2026/7/26 松井慶太×東京カンマーフィル ベートーヴェン「交響曲第4番」 ― 2026年07月26日 21:13
東京カンマーフィルハーモニー
第32回定期演奏会
日時:2026年7月26日(日) 14:00開演
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
指揮:松井 慶太
共演:メゾソプラノ/加賀 ひとみ
演目:ベートーヴェン/序曲「コリオラン」
ファリャ/「恋は魔術師」
ベートーヴェン/交響曲第4番
松井慶太との最初はこの東京カンマーフィルと共演したシベリウスとベートーヴェンの「交響曲第7番」だった。とても感心して、その後、機会があれば彼の演奏会に足を運んでいる。ファリャの「恋は魔術師」は、少し前のOEKの公演で楽しんだばかりだが、今日はベートーヴェンの「交響曲第4番」を併せて指揮するというので渋谷まで出かけた。
まずは「コリオラン」序曲から。作品番号は62。「交響曲第4番」が作品60だからほぼ同時期である。ちなみに間の作品61は「ヴァイオリン協奏曲」、前後には「ピアノ協奏曲第4番」「ラズモフスキーセット」などの傑作が並ぶ。
「コリオラン」は演奏会用の序曲、古代ローマの将軍を主人公にした戯曲に触発されて作られたという。冒頭から強烈な主調の和音が連打される。室内オケだけど思いのほか重量を感じさせる。松井は短いモチーフを徹底的に彫琢しながら前に進める。力強い主題と優しい主題を対比させ、最後は緊張感を維持しながら力尽きて消えるように終えた。
大和田 さくらホールは初めてだが、ほどよい残響のなか各楽器が明瞭に分離する。容量700席のホールながら、天井は高く落ち着いた雰囲気があって好ましい。
続いて「恋は魔術師」。もとはジプシーダンサーの舞台音楽として、8重奏と独唱のために書かれた。後日、通常の管弦楽編成に書き改められ、さらにはバレエ音楽に改変された。フラメンコやジプシーの音楽が色濃く反映され、打楽器のリズムや弦楽器の官能的な旋律が魅力である。
先日のOEKの公演は野村萬斎の舞台が目玉で、とかく狂言と舞踏のほうに注意が行きがちだったが、今日は室内オケと独唱が主役。加賀ひとみの声は押し出しが強く、低音などは良い意味でドスのある歌いまわし。松井の音楽は相変わらず色彩が豊かでリズム感が秀逸。過激な舞踏と静寂な情景を交互に、熱い情熱とミステリアスな世界を描いた。
休憩後がベートーヴェンの「交響曲第4番」。松井の楽曲解釈は申し分なく、その卓越した表現力には脱帽するばかり。各楽章のテンポ感、加減速のあんばい、音量の増減などがしっくりと納得できる。管楽器には多少キズがあったがフルート、オーボエは十分に上手、バロックトランペットは良い音を出していた。なにより、土台である弦楽器の音色が美しくアンサンブルもしっかりしていて、個々の瑕瑾はあまり気にならなかった。
静かで神秘的な序奏に引き込まれ、弾けるような主部に躍動する。コーダの近くティンパニの強打には意表を突かれた。緩徐楽章ではそのティンパニが付点リズムで伴奏を刻むなか、弦楽器が美しくも格調高い旋律を奏でた。活発なリズムのスケルツォを経て、フィナーレは息をもつかせぬ常動曲の高速パッセージで興奮させてくれた。楽器と楽器の間で旋律の受け継ぎが多く、難しいソロもたっぷりあるこの曲を東京カンマーフィルは大奮闘した。
大昔、ベートーヴェンの交響曲全曲を音盤で聴き終わったとき、「第3番」と「第5番」、「第7番」と「第9番」に挟まれた「第4番」と「第8番」が妙に気になって偏愛した時期があった。第一にはクリュイタンス×ベルリンとイッセルシュテット×ウィーンという名盤に惚れ込んだ故だが、ベートーヴェンの女性関係を聞かされたことも多分に影響した。両曲とも具体的な女性の音画ではないかと思い込んだのだ。ベートーヴェンは主観的な感情や思想を音楽に定着した最初の人だったからこう考えても無理ないことだったけど。
「第4番」はミステリアスな暗い序奏から突如として弾けるような疾走が始まる。緩徐楽章では美しく洗練された旋律が歌う。トリッキーで活発なスケルツォのあと、無窮動風の上昇音型は息をもつかせぬほどスリリングだ。
「第8番」は前奏なしで堂々と開始され、清々しく率直で飾らない。スケルツォは規則正しいリズムのなか途中笑い声なども聴こえてくる。メヌエットのなかの郵便馬車のポストホルンは思い出に違いない。フィナーレは洒脱で活力に満ち、終わりそうで終わらないコーダも愛嬌があった。
もし、これらが女性を描いているとしたら「第4番」は美しく神秘的だけど行動に予測不能なところがあり、ちょっと危険な香りがする。「第8番」は率直で飾り気がなく、規則を重んじてはいてもときには羽目を外しユーモアも持ち合わせている、ということになろうか。少なくとも両者は同一人物ではないように思われた。
「第4番」はベートーヴェン36歳、この時期、夫と死別したヨゼフィーネ・ダイム(旧姓:ブルンスヴィック)と親密になっている。「第8番」はベートーヴェン42歳、“不滅の恋人”に宛てた手紙をこの年に書いている。ヨゼフィーネ・ダイムも“不滅の恋人”の有力候補ではあるが、「第4番」と「第8番」を聴く限り“不滅の恋人”は彼女ではない。ここは青木やよひやメイナード・ソロモンが言うアントニー・ブレンターノ(旧姓:ビルケンシュトック)のほうを推すべきだろう。
両曲にまつわる女性たちへの妄想はさておき、次は松井慶太で「交響曲第8番」を聴いてみたい。
2026/7/19 Quintet 樹 (Itsuki) ビゼー「カルメン組曲」 ― 2026年07月19日 21:28
大倉山ジョイフルコンサート 第81回
木管アンサンブル Quintet 樹 (Itsuki)
日時:2026年7月19日(日) 14:00開演
会場:横浜市港北公会堂
出演:フルート/清水 伶
オーボエ/浅原 由香
ホルン/信末 碩才
ファゴット/長田 和樹
クラリネット/亀居 優斗
演目:モーツァルト/アンダンテ ヘ長調 K.616
ハイドン/ディヴェルティメント
ダンツィ/木管五重奏曲イ長調 作品68-1
イベール/3つの小品
ミヨー/ルネ王の暖炉
ビゼー/カルメン組曲
久しぶりに大倉山のジョイフルコンサートに出かけた。コロナ禍のとき会場を大倉山記念館ホールから港北公会堂に移したが、いまだ古巣に戻ることができていない。
今日は「Quintet 樹」が出演する名曲コンサート。「樹」は若手の管楽器奏者で結成された木管五重奏団、4人の木管奏者にホルンが加わる。一昨年のミュンヘン国際音楽コンクールで特別賞(委嘱新曲作品優秀賞)を受賞して話題となった。清水は新日フィル、浅原は札響、長田はケルン・ギュルツェニヒ、亀居は神奈川フィル、信末は日フィルの首席あるいは副首席で、5人ともほぼ同世代だという。
前半は独墺の作曲家。まずはモーツァルトの「アンダンテ K.616」、モーツァルトが亡くなった年の作品。蝋人形館に設置された機械仕掛けの自動オルガン用に作られた。自動オルガン用となれば音域、音型、和声などに制約があるはずだが、木管五重奏版の美しさと陰影に驚嘆する。
なお、余談ながら、曲の依頼主は蝋人形館の経営者であるヨーゼフ・ダイム伯爵であり、その妻ヨゼフィーネはベートーヴェンと深い関係があった女性である。
「アンダンテ K.616」のあと、清水伶と浅原由香がマイクを持って楽器と奏者の紹介をした。各奏者は挨拶代わりに「白鳥の湖」や「アルルの女」のメヌエット、「魔法使いの弟子」などからソロの一節を吹奏した。そして、ハイドンの「ディヴェルティメント」へ。
多作家のハイドンはたくさんのディヴェルティメントを残したけど、「ディヴェルティメント」といえばこの曲。もとの管楽八重奏曲を木管五重奏曲としてアレンジしたもの。第1楽章は飛び跳ねるようなリズムが特徴で生き生きとした活気に満ちている。第2楽章は賛美歌である「聖アンソニーのコラール」の旋律が知られている。のちにブラームスが「ハイドンの主題による変奏曲」に用いたから余計有名になった。第3楽章はメヌエット、宮廷舞踊に由来するであろう優雅で落ち着いた舞曲。第4楽章は明るく軽快で、主題が何度も顔を出し華やかに曲を締めくくる。「樹」は一人一人がしっかりとしたテクニックとセンスがあって色彩がとても豊か。各楽器のバランスが崩れないのも特筆すべきだろう。
前半最後はダンツィの「木管五重奏曲イ長調」、ダンツィはベートーヴェンと同世代。清水伶の話によると今年はダンツィの没後200年のメモリアルで、過日、9曲もあるダンツィの木管五重奏曲全曲の演奏会を3時間半かけて完走したという。作品68-1はそのなかでは演奏機会が多いらしい。曲の様式は古典的で旋律は伸びやか、楽器の響きが溶けあって美しい。ベートーヴェンの先進性に並ぶというよりはひとつ前の時代の雰囲気がある。
開始楽章のアレグロが終わったところで外からかすかに緊急車両のサイレンが聞えてきた。港北公会堂は音響的にそれほど酷いものではないが、音楽専用ホールとは違い防音には難がある。次楽章の開始まで長めに休みを取り、無事前半の3曲が終わった。
休憩後、後半はフランスの作家たち。最初はイベールの「3つの小品」。1曲目は躍動感と軽快さにあふれる舞曲風の主題が繰り返される。楽器同士がリズミカルに掛け合う。2曲目はフルートとクラリネットが互いの旋律を模倣する二重奏が印象的。中間部は穏やかで安らぎのある音楽。3曲目はホルンの短い序奏のあとクラリネットが滑稽な旋律を奏でる。軽妙でユーモアが全開となる洒脱なフィナーレ。
イベールの「3つの小品」は木管五重奏のなかの代表的な作品だというが、なるほど「樹」の色彩の奔流ともいうべき各楽器の掛け合いを聴いていると納得である。管楽器の奏法や機能を拡張してきたのは間違いなくフランスの作曲家たちなのだろう。
ミヨーの「ルネ王の暖炉」のもとは映画音楽、木管五重奏のために組曲として編んだ。ミヨーの故郷プロヴァンス地方は冬でも暖かな並木道があり、プロヴァンスを治めたルネ王が毎日この道を散歩したことから「ルネ王の暖炉」と呼んだという。
組曲は短い7曲で構成され、「1.行列」「2.朝の歌」「3.軽業師」「4.恋歌」「5.アルク川の槍試合」「6.ヴァラブルでの狩」「7.夜のマドリガル」からなる。形式や旋律は古典的だけど楽器の使用法や和声は近代的な新古典主義音楽。聴きながらストラヴィンスキーの「プルチネルラ」を思い浮かべていた。
最後は「カルメン」組曲。組曲として知られているのはギローによる編曲で、前奏曲と間奏曲を中心とした「第1組曲」と、アリアや合唱を管弦楽用に編曲した「第2組曲」であるが、ビゼー自身の編曲でないためか、演奏順を変えたり、2つの組曲から適宜選曲して演奏されることが多い。木管五重奏版も「第1組曲」に「第2組曲」のなかの「ハバネラ」を加えて編曲したもののようだ。
情熱的なスペインの舞踏のなかで歌う哀愁おびたオーボエ、カルメンがホセを誘惑するフルートの音色、ファゴットの牧歌的な旋律などなど魅力満載で、全員がオーケストラのメンバーだからか大管弦楽曲のノリと勢いを感じさせてくれた。とくにクラリネットの亀居優斗とホルンの信末碩才の弾けぶりが微笑を誘った。亀居優斗の超絶技巧はすでにフランセの「クラリネット協奏曲」で証明済みだけど、日フィルのホルンの首席はこの信末碩才もそうだけどいつの時代も名手ばかりで感心する。
「Quintet 樹」はこのあとリサイタルが続くようだが、22日の銀座 王子ホールは完売になったという。そこでのプログラムのひとつ、フランセ「木管五重奏曲 第1番」の第2楽章をアンコール曲にして今日の演奏会は終幕となった。
2026/6/20 沼尻竜典×神奈川フィル 歌劇「トスカ」 ― 2026年06月21日 15:33
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
Dramatic Series 歌劇「トスカ」
日時:2026年6月20日(土) 17:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:トスカ/佐藤 康子(ソプラノ)
カヴァラドッシ/シュテファン・ポップ
(テノール)
スカルピア/上江 隼人(バリトン)
アンジェロッティ/妻屋 秀和(バス)
スポレッタ/澤武 紀行(テノール)
シャルローネ/市川 敏雅(バリトン)
堂守/晴 雅彦(バリトン)
看守/宮下 嘉彦(バリトン)
羊飼い/芝野 遥香(ソプラノ)
児童合唱/横浜市立田奈中学校合唱部
合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:プッチーニ/歌劇「トスカ」全3幕
沼尻竜典が神奈川フィルの音楽監督に就任以来、毎年企画しているドラマティックシリーズ。昨年の「ラインの黄金」に続いて今年は「トスカ」である。なお、この「トスカ」は同一キャストによって名フィルと群響でも上演された。
名フィルでは創立60周年の記念公演として、22年ぶりの定期演奏会におけるオペラとなった。前回の定期演奏会でのオペラ上演は同じ沼尻による「蝶々夫人」だったという。この20数年前の「蝶々夫人」は運よく聴いており、いまだに鮮明に記憶に残っている。群響は高崎芸術劇場との共同主催で行われ、オペラ演出家の粟國淳が舞台構成に加わった。今回の「トスカ」はそれぞれ3つのオーケストラと1団体の協力公演で実施されたわけだ。
西暦1800年のローマ、王党派が共和派を苛烈に弾圧し、ローマは恐怖政治の渦中にあった。共和国の元領事アンジェロッティは脱獄して教会に逃げてくる。妻屋秀和は普段長髪を後ろで束ねることが多いけど、逃亡犯だから白髪混じりのザンバラ髪。あいかわらず声は柔らかで演技は達者。アンジェロッティの出番は少なく第1幕のみ、贅沢な配役であった。
教会で絵を描いている共和派の画家カヴァラドッシは、トスカを想い「妙なる調和」を歌う。そのあと同志アンジェロッティをみつけ自分の隠れ家に行くよう指示する。テノールのシュテファン・ポップは驚くべき声量、明るく輝かしい高音がホールを突き抜ける。世界中の歌劇場から引く手あまたらしい。なるほど、その歌声には度肝を抜かれるほど、演技も頗る上手い。会場は初っ端のアリアでやんやの歓声となった。
教会にカヴァラドッシを訪ねた歌姫トスカは絵のモデルに嫉妬しつつ、カヴァラドッシと長大な二重唱を歌う。佐藤康子は立ち居振る舞いが麗しい。「蝶々夫人」が当たり役というが然もありなん。強さと弱さが同居したヒロインの美しい歌唱を聴かせてくれた。シュテファン・ポップとのやりとりも滑らかでドラマの世界に引き込まれた。
アンジェロッティを追って王党派の警視総監スカルピアが現れる。スカルピアは画家が怪しいとにらみ、嫉妬深い歌姫トスカを利用して逃亡犯を逮捕しようとする。それはスカルピアのトスカへの破廉恥な欲望もあってのことだった。上江隼人は大声を出すことなく恐怖をにじみ出す。逞しさや凄みを感じさせる。日本の歌手のなかでは数少ない悪役のできるバリトンだろう。いずれにせよ、適役の4人が一堂に会したのは僥倖というほかない。
「テ・デウム」は圧巻のフィナーレである。聖堂における「御身を、神よ、我々は讃える、御身を賛美たてまつる」との神を讃える合唱を背景に、スカルピアが「トスカ、お前は私に神をも忘れさせる」と加虐的な欲望を吐露する。ホールのパイプオルガンが加わり、合唱はP席に位置する。いつもの神奈川ハーモニック・クワイアは神奈川フィル共演のプロ合唱団で、実質新国立の合唱団だから、その声量、実力はもちろんのことオペラの知見、技量も申し分ない。この「テ・デウム」には心底背筋が凍りついた。
児童合唱は中学生の女性合唱が30人ほど制服で参加していた。多感な年頃なのに脱獄、嫉妬、陰謀、拷問、情欲、強姦、殺人、処刑、自殺といった究極の血なまぐさいドラマのなかで歌った。教育上大丈夫かと一瞬疑念が沸いたけど、美しすぎる音楽に身を委ねているうちに、これは許されるべき時間と空間だと確信し納得した。
第2幕はファルネーゼ宮殿内のスカルピアの執務室。スカルピアはトスカをおとりに使って突き止めた隠れ家からカヴァラドッシを連行し、逃走したアンジェロッティの居場所を追及している。舞台裏のハープやフルート、打楽器などによってガヴォットが流れ、トスカが歌うカンタータが聴こえてくる。過酷な尋問と敬虔な歌声の対比が立体的に展開する。
トスカは恋人カヴァラドッシの助命を懇願する。スカルピアはトスカに恋人の処刑をちらつかせることで、アンジェロッティの隠れ場所を聞き出す。さらに、スカルピアはトスカを手に入れるために威し、トスカは身体と引き換えに安全の確保を求める。スカルピアはトスカを襲い、トスカはとっさに迫り來るスカルピアを刺し殺す。
舞台は第1幕と同様、大道具はなくテーブルや椅子さえ置いていないが、ペンとか紙などの小道具を使って普通のオペラのように演技をする。しかし、殺人の場面ではかなり抽象化され、両者は向き合うことなくナイフも用いず、舞台中央に少し離れて立ち、トスカは客席を向き凶器を振り上げる所作をし、スカルピアはその場で倒れる。同時に舞台は真赤な照明で覆われた。
遠くで不気味な小太鼓が鳴り、トスカは非道なスカルピアの圧力の極限でイタリアオペラ屈指のアリア「歌に生き、愛に生き」を歌う。「正しく生きているのにどうしてこんな目に会わなくてはいけないのか」と。追いつめられたトスカはこの悲歌によって暴力と対峙する。佐藤康子の嘆きの歌はその後のトスカの殺人、自殺という罪悪を正当化してしまうほどの真実性と迫力とがこめられていた。
第3幕ではカヴァラドッシの告別の歌「星は光りぬ」が最大の聴きものである。豊田実加をトップとした4本のホルンがユニゾンで夜明けを描く。P席上段のオルガンの左右に鐘が1台ずつ配置され、羊飼いの少年、ここではソプラノの芝野遥香の清楚な歌が聴こえてくる。
教会の鐘が一斉に鳴る。カヴァラドッシは夜が明ければ処刑される。カヴァラドッシは陰謀や拷問、処刑への恨みではなくトスカへの愛を歌う。この非情なドラマにあっても愛のみを歌う。プッチーニの真骨頂だろう。「星は光りぬ」の旋律にのってコンマス松浦奈々をはじめとするヴァイオリンの震え、上森祥平を首席とするチェロの分奏、クラリネット斎藤雄介の独奏が鮮やかな音画をつくり、シュテファン・ポップの声はクライマックスの最高音に向かって高まっていく。「誰も寝てはならぬ」と並ぶテノールの名アリアがみなとみらいホールを満たした。
カヴァラドッシのもとに駆けつけたトスカは銃殺刑はみせかけで、銃は空砲だから死んだふりをすれば自由だと告げる。しかし、それは死んだスカルピアが仕組んだ詐略で実弾がこめられていた。サンタンジェロ城の屋上、恋人の死を知ったトスカは警吏たちに追われ、城壁から身を投げる。
銃殺刑の場面でトスカはオーケストラ後部のひな壇の最上部にいた。カヴァラドッシは舞台前方、指揮者の横で銃殺され、トスカはカヴァラドッシに駆け寄り彼が亡くなったと知り泣き崩れる。そのあと上手から追手が現れるとトスカは再びひな壇まで走り、そのままP席に入って上段まで駆け上がり、オルガン横の下手から舞台裏へ身を投げた。良く考えられた手に汗握る演出だった。
陰惨な物語が「星は光りぬ」の旋律で幕を閉じると、会場の熱狂、大歓声は猛烈なものとなった。何度もカーテンコールが繰りかえされ公演の成功を祝福する。やはりシュテファン・ポップがカーテンコールの中心となり、皆をリードしてはしゃいでいた。彼はまだ40歳手前、微笑ましくも刮目すべきテノールである。
「トスカ」は流血のオペラ、わずか1日のあいだに主な登場人物であるアンジェロッティ、スカルピア、カヴァラドッシ、トスカの全員が亡くなってしまう。それをプッチーニは卓抜したオーケストレーションとともに甘美な音楽でもって描いた。残酷な物語と美しき絶唱とが見事なコントラストとなって名作オペラが誕生した。イタリアオペラの終焉「トゥーランドット」が未完に終わる25年前のことである。
沼尻竜典指揮のオペラ上演には期待を裏切られたことがない。オペラ指揮者として国内、海外を通じて豊富な経験をもち、自らもオペラを作曲する。だからオペラの楽しみを上手く伝えてくれる。
まず歌手の表現や声を活かすことを第一に絶妙なバランス感覚でもってオーケストラを調整することができる。響きは透明でアンサンブルは美しく、オーケストラの各パートは適切に浮きあがり、クライマックスへの仕掛けも抜かりがない。ドラマの構築力は卓越しており、感情の起伏や緊張感、不安感を処理する手腕にも長けている。長時間の作品でも全く飽きることがない。
国内ではびわ湖ホールでの実績もある。新国立における芸術監督の後任は決まったようなものだ。
2026/5/23 ヴィオッティ×東響 「4つの最後の歌」と「ダフニスとクロエ」 ― 2026年05月23日 21:48
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第105回
日時:2026年5月23日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
共演:ソプラノ/マリーナ・レベカ
合唱/東響コーラス
合唱指揮/河原 哲也
演目:R.シュトラウス/4つの最後の歌
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」
「4つの最後の歌」は、はじめから4曲をまとめる構想があったのかどうか分からない。アイヒェンドルフの「夕映えの中で」という詩に特別の心情をいだき、ヘッセの3つの詩、「春」「九月」「眠りにつくとき」が加わった。
マリーナ・レベカは芯のある強靭な声、音圧は高く各音域とも充実した声量で輝かしい。リート歌手というよりは典型的なオペラ歌手だろう。身振り手振りも大きく立ち居振る舞いからして歌劇場の華という雰囲気がある。ヴィオレッタ役で有名なソプラノらしいがワーグナーも楽々とこなせそう。
1曲目、ヴィオッティは弱音に拘り、暗から明、明から暗へ転調を繰返しながら揺れ動く「春」を描く。「春」は楽器より声が勝ったような印象だったが、2曲目以降は互いがしっとりと馴染んで聴こえた。「九月」の終盤、ホルンの上間さんのソロに陶然とする。「眠りにつくとき」は小林壱成のソロと、さらにホルンとの掛け合いなどもあり、それらの楽器を掻き分けて聴こえてくるレベカの歌に涙した。「夕映えの中で」になるとフルートとピッコロの鳥が鳴き、管弦楽と歌とが重なった景色の美しさに正気を失った。
とうの昔にクラシック音楽は終わってしまっているのだけれど、その終焉を象徴する楽曲は何か、と問われたら、それはR.シュトラウスの「4つの最後の歌」と答えるだろう、純然たる器楽曲であれば「メタモルフォーゼン」と。
もちろん、そのあと、ロシアにはショスタコーヴィチ、フランスにメシアン、イギリスにブリテンがいて、「交響曲第15番」、「彼方の閃光」、「戦争レクイエム」などが生み出された。でも、これらはみな独墺音楽の残影ともいうべき作品だ。
クラシック音楽は第1次世界大戦によって破壊された。R.シュトラウスが第2次世界大戦後まで生き延びたため命を長らえたに過ぎない。そして、R.シュトラウスは挽歌と呼ぶに相応しい2つの作品を残した。独墺音楽の美は遂にここまで到達していた。
「ダフニスとクロエ」の実演は、不案内なバレエ公演を別として、コンサートの演目としてはほとんどが「第2組曲」で、全曲にはなかなか出会えない。演奏するに1時間近くかかるし、ありとあらゆる楽器を揃えなければならない、合唱も必要だから無理もない。直近では2年ほど前にカンブルラン×音大FOで聴いた。
ヴィオッティ×東響の「ダフニスとクロエ」は、音の解像度が高くリズムは卓越し、豊かな色彩をもち柔らかな音色だった。ヴィオッティはノットのような即興の面白味はないが、綿密な設計による構成力が尋常ではない。多分、練習では強弱や緩急、音色やバランスを緻密に計算し、オケに高い要求水準を課すのだろうけど、本番では力の限り締め付けるわけではない。今日も奏者任せで指揮棒を振らないことが何度かあったけど、設計図はもちろん手放さない。場面ごとの雰囲気や各楽器の持ち味を大切にして正統派の音楽を繰り出す。指揮ぶりは老練と言っていいほどだ。
「序奏」から「宗教的な踊り」にかけての神秘性、「ドルコンの踊り」の不気味さ、「夜想曲」の色気、「戦いの踊り」の野趣あふれる響き。そして3場に入ってからは「夜明け」における細やかな表現、「パントマイム」の精妙さ、「全員の踊り」の鮮烈なリズムと加速感などなど、大興奮の演奏だった
ヴィオッティは軽快でしゃれた楽曲であっても、いい意味で時間がゆっくりと過ぎて行く。品があり繊細だけど音楽がみっちり詰まっているから演奏後の疲労度は大きい。
とにかく、この先ヴィオッティの指揮を楽しみに期待はしつつ、聴き続けるだけの体力を維持できるかどうかが心配の種である。
2026/4/12 大井駿×春オケ ベルリオーズ「幻想交響曲」 ― 2026年04月12日 21:48
Orchestra of Spring flat PROJECT vol.7
日時:2026年4月12日(日) 13:30開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
指揮:大井 駿
演目:サン=サーンス/交響詩「死の舞踏」
ロイド=ウェバー/交響組曲「オペラ座の怪人」
ベルリオーズ/幻想交響曲
大井駿は気になる音楽家の一人である。ピアニスト、古楽器奏者であり、広島の次世代指揮者コンクールにて優勝し、そのあとハチャトゥリアン国際コンクールで第2位となった。文筆活動にも積極的である。
大井は今シーズン、といっても来年の1月、東響の名曲全集に登場するけど、その前にアマチュアのOrchestra of Spring(春オケ)を振るというのでチケットを取った。東響の名曲全集といえば2月には喜古恵理香がラーンキと共演するから、この両公演は今から待ち遠しい。
そう、喜古についても数年前に春オケを相手にしたコンサートを聴いた。春オケは設立して10年ほどの新しいアマオケだが、有望な若手指揮者を招聘して演奏会を開いてくれる。
今日は「定期演奏会」ではなく「flat PROJECT」というシリーズ。春オケのHPによると、「flat PROJECT」とはクラシックに馴染みのない人も気軽に立ち寄れる演奏会のことらしい。今回のテーマは「ゴシック・ロマンス」、“怪しくも楽しく、哀しくも美しい…そんな、音楽が描く魅惑の舞台へ”と謳っている。だから「幻想交響曲」に併せて「オペラ座の怪人」などが演目に入っている。各曲の開始前には堀井秀子さんのナレーションがついた。
まずはサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」。ヴァイオリンとピアノ曲にアレンジされたりピアノ独奏曲にもなっており、管弦楽のヴァイオリンソロは変則調弦された楽器で弾く。コンマスの役割は大きい。
コンマスは黒いガウンを頭から被り仮面をつけて指揮者と一緒に登場した。楽曲の不協和音は死神を表現しているというからそれに仮託した衣装かも。曲は「怒りの日」の主題が現れたり、シロフォンによる骸骨のぶつかり合う音や明け方の鶏の鳴き声などの描写があって分かりやすい。
大井は小泉和裕と同じように下半身ほぼ不動で上半身のみをゆったりと動かし、音楽は先を急ぐことなく悠然と進む。若いのに老成した練達の指揮ぶりにみえる。
「オペラ座の怪人」は舞台ではなく映画で観た。ジェラルド・バトラーがファントム役で、今思うとバトラーが歌ったなんてちょっと信じられない。
音楽の始まりは上昇音型から下降音型へとミューザのパイプオルガンとオケが派手に鳴る。オルガンの奏者は澤菜摘。この4月、大木麻理の任期満了に伴いホールオルガニストに就任した。
ミュージカル界の巨星・ロイド=ウェバー作曲の「オペラ座の怪人」組曲は何種類かあるが詳細は不明、演奏時間30分程度の抜粋版だった。大井は序曲と終曲を迫力十分に響かせ、途中は対比させるように切ないメロディーラインを美しく際立たせた。
「幻想交響曲」はフルネ以前はほとんど記憶に残っていないが、フルネ以降はエッティンガー、スダーン、デュトワ、R.アバドや川瀬、下野などをよく覚えている。トルトゥリエなど期待外れもあったけど。
「幻想交響曲」となると、大井はさすが下半身不動というわけにはいかず、各パートにしっかり身体を向け上半身の身振りも激しくなった。音楽の骨格は太くがっしりしており、音の増量も減量もスムーズで作為を感じない。各楽器の輪郭は明確で歩みは悠々としてテンポを神経質に動かさない。それでいて起伏の作り方が上手いからドラマチックに盛り上がっていく。
大井はオケに無理をさせているようにはみえないけど各楽器が非常によく鳴った。例えば第3楽章のクラリネットの超高音域、イングリッシュホルンと舞台外のオーボエとの掛け合い。第4楽章の行進曲におけるティンパニ2組、バスドラム2個を並べた打楽器のめざましい働き、最終楽章となると「怒りの日」のファゴットやクライマックスへ向けてのホルン、トロンボーン、チューバなどの金管群の咆哮など。アンサンブルや技術に多少の難があっても音楽として崩れることがないのには感心した。春オケの各奏者も大健闘であった。
大井駿は傑出した若手指揮者の一人であると確信した。東響との演奏会はまだまだ先ながらモーツァルトの「交響曲第39番」とR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲などが予定されている。とても楽しみである。