2025/12/28 ノット×東響 ベートーヴェン「第九」 ― 2025年12月28日 21:43
東京交響楽団 ベートーヴェン「第九」2025
日時:2025年12月28日(日) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ソプラノ/盛田 麻央
メゾソプラノ/杉山 由紀
テノール/村上 公太
バスバリトン/河野 鉄平
合唱/東響コーラス
合唱指揮/三澤 洋史
演目:ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125
「合唱付き」
ノットのベートーヴェンにはあまり関心がない。じっさいこの10数年の間、交響曲では「2番」「5番」「8番」くらいしか聴いていない。ノットは現代音楽を除けばブルックナーとR.シュトラウスが一番よくて、あとはモーツァルトとかシューベルトとかがいいと思う。
しかし、いよいよ大詰め、評判の高い「第九」は経験しておきたい、ということでサントリーホールへ出向いた。監督ノット×東響を聴くのはこれが最後となる。相思相愛の両者による「第九」である。
やはり、陳腐なところが全くない新鮮かつ斬新な演奏だった。オケの編成はなんと第1ヴァイオリンがわずか8人、弦の総数は8-8-6-5-4の31、よくある14型に比べれば6割程度の小世帯、過去最少である。ところが演奏がはじまってみるとその編成を意識させない。陰影は鮮明で濃淡は深い。コンマスは景山昌太郎、隣に小林壱成のダブルトップ。プロの弦楽奏者の全員が本気を出すとこういう音がする、という見本みたいなものである。指揮者の役割のひとつは如何に奏者のやる気を引き出すか、ということだと思うが、ノットと東響とは良き相互関係が築かれている。
第1楽章の原始霧からの爆発は尋常ならざる迫力。ティンパニの打ち込み、金管の力強さ、木管のバランスなどに驚かされる。第2楽章の極端なダイナミクスや思いがけない緩急は独特の味わい。安らぎに満ちた第3楽章、ここでの弦の美しさは極上。くだんのホルン聴かせどころは4番奏者、普段は2番に座る藤田麻理絵が吹いた。ノットはここの背景でチェロとヴァイオリンのピチカートを強めに弾かせた。恥ずかしながら、こんなホルンの引き立て方があるのだ、と初めて気付いた。第4楽章の混声合唱は80人ほどが曲の最初から待機していた。ソリストは第2楽章のあと入場し指揮者の左右に位置した。舞台に向かい左手にソプラノ、バス、右手にテノール、メゾという珍しい並びだった。ノットのアゴーギクやデュナーミクはますます激しく、アクセントも強く、「第九」の物語性を表情豊かに彩るようだった。
ノットの手にかかるとあらゆる作品が新たな相貌をみせる。といって、それがちっとも不自然ではなく、何よりも生まれたての音楽に出会えた、という悦びを与えてくれる。マーラーの「第9番」が希望に満ちた音楽だとは気付かなかったし、ブラームスの「第4番」だって、しかめっ面で窮屈なブラームスではなく開放的で広々とした将来を展望するような音楽だった。これまでネガで見ていたフィルムをポジで見直したようなものだ。もっともネガ・ポジと言っても同じものの裏表ではあるから、いい演奏でさえあれば反対側の隠された面が透けて見えるのだけど。
ノットは事前にオケに対し厳しい設計要件を突きつけていると思うが、本番では東響の反応力と融通性信じ、その場の勢いと熱気のまま即興的に動く。その音楽は精緻だけれど厳格さよりは柔軟さが印象的で、熱量は高く響きは立体的だ。弾き方や吹き方に注文をつけているのか、内声部や管弦の按配か、音が薄く平板になるという不満もない。このベートーヴェンの「第九」も細かくいろいろな工夫が為されているものの演奏全体は揺るぎなく起伏に富み、ベートーヴェンの思いや作品の懐の深さが表現されていた。ノットのベートヴェンとしては後々まで忘れられない演奏になりそうである。
アンコールは東響恒例の「蛍の光」。ソリストと合唱はペンライトを持ち、合唱団の一部は客席の通路に並んだ。最後は照明が落とされ終演となった。ノット×東響は晦日の「MUZAジルベスターコンサート2025」が最後となるが、今日でお別れというお客も多かったのだろう。8割くらいの聴衆が残ってノットの一般参賀となった。
この10数年、体調不良で1年半ほど演奏会から離れた時期や、コロナ禍の中止などもあったけど、ノット×東響はいつも充実した演奏を聴かせてくれた、心から感謝をしたい。