2026/6/7 小泉和裕×神奈川フィル ベートーヴェンの交響曲「第2番」「第8番」 ― 2026年06月07日 21:58
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
ミューザ川崎シリーズ 第4回
日時:2026年6月7日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:小泉 和裕
演目:ベートーヴェン/「エグモント」序曲
ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93
ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調Op.36
2025年からはじまった神奈川フィルのミューザ川崎シリーズ。年度内3回開催で「ベートーヴェン・リンク」と銘打って2シーズン目を迎える。昨年は旗揚げ公演である「田園」とブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」(指揮:沼尻竜典、ソロ:清水和音)を聴いた。なかなか座り心地の良い演奏会だったので、今年度は連続券を購入した。
今年度の初っ端の指揮は80歳ちょっと手前の小泉和裕。高齢の邦人指揮者が次々と鬼籍に入り、第一線で活動している80歳以上となると小林研一郎あたりしかいない。小泉の世代でいえば井上道義が引退したから、ほかには尾高忠明くらいだ。そのあと70歳前後には高関健、大植英次、本名徹次、広上淳一、大友直人がいて、さらにもう少し年齢が下の60代には大野和士、佐渡裕、山下一史、飯森範親、藤岡幸夫、沼尻竜典といった音楽監督や常任指揮者で活躍している一群となる。
大御所の小林研一郎にはほとんど関心がないので別として、小泉和裕と尾高忠明はすでに邦人指揮者の最高齢域に近づきつつある。それにしては小泉は若い。細身ながら矍鑠としており、身体的に不安なところは見当たらない。元気な小泉による得意のベートーヴェンである。
ベートーヴェンの交響曲はどれも傑作揃いだけど、「第2番」「第8番」はやや地味で影が薄い。珍しい組み合わせである。演奏会の最初には「エグモント」序曲をおいた。
「エグモント」序曲は低音を十分に効かせ極端にテンポを落として開始された。響きは充実し巨大で劇的、アッチェレランドやリタルダンド、音量の増減に無理がなく納得の演奏だった。重心が低く重量の載った、今考えられる最高級の「エグモント」だった。
序曲終了後、小泉は会場から盛大な拍手を受けたものの、舞台袖に引っ込むことなく指揮台に留まり、そのまま「交響曲第8番」の指揮となった。
「第8番」の開始楽章は一転して快速、以前聴いたときには音色の変化が乏しく多少の不満があったが、今日はホールも味方したのか、弦5部のそれぞれが役割を果たし、管楽器の抜けはよく色彩も豊かで感心した。第2楽章は歌謡的な旋律が愛らしく、こんなチャーミングなスケルツァンドは滅多に聴けない。第3楽章は鄙びた田舎風の舞曲、トリオはホルンとクラリネットの掛け合いが上手に決まった。二つの中間楽章は開始楽章に対比させるようにぐっとテンポを落とし、ここに焦点をあてたかに思えたが、快速に戻した最終楽章にクライマックスが待っていた。楽章の半分を占めるコーダは意表をつく転調の嵐であり、楽器が次々と繰り出される。オケのそこらじゅうが沸騰し異常な興奮状態となって終わった。
休憩後に「交響曲第2番」。前半の「エグモント」序曲と「交響曲第8番」は、以前、同じ神奈川フィルの小泉を聴いているが、小泉の「第2番」は初めてだと思う。
転調が目立つ序奏部を経て力強い主題と穏やかな主題が交錯する第1楽章から、美しい緩徐楽章、小さなスケルツォ、楽器同士が問いかけ応えながら、やはり長大なコーダで締めくくる最終楽章まで間然するところのない見事な演奏だった。
低域弦楽器のコントラバス、チェロを最大限に働かせ、ヴィオラや第2ヴァイオリンが内声部をきっちり支え、第1ヴァイオリンによって思いっきり旋律を歌わせる。結果的に第1ヴァイオリンが鮮明に記憶に刻印される仕掛けである。それらの安定した弦楽器に木管が美しく絡み、金管が華やかに彩を加え、ティンパニが推進力を高めて行く。
コンマスは先月の音楽堂シリーズに引き続いて松浦奈々が担当した。その腕前はバッハでも証明済みだが、今日のべ―トーヴェンにおける集団を一歩先んじる表現とオケ全体を引率する能力は目を見張るほどで、神奈川フィルは良いコンマスを手に入れた。
小泉のべ―トーヴェンは新奇な嗜好で耳目を集めようという魂胆は全くなく、“古き良き時代”の重厚なベートヴェンを愚直に開陳した。我々の世代からすれば安心して身を任せられる。今どきこういったベートーヴェンは稀かもしれない。
もっとも昨今、小泉より若い広上や沼尻がアプローチはそれぞれとしても“古き良き時代”のベートーヴェンを再現したいと公言することもあり、頼もしくも嬉しい限りではあるけれど。
プラダを着た悪魔2 ― 2026年06月04日 17:17
『プラダを着た悪魔2』
原題:The Devil Wears Prada 2
製作:2026年 アメリカ
監督:デビッド・フランケル
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
音楽:セオドア・シャピロ
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、
エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチ
実世界もドラマのなかも20年が経過した。失礼ながら現在の3女優の年齢を調べてみた。メリル・ストリープ76歳、アン・ハサウェイとエミリー・ブラントは、ともに43歳。ついでに、黒一点スタンリー・トゥッチは、というと65歳である。
今から20年前、アン・ハサウェイ(アンドレア)は学校出たてのジャーナリスト志望の女の子だった。田舎からニューヨークへ出てきて一流ファッション誌「ランウェイ」に採用された。悪魔のような編集長メリル・ストリープ(ミランダ)にしごかれ、仕事とプライベートとの板挟みに悩みながらも成長し、最後は「ランウェイ」から巣立って行った。
それから20年後、アン・ハサウェイは報道記者として活躍している。メリル・ストリープはまだ「ランウェイ」の編集長であるが、出版社は存続の危機に直面し、アン・ハサウェイは「ランウェイ」の編集部に舞い戻る。前作で同僚だったエミリー・ブラント(エミリー)は有名ファッションブランドの幹部になっており、古巣「ランウェイ」の命運を左右するキーパーソンとなっている。
3女優の美しさは驚くほど変わらない。この20年間、生き馬の目を抜くハリウッドで格別の露出度を誇ってきた3女優の存在がドラマに厚みを与えている。彼女らを彩るファッションも相変わらず華やかで、目の保養のためだけでも一見の価値がある。「ランウェイ」を愛するファンの期待を裏切ることはない。
しかし、ラグジュアリー雑誌「ランウェイ」は20年という時代を経て、出版の電子化、IT化の進行などによってその存立がおびやかされている。時代の変わり目という雰囲気が濃厚なのだ。権威や格式が数字や効率化に浸食されている。ひとつの時代の終焉を苦々しく思いながらも新しい時代に立ち向かおうとする人々の物語が出来上がった。
そう、スタンリー・トゥッチ(ナイジェル)は、ドラマのなかで20年変わらず彼女たちを支えてきた。きっと、実世界でもこうした裏方が主人公たちを護り続けてきた。そこにもきっちりとスポットを当てた。好感度は爆上がりである。
監督は前作に引き続きデビッド・フランケル、脚本も同様アライン・ブロッシュ・マッケンナとなっている。音楽はセオドア・シャピロが担当していて、レディー・ガガやマドンナなどの挿入曲が、「ランウェイ」を舞台とした華麗なドラマの気分をいっそう高めてくれる。
2026/5/30 濱田芳通×神奈川フィル ヘンデル「水上の音楽」 ― 2026年05月30日 22:08
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
音楽堂シリーズ 第36回
日時:2026年5月30日(土) 15:00開演
会場:神奈川県立音楽堂
指揮:濱田 芳通(リコーダー)
共演:リコーダー/織田 優子
チェンバロ/上羽 剛史
リュート/高本 一郎
ソプラノ/中山 美紀
ピアノ/居福 健太郎
演目:J.S.バッハ/管弦楽組曲第3番ニ長調
ヘンデル/歌劇「リナルド」より
「恐るべき鬼女たちよ」
ヘンデル/歌劇「ジュリオ・チェーザレ」より
「難破した船が嵐から」
野見祐二/くもりのちはれ
J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調
ヘンデル/組曲「水上の音楽」より8曲
+歌劇「リナルド」より
「さえずる小鳥たちよ」
濱田芳通は古楽アンサンブル「アントネッロ」を主宰し、指揮者兼リコーダー、コルネット奏者である。オペラ創成期からバロック期のオペラ、ルネッサンス音楽や南蛮音楽などの普及に務めている。バロック以前の音楽に関心が強いようだが、バッハ、ヘンデルには幼いころから親しんでいたという。
今日はそのバッハの2作品、ヘンデルの歌劇から3曲と「水上の音楽」組曲、そして、野見祐二による委嘱作品「くもりのちはれ」というプログラムだった。
最初のバッハ「管弦楽組曲第3番」は、そのなかのエアを編曲した「G線上のアリア」が有名で、バッハでは最も知られている作品のひとつだろう。第1曲はフランス風の序曲、トランペットとティンパニなどが大活躍し祝祭的で華やか、中間部は協奏曲風のフーガとなる。第2曲が件のエア(アリア)、管・打楽器はお休みで通奏低音と弦による息の長い美しいメロディが流れる。第3曲がガヴォット、宮廷舞踏会という雰囲気。分かりやすいリズムに乗ってトランペットが跳ね回る。第4曲はブレー、活気に満ちた舞曲。終曲の第5曲はジーク、速いテンポと複雑なリズム、軽やかなメロディーによって締めくくられる。打楽器はティンパニだけでなく太鼓やタンバリンなども加わっていつになく賑やか。濱田のつくりだす神奈川フィルの音色はモダン楽器とは思えないほど素朴なザラッとした色合いで独特の味わいがあった。
「管弦楽組曲第3番」が終わるとすぐにソプラノの中山美紀が登場し、そのままヘンデルの歌劇からアリアを2曲歌った。「恐るべき鬼女たちよ」は魔女アルミーダが地獄の鬼女たちを呼び出し、十字軍の騎士リナルドに復讐を果たそうとする強烈な歌。劇的で情熱的なコロラトゥーラが聴きものだった。「難破した船が嵐から」はクレオパトラが愛するジュリオ・チェーザレ(シーザー)生還の喜びと凱旋を歌う華麗で希望に満ちた曲。これもコロラトゥーラのきらびやかで力強い歌唱が耳に残った。
前半の最後は「くもりのちはれ」、リコーダー、ピアノと弦楽合奏のための新作でもちろん世界初演。管・打楽器奏者が退場し、弦楽器は6-4-3-2-1の編成。ピアノは中央に配置された。野見祐二は「耳をすませば」「風、薫る」などのアニメ音楽やTVドラマ音楽、映画音楽の作曲家。突然、現代音楽の響きに変わったが、旋律は馴染みやすくリズムも大人しい。何の抵抗もなく優しくさらさらと流れて行く。日本の典型的な劇伴音楽で、ついウトウトとなってしまった。
後半は「ブランデンブルク協奏曲第4番」から。「第4番」は昨年、竹山愛、濱崎麻里子のフルートと佐藤俊介のヴァイオリンで聴いた。今日は濱田芳通、織田優子のリコーダーとコンマス松浦奈々とが協演した。まず2本のリコーダーが鳥のように囀る。牧歌的な旋律のなかをヴァイオリンが彩を加えながら鮮やかに駆け巡る。独奏の松浦は日本センチュリー響のコンマスで、この4月から神奈川フィルの客演コンマスに就任した。中間楽章は憂いをおびたもの悲しい歌が繰り返される。独奏群と合奏群との対話がエコーのよう。最終楽章はフーガ。リコーダー、ヴァイオリン、そして合奏のそれぞれが圧倒的なエネルギーを発散させながら複雑かつ華麗に絡み合いクライマックスへと駆け上がった。佐藤俊介×東響の「第4番」はいかにも洗練された都会的な音楽だったけど、濱田芳通×神奈川フィルは野太く古風な趣、といって鈍いところは一切なく野趣あふれた勢いのある演奏だった。
最後はヘンデルの「水上の音楽」。ヘンデルはバッハと同い年。バッハとは対照的にドイツに留まることなく,イタリアヘ、イギりスへと旅をし,最終的にはイギリスの市民権を獲得した。オペラとオラトリオを書きまくり、作曲ばかりでなく劇場の経営や劇音楽の興行にも携わった。
管弦楽曲としては何といってもこの「水上の音楽」が代表作。王様の舟遊びのために作られた20曲前後の大組曲、今回はそのなかから8曲を選曲した。なお、途中で中山美紀が再登場し、歌劇「リナルド」より「さえずる小鳥たちよ」を「水上の音楽」のなかに挿み込んだ。中山はリナルドの恋人アルミレーナによる小鳥のさえずりを模したアリアを美しく爽やかに歌った。
「水上の音楽」ではホルンが加わり、トランペットと一緒にファンファーレなどで主役を務めた。リコーダーは鄙びた響きで旋律を歌い、オーボエは哀愁を漂わせながらも力強く吹奏された。ここでも打楽器はティンパニだけでなく数種類の太鼓やタンバリンなどが参加し、メリハリの効いた豊穣な音楽が鳴り響いた。濱田はアゴーギクを柔軟に施しつつ劇的で元気溌剌としたヘンデルの音楽をつくりあげた。
2026/5/23 ヴィオッティ×東響 「4つの最後の歌」と「ダフニスとクロエ」 ― 2026年05月23日 21:48
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第105回
日時:2026年5月23日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
共演:ソプラノ/マリーナ・レベカ
合唱/東響コーラス
合唱指揮/河原 哲也
演目:R.シュトラウス/4つの最後の歌
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」
「4つの最後の歌」は、はじめから4曲をまとめる構想があったのかどうか分からない。アイヒェンドルフの「夕映えの中で」という詩に特別の心情をいだき、ヘッセの3つの詩、「春」「九月」「眠りにつくとき」が加わった。
マリーナ・レベカは芯のある強靭な声、音圧は高く各音域とも充実した声量で輝かしい。リート歌手というよりは典型的なオペラ歌手だろう。身振り手振りも大きく立ち居振る舞いからして歌劇場の華という雰囲気がある。ヴィオレッタ役で有名なソプラノらしいがワーグナーも楽々とこなせそう。
1曲目、ヴィオッティは弱音に拘り、暗から明、明から暗へ転調を繰返しながら揺れ動く「春」を描く。「春」は楽器より声が勝ったような印象だったが、2曲目以降は互いがしっとりと馴染んで聴こえた。「九月」の終盤、ホルンの上間さんのソロに陶然とする。「眠りにつくとき」は小林壱成のソロと、さらにホルンとの掛け合いなどもあり、それらの楽器を掻き分けて聴こえてくるレベカの歌に涙した。「夕映えの中で」になるとフルートとピッコロの鳥が鳴き、管弦楽と歌とが重なった景色の美しさに正気を失った。
とうの昔にクラシック音楽は終わってしまっているのだけれど、その終焉を象徴する楽曲は何か、と問われたら、それはR.シュトラウスの「4つの最後の歌」と答えるだろう、純然たる器楽曲であれば「メタモルフォーゼン」と。
もちろん、そのあと、ロシアにはショスタコーヴィチ、フランスにメシアン、イギリスにブリテンがいて、「交響曲第15番」、「彼方の閃光」、「戦争レクイエム」などが生み出された。でも、これらはみな独墺音楽の残影ともいうべき作品だ。
クラシック音楽は第1次世界大戦によって破壊された。R.シュトラウスが第2次世界大戦後まで生き延びたため命を長らえたに過ぎない。そして、R.シュトラウスは挽歌と呼ぶに相応しい2つの作品を残した。独墺音楽の美は遂にここまで到達していた。
「ダフニスとクロエ」の実演は、不案内なバレエ公演を別として、コンサートの演目としてはほとんどが「第2組曲」で、全曲にはなかなか出会えない。演奏するに1時間近くかかるし、ありとあらゆる楽器を揃えなければならない、合唱も必要だから無理もない。直近では2年ほど前にカンブルラン×音大FOで聴いた。
ヴィオッティ×東響の「ダフニスとクロエ」は、音の解像度が高くリズムは卓越し、豊かな色彩をもち柔らかな音色だった。ヴィオッティはノットのような即興の面白味はないが、綿密な設計による構成力が尋常ではない。多分、練習では強弱や緩急、音色やバランスを緻密に計算し、オケに高い要求水準を課すのだろうけど、本番では力の限り締め付けるわけではない。今日も奏者任せで指揮棒を振らないことが何度かあったけど、設計図はもちろん手放さない。場面ごとの雰囲気や各楽器の持ち味を大切にして正統派の音楽を繰り出す。指揮ぶりは老練と言っていいほどだ。
「序奏」から「宗教的な踊り」にかけての神秘性、「ドルコンの踊り」の不気味さ、「夜想曲」の色気、「戦いの踊り」の野趣あふれる響き。そして3場に入ってからは「夜明け」における細やかな表現、「パントマイム」の精妙さ、「全員の踊り」の鮮烈なリズムと加速感などなど、大興奮の演奏だった
ヴィオッティは軽快でしゃれた楽曲であっても、いい意味で時間がゆっくりと過ぎて行く。品があり繊細だけど音楽がみっちり詰まっているから演奏後の疲労度は大きい。
とにかく、この先ヴィオッティの指揮を楽しみに期待はしつつ、聴き続けるだけの体力を維持できるかどうかが心配の種である。
2026/5/17 ヴィオッティ×東響 ベートーヴェンとマーラーの「交響曲第1番」 ― 2026年05月17日 21:47
東京交響楽団 名曲全集 第217回
日時:2026年5月17日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
演目:ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調op.21
マーラー/交響曲第1番 ニ長調「巨人」
昨日の定期公演(サントリーホール)が新監督ヴィオッティとして初の演奏会であり、今日、同一プログラムを名曲全集でも取り上げた。ヴィオッティはこのあと川崎定期と特別演奏会でR.シュトラウスとラヴェルを披露する。これらが就任公演ということになろうか。
数年前、ノットの監督退任がそれとなく話題になっていたころ、後任の本命はヴィオッティかウルバンスキだろうと予想していたが、丁度その時期にヴィオッティに関するニュースがあった。首席指揮者を務めていたオランダ国立歌劇場(及びオランダ・フィルハーモニー管弦楽団)との契約を更新しない、その理由が「私生活と発展を優先させる」というものだった。
「私生活を優先させる」…となればスイス―オランダよりスイス―日本のほうが遥かに遠い。これでヴィオッティの東響監督就任は難しくなった。ウルバンスキが俄然有力となり、ダークホースとしてマリオッティかオラモもありうるのではないかと思った。
そうこうするうちに2024年の夏、突然、ロレンツォ・ヴィオッティが東響の次期音楽監督に就任するとの発表があった。就任のいきさつは徐々に明らかになるだろうが、オランダを退任する理由のなかの「発展を優先させる」との言葉を見落としていたようだ。もし“発展”のひとつの具体化が東響であるとするならこんな嬉しいことはない。
ヴィオッティの東響デビューは10数年前のウルバンスキの代役で、これが彼のプロ指揮者としてのデビューでもあった。2014年のこの演奏会は知らないが2019年のヴェルディ「レクイエム」は聴いた。腰が抜けるほどの衝撃だった。その後のドヴォルザークとブラームス、二つの英雄など、これはいよいよ只者ではないと確信した。
さて、その新音楽監督の第一声はベートーヴェンの「交響曲第1番」である。ベートーヴェンもブラームスほどではないにせよ最初の交響曲には苦労した。30歳くらいになってようやく交響曲は完成した。
ヴィオッティのベートーヴェンは解像度が高くキレのある素晴らしい演奏だった。開始楽章はひねりの効いた序奏からはじまり、主題の登場まで時間をかけ焦らしに焦らす。その後は溌剌として明快、全体的に弦よりも管を目立たせ木管楽器同士の対話を強調する。福井さんのファゴットの小刻みな動きもユーモラスだ。第2楽章はワルツ風の優美で可憐なカンタービレ、終盤のオーボエ荒さんとホルン上間さんのデュエットが美しい。メヌエットはもうスケルツォと呼んでいいほど、軽快にして大胆に音を散らす。柔らかな印象はなくユーモラス、大袈裟に鳴らされるバロックティンパニも楽しい。アタッカで最終楽章へ。スローテンポから徐々にスピードを上げスリル満点。東響のパワーが全開となりワクワクする。山響から東響に移籍した知久翔のフルートも美しい。終結はベートーヴェン節が炸裂し豊かな響きで大団円となった。
コンマスは景山昌太郎、弦の並びはノットの時と違い第1ヴァイオリンの隣に第2、中央にヴィオラ、舞台上手にチェロを置き、その後ろがコントラバスだった。
「交響曲第1番」に関してはマーラーとしても難産となった。調べてみると、20代の半ばから4年ほどかけて作曲され、初演は1889年ブタペストで行われた。その時は「2部からなる交響詩」と呼ばれ全5楽章で標題はなかった。その後、大小の改訂がたびたび行われ、最終稿まで10年ほどかかっている。まずはハンブルク稿で「交響曲形式の交響詩 巨人」と標題が付され楽章には副題をつけた。次いでがワイマール稿、楽曲構成は変わらないが副題が拡充され、楽器編成がハンブルク稿の3管から4管へと拡大された。続いてベルリン初演において初めて交響曲として改訂する。第2楽章の「花の章」が削除され全4楽章となり、標題も各楽章の副題も取り払われた。そして、最終稿はベルリン初演のあと1906年から1907年にかけ改訂され、ティンパニを2セットとするなど楽器編成の見直しも行われ、これが現在の演奏の標準形となっているようだ。
ヴィオッティは弦楽器のフラジオレットを極度の弱音で開始した。だから、否応なしに木管群の鳥の声が耳に残る。ちょっと極端すぎるのではないかと訝ったが、これが終楽章への伏線だった。レントラーは前楽章とは反対に弦楽器を思う存分鳴らした。コントラバスによる葬送行進曲は最初のテンポを与えたあと民謡風の旋律が現れるまで指揮棒を振ることはなかった。そのせいもあって聴き手はえらく緊張した、これは反則技だ。終楽章の激情は開始楽章の再現との対比で凄まじいクライマックスとなった。見事な演奏を聴いたというより得体の知れないとてつもないものに出会ったという感想だった。ヴェルディの「レクイエム」を聴いた時と同様の感触が蘇ってきた。
ヴィオッティはたんに才能のある優秀な指揮者というより、ある種の狂気を孕んだような感性と天賦の才とを合わせ持った若者である。彼の音楽を聴いていると、通り慣れた道であっても知らないところへ連れて行かれるような恐れと不安を感じるときがあった。音楽の密度は濃く個性的、戸惑う人もいるはずで賛否両論が喧しくなるだろう。
この先、老人が追いかけるべき指揮者かどうか自信がない。よほど体力を温存しておかないと耐えられない気がする。ショスタコーヴィチの交響曲などはどうなってしまうのだろう。とりあえずは怖いものみたさで期待をしておこう。
ヴィオッティは2028年からノセダの後任としてチューリッヒ歌劇場の音楽総監督に就任する。東響の音楽監督は秋山、スダーン、ノット、ヴィオッティと受け継がれてきた。東響事務局と楽団員の驚くべき慧眼にただただ敬服するばかりである。