今年の初詣2026年01月02日 18:31



 昨年は寒川神社だった。今年は何処にするか?
 東京にいる子供たちは日を改めて川崎大師に参拝するだろうから、われわれは深大寺にするか、と最初考えていた。祈祷を重んじる密教系の寺院は初詣で賑わう。
 しかし、調布までは結構遠い。駅から歩くにも30分はかかりそう。それに老人たちとしてはそろそろボケ封じとポックリ祈願が必要ではないか、ということで家人が探しだしたのは、長津田の高野山真言宗・福泉寺である。
 東急田園都市線、JR横浜線が乗り入れる長津田までも距離があるが、駅からは徒歩15分ほどらしいので、初詣はその福泉寺に決めた。

 福泉寺は縁起によると村の鎮守として勧請した王子権現の別当寺で、明治には伽藍が焼失し衰退したものの、昭和には本堂が再建され、観音や大師像が建立されたという。
 境内はこじんまりとしたなかに仏足石、ぽっくり大師、ぼけ封じ観音、握手薬師尊、イボ取り地蔵尊、一か所七福神などが祀ってあってたくさんの功徳が授けられそう。本堂に参拝したあと、一通りお参りをしての接待所のまえでは鼈甲飴と煎餅を頂いた。

 駅から福泉寺までの道中、福泉寺のすぐ近くに王子神社があり初詣客で混雑していた。寺の縁起に書いてあった王子権現であり、帰り道にその神社にも参拝することにした。
 王子神社は熊野三山のうちの新宮(速玉大社)より若一王子権現を勧請して創建、その後、明治維新の神仏分離令によって権現をとり王子神社と改めた、と御由緒書にあった。
 石段の下まで初詣の人たちが並んでいたが、本殿までそれほど時間はかからなかった。二礼二拍手一礼し、おみくじを引いてから帰路についた。
 今年は寺院と神社への初詣となった。全くもっての神仏頼みの年となりそうである。

今年の演奏会2026年01月07日 16:42



 首都圏の各楽団のシーズン開始はほとんどが4月からで、東響も神奈川フィルも昨年末に定期会員の継続案内が来て、手続きを終えた。

 東響は川崎定期会員を継続し、ミューザにおける名曲全集の一部を加える。追加するのはサントリー定期と演目が重複するパブロ・エラス=カサドやロレンツォ・ヴィオッティ、それに若手の大井駿や喜古恵理香を予定している。さらにモーツァルト・マチネの4回セット券を手配した。サントリー定期とオペラシティ定期についてはスダーンのブルックナー&モーツァルト、広上淳一の「展覧会の絵」などを検討中である。

 神奈川フィルはみなとみらい定期が9公演あり、3公演までは振替がきくのでミューザにおけるコリア・ブラッハーと沼尻竜典のベートーヴェンに振り替えるつもり。また、特別公演となる沼尻の「トスカ」と広上の「第九」は聴き逃せない。

 N響はソヒエフ、都響はインバルが中心で、新日フィルは佐渡のマーラーとブルックナーのいずれか。日フィルは数年ぶりにラザレフが登壇するが日程が重なり難しいかも知れない。読響はロトのヤナーチェクくらい。東フィルとシティフィルの定期にはあまり関心がない。東フィルは主催公演ではないもののバッティストーニ指揮の「復活」を確保した。パシフィル(PPT)は松井慶太の「交響的舞曲」に大注目である。

 あと、フェスタサマーミューザの幾つかと地方オケ、年末の音大、ときどきのアマオケや室内楽があり、例年並みの演奏会通いということになりそうだ。

2026/1/12 下野竜也×東フィル 東京音コン優勝者コンサート2026年01月12日 22:11



第23回東京音楽コンクール 優勝者コンサート

日時:2026年1月12日(月) 15:00 開演
会場:上野文化会館 大ホール
指揮:下野 竜也
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:朝岡 聡
出演:クラリネット/三界 達義
   テノール/チョン・ガンハン
   ピアノ/本堂 竣哉
演目:ニールセン/クラリネット協奏曲 Op.57
   ヴェルディ/「椿姫」より
        「燃える心を」
   ビゼー/「カルメン」より
        「おまえが投げたこの花は」
   レハール/「微笑みの国」より
        「君こそ我が心のすべて」
   ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調
        Op.73 「皇帝」


 新年、初っ端は東京音楽コンクール優勝者のお披露目コンサート。伴奏は下野竜也が指揮する東フィルで、司会進行は朝岡聡が務めた。

 最初はクラリネットの三界達義。三界さんはすでに広響の首席奏者。曲はニールセンの「クラリネット協奏曲」。編成が変わっていて、弦5部にホルンとファゴットが2本、打楽器は小太鼓のみ。曲自体はまさに20世紀音楽そのもので調性もリズムも不安定で辛辣、歪んだり軋んだりしながら進行し、すんなりとは耳に入ってこない。クラリネットにとっては難物だということが知れるばかり。三界さんはこの低音域から高音域までの大変な曲を巧みに吹きこなす。その技に感心しているうちに、単一楽章25分の楽曲が終わった。

 次のチョン・ガンハンは21歳、ソウル大学に在学中。声楽を志したのは16歳のときというから、まだ5,6年しか学んでいない。なのに質感のある密度の高い声、伸びのある超高音に聴き惚れる。3曲とも愛の歌、相手の女性のタイプは異なるものの、それぞれへの愛を歌いあげた。チョン・ガンハンは体格からして立派で音量豊富。歌の表情はまだまだこれからだとしても大成すること間違いない。今日、ワーグナーはなかったけどヘルデンテノールとしても有望ではないか。将来が非常に楽しみだ。韓国は近年声楽のみならず器楽においてもコンクールの優勝者を輩出している。往年の日本のようになってきた。

 最後はピアノの本堂竣哉。藝大の4年生だからチョン・ガンハンとほぼ同世代。だけど体型は大人と子供、華奢で小柄。ところが演奏となればベートーヴェンとがっぷり四つに組んで、それはそれは見事な「皇帝」を披露してくれた。音は煌めくように輝きに満ち、曖昧なところが一切なく美しく綺麗。その音でもって繊細な弱音から豪胆な強音まで滑らかに弾き分ける。下野×東フィルも勇壮なだけに終わらず切れ味のあるあたたかな伴奏で盛り上げる。下野は先だっての「幻想交響曲」でも感心したけど音楽の組み立てが堅牢で、構えも一回り大きくなっている。第1楽章の直後、会場からかなりの拍手が起こったのも無理はない。第2楽章の静謐な夢見るような情感、第3楽章の躍動感あふれるピアノさばきなど、どんどんその演奏に引き込まれてしまった。コンクールにおいて聴衆賞を獲得したというのも納得である。終演後のインタビューでは天真爛漫というか天衣無縫、グレン・グールドが好きで5歳で「ゴルトベルク」を弾いたと笑って言う。天才肌というべき逸材の誕生である、新年早々大いに悦びたい。

2026/1/17 松本宗利音×神奈川フィル メンデルスゾーン「イタリア」2026年01月17日 19:15



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 みなとみらいシリーズ定期演奏会 第410回

日時:2026年1月17日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:松本 宗利音
共演:ヴァイオリン/ジュゼッペ・ジッボーニ
演目:ビゼー/序曲「祖国」Op.19
   パガニーニ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調Op.6
   メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調Op.90
          「イタリア」


 宗利音と書いて“しゅうりひと”と読む。割と知られている話だが、松本の父親が名指揮者のカール・シューリヒトの大ファンで、シューリヒトの奥様と親交があり、その奥様に名付け親をお願いして決まった名前だという。
 松本は30歳を超えたばかり。昨年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任し、首都圏のオケを振ることも増えてきている。初見参である。

 ビゼーの演奏会用序曲「祖国」からスタート。作曲家自身が語っていないのでタイトルの由来はよく分からないけど、普仏戦争の敗北やポーランドの分割占領の悲劇がきっかけになっている、と指摘する人もいるようだ。愛国的な雰囲気をまとった楽曲である。松本は低音域を偏愛するようなところがあり、金管などもバストロンボーンを含めたトロンボーンを強調し、序曲にしては存在感のある堂々とした曲となっていた。

 ジュゼッペ・ジッボーニはアッカルドの弟子でパガニーニ国際コンクールの覇者、イタリア人としての優勝は四半世紀ぶりだという。甘美な音色に安定した技巧、パガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」の弾き手としてこれほど相応しい人はいないだろう。ただ、松本×神奈川フィルの伴奏が重くどっしりした音楽で、飛び跳ねるような軽みや小洒落た空気感が不足している。ジッボーニの粋な節回しとはチグハグで、ソリストとオケとが最後まで嚙み合わなかった。
 ジッボーニのアンコールはギターの名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」の編曲版、珍しいものを聴いた。

 後半は「イタリア」。松本は痩身で背が高く落ち着いた指揮ぶりだが、この曲では若者らしい溌剌とした推進力を期待した。しかし、重心が低いのは許せるとしても、どうにも音楽が単調でワクワク感に乏しい。颯爽とした「イタリア」を聴くことができなかったのは残念だった。

2026/1/18 ソヒエフ×N響 マーラー「悲劇的」2026年01月18日 19:12



NHK交響楽団 第2054回 定期公演 Aプログラム

日時:2026年1月18日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:トゥガン・ソヒエフ
演目:マーラー/交響曲第6番イ短調 「悲劇的」


 1年ぶりのソヒエフである。意外なことにN響とのマーラーは初めてだという。選んだのは「交響曲第6番 悲劇的」。マーラーの交響曲のなかでは最も古典的な佇まいでありながら新しさを一杯詰め込んだ意欲的な作品だけど、なかなか“これ”といった実演に出会えない。聴き手にとっては難攻不落ともいうべき楽曲のひとつで、ソヒエフがどう腕を奮って料理するのか興味津々であった。

 全編、息をのむような美しさ。悲劇とか闘争とかを思い浮かべるより、ただただ音と響きと音楽の美しさに身を委ねていた。神経症的なところや尖ったところの少ない言わば健康的なマーラーだから賛否は分かれるかも知れない。
 行進曲は暴力的でも威圧的でもなく音楽性を失わず、これは昨年のショスタコーヴィチでも同じだった。何度かあらわれるアルマのテーマはその都度少しずつ陰影と色彩を変えつつ限りなく美しい。途中、こんなにマーラーの音楽が耽美的でいいのか、と思わず呟いたほどだった。
 ソヒエフのコントロールは桁違いの水準、振りすぎることなく、奏者に任せるところは任せながら、音は緻密かつ明晰、各楽器のバランスが崩れることも一切ない。N響の反応は敏感で、弛緩のない渾身の演奏をくりひろげた。指揮者に恵まれたときのN響の凄みに改めて圧倒された。コンマスは郷古廉。

 今日の演奏が「悲劇的」の決定版かどうかについては何とも言えないけど、これほど美しい「悲劇的」はきっと長く記憶に残ることになるだろう。