2026/2/24 川瀬賢太郎×名フィル R.シュトラウス「英雄の生涯」2026年02月25日 15:03



名古屋フィルハーモニー交響楽団
           東京特別公演

日時:2026年2月24日(火) 19:00開演
会場:サントリーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:語り/五藤 希愛
   アコーディオン/大田 智美
   ヴァイオリン/小川 響子
演目:武満徹/系図-若い人たちのための音楽詩
   R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」


 毎年恒例の名フィルの東京特別公演、今回は従来のオペラシティコンサートホールから場所を移してサントリーホールでの開催となった。
 川瀬賢太郎は月初に東響相手の演奏を聴いたばかり。あたためて引き締まった身体が好ましい。昨年の状態ではこのまま恰幅がよくなるばかりか、と心配をしていた。指揮者にとって運動能力が大切なのは言うまでもない、スポーツ選手と同様にウエイトコントロールは大事である。

 武満の「系図」でスタート。武満の楽曲のなかでは聴く機会が多い。調性的な後期の作品で、発表時の批判をものともせず代表作のひとつとなった。「おじいちゃん」「おばあちゃん」「おとうさん」「おかあさん」は、それぞれ老い、死、孤独、不在に焦点が当てられる。「むかしむかし」で家族の始源がためらいがちにひらかれ、「とおく」で家族のこれからを垣間見るように閉じられる。眺める少女の目線は作為がなくとも複雑で胸を突く。谷川俊太郎のシンプルでありながら研ぎすまされた言葉と、静謐で柔らかな武満の音楽とが相まって心が大きく揺り動かされる。
 五藤希愛は愛知出身の今年16歳、10歳のときから俳優として活動しているらしい。楽譜も台本も置かず完全に自分の言葉とし、発声は明瞭で朴訥ながら瑞々しい語りを聴かせてくれた。アコーディオンの大田智美は沼尻のときにも共演をしていた。終曲のアコーディオンの旋律は何度聴いても目頭が熱くなる。オケの音はあたたかく少し重たい。川瀬のことだから鈍いところはないけれど、もっと浮遊感のある飛翔するような軽やかさが欲しかった。

 R.シュトラウスの「英雄の生涯」はヴィオッティ×東響の「ふたつの英雄」以来、もう3、4年まえになるか。シュトラウスの交響詩時代の最後の作品、「エロイカ」と同じ変ホ長調、ホルンが大活躍する。編成は4管、舞台上に100名を超える奏者が揃った。演奏する側にとっては難曲だが聴き手にとっては魅力満載の楽曲。
 いきなり低弦とホルン9本の強奏で「英雄」のテーマが提示される。跳躍の多い雄渾な音楽。川瀬はチェロ、コントラバスをはじめ低音域をしっかりと響かせる。でも威圧的ではなくさりげないくらいで、初っ端から意表をつかれる。英雄のテーマは力を蓄え、様々な動機を組み合わせながら立体的に盛り上がっていく。頂点に達したところで突如休止し次の場面へ。
 スケルツォ風のカリカチュア化した主題が木管群により吹奏される。「敵」が現れる。吹き散らかすようなフルートは客演の東フィル首席・神田勇哉、「系図」の滑らかな旋律に耳を奪われたが、敵としての尖りかたでもひときわ目立つ。嘲笑するようなざわざわとした木管たちの動機が勢いを増し、それに対抗するように英雄の主題が現れては消える。
 「伴侶」は緩徐楽章、独奏ヴァイオリンがテーマを提示する。ソロヴァイオリンはオケと交錯しながら甘美な情景を描く。ここはコンマスの小川響子に尽きる。会場は最大限の緊張状態、音の艶といい旋律の歌いかたといいヴァイオリン協奏曲のソリストでも稀にしか出来ないほどの芸当。麗しく妖艶で鬼気迫る演奏、過去に例をみない最高の伴侶だった。プログラムノートの案内によれば来年の名フィル東京公演では、小川は葵トリオとして出演、カゼッラの「三重協奏曲」が予定されている、楽しみである。
 舞台裏のファンファーレから始まる「戦場」。トランペットが鳴り敵との戦いが始まる。打楽器の連打の中で英雄と敵の主題が交錯する。川瀬の設計と思われるが打楽器群の音圧は常に一律ではなく、ティンパニ、バスドラム、フィールドドラム、スネア、シンバルなどそれぞれが主役となって移り変わっていく。激烈な戦いのシーンにおけるすさまじい効果となった。そして、時折り伴侶であるヴァイオリンが英雄を支え、これまでのテーマや動機が入り乱れ目も眩むようなオーケストレーションが展開された。
 曲は落ち着き「業績」が披瀝される。R.シュトラウスの10作品ほどが引用されているといわれるが、作品の断片が巧みに織りこまれているためか聴くだけではほとんど判別できない。そのうちテンポがさらに落とされ自己の内部に沈潜していくような趣となる。
 イングリッシュホルンの音が聴こえ「隠遁と完成」に至る。「ドン・キホーテ」終曲のテーマが鳴り諦観の気分が色濃くなる。闘争の動機,伴侶の動機などが回想され、敵の批判も英雄の意欲も収まっていく。小川響子のヴァイオリンと安土真弓のホルンのやり取りは涙なしには聴けない。英雄の動機が最後のクライマックスを築き力を失い静かに全曲が閉じられた。
 R.シュトラウスの音楽描写は、緻密で幾層にも重なる分厚いオーケストレーションから生み出される。個々のプレーヤーの技量はもちろん、それを整理し組み立てる指揮者の力量も試される。川瀬は振幅を大きくとった濃厚な表現、陰影も際立っている。それに加えさまざまな局面で意外性をみせ頼もしい。名フィルは昨年も感じたが低音域の存在感が無類でその重量感は賞賛に値する。川瀬とは名コンビで豪奢な音響が着実に進化している。

 「英雄の生涯」の“英雄”とはR.シュトラウス自身のことで、R.シュトラウスというのは自己顕示欲の強い鼻持ちならない奴、との評価もある。たしかに「業績」において自作品を多数引用し、シュトラウス本人も実利的な現実主義者であったことは確かだ。
 でも一方で、彼はモーツァルトと同様、全てのことを音楽で表現できると発言するほどの職人だった。作品にのめりこんで我を失うような醜態をさらすはずはなく、華麗な音楽とは裏腹にシャイで冷静沈着、自己顕示や自己宣伝などとは遥かに遠いところにいた。「英雄の生涯」において自伝を書こうとしたわけではないだろう。
 「英雄の生涯」は“生涯”とは言ってもR.シュトラウスが30歳半ばに書いたもので、「ドン・キホーテ」と一対になる作品とも語っているのだから、空想の英雄に憧れ見果てぬ夢を追い続ける物語と、現実の英雄としてのありうべき物語とを対比させてみたのかも知れない。
 邪推だがR.シュトラウス自身は自嘲しつつ「ドン・キホーテ」的人生――口煩い伴侶はいないし、世間など一顧だにする必要もない人生、を夢想し親近感させ覚えていたのではないか。しかし、実際のR.シュトラウスはこのあと50年を生きて、皮肉にも「英雄の生涯」に近い道を歩んだ、と。
 衝撃の川瀬×名フィルの「英雄の生涯」を聴かされたあと、そんな徒然を帰りの電車のなかで反芻していた。