2026/7/19 Quintet 樹 (Itsuki) ビゼー「カルメン組曲」 ― 2026年07月19日 21:28
大倉山ジョイフルコンサート 第81回
木管アンサンブル Quintet 樹 (Itsuki)
日時:2026年7月19日(日) 14:00開演
会場:横浜市港北公会堂
出演:フルート/清水 伶
オーボエ/浅原 由香
ホルン/信末 碩才
ファゴット/長田 和樹
クラリネット/亀居 優斗
演目:モーツァルト/アンダンテ ヘ長調 K.616
ハイドン/ディヴェルティメント
ダンツィ/木管五重奏曲イ長調 作品68-1
イベール/3つの小品
ミヨー/ルネ王の暖炉
ビゼー/カルメン組曲
久しぶりに大倉山のジョイフルコンサートに出かけた。コロナ禍のとき会場を大倉山記念館ホールから港北公会堂に移したが、いまだ古巣に戻ることができていない。
今日は「Quintet 樹」が出演する名曲コンサート。「樹」は若手の管楽器奏者で結成された木管五重奏団、4人の木管奏者にホルンが加わる。一昨年のミュンヘン国際音楽コンクールで特別賞(委嘱新曲作品優秀賞)を受賞して話題となった。清水は新日フィル、浅原は札響、長田はケルン・ギュルツェニヒ、亀居は神奈川フィル、信末は日フィルの首席あるいは副首席で、5人ともほぼ同世代だという。
前半は独墺の作曲家。まずはモーツァルトの「アンダンテ K.616」、モーツァルトが亡くなった年の作品。蝋人形館に設置された機械仕掛けの自動オルガン用に作られた。自動オルガン用となれば音域、音型、和声などに制約があるはずだが、木管五重奏版の美しさと陰影に驚嘆する。
なお、余談ながら、曲の依頼主は蝋人形館の経営者であるヨーゼフ・ダイム伯爵であり、その妻ヨゼフィーネはベートーヴェンと深い関係があった女性である。
「アンダンテ K.616」のあと、清水伶と浅原由香がマイクを持って楽器と奏者の紹介をした。各奏者は挨拶代わりに「白鳥の湖」や「アルルの女」のメヌエット、「魔法使いの弟子」などからソロの一節を吹奏した。そして、ハイドンの「ディヴェルティメント」へ。
多作家のハイドンはたくさんのディヴェルティメントを残したけど、「ディヴェルティメント」といえばこの曲。もとの管楽八重奏曲を木管五重奏曲としてアレンジしたもの。第1楽章は飛び跳ねるようなリズムが特徴で生き生きとした活気に満ちている。第2楽章は賛美歌である「聖アンソニーのコラール」の旋律が知られている。のちにブラームスが「ハイドンの主題による変奏曲」に用いたから余計有名になった。第3楽章はメヌエット、宮廷舞踊に由来するであろう優雅で落ち着いた舞曲。第4楽章は明るく軽快で、主題が何度も顔を出し華やかに曲を締めくくる。「樹」は一人一人がしっかりとしたテクニックとセンスがあって色彩がとても豊か。各楽器のバランスが崩れないのも特筆すべきだろう。
前半最後はダンツィの「木管五重奏曲イ長調」、ダンツィはベートーヴェンと同世代。清水伶の話によると今年はダンツィの没後200年のメモリアルで、過日、9曲もあるダンツィの木管五重奏曲全曲の演奏会を3時間半かけて完走したという。作品68-1はそのなかでは演奏機会が多いらしい。曲の様式は古典的で旋律は伸びやか、楽器の響きが溶けあって美しい。ベートーヴェンの先進性に並ぶというよりはひとつ前の時代の雰囲気がある。
開始楽章のアレグロが終わったところで外からかすかに緊急車両のサイレンが聞えてきた。港北公会堂は音響的にそれほど酷いものではないが、音楽専用ホールとは違い防音には難がある。次楽章の開始まで長めに休みを取り、無事前半の3曲が終わった。
休憩後、後半はフランスの作家たち。最初はイベールの「3つの小品」。1曲目は躍動感と軽快さにあふれる舞曲風の主題が繰り返される。楽器同士がリズミカルに掛け合う。2曲目はフルートとクラリネットが互いの旋律を模倣する二重奏が印象的。中間部は穏やかで安らぎのある音楽。3曲目はホルンの短い序奏のあとクラリネットが滑稽な旋律を奏でる。軽妙でユーモアが全開となる洒脱なフィナーレ。
イベールの「3つの小品」は木管五重奏のなかの代表的な作品だというが、なるほど「樹」の色彩の奔流ともいうべき各楽器の掛け合いを聴いていると納得である。管楽器の奏法や機能を拡張してきたのは間違いなくフランスの作曲家たちなのだろう。
ミヨーの「ルネ王の暖炉」のもとは映画音楽、木管五重奏のために組曲として編んだ。ミヨーの故郷プロヴァンス地方は冬でも暖かな並木道があり、プロヴァンスを治めたルネ王が毎日この道を散歩したことから「ルネ王の暖炉」と呼んだという。
組曲は短い7曲で構成され、「1.行列」「2.朝の歌」「3.軽業師」「4.恋歌」「5.アルク川の槍試合」「6.ヴァラブルでの狩」「7.夜のマドリガル」からなる。形式や旋律は古典的だけど楽器の使用法や和声は近代的な新古典主義音楽。聴きながらストラヴィンスキーの「プルチネルラ」を思い浮かべていた。
最後は「カルメン」組曲。組曲として知られているのはギローによる編曲で、前奏曲と間奏曲を中心とした「第1組曲」と、アリアや合唱を管弦楽用に編曲した「第2組曲」であるが、ビゼー自身の編曲でないためか、演奏順を変えたり、2つの組曲から適宜選曲して演奏されることが多い。木管五重奏版も「第1組曲」に「第2組曲」のなかの「ハバネラ」を加えて編曲したもののようだ。
情熱的なスペインの舞踏のなかで歌う哀愁おびたオーボエ、カルメンがホセを誘惑するフルートの音色、ファゴットの牧歌的な旋律などなど魅力満載で、全員がオーケストラのメンバーだからか大管弦楽曲のノリと勢いを感じさせてくれた。とくにクラリネットの亀居優斗とホルンの信末碩才の弾けぶりが微笑を誘った。亀居優斗の超絶技巧はすでにフランセの「クラリネット協奏曲」で証明済みだけど、日フィルのホルンの首席はこの信末碩才もそうだけどいつの時代も名手ばかりで感心する。
「Quintet 樹」はこのあとリサイタルが続くようだが、22日の銀座 王子ホールは完売になったという。そこでのプログラムのひとつ、フランセ「木管五重奏曲 第1番」の第2楽章をアンコール曲にして今日の演奏会は終幕となった。
フェスタサマーミューザのチケット販売状況 ― 2026年07月13日 16:29
7月25日から8月11日にかけて開催されるフェスタサマーミューザのチケットは、すでに4月から販売されているが、セット券販売終了に伴い、昨日よりセット券の残席を1回券に切り替えて販売している。
予定枚数が終了となっていた東響のオープニングとフィナーレ・コンサート、および新日フィル、日フィル、東フィルについて若干追加で購入できる。最後のチャンスらしい。
もっとも、都響、N響、読響の御三家を含めほかの公演はチケットに余裕がありそうだから慌てる必要はないけれど。
今年のお祭りは3公演を確保した。ブリテン目当ての都響と、周防亮介がブラームスの協奏曲を弾く日フィル、そして、ベートーヴェン「レオノーレ第3番」「交響曲第4番」と「春の祭典」を演奏する昭和音大+テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ。酷暑にならないことを祈りたい。
2026/7/11 沼尻竜典×神奈川フィル ブルックナー「交響曲第7番」 ― 2026年07月11日 19:12
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第415回
日時:2026年7月11日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ブルックナー/交響曲第7番ホ長調 WAB107
沼尻竜典はハイドン、モーツァルトから武満、三善まで幅広いレパートリーを誇り、室内合奏からオペラまでのあらゆる編成をたやすく統御するが、どちらかというと音符の多い複雑な楽曲を鮮やかに描き分けることが得意で、交響曲ではマーラーやショスタコーヴィチ、管弦楽ではR.シュトラウスやラヴェルなどを面白く聴かせてくれる。多分、本人も輻輳した声部や管弦楽法を解き明かしながら指揮するのが好きなのだろう。
だから、と言えるのかどうか分からないけど、今まではあまりブルックナーを手がけることなく、本格的に取り組み始めたのは神奈川フィルの監督になってからだと思う。ブルックナーの交響曲は基本4楽章で、楽器編成はシンプル、音符も少ない。2桁ある交響曲も楽想やリズムが同じようで「一生かけて一つの交響曲を書いた」などと悪口を言われる。
沼尻のブルックナーは「第5番」を聴いたのみで、昨年の「第8番」は東響と重なったため別公演に振替えてしまった。この「第7番」は沼尻が指揮する2曲目のブルックナーとなった。
金管が珍しい配置だった。16型の弦(コンマス:松浦奈々)は舞台に向かって左から第1、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、チェロの後方にコントラバスと普通に位置していたが、金管は左からワグナーチューバが4本、ホルンが5本、その隣にチューバ、中央にトロンボーン、右手にトランペットという順。
ワグナーチューバのトップは豊田実加、ホルンは久しぶりの坂東裕香、チューバは宮西純。トロンボーン奏者の並びは通常とは反対となり首席の府川雪野とトランペットの林辰則が隣り合わせに座った。
ホルンの横にチューバという配置はノット×東響のときも見られた。これはブルックナーの楽譜にヒントがあるのかも知れないが、よくは分からない。
坂東裕香のホルンソロとチェロ、ヴィオラによる息の長い荘厳な主題で幕を開ける。3つの主題が発展しブルックナー特有の音量と密度を徐々に高めながら、コーダでは圧倒的なカタルシスを導く。
アダージョはワグナーチューバで始まる葬送音楽。敬愛するワーグナーの死と関連しているという。後半、シンバルとトライアングルが一度だけ打ち鳴らされる。終結ではワグナーチューバが再び痛切に鳴り響く。
スケルツォはトランペットのオクターヴ跳躍、特徴的な動機が野性的で快活に躍動する。トランペットの難所であるが林辰則の安定度は抜群。トリオはのどかで牧歌的、田園風景のよう。
フィナーレは開始楽章を由来とした軽やかな主題から始まり、コラールのような祈りの第2主題、力強いユニゾンの第3主題が提示される、フルートによって提示部が終わると短めの展開部があり、再現部では逆順で第3主題から第2主題を経て第1主題が現れ、最後は開始楽章の冒頭主題が全楽器によって回帰され、壮大なクライマックスを築いて終わる。
沼尻×神奈川フィルのブルックナーは、弦の肌触りが艶やかで管楽器の質感も豊か、旋律は際立ち流麗さを失わない。細やかな風合いがあって各声部は明晰で解像度が高い。あまりに明快だから曲に没入し陶酔する感覚より、曲の構造のほうについつい関心がいく。
とくに「第7番」の最終楽章は今までもうひとつ理解できなかったのだけど、結局、3つの主題が提示され、短い展開部のあと、順序を逆にして再現するという構造になっている。再現部が提示部とはさかさまに第3主題からスタートするので、展開部と再現部の境界がはっきりしないまま終結に向かってしまうのが理解しがたい原因だったようだ。
沼尻×神奈川フィルのおかげでようやくすっきりした。ともあれ「交響曲第7番」はブルックナーが還暦にして初の成功作である。厳格な対位法と柔らかな旋律とが融合し自然界と天上とが混淆したような崇高な音楽だが、同時に人間界の哀感と明朗さもある。
沼尻のブルックナーは神々しさより親しみやすさを感じさせるものだけど、楽曲の構造を自ずと意識させるくれる演奏は貴重な体験だった。
2026/7/3 藤岡幸夫×新日フィル 日本のオーケストラ作品 ― 2026年07月03日 22:07
新日本フィルハーモニー交響楽団
すみだクラシックへの扉 #41
日時:2026年7月3日(金) 14:00開演
会場:すみだトリフォニーホール
指揮:藤岡 幸夫
共演:ヴァイオリン/木嶋 真優
演目:芥川 也寸志/交響管絃楽のための前奏曲
伊福部 昭/ヴァイオリンと管絃楽のための
協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)
吉松 隆/交響曲第3番 op.75
邦人の現代音楽を3曲並べた演奏会。ゲンダイ音楽といっても調性や旋律の復興を掲げた伊福部、芥川、吉松の作品。当時のアカデミズムは時流の音楽創作に異を唱えた彼らに冷淡だった。ひとつの例として70年の歴史を誇る作曲賞の尾高賞に3人の名前はきれいさっぱり、ない。
今日のプログラムを眺めると、藤岡幸夫が首席客演指揮者を務めるシティフィルの定期公演でもよさそうなものだが、どういうわけか新日フィルを相手にして、定期でなくちょっと軽めの「すみだクラシックへの扉」としてのコンサートとなった。いきさつはともあれ、ソロの木嶋真優を含め聴き逃すわけにはいかない。
開演の30分ほど前に弦楽四重奏のプレコンサートと、そのあと藤岡幸夫のプレトークがあった。弦楽四重奏は「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」の第1楽章などを演奏し、プレトークでは今回の3曲にまつわる話を手際よく。それと、同一プログラムの今日と明日の演奏会、チケットは両日とも9割以上が捌けたという。邦人作品でこの売れ行きは、事件である。
最初は芥川也寸志の「交響管絃楽のための前奏曲」。芥川は伊福部の弟子で、この曲は東京音楽学校の卒業作品として書かれたもの。彼の管弦楽曲の第1作といっていいだろう。同じような題名の出世作である「交響管絃楽のための音楽」より数年前の作品だが、初演は芥川の死後、作曲されてから40年以上も経っていた。初演の指揮者は山田一雄となっている、懐かしい。藤岡幸夫によればプロオケが演奏するのは本日がはじめてのことらしい。
全体は緩―急―緩―急が一応の構成。初めは静かに悠然と、フルート、クラリネットなどの木管群が音量を増し、弦楽が重なりピアノが加わる。突然、曲調が変わり低音の強調、金管の強奏、打楽器の強打と派手派手になる。上品で高貴な舞から、激しく民俗的な舞踏に切り替わるよう。緩急ともに伊福部の影響が見られなくもない。緩―急を繰返したあとコーダとなるが、コーダらしくない断ち切るような終結。藤岡×新日フィルは若き芥川の意欲を感じさせる熱量と、細部まで神経が行き届いたこなれた演奏で、さすがの完成度だった。
次は、木嶋真優を迎えて伊福部昭の「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」(ヴァイオリン協奏曲第1番)。木嶋真優は周防亮介とともに今もっとも注目すべきヴァイオリニスト。
「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」は「ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲」に続く伊福部の2作目の協奏曲。幾度か改訂され緩徐楽章はまるっと削除し、現行版では2楽章構成となっている。伊福部は幼少のころからヴァイオリンに親しんでおり、大学ではコンマスを務めたほどだから腕前はかなりのものだった。何度も改訂を重ねたということは本作に相当愛着があったのだろう。
伊福部の言葉が残されている。曰く「長い歴史をもつヴァイオリン音楽には、それぞれ勝れた様式や流派が確立されていますが、この作品ではそれ等から少し離れたいわばジプシィ・ヴァイオリンに近い様式がとられています。それは、余りにも洗練され、ヨーロッパ化した様式と、又、近代の虚脱から逃れてみたいと考えたからに他なりません。――この楽器の祖先は本来アジアなのですから。第一楽章では主として旋律的な要素に、又、第二楽章では律動的な面に主眼がおかれています。」とある。
第1楽章はのっけからカデンツァ風のヴァイオリンソロで開始される。木嶋はこの曲を何と暗譜。ヴァイオリンの音には艶と潤いがあり、音の立ち上がり、減衰はスムーズ。音色に得も言われぬ色気があって非の打ちようがない。伊福部が言うように西欧の流儀とは全く別の奏法を用いているようでもある。しかも演奏するにはかなり難易度が高そうだ。長大なソロが一段落すると管弦楽は次第に力強いオスティナートとなり、「シンフォニア・タプカーラ」のような土俗的な曲想も現れる。そのうち『ゴジラ』のテーマがそのまま出現する。作曲の時期からいえばはこちらがオリジナルかも知れない。いや、『ゴジラ』のテーマの淵源を辿ることは難しい、ひょっとするとラヴェルあたりに行きつくやもしれない。藤岡は「シンフォニア・タプカーラ」や『ゴジラ』のテーマであっても冷静にオケをコントロールする。とまれ、伊福部のこれらの律動と旋律たちは独自の個性をもち、やはり日本人の根源的な感情や感性を大いに刺激する。
第2楽章はリズムに主眼が置かれ、エネルギーが充満し、ヴァイオリンの超絶技巧と管弦楽の変拍子が混然一体となって圧倒的なクライマックスを築く。ここでも洗練され華やかな西欧のヴァイオリン協奏曲に対して、アジア的で民俗性が濃厚なヴァイオリン協奏曲といった雰囲気、木嶋のカデンツァはやはり抜群で、鬼神が乗り移ったような迫力。藤岡は木嶋の情念を受け止めながら、それでもオケを悠々と制御していた。
この「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、狂詩曲という題名からしても通常のヴァイオリン協奏曲とは異なる音楽空間という感じがするが、今年、ここまで演奏会を聴いて来たなかで、楽曲の魅力、演奏ともにベストワンといえそう。
休憩後、吉松隆の「交響曲第3番」、吉松の“英雄”交響曲とよく言われる。
4楽章構成という、もはや死に絶えた古典形式のなかに、ありとあらゆるものを詰め込んだ交響曲。マーラー的といえばそうかも知れないが、あまりに何でも有りなため、音楽は拡散し、形式は交響曲であっても内容は幻想曲のようになっている。まさしくゲンダイ音楽であって面白味は尽きない。作者のHPには自身による各楽章の解説がある。
“第1楽章:アレグロ。「陰」と「陽」、「希望」と「怨念」、「慈悲あるもの」と「凶暴なるもの」と言った相反する二面の性格が交錯しぶつかり合うドラマとしてのアレグロ楽章。(吉松)”
冒頭は不協和音の爆発。管楽器が音ではなく空気を吐き出す。風が通り抜け、悲しげなオーボエの独白が主題として登場する。ティンパニが激しく叩きつけられ、すさまじいオスティナートが吹き荒れる。やがて鳥の声のあとアダージョとなり、東洋的な静寂が訪れる。再びアレグロが戻ってきて疾走感を快復し、最後は徐々にテンポが落ち、幾つかの主題の断片が回想され交差する。
“第2楽章:スケルツォ。ジャズやロックからアフリカやアジアの民族音楽に至る様々なリズムの断片がパズルのように錯綜し変化してゆく、リズムの万華鏡としてのスケルツォ楽章。(吉松)”
舞踏音楽だが多種の打楽器が民族音楽を模倣し、ガムラン音楽のようなところもある。どちらかというとアジアンテイスト。トリオではジャズやロック風のノリとなる。全体的にマリンバの活躍が印象的。
“第3楽章:アダージョ。アジア風の暗い情念によるアダージョ楽章。2本のチェロが核となって語られる悲歌でもあり、真夜中の走馬灯の中に映る遠い昔の記憶のような仮面劇でもある。(吉松)”
不協和音が再現しチェロのレチタティーヴォが絡む。甘美な旋律が心地よいがトーン・クラスターが出現し一筋縄ではいかない。ティンパニの強烈な打ち込みのあとは感傷的な旋律が続き、コーダはショスタコーヴィチのように独奏ヴァイオリン(コンマス:崔文洙)とチェレスタの音が消えゆくように終わる。
“第4楽章:フィナーレ。前3楽章の素材が合流し堆積してゆく大団円としてのフィナーレ。雲の切れ目から射すかすかな日の光が巨大な日の出へと拡大してゆき、太陽の祝祭を迎える。(吉松)”
各楽章の主題が回帰し、再構築されながら輝かしく高揚していく。とにかく恥ずかしいくらいアップテンポとなって盛り上がる。これだけあっけらかんとした空騒ぎはマーラー「第7番」の終楽章に匹敵するだろう。映画のクライマックスにおける背景音楽としても通用するくらい。
藤岡幸夫はこの「交響曲第3番」を献呈され初演している。プレトークによれば数年前にシティフィルの定期演奏会で「第3番」を公演する予定が急性肺炎に罹って降板となり、改めて今日の機会を得たということらしい。藤岡×新日フィルはものすごい集中力だった。各楽器はしっかり分離し、オケ全体にはほどよい疾走感と躍動感があり、大音量を意図した交響曲でもうるさくならない。藤岡と新日フィルは相性も良さそうだ。もっとも藤岡は東響への客演でも感動的な演奏を聴かせてくれる。渡邉暁雄の弟子ということを別にしても音楽に品がある。彼の情熱と実力は侮れない。
吉松の“英雄”交響曲は、外観は疑似古典形式で、中身はマーラーのように森羅万象を詰め込み、管弦楽法はショスタコーヴィチを参照したようなところはあるけれど、本質は吉松流の音楽による真剣な遊びであろう。小難しいことに頭を巡らすより、その響き、旋律、律動、和声のたわむれを単純に楽しめればいいのではないかと思う。もともと音楽を聴く快楽とはそういうことだ。その意味でもこの演奏会、十二分に満足した。
2026/6/30 伊東裕+秋元孝介 メンデルスゾーン「チェロ・ソナタ第2番」 ― 2026年06月30日 18:00
フィリアホール ランチタイム・コンサート・シリーズ
第88回 伊東裕 チェロ・リサイタル
日時:2026年6月30日(火) 11:30開演
会場:フィリアホール
出演:チェロ/伊東 裕
ピアノ/秋元 孝介
演目:メンデルスゾーン/無言歌 Op.109
ブロッホ/ユダヤ人の生活から
「祈り」「嘆願」「ユダヤの歌」
マーラー/アダージェット(交響曲第5番より)
メンデルスゾーン/チェロ・ソナタ第2番
ニ長調Op.58
チェロの伊東裕が同じ葵トリオのメンバーである秋元孝介のピアノと共にリサイタルを行うというので田園都市線の青葉台駅まで出かけることにした。
室内楽のプログラムは馴染みがないから少し予習をした。とくにメインのメンデルスゾーンの「チェロソナタ第2番」はYouTubeでも聴いてみた。爽やかな曲である。書かれたのは1843年の30代半ば。前後には「夏の夜の夢」や交響曲第3番「スコットランド」、ヴァイオリン協奏曲ホ短調、オラトリオ「エリア」などの傑作が生れている。メンデルスゾーン絶頂期の楽曲といっていいだろう。
第1楽章はどこかで聴いたような旋律、伊東裕のチェロは深々とした響きで力強く歌う。それを支える秋元孝介のピアノの和音連打が心地よい。メロディーメーカーであるメンデルスゾーンの面目躍如。伊東、秋元とも旋律は活発に動き回り、有り余るほどの勢いがあった。
第2楽章はスケルツォ、伊東の飛び跳ねるようなピチカートと秋元のスタッカートの絡みが印象的だった。幻想的でお茶目な表情をみせ、「夏の夜の夢」の音楽といってもおかしくない。魅惑的で優しい旋律がいかにもメンデルスゾーンらしい。
第3楽章はアダージョ、ピアノのコラール風の分散和音からはじまる。ここは秋元の最大の見せ場だった。そして伊東の朗々と鳴るチェロが重なって行く。情緒豊かで夢見るよう、肌が粟立つほどの感動した。
第4楽章はヴィヴァーチェ、2人の音楽は激しいが流麗さを失わない。チェロとピアノとで駆けっこしているみたい。緩急も目まぐるしく気がつくと興奮のコーダへと雪崩れ込んでいた。
全4楽章の演奏時間は30分弱、これはお勧めの一曲だ。
コンサートの開始は、同じメンデルスゾーン「無言歌」から。ピアノ独奏のための「無言歌」ではなく、晩年に1曲だけ書いたチェロとピアノのための作品。ときどきチェロのアンコール・ピースとしても演奏される。伊東の弾く「無言歌」は楽想が滔々と流れつつ繊細で美しい。
挨拶代わりの「無言歌」のあと、伊東と秋元がマイクを持った。秋元は葵トリオとフィリアホールとの因縁をちょっとお喋りし、AOIのうちのOはいないけどAIでやります、といって笑わせた。伊東は簡単に演目の紹介をした。そう、今日はユダヤ人作曲家が隠されたテーマだった。
話を終えてブロッホの「ユダヤ人の生活」。ブロッホはチェロと管弦楽のためのヘブライ狂詩曲「シェロモ」が一番有名だけど、「ユダヤ人の生活」はユダヤの伝統や文化を反映したチェロとピアノのための組曲。伊東と秋元は哀愁漂う泣き節を聴かせてくれた。
「交響曲第5番」のアダージェットは、マーラーが作曲中に出会った妻アルマへの愛を音楽にしたもの。管弦楽ではハープと弦5部で演奏されるが、今回はもちろんチェロとピアノのみ。2人だけの演奏で重量感よりは清潔感が上回るがコクは失われない。伊東の歌心と秋元の多彩な音色が寄り添い悲しくも美しい。音は下降しながら沈み込み、途中の闇や憂いを乗り越え、徐々に明るさと希望が現れてくる。ゆったりとした陶酔のなかで曲が終わった。
マーラーの演奏後、2人は一度舞台裏に下がったが、休憩というわけではなく、すぐ舞台に戻り「チェロ・ソナタ第2番」を弾いた。
完売公演で満席の鳴りやまぬ拍手に応じ、アンコールは「歌の翼に」だった。メンデルスゾーンの「無言歌」ではじめて「歌の翼に」で終える、完璧なコンサートであった。