2026/5/4 高橋勇太×MM21響 マーラー「交響曲第5番」2026年05月04日 21:13



みなとみらい21交響楽団 第30回定期演奏会

日時:2026年5月4日(月・祝) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:高橋 勇太
演目:R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
   マーラー/交響曲第5番 


 R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。冒頭、弦と金管が一斉に力強く上昇し、精力的で活気に満ちた主題を提示し、ソロヴァイオリンがロマンチックな旋律を歌う。オーボエを中心とした木管たちが多様な彩りを加えると、それらをホルンの強奏が遮り、対抗するように英雄的なテーマが奏でられる。こういった楽器のやりとりが続き、そのうち音楽は暗く沈み込み事切れるように終わる。20代半ばで書いた出世作は、物語の展開や管弦楽の取り扱いなど、10年後の最後の交響詩「英雄の生涯」を予告している。
 官能的で鮮やかな色彩とスピード感を合わせ持ち、音階をとてつもない速度で駆け上がったり、急ブレーキをかけたりして、弦管打楽器とも高度な演奏技術が必要なR.シュトラウス。この作家に挑戦するアマオケは、余程技量に自信があるのか、無謀な試みを趣味にしているのか、そのどちらかだろう。MM21響は以前も「家庭交響曲」などを取り上げており、“技量”も“無謀”も両方併せ持ったオケである。指揮の高橋勇太は難曲「ドン・ファン」をバランス良く鳴らし、アマオケ相手に破綻なく見事な仕上がりをみせてくれた。
 
 マーラーの「交響曲第5番」は第3楽章のスケルツォを真ん中にして1・2楽章と4・5楽章が対称的に配置される。葬送行進曲からはじまり、憤怒が爆発し、舞曲が曲の中心におかれる。アダージェットはヴィスコンティの『ヴェニスに死す』で一躍有名になった。フィナーレは開放的にどこまでも明るく高揚する。
 葬送行進曲はトランペット1本ではじまるから、奏者にとっては緊張するところだけど、まずまずの滑り出し。葬送の歩みは足を引きずるよう。途中の悲壮で激しく情熱的な部分を経て葬列が彼方に去って行く。次楽章の嵐のように荒ぶるところも悪くはなかったが、中間部のゆったりとした鄙びた旋律が美しかった。スケルツォではホルンのトップが舞台下手のハープの後方に移動して立奏、オブリガート・ホルンとして大活躍した。ここでも中間部の静かで幻想的なトリオが魅力的だった。アダージェットはハープと弦のみ、アマオケによるこれほど陶酔的な演奏は賞賛に価しよう。フィナーレはここまでのモチーフを変形しながら回想する。高橋勇太はどちらかというとオケを冷静にコントロールするほうだが、さすが徐々に熱量を増しつつコーダに向かって周到にクライマックスをつくった。

 高橋勇太はテンポやダイナミクスに無理がなく息遣いが自然で好ましい。MM21響は金山隆夫や田部井剛なども指揮を執るが、高橋との相性が一番いいのではないかと思う。今日も期待を裏切らないMM21響の立派な演奏会だった。

2026/4/12 大井駿×春オケ ベルリオーズ「幻想交響曲」2026年04月12日 21:48



Orchestra of Spring flat PROJECT vol.7

日時:2026年4月12日(日) 13:30開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
指揮:大井 駿
演目:サン=サーンス/交響詩「死の舞踏」
   ロイド=ウェバー/交響組曲「オペラ座の怪人」
   ベルリオーズ/幻想交響曲


 大井駿は気になる音楽家の一人である。ピアニスト、古楽器奏者であり、広島の次世代指揮者コンクールにて優勝し、そのあとハチャトゥリアン国際コンクールで第2位となった。文筆活動にも積極的である。
 大井は今シーズン、といっても来年の1月、東響の名曲全集に登場するけど、その前にアマチュアのOrchestra of Spring(春オケ)を振るというのでチケットを取った。東響の名曲全集といえば2月には喜古恵理香がラーンキと共演するから、この両公演は今から待ち遠しい。
 そう、喜古についても数年前に春オケを相手にしたコンサートを聴いた。春オケは設立して10年ほどの新しいアマオケだが、有望な若手指揮者を招聘して演奏会を開いてくれる。

 今日は「定期演奏会」ではなく「flat PROJECT」というシリーズ。春オケのHPによると、「flat PROJECT」とはクラシックに馴染みのない人も気軽に立ち寄れる演奏会のことらしい。今回のテーマは「ゴシック・ロマンス」、“怪しくも楽しく、哀しくも美しい…そんな、音楽が描く魅惑の舞台へ”と謳っている。だから「幻想交響曲」に併せて「オペラ座の怪人」などが演目に入っている。各曲の開始前には堀井秀子さんのナレーションがついた。

 まずはサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」。ヴァイオリンとピアノ曲にアレンジされたりピアノ独奏曲にもなっており、管弦楽のヴァイオリンソロは変則調弦された楽器で弾く。コンマスの役割は大きい。
 コンマスは黒いガウンを頭から被り仮面をつけて指揮者と一緒に登場した。楽曲の不協和音は死神を表現しているというからそれに仮託した衣装かも。曲は「怒りの日」の主題が現れたり、シロフォンによる骸骨のぶつかり合う音や明け方の鶏の鳴き声などの描写があって分かりやすい。
 大井は小泉和裕と同じように下半身ほぼ不動で上半身のみをゆったりと動かし、音楽は先を急ぐことなく悠然と進む。若いのに老成した練達の指揮ぶりにみえる。

 「オペラ座の怪人」は舞台ではなく映画で観た。ジェラルド・バトラーがファントム役で、今思うとバトラーが歌ったなんてちょっと信じられない。
 音楽の始まりは上昇音型から下降音型へとミューザのパイプオルガンとオケが派手に鳴る。オルガンの奏者は澤菜摘。この4月、大木麻理の任期満了に伴いホールオルガニストに就任した。
 ミュージカル界の巨星・ロイド=ウェバー作曲の「オペラ座の怪人」組曲は何種類かあるが詳細は不明、演奏時間30分程度の抜粋版だった。大井は序曲と終曲を迫力十分に響かせ、途中は対比させるように切ないメロディーラインを美しく際立たせた。

 「幻想交響曲」はフルネ以前はほとんど記憶に残っていないが、フルネ以降はエッティンガー、スダーン、デュトワ、R.アバドや川瀬、下野などをよく覚えている。トルトゥリエなど期待外れもあったけど。
 「幻想交響曲」となると、大井はさすが下半身不動というわけにはいかず、各パートにしっかり身体を向け上半身の身振りも激しくなった。音楽の骨格は太くがっしりしており、音の増量も減量もスムーズで作為を感じない。各楽器の輪郭は明確で歩みは悠々としてテンポを神経質に動かさない。それでいて起伏の作り方が上手いからドラマチックに盛り上がっていく。
 大井はオケに無理をさせているようにはみえないけど各楽器が非常によく鳴った。例えば第3楽章のクラリネットの超高音域、イングリッシュホルンと舞台外のオーボエとの掛け合い。第4楽章の行進曲におけるティンパニ2組、バスドラム2個を並べた打楽器のめざましい働き、最終楽章となると「怒りの日」のファゴットやクライマックスへ向けてのホルン、トロンボーン、チューバなどの金管群の咆哮など。アンサンブルや技術に多少の難があっても音楽として崩れることがないのには感心した。春オケの各奏者も大健闘であった。

 大井駿は傑出した若手指揮者の一人であると確信した。東響との演奏会はまだまだ先ながらモーツァルトの「交響曲第39番」とR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲などが予定されている。とても楽しみである。

プロジェクト・ヘイル・メアリー2026年04月07日 16:35



『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

原題:Project Hail Mary
製作:2026年 アメリカ
監督:フィル・ロード
   クリストファー・ミラー
脚本:ドリュー・ゴダード
音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:ライアン・ゴズリング、ザンドラ・ヒュラー、
   ライオネル・ボイス、ジェームズ・オルティス


 原作はアンディ・ウィアーによる同名のベストセラー小説で、SF分野ではかなり有名な本らしいけど未読。映画の予告編もあえて見逃し、ライアン・ゴズリングとザンドラ・ヒュラーが出演するということだけでぶっつけ本番、白紙のまま鑑賞した。
 以前、ゴズリングがエミリー・ブラントと共演するからと観に行った『フォールガイ』と同じようなものだ。ザンドラ・ヒュラーはドイツ出身、『落下の解剖学』にとても感心した。ゴズリングとどのような丁々発止をするのか期待は大きい。

 アンディ・ウィアーは映画との関係ではマット・デイモン主演の『オデッセイ』において原作『火星の人』を提供している。脚本を書いたドリュー・ゴダードも『オデッセイ』の台本を担当した。科学的なリアリティと人間ドラマを両立させるには万全の布陣である。
 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』については、事前に本に目を通しておけばアストロファージとかペトロヴァ・ライン、タウメーバやキセノナイト、何より惑星エリドとエリディアン文明などの詳細が知識となり、別の楽しみ方が出来たかも知れない。いやいや、そうはしなかったけど、この映画は映画として最高であって大満足の一作だった。

 「ヘイル・メアリー」とは「アヴェ・マリア」の謂いで、英語圏では「イチかバチか」「神頼み」の意味で使われることがあるという。未知の物質によって太陽が衰え、地球は氷河期に突入し全生命の滅亡まであと30年しかない。人類を救うミッションの責任者ストラット(ザンドラ・ヒュラー)は科学教師グレース(ライアン・ゴズリング)らを宇宙船ヘイル・メアリー号に乗せ、はるか11.9光年彼方の不思議の星タウ・セチへと送り込む。人類の存亡を賭けたプロジェクトに挑むグレースと宇宙で出会う異星人との連帯と奮闘が描かれる。ファースト・コンタクトものでもある。
 人類の滅亡という重いテーマだけど、映画の感触はポジティブでユーモアに溢れ、ポップな画面やファンタスティックな映像にワクワクする。宇宙での現在と地球での過去の出来事が交錯し、だんだんと事態が明らかとなり物語が姿を現す。荒唐無稽なスペース・オペラではあってもSF的要素は物語の背景であり、主題は境界のない友情あるいは無償の愛あるいは正真正銘の自己犠牲である。それも惑星をこえ、種をこえた、とてつもなく大きな友情と愛と自己犠牲の物語。
 主人公のグレースは決して勇敢でも偉大でもない、臆病で責任など引き受けたくもない現実逃避型のそこらじゅうにいる普通の人間、そのヒーローらしからぬヒーローの振舞いをゴズリングが好演する。『ファースト・マン』の重さとは真逆であって、ちょっと軽めのコミカルな役どころを奥行きをもって演じる。ザンドラ・ヒュラーはやはりピリリと辛め、ゴズリングとの複雑な感情のやりとりは見応え十分ながら絡みはわずかなのが残念。その代わりゴズリングのほとんど一人芝居をたっぷりと楽しむことができる。
 もう一人の主人公が異星人のロッキー、岩のような見かけだからグレースが名付けた。形はゴツイ蜘蛛のようにもみえる。どうやら視覚を備えていなくて潜水艦におけるソナーのごとく音で世界を認識している。この造形が滅茶苦茶可愛い。CGでなくてパペットを使ったようで存在感十分、映画『ロッキー』同様、何度倒されてもけっして挫けない。理性的で理屈っぽい地球外生命だけど友情と愛と自己犠牲は人間以上、その表現や仕草が愛おしい。

 画中、小ネタもいろいろ楽しめる。
 グレースとロッキーとのファースト・コンタクトのとき、『未知との遭遇』におけるUFOが意思疎通に使った音階をグレースが口ずさみロッキーが反応する。
 ロッキーとコミュニケートする際にグレースが踊るダンスは『ラ・ラ・ランド』でみたような。
 グレースがロッキーと会話するための音声変換で試しにメリル・ストリープの声を聞かせる。グレースは「名優だな」と呟く。メリル・ストリープの声だけのカメオ出演である。ロッキーの声は最終的にはジェームズ・オルティスが務めるのだが、オルティスはパペットであるロッキーの操演が本職らしい。
 地球救済のためのデータと試料を地球に送るための小型無人探査機の名前が「ビートルズ」、4機ありジョン、ポール、ジョージ、リンゴという名前がついている。
 などなど遊び心がいっぱい。これらの幾つかは原作に書かれているのだろうか?

 そして、音楽が素晴らしい。担当はイギリスのダニエル・ペンバートン、挿入曲のセンスが抜群で泣かせる。
 映画を観終わってから調べたのだけど、ロック、タンゴからフォルクローレ、マオリ民謡まで、歌詞が字幕で紹介されることもあり、どうしてこうも物語にぴったりの曲を探し出したのかと驚くほど。
 宇宙船のなかで一人ぼっちになり、孤独と絶望に打ちひしがれるグレースが聴くクリス・クリストファーソンの「Sunday Mornin’ Comin’ Down」、アコースティックギターの爪弾きと哀愁の歌声が心に沁みる。
 グレースとロッキーの宇宙船が同期しながら回転するときにアルゼンチン・タンゴの名曲「El amanecer」が流れる。
 プロジェクトの責任者ストラットがカラオケで歌うハリー・スタイルズの「Sign of the Times」、非情なはずの彼女がふと温かい人間の顔をみせる。このシーンのために歌詞があるのでは、と錯覚するほど意味深い内容である。
 グレースとロッキーがそれぞれの惑星に帰るときには、マオリ族の民謡「Po Atarau」(Now Is The Hour)を使う。素朴な別れの歌が涙を誘う。
 小型探査機「ビートルズ」が地球に打ち出されるときには「トゥ・オブ・アス」が歌われる、“僕らは帰る途中、僕らは帰る途中…”もちろんビートルズの。
 エンドクレジットにはアイク&ティナ・ターナーのゴスペルソングである「Glory, Glory」が重なる。苦難の旅路のあとである、”重荷は降ろした、栄光あれ、ハレルヤ、もう家に帰ろう”と。
 挿入曲は以下のサイトでまとめて確認することができる。

https://filmmusik.jp/project-hail-mary/

 監督のロード&ミラーの映像は軽やかなコミック調でありながら俳優やパペットの表現によって主題をどんどん膨らましていく。とんでもなく残酷で救いようのない状況だからこそ、その友情や愛や自己犠牲によけい泣かされ笑わされる。小さな勝利のたびにグレースとロッキーとで生命維持防具をはさんでグータッチやハグが繰り返される。そのたびに感情が抑えきれなくなって困った。
 ロード&ミラーはウォシャウスキー姉妹やコーエン兄弟のようなふたり組の監督だけど詳しくは知らない。映画ではアニメーションの監督・脚本でスタートし、過去にはアニメ「スパイダーマン スパイダーバース」で破天荒な映像表現を創作したという。アニメ制作で鍛えただけあって誇張や軽薄さを恐れない。だからこそ、常識をこえたロッキーという異星人を容易にあやつりパペットに命を吹き込むことができたのだろう。ピノキオをつくったゼペット爺さんみたいなものだ。若き監督ではあるけど才能の塊、革新的な映像クリエーターである。
 
 ありきたりの臆病な人間が異星人とともに全生命の救済をめざして闘う。かけがいのない異形の友と一緒に困難を克服していく。過酷で絶望的な環境であってもユーモアを忘れず、友情、愛、自己犠牲といった使い古された主題を高めていく。
 映画のなかの出来事だと分かってはいても、前向きで楽天的で諦めることを知らない彼らに拍手喝采し、人間はまだまだ捨てたものではないと思う。たとえ幻想だとしても艱難辛苦の先に良き世界があり、勇気や希望を失ってはならないと言い聞かせてみたくなる。これって凄いことじゃないか。
 映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、原作の小説を読んでから再度観たい。しかし、文庫本上下巻で計900頁を超える大部を上演期間中に読み切る自信がない。
 この映画の製作はAmazon MGMスタジオだから、半年か1年後にはPrime Videoで公開されるだろう。それまでに読破すればPrime Videoで見直すことはできる。
 そうと決まれば、近々もう一度大型画面で観てもいいのではないか、と思案している。

2026/3/29 アクセルロッド×音大FO ガーシュウィン「パリのアメリカ人」2026年03月29日 21:28



第15回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ
    (首都圏8音楽大学+関西の音楽大学 選抜)

日時:2026年3月29日(日) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョン・アクセルロッド
演目:バーンスタイン/「キャンディード」序曲
   コープランド/バレエ組曲「アパラチアの春」
   ドアティ/ルート66
   ガーシュウィン/パリのアメリカ人


 年度末恒例の特別編成による音大オケコンサート。今年度は首都圏の8大学に加え関西から京都市立芸大と相愛大が参加し、計10大学の選抜メンバーによるフェスティバル・オケをアクセルロッドが指揮をした。
 アクセルロッドといえばコロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役を務め各地のオーケストラを振った。彼は入国制限の直前に来日をしていたので、そのまま帰国せず随分長く日本に留まり指揮をした。各楽団の事務局としては幾多の演奏会を守ってくれた救世主に思えたに違いない。
 今回はオールアメリカンプログラム。アクセルロッドはテキサス州ヒューストンの生まれでバーンスタインやエッシェンバッハに学んだ。まさしくお国もの、身体に馴染んだ曲ばかりだろう。

 バーンスタイン「キャンディード」の組曲版は昨年大植×神奈川フィルで聴いた。楽天家キャンディードが世界各地で波乱万丈の冒険劇を繰り広げるミュージカル。世界中を舞台とするから音楽は様々なジャンルのごった煮のようだった。序曲は物語の期待を高めるように華々しくはじまり、快速で最後まで駆け抜ける。組曲は壮大にして感動的な人間賛歌で終結したけど、序曲は軽快かつ陽気なコーダだった。アクセルロッドと音大選抜は元気の良いダイナミックな演奏でフェスティバルの幕を開けた。

 コープランドの「アパラチアの春」組曲、もともとは13人編成の小管弦楽によるバレエのための曲、これをオーケストラ用に編曲したもの。組曲版は特に打楽器が注目でバスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、シロフォン、ウッドブロックなどを揃え、クラベス、テイバーという珍しい楽器も加わる。クラベスは木片の拍子木のようなもの、テイバーは1本バチの長太鼓である。これだけの打楽器を今日は4人の奏者でまかなった。スネアドラム、トライアングル、ウッドブロック、クラベス、テイバーはまとめて1人が担当した。とっかえひっかえ叩いて途中でクラベスを床に落とすというアクシデントもあったけどドンマイ、敢闘賞ものだ。
 「アパラチアの春」は開拓民の素朴な世界を音にしたものといわれ、曲後半の変奏曲ではキリスト教シェーカー派の讃美歌「シンプル・ギフト」の主題を使っている。アクセルロッドは抑制のきいたコントロールで学生オケをまとめ上げ、詩情あふれるコープランドを奏でてくれた。

 休憩後、日本初演のドアティ「ルート66」でスタート。「ルート66」とはシカゴからカリフォルニアを結んでいた国道。TVドラマや映画、小説や音楽などの題材にもなっている。冒頭の4本のトランペットが格好いい。リズミカルな音楽が連続し、車のエンジンやブレーキの擬音が挿入されるなど親しみやすい曲。ここでも打楽器が大活躍、若い力が結集した派手で楽しい演奏だった。

 「パリのアメリカ人」はガーシュウィンが旅行中に体験したパリの街並みを活力一杯に描いた作品。タクシーホーンがけたたましく鳴り、通りの喧騒や街中のざわめきが切り取られる。アメリカ人がパリを散策する。アルト、テナー、バスの3本のサクソフォンはアメリカへの郷愁か、そのままミュージックホールから洩れる音色か。アクセルロッドは各楽器を際立たせ強くメリハリをつける。音大選抜は色彩豊かに躍動感あふれる熱演で応えていた。
 「パリのアメリカ人」は劇伴音楽として書かれた作品ではないが、ガーシュウィンの亡くなったあと同じ題名の映画が作られた。ガーシュウィンはニューヨークのブルックリンで東欧系ユダヤ人の移民の子として生まれ1937年に永眠、わずか38歳の生涯だった。

ブーニン2026年03月02日 17:05



『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再生』

製作:2026年 NHKエンタープライズ/KADOKAWA
監督:中嶋 梓
総合プロデューサー:小堺 正記
音楽監修:スタニスラフ・ブーニン
出演:スタニスラフ・ブーニン、中島ブーニン榮子
   小山実稚恵、ジャン=マルク・ルイサダ


 ブーニンはもちろん知っている。10代でショパンコンクールを制し、日本でも一大ブームを巻き起こした。でも、それ以外に何を知っている? 亡命、日本人の伴侶、病、沈黙、リハビリ、復帰…彼の半世紀にわたる軌跡について何も知らなかった。

 もともと室内楽をほとんど聴かないのだから器楽曲のコンサートなどほぼ縁がない。ブーニンの生演奏にも出向いたことがなかった。その彼の日本でつくられたドキュメンタリーである。
 映画は「天才」「苦悩」「試練」「亡命者」の4楽章構成。過去の出来事は主にNHKのアーカイブが使われている。演奏シーンも多く挿入されフィルムコンサートのようでもある。

 導入は八ヶ岳高原音楽堂におけるバッハの「平均律」ではじまる。
 ブーニンは1966年モスクワに生まれ、1985年第11回ショパンコンクールに優勝。フィルムで聴く「猫のワルツ」の快速演奏にびっくりする。その時の入賞者である小山実稚恵とジャン=マルク・ルイサダがブーニンについての思い出を語る。
 来日コンサートでは武道館でも演奏した。今では考えられないことだけどビートルズ並みである。1988年には冷戦下のソ連から西ドイツに亡命し活躍を続けたが、2013年に突然演奏活動を中止する。左手の麻痺、糖尿病、骨折から壊疽を起こし左足を8cm切断という苦難に見舞われる。リハビリを経て2022年の八ヶ岳高原音楽堂でのリサイタルで復帰する。
 映画は20世紀の終わりから21世紀の初頭にかけてのブーニン最盛期には触れず、苦難からリハビリ、そして復帰への道のりを妻榮子の支えとともに描く。その間、ブーニンを敬愛する桑原志織や反田恭平、亀井聖矢のインタビューなどが挟まれ、2025年12月のサントリーホールでの演奏会が長時間収録されている。
 ドキュメンタリーの終わりには2026年1月の東京芸術劇場における「日本デビュー40周年記念コンサート」でのアンコール曲が流れる。NHK交響楽団メンバーによる室内合奏団との共演でバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だった。

 カムバックしたブーニンは完全に障害が癒えたわけでなく、ダイナミクスやスピードなどは「猫のワルツ」のときの超絶技巧と比べるまでもない。しかし、今の身体や技術で表現しようとする朴訥とした抑揚と歌そして意思は、失ってしまった力感や輝かしさを補っているように思えた。音楽には技術を超えて訴えてくる何かがたしかにある。ブーニンは長身痩躯、貴公子然とし眼光は鋭い。復帰後のピアノはFazioliを使っていた。