プラダを着た悪魔22026年06月04日 17:17

 

『プラダを着た悪魔2』

原題:The Devil Wears Prada 2
製作:2026年 アメリカ
監督:デビッド・フランケル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
音楽:セオドア・シャピロ
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、
   エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ


 実世界もドラマのなかも20年が経過した。失礼ながら現在の3女優の年齢を調べてみた。メリル・ストリープ76歳、アン・ハサウェイとエミリー・ブラントは、ともに43歳。ついでに、黒一点スタンリー・トゥッチは、というと65歳である。

 今から20年前、アン・ハサウェイ(アンドレア)は学校出たてのジャーナリスト志望の女の子だった。田舎からニューヨークへ出てきて一流ファッション誌「ランウェイ」に採用された。悪魔のような編集長メリル・ストリープ(ミランダ)にしごかれ、仕事とプライベートとの板挟みに悩みながらも成長し、最後は「ランウェイ」から巣立って行った。
 それから20年後、アン・ハサウェイは報道記者として活躍している。メリル・ストリープはまだ「ランウェイ」の編集長であるが、出版社は存続の危機に直面し、アン・ハサウェイは「ランウェイ」の編集部に舞い戻る。前作で同僚だったエミリー・ブラント(エミリー)は有名ファッションブランドの幹部になっており、古巣「ランウェイ」の命運を左右するキーパーソンとなっている。

 3女優の美しさは驚くほど変わらない。この20年間、生き馬の目を抜くハリウッドで格別の露出度を誇ってきた3女優の存在がドラマに厚みを与えている。彼女らを彩るファッションも相変わらず華やかで、目の保養のためだけでも一見の価値がある。「ランウェイ」を愛するファンの期待を裏切ることはない。
 しかし、ラグジュアリー雑誌「ランウェイ」は20年という時代を経て、出版の電子化、IT化の進行などによってその存立がおびやかされている。時代の変わり目という雰囲気が濃厚なのだ。権威や格式が数字や効率化に浸食されている。ひとつの時代の終焉を苦々しく思いながらも新しい時代に立ち向かおうとする人々の物語が出来上がった。
 そう、スタンリー・トゥッチ(ナイジェル)は、ドラマのなかで20年変わらず彼女たちを支えてきた。きっと、実世界でもこうした裏方が主人公たちを護り続けてきた。そこにもきっちりとスポットを当てた。好感度は爆上がりである。

 監督は前作に引き続きデビッド・フランケル、脚本も同様アライン・ブロッシュ・マッケンナとなっている。音楽はセオドア・シャピロが担当していて、レディー・ガガやマドンナなどの挿入曲が、「ランウェイ」を舞台とした華麗なドラマの気分をいっそう高めてくれる。

2026/6/7 小泉和裕×神奈川フィル ベートーヴェンの交響曲「第2番」「第8番」2026年06月07日 21:58



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
  ミューザ川崎シリーズ 第4回

日時:2026年6月7日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:小泉 和裕
演目:ベートーヴェン/「エグモント」序曲
   ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93
   ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調Op.36


 2025年からはじまった神奈川フィルのミューザ川崎シリーズ。年度内3回開催で「ベートーヴェン・リンク」と銘打って2シーズン目を迎える。昨年は旗揚げ公演である「田園」とブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」(指揮:沼尻竜典、ソロ:清水和音)を聴いた。なかなか座り心地の良い演奏会だったので、今年度は連続券を購入した。

 今年度の初っ端の指揮は80歳ちょっと手前の小泉和裕。高齢の邦人指揮者が次々と鬼籍に入り、第一線で活動している80歳以上となると小林研一郎あたりしかいない。小泉の世代でいえば井上道義が引退したから、ほかには尾高忠明くらいだ。そのあと70歳前後には高関健、大植英次、本名徹次、広上淳一、大友直人がいて、さらにもう少し年齢が下の60代には大野和士、佐渡裕、山下一史、飯森範親、藤岡幸夫、沼尻竜典といった音楽監督や常任指揮者で活躍している一群となる。
 大御所の小林研一郎にはほとんど関心がないので別として、小泉和裕と尾高忠明はすでに邦人指揮者の最高齢域に近づきつつある。それにしては小泉は若い。細身ながら矍鑠としており、身体的に不安なところは見当たらない。元気な小泉による得意のベートーヴェンである。

 ベートーヴェンの交響曲はどれも傑作揃いだけど、「第2番」「第8番」はやや地味で影が薄い。珍しい組み合わせである。演奏会の最初には「エグモント」序曲をおいた。
 「エグモント」序曲は低音を十分に効かせ極端にテンポを落として開始された。響きは充実し巨大で劇的、アッチェレランドやリタルダンド、音量の増減に無理がなく納得の演奏だった。重心が低く重量の載った、今考えられる最高級の「エグモント」だった。

 序曲終了後、小泉は会場から盛大な拍手を受けたものの、舞台袖に引っ込むことなく指揮台に留まり、そのまま「交響曲第8番」の指揮となった。
 「第8番」の開始楽章は一転して快速、以前聴いたときには音色の変化が乏しく多少の不満があったが、今日はホールも味方したのか、弦5部のそれぞれが役割を果たし、管楽器の抜けはよく色彩も豊かで感心した。第2楽章は歌謡的な旋律が愛らしく、こんなチャーミングなスケルツァンドは滅多に聴けない。第3楽章は鄙びた田舎風の舞曲、トリオはホルンとクラリネットの掛け合いが上手に決まった。二つの中間楽章は開始楽章に対比させるようにぐっとテンポを落とし、ここに焦点をあてたかに思えたが、快速に戻した最終楽章にクライマックスが待っていた。楽章の半分を占めるコーダは意表をつく転調の嵐であり、楽器が次々と繰り出される。オケのそこらじゅうが沸騰し異常な興奮状態となって終わった。

 休憩後に「交響曲第2番」。前半の「エグモント」序曲と「交響曲第8番」は、以前、同じ神奈川フィルの小泉を聴いているが、小泉の「第2番」は初めてだと思う。
 転調が目立つ序奏部を経て力強い主題と穏やかな主題が交錯する第1楽章から、美しい緩徐楽章、小さなスケルツォ、楽器同士が問いかけ応えながら、やはり長大なコーダで締めくくる最終楽章まで間然するところのない見事な演奏だった。
 低域弦楽器のコントラバス、チェロを最大限に働かせ、ヴィオラや第2ヴァイオリンが内声部をきっちり支え、第1ヴァイオリンによって思いっきり旋律を歌わせる。結果的に第1ヴァイオリンが鮮明に記憶に刻印される仕掛けである。それらの安定した弦楽器に木管が美しく絡み、金管が華やかに彩を加え、ティンパニが推進力を高めて行く。
 コンマスは先月の音楽堂シリーズに引き続いて松浦奈々が担当した。その腕前はバッハでも証明済みだが、今日のべ―トーヴェンにおける集団を一歩先んじる表現とオケ全体を引率する能力は目を見張るほどで、神奈川フィルは良いコンマスを手に入れた。

 小泉のべ―トーヴェンは新奇な嗜好で耳目を集めようという魂胆は全くなく、“古き良き時代”の重厚なベートヴェンを愚直に開陳した。我々の世代からすれば安心して身を任せられる。今どきこういったベートーヴェンは稀かもしれない。
 もっとも昨今、小泉より若い広上や沼尻がアプローチはそれぞれとしても“古き良き時代”のベートーヴェンを再現したいと公言することもあり、頼もしくも嬉しい限りではあるけれど。

2026/6/13 佐渡裕×新日フィル マーラー「交響曲第3番」2026年06月13日 21:42



新日本フィルハーモニー交響楽団
  #671〈トリフォニーホール・シリーズ〉

日時:2026年6月13日(土) 14:00開演
会場:すみだトリフォニーホール
指揮:佐渡 裕
共演:メゾ・ソプラノ/藤村 実穂子
   女性合唱/晋友会合唱団
   児童合唱/東京少年少女合唱隊
演目:マーラー/交響曲第3番 ニ短調


 マーラーの「交響曲第3番」は長大な曲だけど、音の旅路の終盤には美しいアダージョに出会うことができる。昨年のルイージ×N響は感心しなかった。来年には沼尻×神奈川フィルの公演があり期待は大きいが、その前に佐渡×新日フィルが同曲を披露する、ということでチケットをとった。

 マーラーの「第3番」は自然への賛美やお伽噺のような世界が展開され、マーラーの交響曲の中では幸福感に満ちている。自然の威容や草花、鳥や動物などが描かれ、音楽とは言えない実世界の喧騒なども挿入される。
 全曲は2部構成、第1部は序奏と第1楽章、「牧神が目覚める」「夏が行進してくる」と副題がつけられていた。ホルンの斉奏による冒頭の主題が高らかに歌われる。8本のホルンのトップは元札響の山田圭祐、新日の首席として聴くのはこれが最初。しばらくすると曲調は激しく転換し、トロンボーンのソロが入る。櫻井俊のトロンボーンは大胆で伸び伸びとした野性味のある吹奏だった。そこから行進曲へと変化して行く。
 第2楽章「野原の花々が私に語ること」から第2部となる。メルヘンの世界がメヌエットとして現れる。第3楽章はスケルツォ、「森の動物たちが私に語ること」とあって、クラリネットやホルン、トランペットが鳥たちのさえずりや動物たちの鳴き声を奏でる。クラリネットは東響の吉野亜希菜が客演していた。途中、トランペット首席の山川永太郎が舞台裏に移動し、鮮やかで安定したポストホルンを吹いた。第3楽章が終わって児童合唱と女声合唱、そして、藤村実穂子が入場した。
 第4楽章は瞑想的な「夜が私に語ること」。ここまで朝―昼―夕―夜と経過してきた。石川亮子の書いたプログラムノートには「鉱物、植物、動物、人間、天使という階梯をたどり、最後に愛、すなわち神へと至る構成を備えている」とある。なるほど。独唱がニーチェの『ツァラトストラはかく語りき』を引用し、夜の世界へと沈潜する。藤村の声は深く奥行きがあり、改めてその声に魅了された。
 第5楽章「天使たちが私に語ること」から場面転換となる。天使である子供たちが夜明けの鐘を模した「ビム・バム」を繰返し、独唱と女性合唱がキリストを裏切ったペテロに対して許しを請う。児童合唱団は30人ほどがオルガンの横に位置し、女性合唱団はオケの後方ステージ奥に50人ほどが並んでいた。独唱の藤村は指揮者の横で歌った。
 第6楽章がアダージョ、「愛が私に語ること」という副題がついていた。最弱音の弦の嘆きではじまる。今日のコンマスは崔文洙、隣には西江辰郎のツートップ、弦5部は16-14-12-10-8の編成だった。ペテロの嘆きは平安と救済へと浄化され、音楽は光に満たされて終わりを迎える。たしかに、マーラーは神の音楽を書いたのかも知れない。

 佐渡はあたたかみのある穏やかなマーラーを聴かせてくれた。音量の増減は滑らかで、強弱をことさら際立たせることなく、緩急もさりげない。唯一、最終楽章のコーダだけは大きくリタルダンドして締めくくった、それだけに、その効果は大きかったけど、全体的には小細工のない落ち着いたゆったりとした演奏だった。
 各楽章のテンポは多少緩慢に感じたが、演奏時間は100分ほどだったから、特段に遅いと言うわけではない。起伏が少なく平坦な道は長く感じるというから、そのせいだろう。と言って、凡庸でつまらぬ演奏と言うわけではない。丁寧に細部まで磨きあげた自然体にしてオーソドックスなマーラーだった。エキセントリック過ぎず感情を突然爆発させることもない。すると、佐渡にとってのバーンスタインは反面教師でもあったのだろう。
 佐渡×新日フィルのマーラー「交響曲第3番」はオーケストラに無理を強いたようなルイージ×N響よりはずっと好ましい。たまには大らかな佐渡を聴くのも悪くはない。

2026/6/20 沼尻竜典×神奈川フィル 歌劇「トスカ」2026年06月21日 15:33



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
   Dramatic Series 歌劇「トスカ」

日時:2026年6月20日(土) 17:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:トスカ/佐藤 康子(ソプラノ)
   カヴァラドッシ/シュテファン・ポップ
         (テノール)
   スカルピア/上江 隼人(バリトン)
   アンジェロッティ/妻屋 秀和(バス)
   スポレッタ/澤武 紀行(テノール)
   シャルローネ/市川 敏雅(バリトン)
   堂守/晴 雅彦(バリトン)
   看守/宮下 嘉彦(バリトン)
   羊飼い/芝野 遥香(ソプラノ)
   児童合唱/横浜市立田奈中学校合唱部
   合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:プッチーニ/歌劇「トスカ」全3幕


 沼尻竜典が神奈川フィルの音楽監督に就任以来、毎年企画しているドラマティックシリーズ。昨年の「ラインの黄金」に続いて今年は「トスカ」である。なお、この「トスカ」は同一キャストによって名フィルと群響でも上演された。
 名フィルでは創立60周年の記念公演として、22年ぶりの定期演奏会におけるオペラとなった。前回の定期演奏会でのオペラ上演は同じ沼尻による「蝶々夫人」だったという。この20数年前の「蝶々夫人」は運よく聴いており、いまだに鮮明に記憶に残っている。群響は高崎芸術劇場との共同主催で行われ、オペラ演出家の粟國淳が舞台構成に加わった。今回の「トスカ」はそれぞれ3つのオーケストラと1団体の協力公演で実施されたわけだ。

 西暦1800年のローマ、王党派が共和派を苛烈に弾圧し、ローマは恐怖政治の渦中にあった。共和国の元領事アンジェロッティは脱獄して教会に逃げてくる。妻屋秀和は普段長髪を後ろで束ねることが多いけど、逃亡犯だから白髪混じりのザンバラ髪。あいかわらず声は柔らかで演技は達者。アンジェロッティの出番は少なく第1幕のみ、贅沢な配役であった。
 教会で絵を描いている共和派の画家カヴァラドッシは、トスカを想い「妙なる調和」を歌う。そのあと同志アンジェロッティをみつけ自分の隠れ家に行くよう指示する。テノールのシュテファン・ポップは驚くべき声量、明るく輝かしい高音がホールを突き抜ける。世界中の歌劇場から引く手あまたらしい。なるほど、その歌声には度肝を抜かれるほど、演技も頗る上手い。会場は初っ端のアリアでやんやの歓声となった。
 教会にカヴァラドッシを訪ねた歌姫トスカは絵のモデルに嫉妬しつつ、カヴァラドッシと長大な二重唱を歌う。佐藤康子は立ち居振る舞いが麗しい。「蝶々夫人」が当たり役というが然もありなん。強さと弱さが同居したヒロインの美しい歌唱を聴かせてくれた。シュテファン・ポップとのやりとりも滑らかでドラマの世界に引き込まれた。
 アンジェロッティを追って王党派の警視総監スカルピアが現れる。スカルピアは画家が怪しいとにらみ、嫉妬深い歌姫トスカを利用して逃亡犯を逮捕しようとする。それはスカルピアのトスカへの破廉恥な欲望もあってのことだった。上江隼人は大声を出すことなく恐怖をにじみ出す。逞しさや凄みを感じさせる。日本の歌手のなかでは数少ない悪役のできるバリトンだろう。いずれにせよ、適役の4人が一堂に会したのは僥倖というほかない。
 「テ・デウム」は圧巻のフィナーレである。聖堂における「御身を、神よ、我々は讃える、御身を賛美たてまつる」との神を讃える合唱を背景に、スカルピアが「トスカ、お前は私に神をも忘れさせる」と加虐的な欲望を吐露する。ホールのパイプオルガンが加わり、合唱はP席に位置する。いつもの神奈川ハーモニック・クワイアは神奈川フィル共演のプロ合唱団で、実質新国立の合唱団だから、その声量、実力はもちろんのことオペラの知見、技量も申し分ない。この「テ・デウム」には心底背筋が凍りついた。
 児童合唱は中学生の女性合唱が30人ほど制服で参加していた。多感な年頃なのに脱獄、嫉妬、陰謀、拷問、情欲、強姦、殺人、処刑、自殺といった究極の血なまぐさいドラマのなかで歌った。教育上大丈夫かと一瞬疑念が沸いたけど、美しすぎる音楽に身を委ねているうちに、これは許されるべき時間と空間だと確信し納得した。

 第2幕はファルネーゼ宮殿内のスカルピアの執務室。スカルピアはトスカをおとりに使って突き止めた隠れ家からカヴァラドッシを連行し、逃走したアンジェロッティの居場所を追及している。舞台裏のハープやフルート、打楽器などによってガヴォットが流れ、トスカが歌うカンタータが聴こえてくる。過酷な尋問と敬虔な歌声の対比が立体的に展開する。
 トスカは恋人カヴァラドッシの助命を懇願する。スカルピアはトスカに恋人の処刑をちらつかせることで、アンジェロッティの隠れ場所を聞き出す。さらに、スカルピアはトスカを手に入れるために威し、トスカは身体と引き換えに安全の確保を求める。スカルピアはトスカを襲い、トスカはとっさに迫り來るスカルピアを刺し殺す。
 舞台は第1幕と同様、大道具はなくテーブルや椅子さえ置いていないが、ペンとか紙などの小道具を使って普通のオペラのように演技をする。しかし、殺人の場面ではかなり抽象化され、両者は向き合うことなくナイフも用いず、舞台中央に少し離れて立ち、トスカは客席を向き凶器を振り上げる所作をし、スカルピアはその場で倒れる。同時に舞台は真赤な照明で覆われた。
 遠くで不気味な小太鼓が鳴り、トスカは非道なスカルピアの圧力の極限でイタリアオペラ屈指のアリア「歌に生き、愛に生き」を歌う。「正しく生きているのにどうしてこんな目に会わなくてはいけないのか」と。追いつめられたトスカはこの悲歌によって暴力と対峙する。佐藤康子の嘆きの歌はその後のトスカの殺人、自殺という罪悪を正当化してしまうほどの真実性と迫力とがこめられていた。

 第3幕ではカヴァラドッシの告別の歌「星は光りぬ」が最大の聴きものである。豊田実加をトップとした4本のホルンがユニゾンで夜明けを描く。P席上段のオルガンの左右に鐘が1台ずつ配置され、羊飼いの少年、ここではソプラノの芝野遥香の清楚な歌が聴こえてくる。
 教会の鐘が一斉に鳴る。カヴァラドッシは夜が明ければ処刑される。カヴァラドッシは陰謀や拷問、処刑への恨みではなくトスカへの愛を歌う。この非情なドラマにあっても愛のみを歌う。プッチーニの真骨頂だろう。「星は光りぬ」の旋律にのってコンマス松浦奈々をはじめとするヴァイオリンの震え、上森祥平を首席とするチェロの分奏、クラリネット斎藤雄介の独奏が鮮やかな音画をつくり、シュテファン・ポップの声はクライマックスの最高音に向かって高まっていく。「誰も寝てはならぬ」と並ぶテノールの名アリアがみなとみらいホールを満たした。
 カヴァラドッシのもとに駆けつけたトスカは銃殺刑はみせかけで、銃は空砲だから死んだふりをすれば自由だと告げる。しかし、それは死んだスカルピアが仕組んだ詐略で実弾がこめられていた。サンタンジェロ城の屋上、恋人の死を知ったトスカは警吏たちに追われ、城壁から身を投げる。
 銃殺刑の場面でトスカはオーケストラ後部のひな壇の最上部にいた。カヴァラドッシは舞台前方、指揮者の横で銃殺され、トスカはカヴァラドッシに駆け寄り彼が亡くなったと知り泣き崩れる。そのあと上手から追手が現れるとトスカは再びひな壇まで走り、そのままP席に入って上段まで駆け上がり、オルガン横の下手から舞台裏へ身を投げた。良く考えられた手に汗握る演出だった。
 陰惨な物語が「星は光りぬ」の旋律で幕を閉じると、会場の熱狂、大歓声は猛烈なものとなった。何度もカーテンコールが繰りかえされ公演の成功を祝福する。やはりシュテファン・ポップがカーテンコールの中心となり、皆をリードしてはしゃいでいた。彼はまだ40歳手前、微笑ましくも刮目すべきテノールである。

 「トスカ」は流血のオペラ、わずか1日のあいだに主な登場人物であるアンジェロッティ、スカルピア、カヴァラドッシ、トスカの全員が亡くなってしまう。それをプッチーニは卓抜したオーケストレーションとともに甘美な音楽でもって描いた。残酷な物語と美しき絶唱とが見事なコントラストとなって名作オペラが誕生した。イタリアオペラの終焉「トゥーランドット」が未完に終わる25年前のことである。

 沼尻竜典指揮のオペラ上演には期待を裏切られたことがない。オペラ指揮者として国内、海外を通じて豊富な経験をもち、自らもオペラを作曲する。だからオペラの楽しみを上手く伝えてくれる。
 まず歌手の表現や声を活かすことを第一に絶妙なバランス感覚でもってオーケストラを調整することができる。響きは透明でアンサンブルは美しく、オーケストラの各パートは適切に浮きあがり、クライマックスへの仕掛けも抜かりがない。ドラマの構築力は卓越しており、感情の起伏や緊張感、不安感を処理する手腕にも長けている。長時間の作品でも全く飽きることがない。
 国内ではびわ湖ホールでの実績もある。新国立における芸術監督の後任は決まったようなものだ。

モーツァルトの自筆譜をパリで発見!2026年06月24日 16:33



 昨年だったか一昨年だったか、モーツァルトの新曲がライプツィヒで見つかったというニュースがあった。10歳ころに書いた「弦楽三重奏のための小品」だった。今度はパリである。

 20歳を過ぎたモーツァルトは就職活動でパリまで来ている。就職口がなかなか見つからないなか、フランスの外交官であったド・ギーヌ公爵の娘に作曲を教えていた。ギーヌ公は自身がフルートを吹き、娘はハープを演奏していたので、モーツァルトに「フルートとハープのための協奏曲」の作曲を依頼した。出来上がった作品は比類のない名曲となったが、ケチな公爵が協奏曲の代金をちゃんと支払ったかどうかは分からない。
 
 今回発見された自筆譜は作曲のレッスン帳のなかにあった。和声など作曲技法の練習やフルートとハープのための7曲などが収められていた。レッスン帳はフランス革命時にギーヌ公爵の邸宅から没収された楽譜束と一緒にあり、最終的にフランス国立図書館に収蔵された。

 発見したのはフランス国立図書館の音楽部門で学芸員を務めるフランソワ・ピエール・ゴワ氏で、彼は定年退職前に図書館に保管されている17世紀と18世紀の作者不明とされている資料を研究していて自筆譜を見つけた。

 レッスン帳はモーツァルトの他の自筆作品との比較や、使用されていたフランス製の紙、そしてギーヌ公爵が依頼した「フルートとハープのための協奏曲」に押されていたものと同一のスタンプなどからモーツァルトが使ったものだと特定した。その後、モーツァルト専門家のローランス・デコベール氏によってその仮説が裏付けられ、さらには、ザルツブルクのモーツァルテウムの鑑定によって、1778年にモーツァルトがパリに滞在していた際に書かれたモーツァルトの自筆譜であると認定された。
 
 新発見の「フルートとハープのための7つの小品」(仮称)は、この6月21日フランス国立図書館のホールにて、フランス国立管弦楽団の首席フルート奏者マティルド・カルデリーニとハープ奏者ニコラ・テュリエの二人の音楽家によって世界初演され、翌日には放送された。

https://moto-perpetuo.com/mozart-manuscript-discovery-bnf-paris/

 この放送録音は公開されており聴いてみた。もともとハープとフルートが協演する曲は数少ないから、ハープ奏者やフルート奏者は大喜びだろう。今後は「フルートとハープのための協奏曲」のあとのアンコールなどで演奏されるかも知れない。

https://www.radiofrance.fr/francemusique/podcasts/relax/premiere-mondiale-ecoutez-un-inedit-de-mozart-decouvert-par-la-bnf-5404035