2026/10/17 出口大地×東響 チャイコフスキー「悲愴」 ― 2026年10月17日 21:46
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第107回
日時:2026年10月17日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:出口 大地
共演:ピアノ/マルティン・ガルシア・ガルシア
演目:チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
チャイコフスキー/交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」
出口大地はハチャトゥリアン国際コンクールで優勝し、いきなり東フィルの定期公演に抜擢され日本デビューした。その後は東フィルとの関係を継続しつつ、各地のオーケストラを振っている。東響とも何度か共演しているが聴くのは初めて。
ピアノのマルティン・ガルシア・ガルシアはスペイン出身、ブルース・リウが優勝したショパンコンクールで第3位、その年はガジェヴと反田が並んで第2位だった。ガルシアは日本でも人気があるようで本公演もよくお客さんが入っていた。
今日はチャイコフスキー・プログラム、前半は「ピアノ協奏曲第1番」。
ガルシアは深紅の蝶ネクタイをつけて登場、しっかりとした身体つきで顔の彫も深く一見して押し出しが強い。ここのところのケヴィン・チェンやアレクサンダー・ガジェヴに比べていかつい感じがしないでもないが、序奏のホルンの導入に続くピアノの和音はそんなにびっくりするほどの音量ではなかった。音は明るめで屈託がなく旋律を自然に歌わせる。しかし、自由で気儘という風ではなくオーソドックスで節度がある。弱音はかなり柔らかく内省的だから、チャイコフスキーの重く派手な曲でも軽やかさを失わない。
出口大地はガルシアの音を注意深く聴きながら反応しているようだった。ソリストとの呼吸を大切にしているのだろう。伴奏は弦を中心に組み立て、虚仮威しとは無縁な穏やかな演奏。
チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」は、かなり昔、マツ―エフのソロ、ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団で聴いて、体力勝負の曲だと決めつけていた。もちろん、その後、この衝撃を越える演奏に出会ったことはないけど、今日のような繊細でデリケートな表現も有り得ると知りえたのは思いがけない収穫だった。
ガルシアのアンコールは2曲、シューマン「森の情景」より「予言の鳥」とチャイコフスキー「四季」より「秋の歌」とあった。いずれも温かで優しいモノローグ。
後半は「悲愴」。今日、この曲の魅力を出口大地によって教えてもらったのかも知れない。
やはり、弦5部を優先した音づくりで、全体の輪郭を弦によって形作り、東響の美しい木管と豊かな金管、鋭い打楽器を絶妙に組み合わせた。ねちっこくベタベタしたところはなく、お涙頂戴的な芝居がかったところなど皆無で、すっきりと洗練されていた。やや軽めではあるけれど、全体の曲の流れのなかで軽重のメリハリや案分は計算されているから、明暗は十分に描かれ陰影は濃い。スマートでありながら迫力も十分にある。
出口は左手で持つ指揮棒によって拍を刻むだけでなく、右手で表情豊かに的確な指示を出していく。旋律を大きく歌わせ、煽ることなくクライマックスを演出する。第1楽章のコントラバスとファゴットの暗い響き、闘争や運命の激しい衝突による高揚、第2楽章の優雅でありながら歪んだワルツ、第3楽章の熱狂的な行進曲の空虚さ、終楽章の弦5部が交錯する深い哀悼など、それはそれは見事な演奏を繰り広げた。
出口大地は弦を主体としつつ管弦楽のバランスを巧みにコントロールし、細部まで神経を行き届かせた音楽を積み上げる。ソリストとの呼吸を大切にし、オケとの対話に最善の注意を払う。優秀で才能あふれた若者であり、全国各地のオケから引く手あまたの理由が分かったような気がする。これからが楽しみな指揮者のひとりである。
2026/10/10 大植英次×神奈川フィル 「パガ狂」と「惑星」 ― 2026年10月10日 21:06
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第417回
日時:2026年10月10日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:大植 英次
共演:ピアノ/アレクサンダー・ガジェヴ
女声合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
ホルスト/組曲「惑星」
大植英次はこのところ毎年のように神奈川フィルに客演し、なかなか満足度の高い演奏を聴かせてくれる。今日は共に20世紀前半の作家であるラフマニノフとホルストの代表作である。
ソロは人気のアレクサンダー・ガジェヴ、やはり女性客が多く完売公演となった。先日のケヴィン・チェンと同様、ショパンコンクールで第2位を獲得している。チェンは昨年の第19回、ガジェヴはその前2021年の第18回で反田恭平と2位を分かち合った。
最初は「パガニーニの主題による狂詩曲」。ラフマニノフがパガニーニの「カプリース 第24番」の主題をもとに24の変奏曲を書いた。最近ではユリアンナ・アヴデーエワのダイナミックでエネルギッシュなピアノが印象に残っている。そういえばアヴデーエワは10数年前のショパンコンクールの覇者だった。
ガジェヴの音色は明るく柔らかい。細やかなニュアンスを感じさせリズム感も素晴らしい。ピアニッシモからフォルテッシモまで良く考えられた演奏だけど、ちょっと表現が淡白で油彩画というよりは水彩画のような趣がある。大植の伴奏がこってりとしていて、オケの勢いに押されたようなところもあった。
この楽曲の表題は「狂詩曲」となっているけどWebマガジン「ONTOMO」の増田良介によると、この作品には作曲者本人が考案した筋書きがあるらしい。
いわく、<物語の主人公はパガニーニ自身で、ほかに「パガニーニが、芸術における完璧さとある女性への愛のために魂を売った」悪魔が登場する。《カプリース》の主題はパガニーニ自身、そしてもうひとつの重要な主題、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」に基づく「ドシドラシソララ」という主題は悪魔を表す。悪魔は第7変奏ではじめて登場し、第8~10変奏で力を増していく。第11変奏で雰囲気ががらりと変わり、ここからが「愛の領域」となる。第12変奏ではじめて登場する女性は、第13変奏でパガニーニと対話し、この女性とのエピソードが第18変奏まで続く。第19変奏はヴァイオリンをもったパガニーニだ。ピアノがヴァイオリンのピッツィカートを模倣する。これは「悪魔的ピッツィカートによるパガニーニの勝利」らしい。続く第21~22変奏について、ラフマニノフは、「悪魔を表すほかの登場人物たちが、その女性やパガニーニの芸術をめぐって争うのをカリカチュアとして描いてもいいと思います」と書いた。そして、第23変奏の最初の12小節において、パガニーニはついに挫折し、悪魔が勝利する。悪魔は凱歌を上げる>、と紹介されている。
なるほど、これは自由奔放な「狂詩曲」としてでなく、ピアノをフィーチャーした「交響詩」として聴いていいのかも知れない。ガジェヴのピアノからもう少し物語を読み取るべきだったと反省した。
ソロアンコールは2曲、グリーグの抒情小品集の「アリエッタ」とショパンの「マズルカ」とホワイトボードに書いてあった。それにしてもガジェヴは繊細で内部に沈み込むような情緒的な曲のほうが得意ではなかろうかと思う。
後半は「惑星」。大植は古希を過ぎているが、この歳でありながらねちっこく骨太な濃い演奏を繰り広げる。もともとオケを鳴らすのが上手い人だから「惑星」となれば音の大絵巻となる。
「火星」「金星」「水星」と進み、組曲中もっとも有名で壮大な「木星」を経て、後半の「土星」「天王星」「海王星」がことのほか面白かった。特にスケルツォ風の「天王星」はどぎついほどで、大規模な管弦楽とオルガンが目一杯活躍した。弦楽器やホルン、イングリッシュホルンなどの管楽器が諧謔風の旋律を歌う。コンマスは東フィルの三浦章宏、チェロ、コントラバスの首席も宮地晴彦、菅沼希望が客演、ホルンはサイトウ・キネンの阿部麿、イングリッシュホルンはN響の和久井仁という名手が参加するなど、ゲストを含めて思う存分暴れまわった。コンマスの隣の濱田彰子などは大植のオケの煽り方を見て何度も笑みをこぼしていたけど。「海王星」の終盤のヴォカリーズはプロの女性合唱で、舞台裏にて舞台出入口を開けて歌ったため、神秘性はいささか薄れたものの歌声がはっきりと聴きとれた。
この「惑星」は大植なりにデフォルメし厚化粧を施したもので、デュトワや藤岡とは全く異なるアプローチながら興味深く聴いた。
来年は東響定期でウルバンスキが「惑星」を振る。スタイリッシュなウルバンスキは、また大きく違う「惑星」を聴かせてくれるはず、楽しみである。
2026/10/3 広上淳一×東響 ムソルグスキー「展覧会の絵」 ― 2026年10月04日 11:30
東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第153回
日時:2026年10月3日(土) 14:00開演
会場:東京オペラシティコンサートホール
指揮:広上 淳一
共演:ピアノ/ケヴィン・チェン
演目:ベルリオーズ/歌劇「ベアトリスとベネディクト」
から序曲
ショパン/ピアノ協奏曲第1番 ホ短調op.11
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
(ラヴェル編)
ベルリオーズの序曲から。「ベアトリスとベネディクト」はシェイクスピアの「空騒ぎ」に基づくオペラ・コミックだという。序曲は喜劇らしく陽気で歌心があるきびきびした管弦楽曲。広上はこういった曲をさばくのが頗る上手い。演奏会の幕開けにぴったし。
ピアノが舞台中央に置かれケヴィン・チェンが登場。上背は広上より高いようだがコンマスのニキティンの肩くらいしかない。体格は二人とは比べるまでもないほど小柄な若者である。昨年のショパンコンクール第2位となった中国系カナダ人で、この9月、10月には日本でリサイタル・ツアーを行っている。昨日はその合間をぬって東響との協演となった。会場は満席、普段より女性客が目立っていた。
演目のショパンの「協奏曲第1番」はコンクールのファイナルでも弾いた曲。完成は「第2番」のほうが先だが曲番号は出版順。ショパンが20歳で祖国ポーランドに別れを告げたときの“決別のコンチェルト”である。
重く憂いを帯びたオケの響きで幕を開ける。長い序奏のあとピアノが劇的な和音を鳴らし、力強さと繊細さが入り交じった起伏の激しい展開が続く。ケヴィン・チェンは正確で素早い指先のコントロールと音楽的な表現力を持ち、連続する重音や急速なアルペジオなどを難なく弾きこなす。装飾音など星屑が飛び散るよう。強靭な音と繊細な音の対比による感情表現も巧みである。
緩徐楽章は弦楽器が弱音器を付けホルンが吹奏される。柔らかいオケの響きの上を月の雫が降り注ぐようにピアノが鳴る。瞑想するような夜想曲に陶然となる。ケヴィン・チェンは技巧をひけらかすことなく率直に淡々と夢想的なショパンを歌った。
フィナーレは一転して活気に満ちた明るく華やかな雰囲気。シンコペーションを多用したポーランドの軽快な民俗舞曲のリズムが全面的に採り入れられているけど、ケヴィン・チェンのピアノはどこか優雅で気品がある。最後のピアノが鍵盤の端から端までを高速で駆け上がり駆け下りる難所でも、ケヴィン・チェンはしっかりと華麗にまとめあげ、それでいて過剰さを感じさせない。広上は終始悠然とした歩みで貫禄のサポート。東響は弦の美しさはもちろんピアノと絡んだファゴットやホルンが印象的で好演奏といえるだろう。
オケの強烈なトゥッティによって華やかに曲が結ばれたあと、大歓声を受けてソロアンコール。「6つのポーランドの歌」から「春」だという。調べてみるとリストがショパンの全19曲の歌曲の中からは6曲を編曲して出版したものらしい。やはりここでもケヴィン・チェンの音色は爽やかで魅力的だった。
休憩後のムソルグスキー。広上の「展覧会の絵」は快速で意外とあっさりとした演奏。ちょっと意表を突かれた。といっても全体の楽曲の流れはそうだけど、それぞれの曲においてはラヴェルの書いた楽器の魅力を余すことなく発揮させ、色付けもコクも十分に吟味されていた。冒頭の「プロムナード」におけるトランペットの解放感、ふたつめの「プロムナード」のホルンと木管の牧歌的な調べ、「古城」のアルトサックスの哀愁、「牛車」でのチューバの鈍重な歩み、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」の弱音器付トランペットのせわしない旋律などなど。そして、「カタコンベ」以降の盛り上げ方の見事なこと、さすがというしかない。「バーバ・ヤーガ」の打楽器群の連打とリズム感はなるほど汐澤の弟子である。「プロムナード」が変形し聖歌が聴こえ「キエフの大門」となる。聖堂の鐘の音も加わり古都キエフが屹立し、巨大で壮麗なクライマックスとなって幕を閉じた。
終演後、オペラシティコンサートホール1階ではケヴィン・チェンのサイン会が開催されていた。とてつもない行列でロビーは女性たちで埋めつくされていた。
2026/8/6 FSM:梅田俊明×昭和音大 ベートーヴェンと「春の祭典」 ― 2026年08月07日 15:46
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026
昭和音楽大学管弦楽団
テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ
日時:2026年8月6日(水) 18:30開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:梅田 俊明
演目:ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番 ハ長調
ベートーヴェン/交響曲第4番 変ロ長調
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
ミューザのお祭りには川崎市にある音楽大学、洗足学園と昭和音大が毎年参加する。
昭和音大は卒業生に対するキャリア支援の一環として、自前劇場であるテアトロ・ジーリオ・ショウワ専属のオーケストラを組織している。東京音大のTCMオーケストラ・アカデミーや桐朋学園のオーケストラ・アカデミーと同様、プロのオーケストラ奏者の養成を兼ねているのだろう。そのオケが大学オケと合同で公演する。
まずは「レオノーレ 第3番」。ベートーヴェンの唯一の歌劇「フィデリオ」には4つの序曲が残されている。「フィデリオ」は難産で成功を収めるまで何度も推敲したから序曲もその都度書き直された。「レオノーレ 第3番」は、その4つ序曲のなかの、いやベートーヴェンの全序曲のなかの最高傑作といってよい。
アダージョで序奏が始まり、主部は構造物のように堅牢。展開部ではトランペットのファンファーレが舞台裏から聴こえる。再現部に入るとフルートの難所があり、弦楽器の快速のパッセージがコーダを導き、最後は熱狂的に盛り上がって終わる。
梅田俊明×昭和音大は広いダイナミックレンジと納得の緩急でもって大きなベートーヴェンをつくった。序曲というよりは交響詩のよう。トランペットやフルートのソロも美しい。梅田は華奢で温厚な紳士だが、見かけとは大違い、逞しい音楽だった。
「交響曲第4番」は先月、松井慶太で聴いたばかり。好きな曲だから毎週でも構わない。
謎めいた序奏、予測不能な和音と転調。主部では木管が掛け合い、弦が縦横無尽に走り回る。昭和音大はさすが若人たちの集団らしく元気いっぱい。音階が上昇し音量が高まっていく。いっとき、夏の暑さを忘れる。これはベートヴェンという清涼剤だ。
幸福感に包まれた緩徐楽章は「第4番」の核心。昭和音大の弦や木管は優雅、金管やティンパニは力強い。終盤のホルンの響きは万感こもごも到る。スケルツォは迫力満点、トリオは鄙びた感じでその対照が面白い。梅田はかなりスピードアップしてフィナーレに突入した。一瞬危ういと思ったけど、昭和音大は大きく乱れることなくご機嫌に飛ばす。難関のファゴットのソロもこの速度をものともせず見事に決め爽やかに終えた。
後半は「春の祭典」、難曲である。梅田は派手さをきらい穏やかな演奏をするというイメージがあるが、強弱の幅は大きく、木管も金管も思い切って吹かせる。管楽器は破裂音を魅力的に響かせ、歌いまわしも丁寧。弦は分厚く表現はかなり濃厚だった。
「春の祭典」はその時々で主役の楽器が変化し続けるのだけど、主役をしっかりと強調し、それでいて全体のバランスを崩さない。メリハリを効かせながら楽曲の流れはスムーズだ。音楽には広がりと奥行きがあり、激しさもずっしりとした重さもあり感心した。
「春の祭典」は演奏者によって第1部の「大地礼賛」か、第2部の「生贄の踊り」のどちらかが印象に残るものだが、梅田×昭和音大は全曲にわたって隙がない。奇をてらった解釈をするわけではない。次々と変わる各楽器のソロを活かしながら、安定したアンサンブルをもって熱量の高い音楽を繰り広げ、激しい不協和音と変拍子のリズムで衝撃を与えてくれた。暑さを吹き飛ばす好演だった。
2026/8/1 松井慶太×PPT ラフマニノフ「交響的舞曲」 ― 2026年08月01日 21:34
パシフィックフィルハーモニア東京
第182回 定期演奏会
日時:2026年8月1日(水) 14:00開演
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:松井 慶太
演目:ヒナステラ/バレエ音楽「エスタンシア」組曲
コープランド/静かな都会
バーンスタイン/シンフォニック・ダンス
ラフマニノフ/交響的舞曲
松井慶太が首都圏のプロオケ定期を振ることは珍しい。加えて、プログラムが凝っている。バーンスタインとラフマニノフ2人のシンフォニック・ダンスはもちろん楽しみだが、ヒナステラとコープランドの2曲はレア、実演で聴けることはめったにない。「エスタンシア」と「静かな都会」については予習をした。
Wikiによるとヒナステラはアルゼンチン出身。「エスタンシア」とはラテンアメリカでみられる大規模農園のこと。1,農園で働く人々、2.小麦の踊り、3.大牧場の牛追い人、4.終幕の踊り(マランボ)の4曲で構成される。YouTubeにはドゥダメルの演奏などがアップされている。
変拍子やオスティナートを多用し、民俗的要素が濃厚で、ストラヴィンスキーの影響もありそうなこの曲を、松井×PPTはのっけから迫力をもって描いた。やはり終曲の「マランボ」が打楽器を打ち鳴らし興奮させてくれる。が、この手の作曲家としては好みながらメキシコのレブエルタスのほうが面白い。
コープランドの「静かな都会」は、もとは舞台劇のための楽曲を演奏会用に編曲したもの。楽器編成が変わっていて弦楽合奏をバックにトランペットとイングリッシュホルンのソロが協演する。ソロ楽器は劇中の人物――トランペットはユダヤ人の少年、コーラングレはホームレス――が割り当てられているらしい。イングリッシュホルンの堀口憲一は舞台下手の最前列に位置し、トランペットの依田泰幸は舞台上手のコントラバス後ろの一段高いところで吹いた。
冷たい触感の弦楽器とイングリッシュホルンのやり取りからはじまり、それを基調としてトランペットが旋律を吹き続ける。全体に静けさを感じさせるちょっと感傷的な音楽で、都会の夜を表現しているとのこと。イングリッシュホルンと弦楽器のからみは耳に優しく、トランペットはしっとりとした美しい響きで、早朝の街のようでもあった。
バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」は、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の中のダンスナンバーを中心に管弦楽のための演奏会用組曲としたもの。切れ目なく演奏され、1.プロローグ、2.サムウエア、3.スケルツォ、4.マンボ、5.チャ・チャ、6.出会いの場面、7.クール~フーガ、8.決闘、9.フィナーレで構成される。
松井×PPTはいずれのシーンも見事な演奏を繰り広げた。「プロローグ」のスイングジャズによって一気に映画が思い出され、「サムウエア」の切ない祈り、「スケルツォ」の変拍子の軽快さ、「マンボ」の熱狂、「チャ・チャ」の静かなステップ、「出会いの場面」のマリアの旋律、「クール~フーガ」の怒りを押し殺した緊迫感から、「決闘」の打楽器や金管楽器による暴力と悲劇の描写、「フィナーレ」の喪失と悲しみまで、「ウエスト・サイド・ストーリー」の雰囲気を一通り味うことができた。松井の師匠は汐澤と広上だからリズム感は抜群、もっとも彼らの弟子たちはみな例外なくリズム感は一級品だけど。
休憩のあと、もう一つの「シンフォニック・ダンス」であるラフマニノフの「交響的舞曲」。ラフマニノフの最晩年、作曲家人生の集大成と言える作品。どちらかというとラフマニノフは苦手な作家だが、この「交響的舞曲」と「パガ狂」だけは特別で、コンサート案内で演目をみつけると聴きたくなる。「交響的舞曲」はラフマニノフの“白鳥の歌”。過去作を引用したり、大胆な和声進行があったりして、自らの作曲活動を振り返りながら、渾身の力をふり絞って書いた作品だと思う。
第1楽章は舞曲といっても行進曲風、中間部のアルト・サックスのメランコニックな旋律は有名で、松井はオーボエ、フルート、クラリネットなどの木管が次々とアルト・サックスと絡む際に、抒情に濃淡をつけるよう注意深く極めて繊細に音を紡いだ。オーボエは東響にいた最上峰行が、フルートはシテイフィルの多久和怜子が客演していた。やがて「怒りの日」の楽句が現れ、冒頭の行進曲風の舞曲に戻ると、その先は過去の作品たちが引用され楽章が閉じられた。
第2楽章はミュート付トランペットやトロンボーンによる不吉なファンファーレが鳴るなか、弦楽器たちがおずおずと妖しくも切ないワルツを奏でる。松井のテンポは相当遅く、音の軌跡は大きくうねるようで、最後まで不気味で頽廃的な雰囲気を漂わせていた。
最終楽章は死者のための旋律「怒りの日」がそこらじゅうに出現する。仄めかしもあれば極めて明瞭に現れることもあり、ラフマニノフの執着のほどが知れる。もちろんそればかりではなく聖歌らしい音型や活発な舞踏の音楽が入り交じって怒涛の展開となる。終盤、松井は冒頭部を再現したあと金管群による最後の「怒りの日」を強奏したが、「アレルヤ」の旋律をそれ以上に強調し、「怒りの日」を打ち消すように力強く全曲を締めくくった。
演奏が終わるや否や、指揮者の棒が下りるのを待ちきれないのか、客席の四方八方からフライング拍手が巻き起こった。これはあまり宜しくないが、松井×PPTの熱演のせいだとすれば、まぁ、気持ちは分からないでもない。
前回PPTを聴いたのは数年前の汐澤のときで、客の入りは随分寂しかった。今日は1階、2階ともほどよく席が埋まっていた。もちろん3階は空きが多く都響公演のように満杯とはいかないけど、それでも師匠のときより集客は数倍上回っていた、めでたい。