しい。首都圏のオケと比べても全く遜色ない。川瀬とのコンビも順調のようである。
マーラーの「交響曲第6番」は、世俗的にはマーラーの絶頂期。ウィーン宮廷歌劇場芸術監督にしてアルマ・シントラーと結婚し、長女、次女も授かり、まさに幸福の真っ最中に作曲され初演もした。
ところが、どういうわけか産み出された曲は悲劇の塊のようであり、今までの交響曲を破壊せんがごとき願望に満ちている。そして、実生活では、やがてウィーンを追われ、長女を亡くし、妻は浮気、自らは心臓病に苦しめられる、といった未来が待っていた。まるで自らの行く末を予見したような作品となってしまった。
もちろん、これは偶然であって先行した作品と実生活を結びつけるのは間違っている。「第6番」は絶対的な悲劇を描いた、今までにない“新しい交響曲”との出会い、として聴けばいいのだろう。
形は古典的な4楽章。短調交響曲として開始楽章と終楽章に短調を据えたのは、これも定型である。しかし、中間楽章は今もって演奏順の議論が続いている。アンダンテ→スケルツォとするか、スケルツォ→アンダンテとするか、である。
交響曲の構造からいえば、先にアンダンテを置けばより古典派的に、スケルツォが先となるとロマン派的な雰囲気を帯びることになるだろう。聴き手の心理からすると、アンダンテは前の楽章を受け沈静した感情に満たされたところで一旦小休止の気分になる。対してスケルツォはその過激な挙動が次の楽章にエネルギーを補給し、推進力を強めて行く役目を負う。
だから、アンダンテからスケルツォの順で演奏すると、アンダンテが1楽章の闘争や愛を、牧歌的な癒しや安息でもって受け止め一旦落ち着くものの、次のスケルツォの不安定さや異様さが、悲劇の終楽章と連続することによって楽曲全体に強い悲劇性を刻み込む。
一方、スケルツォからアンダンテの順では、第1・2楽章の激情や諧謔をアンダンテが中和し、再生あるいは救いの可能性を示唆して終わる。もっとも、終楽章の悲劇性は変わらないから緊張感は高まるのだけど、アンダンテによる救済がより強く感じられるように思う。
今回の演奏は、最新のラインホルト・クービク校訂によるマーラーが生前に指揮した演奏順序を根拠とするアンダンテ→スケルツォを採用していた。
交響曲は暗から明へ、闘争から勝利へ、というのが従来の定型で、終楽章が悲劇のまま終わる交響曲は、モーツァルトの「第40番」以外にあっただろうか。マーラーだって「第5番」までの交響曲においては、多楽章を試みたり、声楽を導入したりして“新しい交響曲”を目指してはいるけど、終楽章を悲劇として書くことはなかった。
マーラーの終楽章は「第6番」のあと「第7番」で乱痴気騒ぎの破天荒なものとなり、その流れはショスタコーヴィチへそのまま受け継がれ、音楽が音楽から最も遠い政治とさえ拮抗することになる。
「第6番」の異形は楽器編成にもある。4管編成が基本ながら終楽章は5管編成に拡大し、トランペットが6本に増える。そして、なにより打楽器が前代未聞の破壊力を示す。「第4番」で鈴は使ったけど、ここでは、カウベル、ムチ、鐘、木のおもちゃなど一般生活のなかで音が出るものを総動員したという感じで、究極は木製のハンマーまで登場させる。ハンマーは楽曲にドラマ性を付与するための象徴だろうが、当初は5回叩いたという。現在では2回か3回打ち下ろされる。
今回の打撃は2回。舞台後方の中央、ティンパニの横に台座が置かれていて、大柄で丸坊主の首席のジョエル・ビードリッツキーがハンマーを打ち下ろした。視覚的にも迫力満点だった。
配られた名フィルのメンバー表によるとカタカナ書きの団員が4、5人いる。国際色豊かである。首都圏のオケにおいても神奈川フィルや新日フィルなどは演目別に出演者一覧を配布してくれる。こういったサービスはオーケストラを身近に感じることができるのではないか。他のオケにも広がっていくと良い。
マーラーはロットと誓い合ったように、二人して“新しい交響曲”の創始者たらんとした。
この「第6番」では形式は厳密に古典を踏襲しながら――という意味では2、3楽章はアンダンテ→スケルツォ(メヌエット)の順が相応しいと個人的には考えるが――その中身はオケとしての限界を極めた楽器編成や、大胆な鳴り物の採用、発想を転換した楽章の性格付けなど、斬新なアイデアが詰まっている。
“新しい交響曲”という問いに対するマーラーとしての一応の最終回答がこの「第6番」だと思う。
2023/11/4 本名徹次×ベトナム国立響 オペラ「アニオー姫」 ― 2023年11月05日 11:04
日越外交関係樹立50周年記念
オペラ「アニオー姫」(チャン・マィン・フン作曲)
ベトナム国立交響楽団、ベトナム国立オペラバレエ団
日時:2023年11月4日(土) 14:00開演
会場:昭和女子大学 人見記念講堂
指揮:本名 徹次
出演:アニオー姫/ダオ・トー・ロアン
荒木宗太郎/小堀勇介
占い師/ファム・カイン・ゴック
グエン王/ダオ・マック
お后/グエン・トゥ・クイン
大臣/グエン・フイ・ドゥック
長崎奉行/斉木健詞
家須/川越未晴
主な制作スタップは以下の通り。
代表:本名 徹次
(ベトナム国立響 音楽監督兼首席指揮者)
作曲:チャン・マィン・フン
演出:大山 大輔
作詞:大山 大輔(日本語)
ハー・クアン・ミン(ベトナム語)
漆画キービジュアル:安藤 彩英子
共同制作:ベトナム国立交響楽団
ベトナム国立オペラバレエ団
本名徹次が日越外交関係樹立50周年に向けて新作オペラ「アニオー姫」プロジェクトを立ち上げ、400年前に実際にあった史実をモチーフとして、オリジナルオペラを制作した。このオペラは9月のベトナム公演を経て、昨日、日本でプレミアム公演が催された。
新作オペラ「アニオー姫」は全4幕、各幕とも30分程度、前半1・2幕の舞台はホイアン、後半3・4幕の舞台は長崎で、計2時間ほどの物語である。
第1幕
朱印船貿易商・荒木宗太郎は広南(ベトナム中部)を目指し南シナ海を航海中、大嵐に巻き込まれる。嵐の後、漂流している舟を発見する。舟に乗っていたのは子供たち4人。いたずらで舟を出し流されてしまった。宗太郎は彼らに粥を与え優しく語りかける。子供たちの一人、玉華姫は宗太郎から「ARIGATO」という日本語を教えてもらう。
第2幕
十年後、ベトナム中部の都市ホイアン。宗太郎は仕事や武術の指導で大忙し。その時、暴れ象が飛び出し大騒ぎに。宗太郎は助けに入るが象に踏みつけられそうになる。その瞬間、玉華姫の笛の音が響き渡り、象は落ち着きを取り戻す。宗太郎はお礼の言葉を述べ、二人は「ARIGATO」という言葉で洋上での出会いを思い出す。国王は二人の固い決意を受け結婚を許す。盛大な婚礼の儀を終え二人は長崎へ向かう。
第3幕
宗太郎と玉華姫は娘・家須を授かり、長崎の人々から「アニオーさん」と親しまれ幸せな日々を送っていた。そんなある日、長崎奉行から鎖国が通達される。宗太郎はアニオー姫や娘を国王夫妻に会わせることも、外洋に出ることも許されず悲嘆に暮れる。
第4幕
宗太郎は鎖国が解けぬまま帰らぬ人に。失意のアニオー姫を夢枕に立った宗太郎が優しく励ます。アニオー姫は悲しみに暮れるよりも家須とともに長崎で生きることを誓う。やがてアニオー姫も最期の時を迎える。家須は「二人が愛し合った物語をお祭りにしてこの地に残しましょう。互いの故郷に再び行き来できるその日を夢見て」と語る。長崎奉行も賛同し、人々の想いを乗せて大合唱となり大団円を迎える。
演出と日本語作詞は大山大輔、キービジュアルは安藤彩英子。悪人が一人もいない気持ちのよいお話。チャン・マィン・フンの音楽はベトナムと日本の民謡などを取り込み親しみやすい。第3幕では両国の子守歌がまるまる歌われる。
第1幕の暴風雨の場面、舞台奥のスクリーンに荒れ狂う海が映し出され、さらに、オペラバレエ団が波頭を演じて臨場感たっぷり。第2幕の暴れ象もスクリーンで描かれる。占い師のアリアはコロラトゥーラが用いられる。ソプラノのファム・カイン・ゴックの経歴をみると「夜の女王」をレパートーリーにしている、なるほどと納得。終盤、宗太郎と玉華姫の二重奏は、テノールの小堀勇介、ソプラノのダオ・トー・ロアンとも軽い音質で若々しい。第3幕にも宗太郎と玉華姫のそれぞれの美しいアリアがおかれている。第4幕では遺子である家須のアリアがあり、ソプラノ川越未晴の歌唱も見事だった。フィナーレの「長崎踊り」は打楽器が盛んに打ち鳴らされまさに大団円。オペラにしては言葉が多いから字幕を追うのに大変だったけど。
本名徹次は、大昔、名フィルや新星日響で聴いている。ベトナム国立交響楽団のポジションに就いて、そのあとの苦労話も何かで読んだことがある。これだけのプロジェクトを立ち上げ、もう一度鑑賞したくなるような作品でもって成功裡に導いた。賞賛以外の言葉を知らない。
プレミアム公演の会場を人見記念講堂にしたのは、昭和女子大学がホイアンの遺跡発掘調査などで関係が深いせいなのかも知れない。人見記念講堂はサントリーホールが出来る前、よく海外オケの来日演奏会で使われていた。三軒茶屋から徒歩圏内にあり交通の便もまずまず。古いからバリアフリーなど行き届かない面があるが、建物はよく整備され音響も申し分ない。
「アニオー姫」はこの後、明日6日、特別音楽朗読劇として長崎初演が予定されている(長崎ブリックホール国際会議場)。