2026/7/26 松井慶太×東京カンマーフィル ベートーヴェン「交響曲第4番」2026年07月26日 21:13



東京カンマーフィルハーモニー
  第32回定期演奏会

日時:2026年7月26日(日) 14:00開演
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
指揮:松井 慶太
共演:メゾソプラノ/加賀 ひとみ
演目:ベートーヴェン/序曲「コリオラン」
   ファリャ/「恋は魔術師」
   ベートーヴェン/交響曲第4番


 松井慶太との最初はこの東京カンマーフィルと共演したシベリウスとベートーヴェンの「交響曲第7番」だった。とても感心して、その後、機会があれば彼の演奏会に足を運んでいる。ファリャの「恋は魔術師」は、少し前のOEKの公演で楽しんだばかりだが、今日はベートーヴェンの「交響曲第4番」を併せて指揮するというので渋谷まで出かけた。

 まずは「コリオラン」序曲から。作品番号は62。「交響曲第4番」が作品60だからほぼ同時期である。ちなみに間の作品61は「ヴァイオリン協奏曲」、前後には「ピアノ協奏曲第4番」「ラズモフスキーセット」などの傑作が並ぶ。
 「コリオラン」は演奏会用の序曲、古代ローマの将軍を主人公にした戯曲に触発されて作られたという。冒頭から強烈な主調の和音が連打される。室内オケだけど思いのほか重量を感じさせる。松井は短いモチーフを徹底的に彫琢しながら前に進める。力強い主題と優しい主題を対比させ、最後は緊張感を維持しながら力尽きて消えるように終えた。
 大和田 さくらホールは初めてだが、ほどよい残響のなか各楽器が明瞭に分離する。容量700席のホールながら、天井は高く落ち着いた雰囲気があって好ましい。

 続いて「恋は魔術師」。もとはジプシーダンサーの舞台音楽として、8重奏と独唱のために書かれた。後日、通常の管弦楽編成に書き改められ、さらにはバレエ音楽に改変された。フラメンコやジプシーの音楽が色濃く反映され、打楽器のリズムや弦楽器の官能的な旋律が魅力である。
 先日のOEKの公演は野村萬斎の舞台が目玉で、とかく狂言と舞踏のほうに注意が行きがちだったが、今日は室内オケと独唱が主役。加賀ひとみの声は押し出しが強く、低音などは良い意味でドスのある歌いまわし。松井の音楽は相変わらず色彩が豊かでリズム感が秀逸。過激な舞踏と静寂な情景を交互に、熱い情熱とミステリアスな世界を描いた。

 休憩後がベートーヴェンの「交響曲第4番」。松井の楽曲解釈は申し分なく、その卓越した表現力には脱帽するばかり。各楽章のテンポ感、加減速のあんばい、音量の増減などがしっくりと納得できる。管楽器には多少キズがあったがフルート、オーボエは十分に上手、バロックトランペットは良い音を出していた。なにより、土台である弦楽器の音色が美しくアンサンブルもしっかりしていて、個々の瑕瑾はあまり気にならなかった。
 静かで神秘的な序奏に引き込まれ、弾けるような主部に躍動する。コーダの近くティンパニの強打には意表を突かれた。緩徐楽章ではそのティンパニが付点リズムで伴奏を刻むなか、弦楽器が美しくも格調高い旋律を奏でた。活発なリズムのスケルツォを経て、フィナーレは息をもつかせぬ常動曲の高速パッセージで興奮させてくれた。楽器と楽器の間で旋律の受け継ぎが多く、難しいソロもたっぷりあるこの曲を東京カンマーフィルは大奮闘した。

 大昔、ベートーヴェンの交響曲全曲を音盤で聴き終わったとき、「第3番」と「第5番」、「第7番」と「第9番」に挟まれた「第4番」と「第8番」が妙に気になって偏愛した時期があった。第一にはクリュイタンス×ベルリンとイッセルシュテット×ウィーンという名盤に惚れ込んだ故だが、ベートーヴェンの女性関係を聞かされたことも多分に影響した。両曲とも具体的な女性の音画ではないかと思い込んだのだ。ベートーヴェンは主観的な感情や思想を音楽に定着した最初の人だったからこう考えても無理ないことだったけど。
 「第4番」はミステリアスな暗い序奏から突如として弾けるような疾走が始まる。緩徐楽章では美しく洗練された旋律が歌う。トリッキーで活発なスケルツォのあと、無窮動風の上昇音型は息をもつかせぬほどスリリングだ。
 「第8番」は前奏なしで堂々と開始され、清々しく率直で飾らない。スケルツォは規則正しいリズムのなか途中笑い声なども聴こえてくる。メヌエットのなかの郵便馬車のポストホルンは思い出に違いない。フィナーレは洒脱で活力に満ち、終わりそうで終わらないコーダも愛嬌があった。
 もし、これらが女性を描いているとしたら「第4番」は美しく神秘的だけど行動に予測不能なところがあり、ちょっと危険な香りがする。「第8番」は率直で飾り気がなく、規則を重んじてはいてもときには羽目を外しユーモアも持ち合わせている、ということになろうか。少なくとも両者は同一人物ではないように思われた。
 「第4番」はベートーヴェン36歳、この時期、夫と死別したヨゼフィーネ・ダイム(旧姓:ブルンスヴィック)と親密になっている。「第8番」はベートーヴェン42歳、“不滅の恋人”に宛てた手紙をこの年に書いている。ヨゼフィーネ・ダイムも“不滅の恋人”の有力候補ではあるが、「第4番」と「第8番」を聴く限り“不滅の恋人”は彼女ではない。ここは青木やよひやメイナード・ソロモンが言うアントニー・ブレンターノ(旧姓:ビルケンシュトック)のほうを推すべきだろう。
 両曲にまつわる女性たちへの妄想はさておき、次は松井慶太で「交響曲第8番」を聴いてみたい。

2026/7/25 米田覚士×ユニコーンSO マーラー「復活」2026年07月25日 17:22



ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ
  第20回 記念定期演奏会

日時:2026年7月25日(土) 13:30開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:米田 覚士
共演:ソプラノ/鈴木 美郷
   メゾ・ソプラノ/石田 滉
   合唱/Coro Oración
     たにフェス特別合唱団 他
   合唱指揮/伊藤 心
演目:マーラー/交響曲第2番「復活」


 ユニコーンSOは慶應義塾中等部の卒業生を中心としたアマオケ、太田弦が指揮するブルックナーなどを聴いたことがある。今日は米田覚士のタクトによる第20回記念公演の「復活」。オケの過去の演奏会記録をみると米田との共演が多い。気心が知れているのだろう。米田は昨年のブザンソン国際の覇者、注目の若手指揮者である。

 トレモロではじまる弦は荒々しくない。チェロとコントラバスが地の底からきしむように響くがあくまでも音楽として鳴る。やがて憧憬に満ちたヴァイオリンの調べが美しく立ち上がる。米田の設計した開始楽章は厳粛な葬送行進曲のさなかであっても、すでに死からの救済が仄めかされているよう。結尾の葬送行進曲が戻ってきて半音階を急に駆け下りるところも不気味な気配は薄い。
 第1楽章を終えたところで、合唱団がP席に入り、ソリストの2人が第1ヴァイオリンの後ろに待機した。結果的にマーラーが指示したように5分以上の休みを置いたことになる。
 次の舞曲風の音楽はゆったりとして優しい。どこかほろ苦くそこはかとない悲しさも感じられるけど、牧歌的というより優美かつ朗らかで、米田は幸福な過去の青春時代を回想するかのように描いた。
 ティンパニの強打に続き「魚に説教をする聖アントニウス」の旋律がはじまった。皮相な日常、愚かしさや不条理を笑い飛ばすところだが、米田の音楽は大騒ぎすることなく思いのほか大人しい。それに対しロットの交響曲第3楽章の引用の部分は激烈で、マーラーの抑えた諧謔性とロットの強い悲劇性が交錯した。終結はドラの音のあと静寂が訪れ,そのまま第4楽章に移った。
 無伴奏で「おお紅いの小さなバラよ」と石田滉が歌い出し,舞台裏からはトランペットによるコラールが吹奏される。独奏ヴァイオリンも活躍する。歌曲「少年の魔法の角笛」の「原光」がそのまま用いられ、「私は神様の御許から来て、再び神様の御許に帰るのだ」と無垢な信仰心と天国への憧れを歌う。短い楽章だがアマオケとしてはとても美しい演奏だった。
 最終楽章は最後の審判と復活を描いた黙示録的世界といえようか。クロプシュトックの詩「生れ出たものは滅びる、滅びたものは蘇る」と復活が歌われるが、マーラーの加筆部分を含め訳詞を読むとキリスト教の復活信仰以上に、生と死を永遠に繰り返す永劫回帰を讃歌しているように思える。ここでもロットの最終楽章のテーマが印象的に響き、コーダは鈴木美郷と石田滉の二重唱になり、オルガンの加わった全管弦楽と合唱が壮大なクライマックスを作って終わった。

 マーラーは「第1番 巨人」の続編が「第2番 復活」だと述べている。結局「復活」の構造は“巨人の葬送”から青春の二つの回想を経て、天上の“原光”を浴び、最後の審判と復活、さらには永劫回帰を称えて終わるのだけど、「巨人」と同様、ロットの交響曲のテーマが幾つか挿入される。これは敗北し夭折したロットを主人公にし、その復権を企てたものだろう。その上で自らを重ね、ロットとマーラーふたりによる時代から貶められた「新しい交響曲」の完成と勝利とを予告したのだ、と今日の演奏を聴いて改めて思う。

2026/5/4 高橋勇太×MM21響 マーラー「交響曲第5番」2026年05月04日 21:13



みなとみらい21交響楽団 第30回定期演奏会

日時:2026年5月4日(月・祝) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:高橋 勇太
演目:R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
   マーラー/交響曲第5番 


 R.シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。冒頭、弦と金管が一斉に力強く上昇し、精力的で活気に満ちた主題を提示し、ソロヴァイオリンがロマンチックな旋律を歌う。オーボエを中心とした木管たちが多様な彩りを加えると、それらをホルンの強奏が遮り、対抗するように英雄的なテーマが奏でられる。こういった楽器のやりとりが続き、そのうち音楽は暗く沈み込み事切れるように終わる。20代半ばで書いた出世作は、物語の展開や管弦楽の取り扱いなど、10年後の最後の交響詩「英雄の生涯」を予告している。
 官能的で鮮やかな色彩とスピード感を合わせ持ち、音階をとてつもない速度で駆け上がったり、急ブレーキをかけたりして、弦管打楽器とも高度な演奏技術が必要なR.シュトラウス。この作家に挑戦するアマオケは、余程技量に自信があるのか、無謀な試みを趣味にしているのか、そのどちらかだろう。MM21響は以前も「家庭交響曲」などを取り上げており、“技量”も“無謀”も両方併せ持ったオケである。指揮の高橋勇太は難曲「ドン・ファン」をバランス良く鳴らし、アマオケ相手に破綻なく見事な仕上がりをみせてくれた。
 
 マーラーの「交響曲第5番」は第3楽章のスケルツォを真ん中にして1・2楽章と4・5楽章が対称的に配置される。葬送行進曲からはじまり、憤怒が爆発し、舞曲が曲の中心におかれる。アダージェットはヴィスコンティの『ヴェニスに死す』で一躍有名になった。フィナーレは開放的にどこまでも明るく高揚する。
 葬送行進曲はトランペット1本ではじまるから、奏者にとっては緊張するところだけど、まずまずの滑り出し。葬送の歩みは足を引きずるよう。途中の悲壮で激しく情熱的な部分を経て葬列が彼方に去って行く。次楽章の嵐のように荒ぶるところも悪くはなかったが、中間部のゆったりとした鄙びた旋律が美しかった。スケルツォではホルンのトップが舞台下手のハープの後方に移動して立奏、オブリガート・ホルンとして大活躍した。ここでも中間部の静かで幻想的なトリオが魅力的だった。アダージェットはハープと弦のみ、アマオケによるこれほど陶酔的な演奏は賞賛に価しよう。フィナーレはここまでのモチーフを変形しながら回想する。高橋勇太はどちらかというとオケを冷静にコントロールするほうだが、さすが徐々に熱量を増しつつコーダに向かって周到にクライマックスをつくった。

 高橋勇太はテンポやダイナミクスに無理がなく息遣いが自然で好ましい。MM21響は金山隆夫や田部井剛なども指揮を執るが、高橋との相性が一番いいのではないかと思う。今日も期待を裏切らないMM21響の立派な演奏会だった。

2026/4/29 田中一嘉×水響+伊東裕 ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」2026年04月29日 21:13



水星交響楽団 第71回定期演奏会

日時:2026年4月29日(水・祝) 13:30開演
会場:昭和女子大学 人見記念講堂
指揮:田中 一嘉
共演:チェロ/伊東 裕
演目:メンデルスゾーン/序曲「夏の夜の夢」ホ長調
   ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 ロ短調Op.104
   シューベルト/交響曲第8番 ハ長調D.944
        「ザ・グレイト」


 都響首席にて葵トリオの一員である伊東裕が「ドボコン」を演奏するというので三軒茶屋まで出かけることにした。先月も佐藤晴真の名演を聴いたが、いま日本の若手チェリストは他にも上野通明や北村陽、水野優也、上村文乃など国際的に活躍する注目株ばかりで目が離せない。伊東と共演するのは創立40年になるアマオケの水響、指揮の田中一嘉は斎藤秀雄の弟子で古希を過ぎた。

 まずは「夏の夜の夢」から、17歳のメンデルスゾーンがシェイクスピアを読んで触発された序曲だという。神秘的な導入から妖精たちのざわめき、行進曲、恋の大騒ぎ、陽気な舞曲などを経て、妖精たちのテーマが再現して終わる。わずか10数分ながら若きメンデルスゾーンの瑞々しい音楽が満ちていた。

 お目当てのドヴォルザークの「チェロ協奏曲」。静かな前奏からオーケストラがたっぷりと演奏したあと、チェロのソロがゆっくりと入ってくる。伊東裕の身体の動きは小さい。感情をぶつけるような気配を見せず淡々と弾いて行くが、音は豊かで力強くとてもよく歌う。オケのフルート、オーボエ、クラリネットなどの木管群がチェロと絡む。中間楽章はクラリネットの旋律で始まりチェロと掛け合う。ここでの伊東はゆっくりめのテンポで思いっきり情感をこめる。音色は魅惑的で表現は深い。滑らかで率直なボウイングが見ていて気持ちよい。楽章の半ば、管弦楽の強奏のあとは初恋の人ヨゼファに書いた歌曲が引用される。出会いから30年、ドヴォルザークはアメリカにいてヨゼファの病を知らされた。何よりも彼女の無事を祈っていたのだろう。最終楽章は行進曲からはじまり民俗的なリズムや舞曲風のモチーフがチェロと木管群との間でやりとりされ、コーダの直前にはチェロのソロとヴァイオリンのソロとがぶつかり合う。伊東のチェロは気高く溌剌とした響き、その類まれなる音楽性がオケ全体を巻き込むようにして見事な終結へと導いた。コーダの部分はドヴォルザークが帰国してのちヨゼファが亡くなったあと、第1楽章を回帰させ再度歌曲の旋律を引用するなどして大きく書き直した。祖国への郷愁とヨゼファへの想いが何重にもこめられた傑作がうまれた。
 それにしても伊東裕の「ドボコン」は予想を遥かに上回った。管弦楽の首席、室内楽奏者としてはもちろんのこと、ソリストとしても最上である。アンコールはバッハ無伴奏のさわりを(第1番プレリュード)。端正で気品のある美しさに陶然となった。全曲聴きたいと強く思わせる演奏で、伊東裕にはますます注目しなければならない。

 「グレイト」は最も好きな交響曲のひとつ。牧歌的なホルンのソロで始まり、力強いリズムと色彩溢れるオーケストレーションでもって表情を変えながら盛り上がっていく開始楽章、哀愁を帯びたオーボエの旋律と堂々としたリズムの交錯が印象的な第2楽章、舞曲風でエネルギッシュな推進力を持つスケルツォ、トリオは唐突に楽園が現前したような浮遊感と幸福感を与えてくれる。フィナーレは疾走感があって喜びに満ち心の奥底を燃えたたせる。しかし、シューベルトはベートーヴェンとは違う。田中×水響はたしかに熱演ではあったけど、力で押しまくっても如何ともしがたい。シューベルトは精緻なアンサンブルと音色の魅力がどうしても必要でアマオケにとっては演奏するに難しい。少々騒がしく冗長に感じたのは致し方ない。

2026/4/12 大井駿×春オケ ベルリオーズ「幻想交響曲」2026年04月12日 21:48



Orchestra of Spring flat PROJECT vol.7

日時:2026年4月12日(日) 13:30開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
指揮:大井 駿
演目:サン=サーンス/交響詩「死の舞踏」
   ロイド=ウェバー/交響組曲「オペラ座の怪人」
   ベルリオーズ/幻想交響曲


 大井駿は気になる音楽家の一人である。ピアニスト、古楽器奏者であり、広島の次世代指揮者コンクールにて優勝し、そのあとハチャトゥリアン国際コンクールで第2位となった。文筆活動にも積極的である。
 大井は今シーズン、といっても来年の1月、東響の名曲全集に登場するけど、その前にアマチュアのOrchestra of Spring(春オケ)を振るというのでチケットを取った。東響の名曲全集といえば2月には喜古恵理香がラーンキと共演するから、この両公演は今から待ち遠しい。
 そう、喜古についても数年前に春オケを相手にしたコンサートを聴いた。春オケは設立して10年ほどの新しいアマオケだが、有望な若手指揮者を招聘して演奏会を開いてくれる。

 今日は「定期演奏会」ではなく「flat PROJECT」というシリーズ。春オケのHPによると、「flat PROJECT」とはクラシックに馴染みのない人も気軽に立ち寄れる演奏会のことらしい。今回のテーマは「ゴシック・ロマンス」、“怪しくも楽しく、哀しくも美しい…そんな、音楽が描く魅惑の舞台へ”と謳っている。だから「幻想交響曲」に併せて「オペラ座の怪人」などが演目に入っている。各曲の開始前には堀井秀子さんのナレーションがついた。

 まずはサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」。ヴァイオリンとピアノ曲にアレンジされたりピアノ独奏曲にもなっており、管弦楽のヴァイオリンソロは変則調弦された楽器で弾く。コンマスの役割は大きい。
 コンマスは黒いガウンを頭から被り仮面をつけて指揮者と一緒に登場した。楽曲の不協和音は死神を表現しているというからそれに仮託した衣装かも。曲は「怒りの日」の主題が現れたり、シロフォンによる骸骨のぶつかり合う音や明け方の鶏の鳴き声などの描写があって分かりやすい。
 大井は小泉和裕と同じように下半身ほぼ不動で上半身のみをゆったりと動かし、音楽は先を急ぐことなく悠然と進む。若いのに老成した練達の指揮ぶりにみえる。

 「オペラ座の怪人」は舞台ではなく映画で観た。ジェラルド・バトラーがファントム役で、今思うとバトラーが歌ったなんてちょっと信じられない。
 音楽の始まりは上昇音型から下降音型へとミューザのパイプオルガンとオケが派手に鳴る。オルガンの奏者は澤菜摘。この4月、大木麻理の任期満了に伴いホールオルガニストに就任した。
 ミュージカル界の巨星・ロイド=ウェバー作曲の「オペラ座の怪人」組曲は何種類かあるが詳細は不明、演奏時間30分程度の抜粋版だった。大井は序曲と終曲を迫力十分に響かせ、途中は対比させるように切ないメロディーラインを美しく際立たせた。

 「幻想交響曲」はフルネ以前はほとんど記憶に残っていないが、フルネ以降はエッティンガー、スダーン、デュトワ、R.アバドや川瀬、下野などをよく覚えている。トルトゥリエなど期待外れもあったけど。
 「幻想交響曲」となると、大井はさすが下半身不動というわけにはいかず、各パートにしっかり身体を向け上半身の身振りも激しくなった。音楽の骨格は太くがっしりしており、音の増量も減量もスムーズで作為を感じない。各楽器の輪郭は明確で歩みは悠々としてテンポを神経質に動かさない。それでいて起伏の作り方が上手いからドラマチックに盛り上がっていく。
 大井はオケに無理をさせているようにはみえないけど各楽器が非常によく鳴った。例えば第3楽章のクラリネットの超高音域、イングリッシュホルンと舞台外のオーボエとの掛け合い。第4楽章の行進曲におけるティンパニ2組、バスドラム2個を並べた打楽器のめざましい働き、最終楽章となると「怒りの日」のファゴットやクライマックスへ向けてのホルン、トロンボーン、チューバなどの金管群の咆哮など。アンサンブルや技術に多少の難があっても音楽として崩れることがないのには感心した。春オケの各奏者も大健闘であった。

 大井駿は傑出した若手指揮者の一人であると確信した。東響との演奏会はまだまだ先ながらモーツァルトの「交響曲第39番」とR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲などが予定されている。とても楽しみである。