2026/3/14 藤岡幸夫×東響 THE協奏曲 ― 2026年03月14日 21:54
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第104回
日時:2026年3月14日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:藤岡 幸夫
共演:ヴァイオリン/若尾 圭良
チェロ/佐藤 晴真
ピアノ/福間 洸太朗
演目:プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調
ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調
サン=サーンス/ピアノ協奏曲第5番 ヘ長調
「エジプト風」
オーケストラの定期演奏会で協奏曲だけを並べるのは珍しい。
最初は若尾圭良のソロでプロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第2番」。若尾はボストン生まれの20歳、父親がボストン交響楽団のオーボエ奏者だという。
プロコフィエフは長い亡命生活のあと祖国に戻ると決めた頃に「第2番」を書いた。ロシアから亡命する直前の「第1番」より演奏機会は多く、過去にはベルキンのさりげない自然体の素敵な演奏があった。
曲は急―緩―急の古典的な3楽章構成。第1楽章は哀愁を帯びた歌謡風というか民謡風の旋律。若尾は音程に揺るぎがなくシャープで瑞々しい。第2楽章は弦楽器のピツィカートの上を、独奏ヴァイオリンが抒情的なメロディを奏でる。若尾の高音域は魅力的で素直な節回しが好ましい。第3楽章はカスタネットが加わり、打楽器がリズムを刻み、独奏ヴァイオリンが華やかに盛り上げる。藤岡幸夫のサポートはそつがなく若尾は伸び伸びと弾いていた。ソリストが指揮者に寄り添い過ぎかとも思ったけど、かえってそれが初々しくて好感度が爆上がりとなった。
2曲目は「ドボコン」、ドヴォルザークのアメリカ時代における置き土産とも言うべき名曲。ソロはミュンヘン国際音楽コンクールの覇者である佐藤晴真。「チェロ協奏曲」において最も著名なこの作品はいつ聴いても楽しませてくれるけど、今日はそのなかでも最高級の出来ばえ。佐藤のソロは鷹揚でありながら繊細、東響の木管首席たちと絡む幾多の場面は至福のひと時だった。
第1楽章、佐藤は大きな起伏と切ないチェロの響を交錯させ堂々たる音楽をつくった。第2楽章はクラリネットのヌヴーとの掛け合いが聴かせる。中間部はオーケストラの強奏で突然表情が変わり、佐藤はほの暗い主題を纏綿と歌う。コーダを前にしたカデンツァは完璧な変奏で泣かせる。第3楽章は行進曲風な歩みの中で、民謡風の美しい主題も登場する。フルートの相澤政宏、オーボエの荒絵理子、コンマスの小林壱成とのやりとりに手に汗握り、長めの終結部の激情に感極まる。ちなみにドヴォルザークはアメリカから帰国後、妻アンナの姉であるヨゼファの訃報をきいて終結部に手を入れたというのは有名な話。
藤岡の「ドボコン」は、以前ソッリマのソロで聴いているが、各楽器の点描を強調し情熱的かつ劇的に作り上げる。それに応えた若き佐藤晴真は小柄な身体ながら貫禄十分、王者の風格で心底感服した。
最後はサン=サーンスの「ピアノ協奏曲第5番」、“エジプト風”と愛称されている。ソロの福間洸太朗はすでに40歳を越えた。ピアニストとしての活動も20年以上、メディア出演やYouTubeでの活動も目立っている。
「ピアノ協奏曲第5番」はサン=サーンス最後のピアノ協奏曲、自身のピアニストデビュー50周年の記念演奏会のための作品で、避寒地のエジプトに滞在していた時の体験に基づくという。特に第2楽章にはエキゾチックな旋律やリズムが用いられ異国情緒的な雰囲気がある。
冒頭からオーケストラの和音を背景に福間のピアノが歌うよう。爽やかなパッセージが清々しい。第2楽章はエジプトの香りというよりは何処とも知れない東洋風の音楽。銅鑼や打楽器の響きが印象的。虫の音や動物の鳴き声を模倣したようなところもある。福間の硬質な音色が千変万化して心地よい。終楽章、福間は強烈なタッチや溌剌としたアクセントなど野性的ともいえるエネルギーを投入し圧巻の演奏。技巧はもちろんだが体力や気力を消耗しそうなくらい大変そう、こうなると合わせるオケも完全燃焼せざるを得ない。コーダに向かって圧倒的に高揚し駆け抜けた。
定期演奏会はオケの真価を問う場だから協奏曲はあってもメインの演目ではなく前半のプログラムとなることがほとんど。今日のようなプログラミングは異例というべきだけど、改めてソリストの引き立て役だけでは終わらない東響の実力を確認させてもらった。
2025/12/7 音大オケ・フェス シベリウスとチャイコフスキー ― 2025年12月07日 21:15
第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
国立音大・東邦音大
日時:2025年12月7日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:国立音楽大学(指揮/藤岡幸夫)
東邦音楽大学(指揮/大友直人)
演目:シベリウス/交響曲第1番ホ短調(国立)
チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(東邦)
2025年音大オケ・フェスの最終日、藤岡幸夫×国立音大のシベリウスから。
藤岡は渡邉曉雄の弟子だからシベリウスは大事なレパートリーのひとつ。「交響曲第1番」は以前シティフィルで聴いたことがある。そのときの前半のプログラムがシューベルト「ピアノ協奏曲」という怪作だった。シューベルトの最後のピアノソナタを吉松隆が遊び心で田部京子のためにピアノ協奏曲化したもの。四半世紀も前に編曲しその後お蔵入りになっていた作品の世界初演だった。これがたいそう面白く、田部さんのピアノで完全に魂を抜かれ、後半のシベリウスはほとんど上の空で聴いていた。だから、今回は藤岡のシベリウス「第1番」の再確認である。
第1楽章の冒頭はティンパニを伴ったクラリネットのソロで始まる。このティンパニは全曲を通しほぼ休みなしでマレットを頻繁に替えながら叩き続ける。奏者は細身の綺麗なお嬢さんだった。悲劇的な旋律から突然弦楽器のトレモロが登場する。第1主題は明るく、第2主題はフルートが主導し、第3主題は様々な楽器によって繰り返され、北の国の自然が描かれる。展開部は金管楽器が加わり音量を増し、コーダはコラールを経て決然と終結する。第2楽章はハープからはじまるゆったりした楽章、主題は第1ヴァイオリンとチェロによる歌謡的な旋律。旋律は変奏され様々に展開していく。最後は冒頭の穏やかな曲調へと戻り遠ざかるように閉じられる。第3楽章は弦楽器のピチカートと激しいティンパニの連打によってはじまるスケルツォ。中間部はホルンによるやすらぎの音楽だが、すぐに荒々しさが回帰し最後は勢いを増して駆け抜ける。第4楽章は開始楽章の最初の主題が情熱的に出現し曲を統一する。エネルギーに満ちた主題が提示され各楽器に広がっていく。慌ただしい部分を経て雄渾な旋律が盛り上がり、最後はピチカートによって静まるように終結する。
シベリウスの「第1番」と「第2番」は後期の内省的な交響曲とは違い、起伏は大きく語る内容もロマンチック。でも、チャイコフスキーのようにウエットで粘っこくはなく、乾燥し硬質な肌ざわりがあって好ましい。今日はこのシベリウスを音大オケを相手にした藤岡幸夫の巧みな指揮でじっくり聴かせてもらった。
今年の音大オケ・フェスの大詰めは大友直人×東邦音大のチャイコフスキー。
「交響曲第4番」は先週聴いたばかり、同じフェスティバルのなかでの競演となった。原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーはワインディングロードを疾駆して車酔いにでもなったような演奏だったが、大友直人×東邦音大はそんなことはなかった。大友は楽曲を綿密に構築しつつ引き締まった音楽をつくった。
絶対的な馬力やスピードは原田×武蔵野が上回っていたと思うが、体感的には大友×東邦のほうが力が漲り速度も快適だった。大友の音量調節と緩急管理のうまさゆえだろう。上品な乗り心地のまま最速で目的地に着いたという感じがした。
大友に出会うのは久しぶり、体型は変わらないけど髪は真っ白になった。濃厚で情熱的なチャイコフスキーが衒いもなく品格を保ち円熟味のある音楽として再現された。大友は還暦をとっくに過ぎて70歳に近くなった。もっと聴かなければならない指揮者の一人である。
2025/11/30 音大オケ・フェス チャイコフスキー、マーラー、ベルリオーズ ― 2025年12月01日 14:58
第16回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2025
武蔵野音大・東京音大・洗足音大
日時:2025年11月30日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:武蔵野音楽大学(指揮/原田慶太楼)
東京音楽大学(指揮/松井慶太)
洗足学園音楽大学(指揮/下野竜也)
演目:チャイコフスキー/交響曲第4番ヘ短調(武蔵野)
マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」(東京)
ベルリオーズ/幻想交響曲(洗足)
月が替わって12月になってしまったが、昨日、毎年恒例の音大オケ・フェスの2日目を聴いた。初日の東京芸術劇場はパスしたが、来週のミューザ川崎の最終日は聴く予定である。
原田慶太楼×武蔵野音大のチャイコフスキーでスタート。
全楽章をアタッカでつなげ激烈で火が燃え上がるような演奏。最大限の緩急と強弱、スピードは違反レベル、音量は限度一杯、やりたい放題と形容していいほど。学生オケだからこそ可能となった演奏だろう。プロオケだったら楽団員から顰蹙を買いそう。もっともチャイコフスキーの交響曲だから許容範囲というべきか。とまれ原田の外連味たっぷりの曲芸的な解釈に武蔵野音大はよく食らいついて行った。
原田慶太楼は現在東響の正指揮者だけどノットと同様今シーズン限りで退任する。コロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役として全国各地のオケを振って話題となった。当時はまさに八面六臂の活躍でオケの事務局からは頼りにされていたに違いない。東響を退任したあとは愛知室内オーケストラの首席客演指揮者やアメリカにおける音楽監督の活動が中心となりそうだが、引き続き各地のオケを指揮してくれるはず。来シーズンは神奈川フィルの定期にも登場する。
次いで、松井慶太が東京音大を振ったマーラー。
松井はこの夏にアマオケのシベリウスとベートーヴェンを聴いていたく感心した。この音大オケ・フェスでの公演を楽しみにしていて、結果は期待を遥かに上回った。全体の雰囲気は穏やかで大声で叫ぶことはないものの。ひとつひとつの音に神経が行き届き、それぞれの音が各楽章の核心に向かって行く。そして、必然であるかのように曲全体の頂点へ収斂し解放される。マーラーの心の奥底、感情の揺らぎが聴き取れるようだった。第1楽章の副題でいう「春、終わりのない」の鳥のさえずり、第2楽章のロットからの引用、第3楽章の葬送行進曲と突然の民謡風の調べ、終楽章の騒擾と静寂、いずれもこれ以上ない理想的というべき演奏だった。
編成は管楽器が4管、打楽器も多分最終稿通りなのに、第1ヴァイオリンは10人しかいなかった。チェロ、コントラバスは増強されているものの、ヴァイオリンはセカンドを含めても明らかに不足している。楽器のバランスが難しいのではと危惧したが無用な心配だった。最初から最後まで崩れることなく均衡を維持し全く気にならなかった。終演後、聴衆の何人かがスタンディングオベーションで称えていたがさもありなん、入魂のマーラーだった。
松井の指揮姿は武骨で不器用といえるほどだが、つくりだす音楽は広上や川瀬より汐澤の衣鉢を継いでいるように思える。汐澤や飯守の亡きあとの指揮者を見つけ出したかも知れない。今のところ首都圏のプロオケを振ることが少ないが、とりあえずパーマネント・コンダクターを務めるOEKの東京公演のチケットを取りたい。
最後は下野×洗足音大のベルリオーズ。
休憩を挟んだものの松井慶太×東京音大の余波で第1楽章は呆然としたまま通り過ぎてしまった。ぼんやりしたまま全曲が終わるのかと懸念したがとんでもない。下野はもともと誠実な音楽家で、毎回大きく失望したことはないが、この「幻想交響曲」でも楽譜に隠れている思いがけない音を引き出して微笑させ、楽章を追うごとに熱量をあげ迫真の演奏を繰り広げた。
とくに第3楽章の「野の風景」をきっかけにして、「断頭台への行進」「魔女の夜宴の夢」における狂乱ぶり、奇怪さは下野の別の一面をみたかのよう。それでいて細部まで統制は行き届き、圧倒的なクライマックスを築いた。洗足音大はずっと秋山さんの指導あってのオケであったが、よき後継者を得たようだ。
演奏会は3時に開始された。普通ならメインプログラムとなる1時間近い作品を3曲並べ、それぞれの楽曲の前には共演校からエールをこめたファンファーレが演奏された。楽曲の間には20分間の休憩が置かれ、終了したのは大方7時だった。4時間もホールにいた勘定になる。
3校の共演はさすがに辛い。毎年、年齢が加算され疲れも酷くなる。来年はプログラムノートの記載によると昔のように2校ずつ4日間の日程となっている。この改善は大歓迎である。
2025/11/15 大植英次×神奈川フィル 「キャンディード」と「春の祭典」 ― 2025年11月15日 20:20
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第409回
日時:2025年11月15日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:大植 英次
演目:ラヴェル/道化師の朝の歌
バーンスタイン/「キャンディード」組曲
バーンスタイン/管弦楽のための
ディヴェルティメント
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
「道化師の朝の歌」はピアノ組曲「鏡」の第4曲を管弦楽版に編曲したもの。「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」と同じくスペイン風の楽曲。ラヴェルはスペインに近いバスク地方の生まれだし、母親がマドリード育ちのバスク人だからスペインには親近感があるのだろう。
冒頭のピチカートで刻まれるリズムはギターをつま弾いているかのよう。そのリズムに乗って舞曲風の旋律が奏でられる。カスタネットが加わりスペイン色が濃厚に。中間部のファゴットによる幻想的な気怠いメロディからドラマティックに高揚した後、再び冒頭のリズムが現れ、旋律はしばらく自由気儘に動く。最後は熱狂的な盛り上がりを見せ華やかに終曲した。
次いで、大植にとっては十八番ともいうべきバーンスタインの2曲。とくに「キャンディード」組曲は、バーンスタインのアシスタントであったチャーリー・ハーモンが大植×ミネソタ管のために全曲から9つの場面を抜粋して編曲したもの。大植が最も大切にしている楽曲のひとつに違いない。
「キャンディード」はヴォルテールの同名小説が原作のミュージカル。楽天家キャンディードが世界各地を舞台に奇想天外なストーリーを繰り広げる。破天荒で荒唐無稽、波乱万丈の冒険劇。世界中転々と舞台が変わるから音楽もクラシカルなものからジャズやラテン、ポピュラーなどがごちゃまぜとなっている。筋書きは辛辣で仮借のないところがあるようだけど、音楽は人間賛歌にあふれ楽しい。
大植にとっては自家薬籠中の曲、各楽器に的確な指示を出し、両手はもちろん全身を使って踊るように表情を付けていく。それぞれの場面の描き方は変化に富んでおり、リズミカルで踊り出したくなるような躍動感を伝えてくれる。同時に、次々と現れる旋律はよく歌い、ドラマティックかつエネルギッシュ。でも、勢いだけではなく、丁寧な表現で鮮やかな音色でもって描き分ける。こんなに律動的で楽しい作品なのに目頭が何度も熱くなって困った。
「管弦楽のためのディヴェルティメント」は、ボストン交響楽団100周年の委嘱作として書かれ、バーンスタインの愛弟子、小澤征爾の指揮で初演されている。第1曲「セネットとタケット」、第2曲「ワルツ」、第3曲「マズルカ」、第4曲「サンバ」、第5曲「ターキー・トロット」、第6曲「スフィンクス」、第7曲「ブルース」、第8曲「追悼~マーチ(ボストン響、永遠なれ)」といったバラエティ豊かな組曲である。
ドラム・セットを含む多彩なパーカッションを使ってワルツ、サンバ、ブルースなどのリズムが横溢し、生命力に溢れた音楽が展開する。「管弦楽のためのディヴェルティメント」の音楽的要素はごった煮だが、その多様さはアメリカそのものという感じがする。
バーンスタインは本当にメロディメーカーだ。彼の音楽は「カディッシュ」のような深刻なものより、こういった旋律のはっきりした快活で解放感ある曲のほうが楽しめる。大植×神奈川フィルの演奏は、ウィット、ユーモア、ペーソスなどバーンスタインの最良の部分に光をあて、幸福な気分をもたらしてくれる演奏だった。
「春の祭典」は先月、マルッキ×東響で聴いたばかり。聴き比べとなった。
譜面台の上には赤い表紙のスコアが置いてあった。前半の3曲は暗譜だった。さすが「春の祭典」ともなると楽譜は必要だと納得をしたが、大植は最後までスコアを開くことはなかった。大植にとって「春の祭典」はバーンスタインの楽曲と同様、すべてが記憶されている重要なレパートリーのひとつなのだろう。
大植の「春の祭典」は剛毅ではあっても野性的というよりは堅牢でゆるぎのない構築性を感じさせる。テンポも安定して正確に刻まれる。カオスのなか雪崩れ込むようなスリルは薄いから、普通とは違って第2部の「生贄」より第1部の「大地礼賛」のほうに魅かれた。しかし、音色はきっちり設計されており、ダイナミックレンジは大きく破壊力は十分だった。
神奈川フィルのアンサンブルは見事で、各パートも美しい音を出していた。コンマスは石田泰尚、第2ヴァイオリンには直江智沙子と小宮直、ヴィオラトップは新日フィルの瀧本麻衣子が客演、チェロは上森祥平、バスは米長幸一という最強メンバーで、妖艶な旋律や強靭なリズムを刻んでいた。冒頭のファゴットは鈴木一成。鈴木は開始曲の「道化師の朝の歌」でも魅惑的な音を響かせていた。オーボエ、フルート、クラリネット、トランペット、トロンボーン、ホルンなども質の高い音を鳴らしていたが、とりわけ留学から帰ってきた小クラリネットの亀井優斗とアルトフルートの下払桐子の音が際立っていた。
先のマルッキ×東響と比べれば今日の大植×神奈川フィルのほうに軍配をあげたい。
大植英次は小泉和裕や広上淳一、沼尻竜典のようにデビュー当時から知っているわけではない。聴き始めはコロナ禍のときだからわずか数年前、いや、その前に「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」があったから10年くらい前のことだろう。20世紀音楽は重たく几帳面すぎるし、19世紀音楽はねちっこくもたれ気味という印象だった。チャイコフスキーなどはあまりの濃厚さにいささか辟易したものだ。ところがブラームスやベートーヴェンは過剰ではあっても妙に説得力がある。このあたりは苦手な小林研一郎や上岡敏之と違う。聴き手との相性かもしれないが、大仰な指揮姿は別として作品をこねくり回すふうな気配を感じさせない。大植はもう70歳、幸いにして神奈川フィルとは毎年のように公演を重ねている。この先、しっかり聴いて行きたいと思う。
2025/10/20 ビシュコフ×チェコ・フィル スメタナ「わが祖国」 ― 2025年10月21日 09:42
NHK音楽祭 2025
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
日時:2025年10月20日(月) 19:00開演
会場:NHKホール
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演目:スメタナ/連作交響詩「わが祖国」
チェコ・フィルはビエロフラーヴェクのときに聴いたことがある。演目のメインはブラームスだったと思う。演奏の内容はおぼろげだけど、素朴な弦の音色とサントリーホールが飽和するかのような音圧だけは覚えている。
チェコ・フィルの「わが祖国」は一度聴いておきたい。円熟のビシュコフ×チェコ・フィルがNHK音楽祭で演奏してくれる。ビシュコフはイリヤ・ムーシンに師事したユダヤ系ロシア人だが、20代の早い時期に西側へ亡命している。2018年にチェコ・フィルの音楽監督に就任し、2028年の退任が決まっている。後任は長期政権になりそうなフルシャとなった。ビシュコフ×チェコ・フィルを聴く機会はこの先わずかである。
チェコ・フィルはやはりNHKホールをものともしない。何ならこのくらいの容量が相応しいくらい。弦・管・打楽器とも懐の深い音色が魅力的で音量も桁違い。この基礎体力でもって隙のない演奏を繰り広げる。「わが祖国」であれば楽団員一人ひとりが楽曲の隅々まで熟知しているからどんな局面でもバランスが崩れない。ビシュコフは粘りのある音楽をつくるが、奏者の自主性に任せているところもあるようで、メンバーがとても楽しそうに演奏していた。「わが祖国」は聴き手にも体力を要求するけど、休憩なしの1時間半がもたれることなく短く感じた。
「わが祖国」はチェコの伝説(1.ヴィシェフラド[高い城]、3.シャールカ)と自然(2.ヴルタヴァ[モルダウ]、4.ボヘミアの森と草原から)と歴史(5.ターボル、6.ブラニーク)が音によって描かれ、スメタナはこの作品に帝国の支配下にあったチェコの復活と独立への渇望を託した。チェコの人々にとっては国歌に等しい曲だろう。そして、他の国の人々にとっても自らの国への思いは共通のはずで、「わが祖国」という楽曲にこめられた熱き願いが普遍性を持ち共感を呼ぶ。ロシアで生まれスターリン時代の共産主義の弾圧の歴史と対峙したビシュコフであれば尚更のこと。ビシュコフ×チェコ・フィルの「わが祖国」に感服した。