2026/4/18 沼尻竜典×神奈川フィル ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 ― 2026年04月18日 21:21
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第413回
日時:2026年4月18日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:沼尻 竜典
共演:ヴァイオリン/石田 泰尚
演目:ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第2番
嬰ハ短調Op.129
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調Op.47
神奈川フィルの2026/27シーズンはショスタコーヴィチの2作品でスタート。監督が振りコンマスがソロを務める。早々に完売公演となった。
沼尻は監督に就任以来、各シーズンともブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチを積極的にプログラムしている。交響曲についてはそれぞれチクルスを完成させようとの計画があるのかも知れない。
コンマスの石田泰尚は荒井英治ほどではないけどショスタコーヴィチの室内楽をよく取り上げている。神奈川フィルのショスタコ・ヴァイオリン協奏曲となれば彼しかいない。荒井英治も今シーズンのシティフィル定期で一気に2曲演奏するが、これは別件があって聴くことができない。
ショスタコーヴィチは生涯に6曲の協奏曲を書いた。ピアノ、チェロ、ヴァイオリンが各2曲ある。「ヴァイオリン協奏曲第2番」は最後の協奏曲作品、内省的で陰鬱、難解だと思う。前年には「チェロ協奏曲第2番」を完成している。交響曲でいえば「第13番」と「第14番」の狭間、ショスタコーヴィチの晩年である。
「第1番」の20年後に作曲された「第2番」はダヴィット・オイストラフの誕生祝らしい。古典的な3楽章の形式だが調性は不安定で響きはしばしば無調的。激しさと緊張感、打楽器をからめた独特の響きは晩年作品の典型といってもいい。ソロは最初から最後まで休むことなく弾きっぱなし。カデンツァは長大かつ複雑で難易度がとんでもなく高い。
オケのコンマスはゲストの佐久間聡一。金管はホルンのみでトップは元PPTの吉田智就、このゲストの若手奏者がべらぼうに上手かった。打楽器はティンパニとトムトムだけを用いる。篠崎史門と金井麻理が大活躍した。ソロの石田泰尚は雑音の少ない弓使いと滑らかな音色。アレグロだって興奮に我を忘れることはない。尖った音楽ながら響きはまろやかで、難曲をいつものように柔らかな美音で軽々と弾いた。
第1楽章はコントラバスとチェロのピチカートで始まり、重厚な第1主題と軽妙な第2主題が対比される。全体的に薄暗く不穏な雰囲気が漂う。第2楽章は緩徐楽章、舞曲風の旋律で開始されるが、次第に重苦しい悲劇的な情感が満ちてくる。短いカデンツァを経て切れ目なく第3楽章へ。第3楽章は躍動感のある皮肉めいたフィナーレ。ヴァイオリンとホルンのふざけた掛け合いから変拍子となり打楽器が介入してエネルギッシュな展開となる。中盤には長大なカデンツァが置かれ最後は祝祭的な結末を迎える。ソロ・ヴァイオリンとティンパニ、トムトムとの掛け合いや、ホルンとのやりとりは鮮烈な印象を残した。
アンコールは沼尻のピアノのもと、石田と佐久間とでショスタコのポルカ、「2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」からだという。「ジャズ組曲」もそうだけどショスタコーヴィチはこういったあっけらかんとした曲も書く。会場は大うけだった。
ショスタコーヴィッチは「交響曲第4番」で思う存分前衛的な作品を書いたが結局これを封印し、誰が聴いてもわかる「交響曲第5番」を世に出した。全4楽章で編成も普通、“苦悩から勝利”の筋書きを経て最後も決然と終わる。構造はシンプルでシンプルゆえに演奏はかえって難しい。
第1楽章は弦楽器による悲痛な響きからはじまり、やがて伸びやかな主題があらわれる。ピアノが入ってきて次第に緊張が増し、唐突にマーチとなり最高潮に達したあと、最後はチェレスタの上昇音型で冷たく終わる。第2楽章はスケルツォで低弦の厳格なリズムを基礎にした杓子定規な3拍子が続く。トリオの田舎風のレントラー舞曲はマーラーのよう。第3楽章は重苦しい緩徐楽章。金管楽器は休みとなり弦楽器が分奏する。木管ともども悲哀の音楽が連続する。第4楽章は不気味な木管のトリル、ティンパニの強打に次いで金管の荒々しい主題が現れ壮絶に展開される。嵐が静まると静寂の中で回想的な音楽となるが、再び盛り上がりティンパニとバスドラムの強打をともなった全合奏で終結する。
驚いたことに協奏曲で独奏した石田泰尚が後半はコンマスとして座り、ここでも流麗なソロを披露した。隣には佐久間聡一、弦は協奏曲のときの12型から16型に拡大。ホルンのトップは豊田実加に代わり、前半好演した吉田智就は3番を担当した。
「第5番」は作品成立の過程での国家との関係や、個人的な女性問題などがやたら取り沙汰されるが、沼尻はその諸々に惑わされず交響曲形式による起承転結が明快な古典的作品として真正面から向き合ったようだ。混じりっけのない交響曲と割り切り、各パートを丁寧に浮かび上がらせつつ階層的な程よい重量物として構築した。最終楽章だけはテンポアップしたものの他の楽章は揺るぎのない堂々とした歩みで、こねくり回した変化球ではなく気持ちのいい直球でもって真っ向勝負した。神奈川フィルも弦、木管、金管、打楽器それぞれが音量豊かに隙の無い演奏を繰り広げ、監督の要求に十全に応えていた。幸先のよい新シーズンの幕開けとなった。
今日の演奏会場には録音マイクが林立していた。CD化されるのかも知れない。
プロジェクト・ヘイル・メアリー ― 2026年04月07日 16:35
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
原題:Project Hail Mary
製作:2026年 アメリカ
監督:フィル・ロード
クリストファー・ミラー
脚本:ドリュー・ゴダード
音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:ライアン・ゴズリング、ザンドラ・ヒュラー、
ライオネル・ボイス、ジェームズ・オルティス
原作はアンディ・ウィアーによる同名のベストセラー小説で、SF分野ではかなり有名な本らしいけど未読。映画の予告編もあえて見逃し、ライアン・ゴズリングとザンドラ・ヒュラーが出演するということだけでぶっつけ本番、白紙のまま鑑賞した。
以前、ゴズリングがエミリー・ブラントと共演するからと観に行った『フォールガイ』と同じようなものだ。ザンドラ・ヒュラーはドイツ出身、『落下の解剖学』にとても感心した。ゴズリングとどのような丁々発止をするのか期待は大きい。
アンディ・ウィアーは映画との関係ではマット・デイモン主演の『オデッセイ』において原作『火星の人』を提供している。脚本を書いたドリュー・ゴダードも『オデッセイ』の台本を担当した。科学的なリアリティと人間ドラマを両立させるには万全の布陣である。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』については、事前に本に目を通しておけばアストロファージとかペトロヴァ・ライン、タウメーバやキセノナイト、何より惑星エリドとエリディアン文明などの詳細が知識となり、別の楽しみ方が出来たかも知れない。いやいや、そうはしなかったけど、この映画は映画として最高であって大満足の一作だった。
「ヘイル・メアリー」とは「アヴェ・マリア」の謂いで、英語圏では「イチかバチか」「神頼み」の意味で使われることがあるという。未知の物質によって太陽が衰え、地球は氷河期に突入し全生命の滅亡まであと30年しかない。人類を救うミッションの責任者ストラット(ザンドラ・ヒュラー)は科学教師グレース(ライアン・ゴズリング)らを宇宙船ヘイル・メアリー号に乗せ、はるか11.9光年彼方の不思議の星タウ・セチへと送り込む。人類の存亡を賭けたプロジェクトに挑むグレースと宇宙で出会う異星人との連帯と奮闘が描かれる。ファースト・コンタクトものでもある。
人類の滅亡という重いテーマだけど、映画の感触はポジティブでユーモアに溢れ、ポップな画面やファンタスティックな映像にワクワクする。宇宙での現在と地球での過去の出来事が交錯し、だんだんと事態が明らかとなり物語が姿を現す。荒唐無稽なスペース・オペラではあってもSF的要素は物語の背景であり、主題は境界のない友情あるいは無償の愛あるいは正真正銘の自己犠牲である。それも惑星をこえ、種をこえた、とてつもなく大きな友情と愛と自己犠牲の物語。
主人公のグレースは決して勇敢でも偉大でもない、臆病で責任など引き受けたくもない現実逃避型のそこらじゅうにいる普通の人間、そのヒーローらしからぬヒーローの振舞いをゴズリングが好演する。『ファースト・マン』の重さとは真逆であって、ちょっと軽めのコミカルな役どころを奥行きをもって演じる。ザンドラ・ヒュラーはやはりピリリと辛め、ゴズリングとの複雑な感情のやりとりは見応え十分ながら絡みはわずかなのが残念。その代わりゴズリングのほとんど一人芝居をたっぷりと楽しむことができる。
もう一人の主人公が異星人のロッキー、岩のような見かけだからグレースが名付けた。形はゴツイ蜘蛛のようにもみえる。どうやら視覚を備えていなくて潜水艦におけるソナーのごとく音で世界を認識している。この造形が滅茶苦茶可愛い。CGでなくてパペットを使ったようで存在感十分、映画『ロッキー』同様、何度倒されてもけっして挫けない。理性的で理屈っぽい地球外生命だけど友情と愛と自己犠牲は人間以上、その表現や仕草が愛おしい。
画中、小ネタもいろいろ楽しめる。
グレースとロッキーとのファースト・コンタクトのとき、『未知との遭遇』におけるUFOが意思疎通に使った音階をグレースが口ずさみロッキーが反応する。
ロッキーとコミュニケートする際にグレースが踊るダンスは『ラ・ラ・ランド』でみたような。
グレースがロッキーと会話するための音声変換で試しにメリル・ストリープの声を聞かせる。グレースは「名優だな」と呟く。メリル・ストリープの声だけのカメオ出演である。ロッキーの声は最終的にはジェームズ・オルティスが務めるのだが、オルティスはパペットであるロッキーの操演が本職らしい。
地球救済のためのデータと試料を地球に送るための小型無人探査機の名前が「ビートルズ」、4機ありジョン、ポール、ジョージ、リンゴという名前がついている。
などなど遊び心がいっぱい。これらの幾つかは原作に書かれているのだろうか?
そして、音楽が素晴らしい。担当はイギリスのダニエル・ペンバートン、挿入曲のセンスが抜群で泣かせる。
映画を観終わってから調べたのだけど、ロック、タンゴからフォルクローレ、マオリ民謡まで、歌詞が字幕で紹介されることもあり、どうしてこうも物語にぴったりの曲を探し出したのかと驚くほど。
宇宙船のなかで一人ぼっちになり、孤独と絶望に打ちひしがれるグレースが聴くクリス・クリストファーソンの「Sunday Mornin’ Comin’ Down」、アコースティックギターの爪弾きと哀愁の歌声が心に沁みる。
グレースとロッキーの宇宙船が同期しながら回転するときにアルゼンチン・タンゴの名曲「El amanecer」が流れる。
プロジェクトの責任者ストラットがカラオケで歌うハリー・スタイルズの「Sign of the Times」、非情なはずの彼女がふと温かい人間の顔をみせる。このシーンのために歌詞があるのでは、と錯覚するほど意味深い内容である。
グレースとロッキーがそれぞれの惑星に帰るときには、マオリ族の民謡「Po Atarau」(Now Is The Hour)を使う。素朴な別れの歌が涙を誘う。
小型探査機「ビートルズ」が地球に打ち出されるときには「トゥ・オブ・アス」が歌われる、“僕らは帰る途中、僕らは帰る途中…”もちろんビートルズの。
エンドクレジットにはアイク&ティナ・ターナーのゴスペルソングである「Glory, Glory」が重なる。苦難の旅路のあとである、”重荷は降ろした、栄光あれ、ハレルヤ、もう家に帰ろう”と。
挿入曲は以下のサイトでまとめて確認することができる。
https://filmmusik.jp/project-hail-mary/
監督のロード&ミラーの映像は軽やかなコミック調でありながら俳優やパペットの表現によって主題をどんどん膨らましていく。とんでもなく残酷で救いようのない状況だからこそ、その友情や愛や自己犠牲によけい泣かされ笑わされる。小さな勝利のたびにグレースとロッキーとで生命維持防具をはさんでグータッチやハグが繰り返される。そのたびに感情が抑えきれなくなって困った。
ロード&ミラーはウォシャウスキー姉妹やコーエン兄弟のようなふたり組の監督だけど詳しくは知らない。映画ではアニメーションの監督・脚本でスタートし、過去にはアニメ「スパイダーマン スパイダーバース」で破天荒な映像表現を創作したという。アニメ制作で鍛えただけあって誇張や軽薄さを恐れない。だからこそ、常識をこえたロッキーという異星人を容易にあやつりパペットに命を吹き込むことができたのだろう。ピノキオをつくったゼペット爺さんみたいなものだ。若き監督ではあるけど才能の塊、革新的な映像クリエーターである。
ありきたりの臆病な人間が異星人とともに全生命の救済をめざして闘う。かけがいのない異形の友と一緒に困難を克服していく。過酷で絶望的な環境であってもユーモアを忘れず、友情、愛、自己犠牲といった使い古された主題を高めていく。
映画のなかの出来事だと分かってはいても、前向きで楽天的で諦めることを知らない彼らに拍手喝采し、人間はまだまだ捨てたものではないと思う。たとえ幻想だとしても艱難辛苦の先に良き世界があり、勇気や希望を失ってはならないと言い聞かせてみたくなる。これって凄いことじゃないか。
映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、原作の小説を読んでから再度観たい。しかし、文庫本上下巻で計900頁を超える大部を上演期間中に読み切る自信がない。
この映画の製作はAmazon MGMスタジオだから、半年か1年後にはPrime Videoで公開されるだろう。それまでに読破すればPrime Videoで見直すことはできる。
そうと決まれば、近々もう一度大型画面で観てもいいのではないか、と思案している。
2026/3/29 アクセルロッド×音大FO ガーシュウィン「パリのアメリカ人」 ― 2026年03月29日 21:28
第15回 音楽大学フェスティバル・オーケストラ
(首都圏8音楽大学+関西の音楽大学 選抜)
日時:2026年3月29日(日) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョン・アクセルロッド
演目:バーンスタイン/「キャンディード」序曲
コープランド/バレエ組曲「アパラチアの春」
ドアティ/ルート66
ガーシュウィン/パリのアメリカ人
年度末恒例の特別編成による音大オケコンサート。今年度は首都圏の8大学に加え関西から京都市立芸大と相愛大が参加し、計10大学の選抜メンバーによるフェスティバル・オケをアクセルロッドが指揮をした。
アクセルロッドといえばコロナ禍のとき来日不能となった海外指揮者の代役を務め各地のオーケストラを振った。彼は入国制限の直前に来日をしていたので、そのまま帰国せず随分長く日本に留まり指揮をした。各楽団の事務局としては幾多の演奏会を守ってくれた救世主に思えたに違いない。
今回はオールアメリカンプログラム。アクセルロッドはテキサス州ヒューストンの生まれでバーンスタインやエッシェンバッハに学んだ。まさしくお国もの、身体に馴染んだ曲ばかりだろう。
バーンスタイン「キャンディード」の組曲版は昨年大植×神奈川フィルで聴いた。楽天家キャンディードが世界各地で波乱万丈の冒険劇を繰り広げるミュージカル。世界中を舞台とするから音楽は様々なジャンルのごった煮のようだった。序曲は物語の期待を高めるように華々しくはじまり、快速で最後まで駆け抜ける。組曲は壮大にして感動的な人間賛歌で終結したけど、序曲は軽快かつ陽気なコーダだった。アクセルロッドと音大選抜は元気の良いダイナミックな演奏でフェスティバルの幕を開けた。
コープランドの「アパラチアの春」組曲、もともとは13人編成の小管弦楽によるバレエのための曲、これをオーケストラ用に編曲したもの。組曲版は特に打楽器が注目でバスドラム、スネアドラム、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、シロフォン、ウッドブロックなどを揃え、クラベス、テイバーという珍しい楽器も加わる。クラベスは木片の拍子木のようなもの、テイバーは1本バチの長太鼓である。これだけの打楽器を今日は4人の奏者でまかなった。スネアドラム、トライアングル、ウッドブロック、クラベス、テイバーはまとめて1人が担当した。とっかえひっかえ叩いて途中でクラベスを床に落とすというアクシデントもあったけどドンマイ、敢闘賞ものだ。
「アパラチアの春」は開拓民の素朴な世界を音にしたものといわれ、曲後半の変奏曲ではキリスト教シェーカー派の讃美歌「シンプル・ギフト」の主題を使っている。アクセルロッドは抑制のきいたコントロールで学生オケをまとめ上げ、詩情あふれるコープランドを奏でてくれた。
休憩後、日本初演のドアティ「ルート66」でスタート。「ルート66」とはシカゴからカリフォルニアを結んでいた国道。TVドラマや映画、小説や音楽などの題材にもなっている。冒頭の4本のトランペットが格好いい。リズミカルな音楽が連続し、車のエンジンやブレーキの擬音が挿入されるなど親しみやすい曲。ここでも打楽器が大活躍、若い力が結集した派手で楽しい演奏だった。
「パリのアメリカ人」はガーシュウィンが旅行中に体験したパリの街並みを活力一杯に描いた作品。タクシーホーンがけたたましく鳴り、通りの喧騒や街中のざわめきが切り取られる。アメリカ人がパリを散策する。アルト、テナー、バスの3本のサクソフォンはアメリカへの郷愁か、そのままミュージックホールから洩れる音色か。アクセルロッドは各楽器を際立たせ強くメリハリをつける。音大選抜は色彩豊かに躍動感あふれる熱演で応えていた。
「パリのアメリカ人」は劇伴音楽として書かれた作品ではないが、ガーシュウィンの亡くなったあと同じ題名の映画が作られた。ガーシュウィンはニューヨークのブルックリンで東欧系ユダヤ人の移民の子として生まれ1937年に永眠、わずか38歳の生涯だった。
2026/3/26 ヴァンスカ×都響 シベリウスの交響曲「第1番」「第4番」 ― 2026年03月26日 19:47
東京都交響楽団 第1040回定期演奏会Cシリーズ
日時:2026年3月26日(木) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:オスモ・ヴァンスカ
演目:シベリウス/交響曲第1番 ホ短調 op.39
シベリウス/交響曲第4番 イ短調 op.63
ヴァンスカ×都響のシベリウスは後期作品をまとめて聴いたことがある。このときは聴き手が極度の体調不良で残念ながら3曲ともほとんど記憶に残っていない。そのあとのヴァンスカ×東響のほうが鮮明に刻印されている。ニールセン「ヘリオス」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」、プロコフィエフ「交響曲第5番」というプログラム、とくにバルナタンがソロを務めた協奏曲は忘れられない。
今回、ヴァンスカが都響と再びシベリウスを披露してくれる。最初にこの演奏会の案内をみたとき、同じ作曲家の一番分かりやすい曲と最も分かりにくい曲を並べたな、という印象だった。体調を整えてリベンジである。東京芸術劇場は平日の昼公演だけど客が良く入っていた。
前半は「第1番」。シベリウスの交響曲といえば「第2番」が有名だが、「第1番」も北欧の自然や民族を描写しているようで、その時代の空気を映し出すような情熱と抒情が好ましい。ヴァンスカは少し痩せたふうに見えたが動きはエネルギッシュ、冷気ただようシベリウスの作品をテンポも快速にスケール大きく豪快に描いた。
第1楽章はティンパニのトレモロのうえをサトーミチヨのクラリネットが序奏を奏でる。ヴァイオリンの清冽な響きと力強い主題、金管の咆哮が続く。ロマンティックで交響詩的な表現がこの時期のシベリウスらしい。第2楽章はハープに導かれ、ヴァイオリンとチェロが悲しげな旋律を歌う。テーマは変奏され、途中、無窮動的なパッセージが挿入される。情感に満ちた美しい音楽である。第3楽章は低弦のピッツィカートに乗り、ティンパニ、ヴァイオリンによる鋭いリズムと素朴な旋律のスケルツォとなる。動機は管楽器へと引き継がれ、中間部では安らぎが訪れる。第4楽章は第1楽章冒頭の序奏の旋律が回帰する。すぐに激しく劇的な展開となり、終盤に向かって雄大なクライマックスを築いたあと、最後はピッツィカートによって消えゆくように終わる。前回の後期作品と比べることは無意味だけど、今日は確かに十分な満足感をもってシベリウスの音楽を聴くことができた。
後半は「第4番」。地味で内省的で非常に晦渋な音楽。
第1楽章は緩徐楽章。コントラバスなどの憂鬱な響きからチェロの伊東裕のソロへ受け渡される。低音域の弦から開始される交響曲はロマン派以降ママあるがこの重苦しさは尋常ではない。細かいモチーフが目立ち、ときどき金管が短く鳴る。旋律の流れは予測できず調性は曖昧で安定しない。恐れや不安のなかを彷徨っているようで、コーダは不気味な余韻を残して終わる。第2楽章の前半はスケルツォ風、後半はオスティナートのように主題が繰り返される。不協和音が頻りに出現し皮肉っぽい。第3楽章は再び緩徐楽章、切れ切れのモチーフが絡み合い、瞑想するような音楽が続き、なかなか主題が形にならない。長い時間をかけて息の長い旋律の全体が現れる。ヴァンスカはこの主題を厳しくも歌のごとく感動的に盛り上げる。ここが今日の演奏会最大のクライマックスだった。第4楽章は無窮動風で一応は活気もあり、鉄琴が鳴って明るく透明感のある響きを聴かせる。が、やがて音楽は陰影を深めてゆき、最後は暗い雰囲気となって突然崩壊するように終結する。
「第4番」は半音階的な進行や不協和音が頻出し協和音との抗争もあって音楽の流れが掴み辛い。弦5部は16型と分厚いが、管の構成はシンプル、打楽器もティンパニとグロッケンシュピールのみ。抑制されたオーケストレーションながら響きは深く独特の余韻や間が緊張を高める。シベリウスの交響曲のなかでは最も先鋭的な作品だろう。ヴァンスカはこの難解な楽曲を丁寧に精密、かつ情熱をもって構築した。コンマスは矢部達哉、横に山本友重が座ったダブルトップ、都響はほぼベストメンバーで臨んだ。
ヴァンスカ×都響の「第4番」は決定版といっていいほどの演奏会となった。明日もサントリーホールで同一プログラムの公演がある。
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2026 ― 2026年03月25日 17:11
本日、フェスタサマーミューザの詳細が発表された。7月25日から8月11日までの18公演、うち2公演はテアトロ・ジーリオ・ショウワにおける出張公演。
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/common/pdf/pamph.pdf
開幕はノットからヴィオッティとなり、従来通り原田慶太楼による東響で閉幕となる。
ざっと見ると指揮者、プログラムともあまり代わり映えしない。もちろんヴィオッティとかコンツは初登場だけど演目はポピュラー。大御所のコバケンの登壇は珍しい。
演奏会として抜群に面白そうなのは7月31日に開催されるヴァイグレ×読響。ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~オーケストラル・トリビュート(デ・フリーヘル編)と鈴木愛美がソロを務めるベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」がプログラムされている。しかし、この日は予定があって行けない、残念!
今年も日時、指揮者、ソリスト、演目などによって選択するが、出かけるのは2,3公演となりそう。