2023/8/27 喜古恵理香×春オケ 「リエンツィ」「パリ」「巨人」2023年08月27日 20:29



Orchestra of Spring 第5回定期演奏会

日時:2023年8月27日(日) 14:00開演
場所:横浜みなとみらいホール
指揮:喜古 恵理香
演目:ワーグナー/歌劇「リエンツィ」序曲
   モーツァルト/交響曲第31番「パリ」
   マーラー/交響曲第1番「巨人」(花の章付)

 喜古恵理香を聴きたいがためにチケットをとった。喜古は新進気鋭の若手女性指揮者。2014年東京音大卒。新国立劇場、二期会、藤原歌劇団、日生劇場などもっぱらオペラの副指揮者を歴任。N響ではパーヴォのアシスタントを2年ほど務めた。すでに首都圏以外のプロオケにはデビューしており、京響やOEK、広響、センチュリー響、札響、仙台フィルなどを振っている。広上や下野の弟子だから彼らの推薦もあるのだろう。昨年開催された「次世代指揮者アカデミー&コンクール」で第3位に入賞、同時に聴衆賞、オーケストラ賞を獲得している。
 今日、指揮したのはOrchestra of Spring、通称春オケ。2017年結成の比較的新しいアマオケで、千葉大学管弦楽団の卒団生が中心となり、首都圏の学生・社会人で構成されている。

 前半は「リエンツィ」序曲と交響曲「パリ」。
 歌劇「リエンツィ」はワーグナーの出世作、ローマと民衆を救おうとして戦った英雄リエンツィを描いた壮大な音楽。序曲は民衆解放を呼びかけるトランペットの音で始まり、オペラの主要旋律が続き、リエンツィを讃える行進曲で終わる。
 交響曲「パリ」は、モーツァルト22歳のとき、パリにおける就職活動中にコンセール・スピリチュエル支配人ル・グロの依頼に応えて作曲した。パリの大規模なオーケストラに合せて、最大級の楽器編成の作品に仕上げた。モーツァルトの交響曲にクラリネットが登場するのもこの曲から。

 春オケのメンバーはほとんどが20代の若者たちにみえる。学生オケの延長のよう。合奏能力はいまひとつで、各パートとも技術的に怪しいところがある。「リエンツィ」は多種の打楽器が活躍して劇的な作品だからそれなりに聴くことができるが、モーツァルトとなると不純物が気になってどうにも居心地が悪い。
 喜古の指揮はオーソドックスで奇を衒うところがない。アマチュア相手だからか、ゆっくりめのテンポで丁寧にオケから音を引き出していた。とりわけクレッシェンドの処理が見事で、ドラマチックな音楽はきっと得意だろう。

 後半は「巨人」。「花の章」付き。
 ワイマール稿の順序にしたがって、現行の第1楽章と第2楽章との間に「花の章」を挟んだ。ワイマール稿には各楽章に副題がつけられている。1楽章は「春、終わりのない」(最終稿でも1楽章)、2楽章が「花の章」(最終稿ではカット)、3楽章が「順風に帆をあげて」(最終稿の2楽章)、4楽章が「座礁、カロ風の葬送行進曲」(同3楽章)、5楽章が「地獄から天国へ」(同4楽章)となっている。
 「花の章」は、トランペットのソロによる美しい主題や、オーボエの憂いを含んだ旋律に代表されるように、夢見る青春の記憶が刻み込まれた楽曲。このあとロットの書いたテーマが際立つスケルツォ楽章(順風に帆をあげて)が続くと、よけい痛切さが増すように感じる。交響曲「巨人」には「花の章」をこのまま置いておきたいと思う。

 喜古は曲全体の骨格をきっちり作ったうえで、自然描写や感情の揺らぎをそこにのせて行く。骨組みがしっかりとしているから、安心して聴くことができる。激しい曲想の場面でもバタバタせず落ちついている。若いのにある種の風格を感じさせる。
 春オケは3曲とも16型、プログラム最後の「巨人」は100人ほどが舞台にのっていた。「パリ」を聴いている最中、この水準で「巨人」を演奏できるのだろうかと思ったが、心配する必要はなかった。喜古の堅実な設計もあって、マーラーの盛沢山な主題を精一杯演奏して会場を沸かせてくれた。
 喜古恵理香はプロオケを振る機会に改めて聴いてみたい。

飯守泰次郎2023年08月18日 12:57



 朝比奈隆と山田一雄は、活躍の中心がそれぞれ大阪と東京であったため、両御大に心酔していた地方の好事家は、二人の数少ない機会をみつけて演奏会に通っていた。
 同じころ飯守泰次郎が名フィルの指揮者に就任し、その後常任となった。名前も顔もほとんど知らなかったが、ときどき定期公演を聴くことになる。
 ベートーヴェン、ブラームスの作品など、情熱的で重量があって腹に落ちる音楽だった。この人は特別な音楽家かも知れないと思った。ある日、演奏会形式のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を聴いて、その思いは確信へと変わった。

 ワーグナーといえば、シティフィルの常任になってからの「ニーベルングの指環」。「オーケストラル・オペラ」と銘打ち上野の文化会館にて2000年から4年がかりで公演した。「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」は東京勤務のときだ。「神々の黄昏」は転勤をしていたから新幹線で駆け付けた。その演奏をいまだに細部まで思い出すことができる。
 ブルックナーも名演ばかりだった。アマチュアの新響を振った「交響曲第8番」。手兵シティフィルとの「交響曲第5番」。金管の大事故があったけど、それ以上の感銘を与えてくれた。
 そして、最後の舞台となった4月のサントリーホールにおける「交響曲第4番」、意表をつかれるほど若々しい音楽だったのに。このときのコンマス荒井英治をはじめとするシティフィル楽団員の献身ぶりも忘れられない。

 飯守泰次郎、享年82歳、2023年8月15日急性心不全のため逝去。ヤマカズや朝比奈を喪ったときのように悲しい。

Be Phil Orchestra2023年07月13日 21:26



 ベルリン・フィルが4年ぶりに来日する。指揮はもちろんキリル・ペトレンコ。チケットは高価ながら完売するだろう。今は海外オケに執着などないから、チケットの争奪戦には参加しないけど。

 本公演以外に、ベルリン・フィルは来日に合わせてちょっと面白い企画を展開する。
 何かというと、日本のアマチュア奏者を集めBe Phil Orchestraなるものを結成し、演奏会を行う。
 本拠地ベルリンでも2018年、サイモン・ラトルの指揮でアマチュア演奏家によるBe Philharmonieを組織して演奏会を開催したことがあった。それを日本で再現するということらしい。

 11月26日の夜がBe Phil Orchestraのコンサート本番で、会場はサントリーホール。
 演目はプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の抜粋をペトレンコが指揮し、ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」をRaphael Haegerが指揮する。Haegerはベルリン・フィルの打楽器奏者。ソリストは樫本大進とLudwig Quandtが務める。
 リハーサルは22日から25日。参加費は無料で、出演料は支給されない。交通費や滞在費は自分持ちとなる。ホテルが必要であれば招聘元のフジテレビが格安料金で斡旋してくれる。

 とうぜん参加するためのオーディションがある。年齢は18歳以上、音楽を職業としていない日本在住のアマチュア、プロコフィエフやブラームスを演奏できる能力、などが最低条件。
 ベルリン・フィルのサイトに登録し、オーディション用の映像をアップロードする。映像は最近1年以内のもので演奏する曲は問わない。室内楽でもよい。映像は最大6分以内、1台のカメラで撮影し編集してはいけない。映像に自己紹介を入れてもよい。経歴文書は別途作成する。
 応募の締め切りは8月16日。選考はベルリン・フィルのメンバーが行う。

https://www.berliner-philharmoniker.de/en/education/on-the-road/bephil-orchestra/

 キリル・ペトレンコの指揮による演奏、ベルリン・フィルのメンバーとの交流、音楽愛好家としての思い出づくりなどなど、アマチュア奏者にとっては夢のような話だ。
 わが国はとてもアマオケ活動が盛んである。2018年のBe Philharmonieのときには、わざわざ日本からベルリンへ駆けつけた剛の者がいたという。それが今回、東京において同様の企画が実現する。応募者が殺到するだろう。
 Be Phil Orchestraの席をめぐって激しい争いとなりそうだ。

2023/4/1 田部井剛×MM21響 プロコフィエフとショスタコーヴィチ2023年04月01日 21:59



みなとみらい21交響楽団 第24回定期演奏会

日時:2023年4月1日(土) 14:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:田部井 剛
演目:プロコフィエフ/「ロメオとジュリエット」
           第2組曲
   ショスタコーヴィチ/交響曲第10番 ホ短調


 MM21響は、設立してまだ十数年と歴史は浅いものの、企画先行型のオケとして“アマオケでは演奏機会の少ない、後期ロマン派およびその周辺の名曲中心”にプログラムを組んでいる。熱意ばかりでなく演奏精度や音楽性についてもなかなかの水準で、毎回その演奏会を楽しみにしている。

 「ロメオとジュリエット」は、全52曲からなるバレエ音楽。プロコフィエフは「ロメ・ジュリ」の管弦楽組曲を複数編んだ。実際のコンサートでは,指揮者の好みで各組曲から取捨選択して演奏されることが多いようだ。今回は7曲で構成された第2組曲をそのまま演奏した。
 MM21響は、弦・管・打・鍵盤とも押し並べて弱点がない。アマオケにしては輪郭のはっきりした明晰な演奏をする。この組曲でも有名な第1曲ばかりでなく、第3曲とか第5曲など音量を絞った難しい場面描写においても、目の覚めるような音楽を聴かせてくれた。

 「交響曲第10番」は、ラザレフを通過して以降、どうしても身構えてしまうが、田部井さんは、管が吹きやすいよう配慮したためか、極端にアクセルやブレーキを踏むことなく、テンポの急変を避け、比較的穏便に全曲をコントロールをしていた。。
 第1楽章の開始の低弦はただならぬ気配を漂わせ、続くクラリネットの独奏は柔らかで非常に美しく、フルートによるワルツもふくよか、打楽器にはキレがある。コーダのひんやりとしたピッコロも健闘した。第2楽章は大抵が快速で駆け抜けるのに急がない。狂気という面では物足りないが、今まで気づかなかった旋律やリズムを発見して新鮮だった。第3楽章のしつこいほどの音名象徴は、奏者にとってストレス以外の何ものでもないと思うけど、ホルンを中心に持ちこたえた。第4楽章は前半ゆっくりした不気味な曲想が続いたあと、突然、マーラー「第7番」の終楽章のようなどんちゃん騒ぎを迎える。ここも田部井さんは節度を保ち、演奏は大きな破綻なく終わった。
 次から次へとソロが入れ替わるオケコンと言ってもいいショスタコーヴィチを、アマオケでここまで演奏するのは表彰ものだろう。

 共通の時代を生き抜いたプロコフィエフとショスタコーヴィチ。時代と政治に翻弄された二人の音楽によって、感情を揺さぶられるのは一緒のこと。でも、プロコフィエフの音楽は不思議と時代を意識させない。時代を超越しているように感じる。対して、ショスタコーヴィチの音楽を聴くと、どうしても時代に思いを巡らせてしまう。時代が刻印されているのではないかと。それはもちろん、両者の音楽の優劣の問題ではなく、いっとき亡命をした者と故国に残った者との故でも多分ない。作者の個性、作品が内蔵する性格の違いなのであろう。同じ時代の、同じ土地の、同じ政治体制のもとで生れた、ひどく異なった2つの作品を聴いた。

2023/3/12 和田一樹×ASO マーラー交響曲第6番2023年03月12日 21:20



アマデウス・ソサイエティー管弦楽団 第58回演奏会

日時:2023年3月12日(日) 13:30開演
場所:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:和田 一樹
共演:ヴァイオリン/﨑谷 直人
演目:ブリテン/4つの海の間奏曲
   モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第4番
   マーラー/交響曲第6番「悲劇的」


 アマデウス・ソサイエティー管弦楽団は、30年ほど前に慶應義塾大学ワグネル・ソサィエティー・オーケストラの卒業生を中心に結成されたアマオケで、近年はワグネル以外のメンバーが集い、大きな編成の曲にも挑戦しているという。で、今回のメインはマーラーの大曲「交響曲第6番」。
 和田一樹は、プロオケを振ることも多い指揮者だが初聴き。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の共演は﨑谷直人、最近まで神奈川フィルのコンマスを10年近く務めていた。今はソロ活動とウェールズSQでの仕事が中心のようだ。

 プログラムの最初は、ブリテンの「4つの海の間奏曲」。昨年はじめにも高関×シティフィルで聴いている。歌劇「ピーター・グライムズ」の幕間音楽。「夜明け」からはじまり、「日曜の朝」や「月光」といったスケルツォやアダージョに相当するような間奏曲が含まれている。それぞれを明確に描き分けないと面白くない。それに最後の「嵐」などはもっと興奮させてくれてもいい。全体に平板で起伏に乏しく熱量も物足りなかった。

 次いで、編成を小型にしてモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番」。
 モーツァルト20歳直前の時期、ヴァイオリン協奏曲が集中的につくられている。このあと、父およびザルツブルクとの決別の端緒となったパリ旅行を経て、アマデウスは心身ともに独立する。以後、ヴァイオリン協奏曲を書くことはなかった。理由は分からない。
 﨑谷さんは、もともと音の線が細く音量もそれほどでもない。繊細なモーツァルトを期待したが、楽想の変わり目がちょっとギクシャクして不自然。バックのオケも終始ボソボソと呟いているようで鈍く弾まない。モーツァルトの音楽が疾走することなく愉悦もないとなれば苦痛が残るだけ。どうにも具合が悪い音楽だった。

 休憩後、マーラーの「交響曲第6番」。
 「悲劇的」とも呼ばれる。もっとも本人が名づけたものではない。「運命」と同じで、あまり標題に捉われる必要はない。5管編成プラス巨大な打楽器軍団、マーラーの中期の頂点に位置する作品だろう。
 今日の演奏順は、国際マーラー協会の最終決定に従い、アダージョ、スケルツォの順、3楽章と4楽章はアタッカだった。演奏順に好みはないし、どちらでも楽しめるけど、この順で演奏すると佇まいとしてはいかにも古典的。編成は巨大で響きは近代的であっても、マーラーの曲の中では一番ベートーヴェンを意識させる。「悲劇」というよりは「闘争」、純然たる器楽曲によって言い知れない激情が喚起される。
 和田さんの音楽は、俄然表情が濃厚になったが、マーラーの交響曲を美しく聴かせることは難しい。どうしても物量頼みの虚仮威しのようになってしまう。魁偉ながら美しい姿が隠されているマーラーへの登攀は、アマオケにとってなかなか困難な道である。

 途中20分間の休憩を含めて演奏会は3時間に及んだ。マーラー1曲のみでオケの真価を問えばよかったと思う。少々疲れた。