2026/2/1 川瀬賢太郎×東響 メンデルスゾーン「イタリア」2026年02月01日 21:05



東京交響楽団 名曲全集 第215回

日時:2026年2月1日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/牛田 智大
演目:モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
   モーツァルト/ピアノ協奏曲第26番 ニ長調K.537
        「戴冠式」
   メンデルスゾーン/交響曲第4番 イ長調op.90
        「イタリア」


 モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲でスタート。1年前の川瀬賢太郎はびっくりするほど恰幅がよくなっていたが、今日はまた随分と身体を絞ってきた。神奈川フィル時代に戻って若返った。川瀬本来のキビキビとした序曲が高速で駆け抜けた。

 「戴冠式」のソロは牛田智大。以前プレトニョフ×東フィルと共演したグリーグの協奏曲を聴いたことがある。グリーグのときは十代、今は26歳のほっそりとした好青年、上背は並ぶと川瀬を超えている。今日の会場は女性比率が高くほぼ満席、牛田が目当てなのだろう。
 モーツァルトの「ピアノ協奏曲第26番」は、神聖ローマ皇帝レーオポルト2世の戴冠式のときに演奏されたというが、もとは自らの予約演奏会用に作曲されたもの。自分自身が演奏するつもりだったから、ピアノ独奏のパートは空白だらけでカデンツァも書かれていない。そのぶん奏者の即興に依存する部分が大きいわけだ。最近は人気がなくて20番以降の名作群のなかではもっとも演奏頻度が低くいようだ。
 第1楽章はモーツァルトらしい転調もあまりなく平凡に思えるけど、牛田は表面的な華やかさを抑えつつチャーミングに弾いて行く。続くラルゲットは素朴で淡々とした穏やかな楽章、牛田のピアノの音は自身の内部へ沈潜していくような気配で、「戴冠式」のラルゲットでこれほど心を揺さぶられたのは初めて。モーツァルトの緩徐楽章の凄みをあらためて感じさせた。最終楽章でも普通は輝かしいパッセージが目立つのだが、独奏ピアノは煌びやかさよりは室内楽的な落ち着きがあって感心した。川瀬×東響も大会場での演奏というよりは親密なこじんまりとしたサロンで伴奏しているような気遣いだった。
 ソロアンコールはシューマンの「トロイメライ」。ここでも牛田は夢見るようにピアノの響きを自分の内部に向けている風情。モーツァルトもシューマンも見事な解釈だけど、この若さであまり考え過ぎないほうがいいのではないか、とちょっと心配になった。

 メンデルスゾーンは、ついこの前、松本×神奈川フィルで聴いたばかり。当然耳は比較する。それと、東響の「イタリア」といえばコロナ禍における指揮者なしでの演奏が鮮烈で強く耳に残っている。
 「交響曲第4番」はイタリア滞在中に作曲が始められ、最終楽章にイタリア舞曲であるサルタレッロが取り入れられていることから「イタリア」と呼ばれ親しまれている。豊かな歌、躍動的なリズム、歓喜と熱狂、明暗の交錯などが均整のある楽章構成の中で描かれている。
 ただ、当時の交響曲として異例なのは開始楽章が長調でありながら最終楽章が短調で終わる。川瀬の「イタリア」はその革新性に目を付け、明らかにこの最終楽章に焦点を当て全体を組み立てたようだった。ゆったりとした陽光のさす開始楽章、荘重な行進である第2楽章、優美で穏やかな第3楽章、ここまではテンポを引き伸ばし、それでいて軽やかに歩を進め、最終楽章の舞曲で全精力をつぎ込んで思いっきり弾けた。このテンションの高さと加速感に聴衆は大興奮、川瀬の設計ゆえの勝利だろう。

 メンデルスゾーンの生涯は38年、モーツアルトは36年しか生きることが許されなかった。天からこれほどの才能を与えられたのなら長生きできるわけはない。凡人は彼らの作品を聴きながら老醜をさらすのみである。

2026/2/8 ジョルダン×N響 ワーグナー「神々のたそがれ」抜粋2026年02月08日 22:12



NHK交響楽団 第2057回 定期公演 Aプログラム

日時:2026年2月8日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:フィリップ・ジョルダン
共演:ソプラノ/タマラ・ウィルソン
演目:シューマン/交響曲第3番 変ホ長調「ライン」
   ワーグナー/楽劇「神々のたそがれ」
        ジークフリートのラインの旅
        ジークフリートの葬送行進曲
        ブリュンヒルデの自己犠牲


 土日は雪との予報があったため、期日前投票をしようと区役所へ出向いたところ、週半ばの平日昼だというに長蛇の列、どう見ても小一時間は並ばなければならない。次の予定もあり期日前投票を断念した。
 だから、投票日の今日、雪のちらつくなか午前中に一票を投じ、そのままNHKホールに向かった。プログラムはライン川つながりでシューマンの「交響曲第3番」とワーグナーの「神々のたそがれ」抜粋という魅力的なプログラム。

 指揮のフィリップ・ジョルダンはスイス出身。スイスというと古くはアンセルメやコルボ、現役ではデュトワやバーメルト、若手ではヴィオッティなど優れた指揮者を輩出している。ジョルダンはどちらかというと歌劇場畑でウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、昨年のウィーン国立の来日公演でも指揮している。しかし、ウィーンは伏魔殿だからお決まりの意見対立で退任し、来年からはフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任する。これからはコンサート指揮者へと軸足を移すのかも知れない。N響とは初共演である。
 
 「ライン」は「第3番」となっているが、シューマンの4曲の交響曲のうち最後に書かれた作品。変ホ長調はベートーヴェン「エロイカ」の調性、開始楽章の雄大な冒頭部やホルンの活躍も「エロイカ」を彷彿とさせる。全体の5楽章構成は「田園」と同じ。ベートーヴェンの正当な後継者はブラームスで、シューマンはベートーヴェンが確立した交響曲の約束事を逸脱しているといわれるけど、いやいやベートーヴェンの影響は大きい。第2楽章は田舎風の素朴な舞曲、同一メロディの繰り返しが船で揺られているように、あるいは川のうねりのように聴こえないこともない。第3楽章は牧歌的な旋律をクラリネットがリードする。第4楽章は短いが宗教的な雰囲気の厳かな音楽、最終楽章は晴れやかな気分のなか喜びに満ち最後には堂々たるフーガも登場する。
 ジョルダンは悠然とした歩みで各楽章とも同じようなテンポ感。楽章内も速度をあまり動かさない。一貫した空気感を生み出し単一楽章の交響曲のように描いた。シューマンの管弦楽法は複数の楽器が同じフレーズを重複するから、ちょうど絵具を塗り重ねるように濁りが増し重く分厚い響きとなりやすいが、ジョルダンの音楽はまろやかで滑らか。バランス感覚が鋭くオケの鳴らし方をよく知っているのだろう。

 後半は「神々のたそがれ」から3曲、4時間有余のドラマを40分に凝縮してつないだ。そして「リング」15時間・4部作の終曲はブリュンヒルデの声楽付きである。
 「ジークフリートのラインの旅」は、ブリュンヒルデとの愛に目覚めたジークフリートが、ブリュンヒルデの愛馬グラーネにまたがってライン川へと旅立つ勇壮な曲。N響の弦や管は逞しく強靭。コンマスは長原幸太、今井仁志のホルンや長谷川智之のトランペットが壮麗に鳴る。ジョルダンの丁寧で急がない悠々たる音楽はワーグナーでますます生きて來る。
 「ジークフリートの葬送行進曲」は、ハーゲンによってジークフリートが殺害された直後の音楽、「剣の動機」「ジークフリートの動機」「英雄の動機」などジークフリートに関わるライトモチーフが連続し、悲壮で壮大に盛り上がりクライマックスを築く。ジョルダンはワーグナーの毒素をあからさまにぶちまけるより、抑制を保ちつつドラマの悲劇性を追及するようで思わず涙する。
 終曲の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、ハーゲンを殺害し指輪を奪い返したブリュンヒルデが指輪をラインの乙女たちに返し、ジークフリートの亡骸が横たわる薪に火をかけ炎の中へ身を投げる。その炎は神々の城ヴァルハラまで燃え上がり神々の世界は滅び去る。指輪は浄化され欲にまみれた神々の支配は終焉し、愛と自己犠牲による世界の救済というワーグナーの思想が巨大な管弦楽の圧倒的な迫力でもって描写される。ブリュンヒルデを歌ったタマラ・ウィルソンは米国出身でトゥーランドットやイゾルデなどもレパートリーとし、メトロポリタンだけでなく欧州でも活躍している。ウィルソンの声はしなやかで力強いが可憐な表情もあって好感度大。ジョルダンは歌劇場指揮者らしくオケの音量調節が完璧で、歌手の声を際立たせ品格の高いワーグナーを聴かせてくれた。

2026/2/13 トッパン・ランチタイムコンサート シューマン「ピアノ四重奏曲」2026年02月13日 16:34



ランチタイムコンサート Vol.138 特別企画
  1909年製ベーゼンドルファーの息吹 II

日時:2026年2月13日(金) 12:15 開演
会場:トッパンホール
出演:ピアノ/佐藤 麻理
   ヴァイオリン/瀧村 依里
   ヴィオラ/田原 綾子
   チェロ/築地 杏里
演目:マーラー/ピアノ四重奏曲断章 イ短調
   シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調Op.47


 トッパンホール・ランチタイムコンサートの特別企画。副題にある“ベーゼンドルファー”とはフランツ・リストへの敬愛をこめて「リスト・フリューゲル」の愛称で親しまれていたモデル250のこと。通常のモダンピアノよりも4鍵盤拡張された92鍵で、ウィーン国立歌劇場内のリハーサル室で使用されていたという。日本へは2012年頃輸入されたものらしい。このピアノを用いてピアノ四重奏曲を2曲披露してくれた。

 12時20分になって背丈がほぼ同じ4人の女神がにこやかに登場した。このなかで田原綾子は何度も聴いたことがある。田原は一番の笑顔で挨拶、演奏中も目立つほど身体を揺らし表情も豊かであった。
 最初はマーラーの若書きの断章。ウィーン音楽院在籍中の16歳のときの習作で第1楽章のみが残され、マーラーの室内楽曲では現存する唯一の作品。この断章はディカプリオ主演の映画『シャッター・アイランド』のなかで使われ、「これはブラームスか」「いや、マーラーだ」という印象的な会話が交わされていた。
 開始はピアノがテーマの断片を奏でる。ピアノは深く重い低音、柔らかな中音、キンキンしない上品な高音と、全体に重厚でしっとりとした響きを聴かせる。ピアノを弾いた佐藤麻理はウィーン国立音大の講師を務めているという。ピアノに次いで弦楽器が加わりながら全体を形成していく。弦楽器は圧倒的にヴァイオリンが優位で、とくにコーダのカデンツァでは暗く耽美的な楽想を歌い、悲劇を予感させるように終わる。ヴァイオリンの瀧村依里は読響の首席奏者。
 なるほど、この曲は若さが溢れるというよりは内省的で、ピアノの伴奏の上を弦楽器が呟いているよう。たしかに、何も知らずに聴かされたら「マーラーだ」と答えることは難しく、やはり「ブラームスか?」と尋ねることになりそうだ。

 2曲目はシューマン。シューマンの室内楽曲というと「ピアノ五重奏曲」しか知らない唐変木だが、この「ピアノ四重奏曲」は「弦楽四重奏曲」「ピアノ五重奏曲」に続いて「室内楽の年」の最後に書かれた。因みにプログラムノートによればシューマンの作品を辿ると1840年が「歌曲の年」、41年が「交響曲の年」、42年が「室内楽の年」だという。
 第1楽章は序奏付きで、主題が提起されそのあとアレグロの快活な音楽が展開する。第2楽章は無窮動的なスタッカートで緊張感が漂う。とくにチェロのパッセージは見た目にも軽業のよう。チェロの築地杏里はクァルテット・インテグラにいてミュンヘンやバルトークなどのコンクールで名を馳せたあと、今はフリーランスの奏者として活躍している。第3楽章は感動的なアンダンテ・カンタービレ、幸せに満ちた過去や現在を各楽器が奏でていく。とりわけ田原のヴィオラの旋律に聴き惚れる。エンディングの手前ではチェロが弦を低く調弦し直すという見所があり、調弦後のチェロの持続音が耳に残る。第4楽章は明るいフガートから始まる活き活きとした音楽。4人の女神それぞれの創意工夫のフガートが興奮を高め華麗なコーダで幕が閉じられた。
 ひょっとしたらシューマンは楽器が積み重なる交響曲より、楽器が制約された室内楽や歌曲のほうがより楽しめる作曲家なのかも知れない。

2026/2/16 インバル×都響 マーラー「千人の交響曲」2026年02月17日 14:36



東京都交響楽団 都響スペシャル
        インバル90歳記念

日時:2026年2月16日(月) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:エリアフ・インバル
共演:ソプラノⅠ/ファン・スミ
   ソプラノⅡ/エレノア・ライオンズ
   ソプラノⅢ/隠岐 彩夏
   メゾソプラノⅠ/藤村 実穂子
   メゾソプラノⅡ/山下 裕賀
   テノール/マグヌス・ヴィギリウス
   バリトン/ビルガー・ラッデ
   バス/妻屋 秀和
   合唱/新国立劇場合唱団
   児童合唱/東京少年少女合唱隊
演目:マーラー/交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」


 インバルが90歳にして都響とは三度目となるマーラー・ツィクルスに挑戦している。10年ほど前の二度目のツィクルスのときは番号順に3年くらいかけて完成した。あのときは東京と横浜で公演し、「第1番」と「第2番」は聴き逃したものの「第3番」以降「第9番」までをみなとみらいホールで聴いた。クック版の「第10番」や「嘆きの歌」も演奏されたがこれらはパス、「大地の歌」はツィクルスに含まれていなかったと思う。

 今回は一昨年の「第10番」からスタート、昨年は中断し今年のこの「第8番」で再開となった。芸術主幹の国塩哲紀さんは2024年2月の都響HPで【インバル/都響 第3次マーラー・シリーズ】のプランについて、
 「第10番から開始し、原則として番号を遡り、マエストロの選択により第2番《復活》か第9番のいずれかを最後にする計画です。
 2024年度は、かねて計画していたブルックナー第9番フィナーレ付きと、コロナ禍でキャンセルとなったショスタコーヴィチ第13番《バービイ・ヤール》のリスケジュールのため、インバル氏のマーラー・シリーズはスキップし、2025年度から再開します。
 インバル氏は基本的に年1回来日予定ですので、今回のマーラー・シリーズは数シーズンかけてのゆるやかな歩みとなります。いったいどのような旅となるか…。どうぞ気長におつきあいくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。」と記していた。
 どうやら降順で演奏するようで来期は「第7番」が予定されている。けれど、年1回の来日では毎年1、2曲しか取り上げることができない。下手すれば完遂するに10年近くかかる。インバルはたしかにマーラーの権威であるにしても終わるころは100歳、こうなると化け物か妖怪である。もっとも同世代のメータやデュトワ、100歳近いブロムシュテットなどもまだ現役なのだから、インバルならきっと三度目のツィクルスを実現してしまうのだろう。

 児童合唱はオケの後方、舞台奥に2列となって弧を描くように並ぶ。ソリストはスミ、ライオンズ、藤村、山下、ヴィギリウス、ラッデ、妻屋の順にP席最前列の中央に位置し、新国立劇場合唱団はソリストたちを取り囲むようにP席の前4列ほどを埋めつくす。オケは舞台からあふれるばかり、壮観である。「栄光の聖母」の隠岐彩夏は第2部の後半にLBの最上部で歌った。バンダはLCとLD、RCとRDの間の通路に、それぞれ金管奏者6、7人が出入りして吹奏した。
 インバルはあいかわらずエネルギッシュで緩いところが全くない。強烈な推進力である。といって空回りしたり力余る様子はない。千人とはいかないが数百人の音楽家たちを完全にコントロールする。無理強いでも強制でもなく音楽そのものに語らせることによって人々を結集させる。音楽は自然に伸縮し息づき広々としている。インバルが振ると都響の音は見違えるほど精彩を放つ。歌手の一人一人が表現力豊かに変貌する。これはもうマジックである。1時間半にわたって祝典かつ神秘的な世界が繰り広げられた。

 「千人の交響曲」というと、「宇宙が震え鳴り響くさまを想像してほしい。我々が耳にするのは、もはや人間の声ではなく、惑星や太陽の運行なのです。」とマーラーがメンゲルベルクへ送った書簡が有名である。前代未聞の大編成による音響と視覚的な仰々しさ(初演時の演奏者は1030人)、上演するに難易度が高いこともあって催事の音楽として扱われやすい。実際、オケの創立記念公演とか定期演奏会の節目とかに演奏されることが多く、今回も“創立60周年記念”とか“インバル90歳記念”とか銘打たれてある。
 しかし、この曲の第1部は交響曲様式である厳格なソナタ形式で書かれ様々な主題が提示される。第2部ではその主題たちが発展しながら再登場する。プログラムノートで岡田暁生が「第1部は一種の序曲として機能している」と書いているが、第1部の讃歌「来たれ、創造主」によるラテン語も第2部の『ファウスト』からのドイツ語も詳しくは知り得ないものの、対訳を見ながら音楽を聴くと1部と2部とのテキストの間には意味内容の対応関係があるように思う。当然、音楽の主題と言葉には関連性があり、そのことによって聴き手のエモーションが高められて行く。けっして虚仮威しだけの催事用音楽ではない。
 なかでも「神秘の合唱」で大団円を迎えるコーダの部分は、第1部の冒頭主題が回帰し、永遠の女性的なるものが「われらを高みへと引き上げる」と何度も上行音形として繰り返され、「永遠に!永遠に!」と歌われる。このまま音楽によって天上に魂が引き上げられるのではないかと身震いするほど。今までのインバルであればクライマックスだからといってことさら力を込めたり見得を切ったりはしないのだけど、今回はかなりテンポを落とし楽譜の隅々にまで光をあてるような演奏だった。やはり90歳の誕生日におけるマーラー「交響曲第8番」は特別な感慨を齎すものだったのだろう。

 終演後、インバルが何回か舞台へ呼び戻されたあと、コンマス・矢部達哉のリードによるオケと歌手全員から「Happy Birthday to You」をインバルにプレゼント。そして、幾つもの花束贈呈があり、あろうことかバースデーケーキまでが登場し、観客も加わり大騒ぎのなか「インバル90歳記念」公演が終了した。

2026/2/21 沼尻竜典×神奈川フィル レスピーギ「ローマ3部作」2026年02月21日 22:01



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第411回

日時:2026年2月21日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
演目:ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
   レスピーギ/交響詩「ローマの松」
   レスピーギ/交響詩「ローマの噴水」
   レスピーギ/交響詩「ローマの祭り」


 今回の神奈川フィル定期は「ローマ4部作」公演だという。レスピーギの「ローマ3部作」をまとめて演奏することはよくあるが、はて、4部作とは? 
 ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲を加えると4作品になる。なるほど!
  
 「ローマの謝肉祭」は演奏会用の序曲だけど、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」の素材を用いている。華やかな序奏からはじまり、前半はゆったりとロマンチック、オペラで歌われる愛の二重唱がモチーフだという。ここでの旋律はイングリッシュホルンが先導する。いつもながら鈴木純子の音色は魅力的で耳をそばだたせる。後半はお祭り気分で快速、メンデルスゾーンの「イタリア」第4楽章と同様、舞曲「サルタレッロ」をもとにしていてスリリング、目まぐるしく旋律が飛び跳ね、熱狂的にコーダへと雪崩れ込む。沼尻のメリハリの効いた手際のよいオケ捌きに感心しきり。

 レスピーギの「ローマ3部作」は古きローマ帝国への郷愁を音楽で綴ったようなもの。
 まずは「ローマの松」。圧倒的な人気を誇り、バンダの派手な「アッピア街道の松」で幕を下ろすから、大体は演奏会のトリを飾ることが多い。今回は前半の休憩前の演奏となった。過去にはデュトワ、バッティストーニ、藤岡幸夫など記憶に鮮明な演奏がたくさんある。
 公園の松並木で遊ぶ子どもたちの情景を活き活きと描く「ボルゲーゼ荘の松」。ミュート付トランペットのタンギングと木管群の旋律ではじまる。高音部中心のオーケストレーションで低音楽器はほとんど使われない。ピアノの下降グリッサンドで「カタコンブ付近の松」へと切れ目なく続く。
 カタコンブは古代ローマ時代の地下墓所のこと。ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも登場する。低弦が厳かに響きホルンがグレゴリオ聖歌を奏でる。コントラバスのトップには都響の池松宏が、ホルンの一番には東フィルの佐藤俊輝が入っていた。舞台裏からトランペット・ソロの賛美歌が聴こえてくる。ソロは首席の林辰則。ヴァイオリンの呟きがまるで天上の音楽のよう。
 ピアノのアルペジオで始まる「ジャニコロの松」。齋藤雄介のクラリネットによる鳥の囀り、ハープ、チェレスタなどが絡み幻想的で美しい。チェロ・上森祥平のソロが官能的。曲の終わり近くにはナイチンゲールの鳴き声が聴こえる。ナイチンゲールは録音ではなく贅沢にも4人がかりの生音だったようだ。ハープの旋律によって「ジャニコロの松」が消え去るように終わる。
 さて「アッピア街道の松」である。アッピア街道は古代ローマ軍によって建設された。ティンパニ、ピアノ、コントラバス、銅鑼などが行進曲のリズムを刻み、徐々にクレッシェンドしていく。ラヴェルの「ボレロ」の手法と同じである。軍の隊列が近づいてくるかのよう。コーダの全オーケストラの強奏にバンダとオルガンを加えたクライマックスは、オーケストラが発する最大級の音響といってよい。音の洪水に身をまかせる快感を存分に味わった。バンダはP席左右の上段にトランペット、オルガン席の隣にトロンボーンが各2、計6人だったが、その破裂音は強烈。沼尻は大編成のオケを一分の隙もなく制御して完璧な音の伽藍を築き上げた。直後、客席は大歓声、沼尻は4度、5度と舞台へ呼び戻され、前半の終わりながら一般参賀になりそうな雰囲気だった。

 20分間の休憩後、後半は「ローマの噴水」でスタート。夜明けから夕暮れまでの時刻を切り取って4つの噴水を描いた。「夜明けのジュリア谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「昼のトレヴィの噴水」「黄昏のメディチ荘の噴水」である。光と影、噴水の迸りや水の流れを巧みに音で表現している。沼尻の各楽器の音色を活かした情景描写は繊細でカラフル、音楽を聴きながらモネの絵画が浮かぶようだった。3部作のなかでは編成が小さく地味だけど光きらめく佳品だと教えてくれた。

 演目の最後は「ローマの祭り」。3管編成、打楽器奏者が10人、ピアノは連弾、ピアノを打楽器とみるなら計12人。それにオルガン、マンドリン、バンダのトランペットなどが加わる大編成。ローマ時代から近代までの祭りを年代順に配置している。
 1曲目は「チルチェンセス」。古代ローマ時代の円形競技場での猛獣とキリスト教徒たちの死闘、祭りというより見世物。パンダのトランペットのファンファーレとオケの叫びから始まり、低弦による猛獣の足音と木管による教徒の歌が一体となり緊迫感を高めていく。群衆の熱狂や教徒の祈りが描写される。
 2曲目の時代は中世、ローマに巡礼することで罪が赦される「五十年祭」。重い足取りをあらわしたようなゆっくりした木管の音形の上を静かな賛美歌が流れる。木管の動機は徐々に明るくなり、ローマを見渡す丘の上にたどり着いたのだろう、高らかに聖歌が歌われる。
 3曲目はルネッサンス時代の「十月祭」。葡萄の収穫祭の様子だという。ミュートを付けたホルンは狩の角笛、ホルンのトップは休憩のあと豊田実加に代わっていた。トランペットのファンファーレ、クラリネットが伸びやかに歌い、木管による軽やかなメロディのなかマンドリンがセレナーデを奏でる。幾つもの楽器が絡み合ううちに静寂が訪れる。
 4曲目はレスピーギが生きた20世紀の時代の「主顕祭」。まさにお祭り騒ぎ、喧騒の音楽が繰り広げられる。小クラリネットの勢いのあるモチーフから始まる。小クラを吹く亀居優斗は4曲中ここだけに登壇した。楽しげなメロディにトランペットやトロンボーンがざわめくように割って入る。酩酊したような府川雪野のトロンボーンが楽しい。曲調はさまざまに変化し、ここでも舞曲「サルタレッロ」が現れる。クライマックスでは多数の打楽器群が打ち鳴らされ、熱狂的な盛り上がりのなか大団円で曲が閉じられた。
 沼尻の精密無比なコントロールの賜物ではあるものの神奈川フィルは抜群の安定度を示した。ゲッツェルが客演していたころの昔はドキッとするような場面もあったけど、最近は安心して聴くことができる。個々の技量も合奏能力も着実に向上している。神奈川フィルの音色はもともと明るいから、華やかな曲が似合っている。「ローマの祭り」でこんなに興奮させてもらえるとは思いもよらなかった。

 「ローマの祭り」は3部作の中で最も演奏頻度が低い。多くの打楽器奏者を集めなければならないことや、音楽表現が皮相的で劇半音楽のようだといって貶められているのだろう。いや、劇半音楽だとは「ローマ3部作」そのものがそう思われているのかも知れない。
 しかし、レスピーギの管弦楽法はマーラーやR.シュトラウスなどの独墺作家についてはひとまず置くとして、師匠のリムスキー・コルサコフはもちろん、ラヴェルやホルストに並ぶ腕前と言ってよい。大規模なオケを用いて色彩豊かに描くばかりでなく、教会旋法や近代和声を駆使して華麗で特異な音色を生み出す。その楽器法による情感への作用は、間違いなくオーケストラを聴く楽しみのひとつだ。
 それに、今回はプログラムの配置のせいで――「ローマの松」を休憩前に置いたことで、2回分の演奏会を聴いたというお得な気分にもなった。