PPTのコンサートプログラム ― 2026年08月02日 13:55
昨日のパシフィックフィルハーモニア東京の定期演奏会で配られたコンサートプログラムについて一言。
判型が大きく、ボリュームは全16頁とたいしたことないが、全面カラー印刷で写真も豊富、非常にセンスのよい冊子だった。
この手のパンフレットはA5サイズが多いけど、PPTの冊子は200×200の正方形。エスタンシアやニューヨークの夜景、ラフマニノフの記念銘板などのカラー写真が配置され目に楽しい。
プログラムノートはYouTubeにおいて「厳選クラシックちゃんねる」を提供するnacoさんが執筆している。nacoさんは今年度からPPT定期の楽曲解説を担当しているようだ。平易な文章で過不足なく説明されている。
もちろん、N響の「Philharmony」や、都響の「月刊 都響」のような詳細で本格的な案内ではないが、コンサート直前の読み物としては分かりやすく親しみやすい。
「厳選クラシックちゃんねる」の登録者は30万人を越えている。アーカイブをみると飯森範親や松井慶太のインタビューなどもあり、そこではPPT定期の広報を積極的に行っている。YouTubeでの情報発信は集客に影響を与えているかも知れない。
苦境にあるPPTだが、こういった斬新なコラボを含め、新しい試みに注目したい。
2026/8/1 松井慶太×PPT ラフマニノフ「交響的舞曲」 ― 2026年08月01日 21:34
パシフィックフィルハーモニア東京
第182回 定期演奏会
日時:2026年8月1日(水) 14:00開演
会場:東京芸術劇場 コンサートホール
指揮:松井 慶太
演目:ヒナステラ/バレエ音楽「エスタンシア」組曲
コープランド/静かな都会
バーンスタイン/シンフォニック・ダンス
ラフマニノフ/交響的舞曲
松井慶太が首都圏のプロオケ定期を振ることは珍しい。加えて、プログラムが凝っている。バーンスタインとラフマニノフ2人のシンフォニック・ダンスはもちろん楽しみだが、ヒナステラとコープランドの2曲はレア、実演で聴けることはめったにない。「エスタンシア」と「静かな都会」については予習をした。
Wikiによるとヒナステラはアルゼンチン出身。「エスタンシア」とはラテンアメリカでみられる大規模農園のこと。1,農園で働く人々、2.小麦の踊り、3.大牧場の牛追い人、4.終幕の踊り(マランボ)の4曲で構成される。YouTubeにはドゥダメルの演奏などがアップされている。
変拍子やオスティナートを多用し、民俗的要素が濃厚で、ストラヴィンスキーの影響もありそうなこの曲を、松井×PPTはのっけから迫力をもって描いた。やはり終曲の「マランボ」が打楽器を打ち鳴らし興奮させてくれる。が、この手の作曲家としては好みながらメキシコのレブエルタスのほうが面白い。
コープランドの「静かな都会」は、もとは舞台劇のための楽曲を演奏会用に編曲したもの。楽器編成が変わっていて弦楽合奏をバックにトランペットとイングリッシュホルンのソロが協演する。ソロ楽器は劇中の人物――トランペットはユダヤ人の少年、コーラングレはホームレス――が割り当てられているらしい。イングリッシュホルンの堀口憲一は舞台下手の最前列に位置し、トランペットの依田泰幸は舞台上手のコントラバス後ろの一段高いところで吹いた。
冷たい触感の弦楽器とイングリッシュホルンのやり取りからはじまり、それを基調としてトランペットが旋律を吹き続ける。全体に静けさを感じさせるちょっと感傷的な音楽で、都会の夜を表現しているとのこと。イングリッシュホルンと弦楽器のからみは耳に優しく、トランペットはしっとりとした美しい響きで、早朝の街のようでもあった。
バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」は、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の中のダンスナンバーを中心に管弦楽のための演奏会用組曲としたもの。切れ目なく演奏され、1.プロローグ、2.サムウエア、3.スケルツォ、4.マンボ、5.チャ・チャ、6.出会いの場面、7.クール~フーガ、8.決闘、9.フィナーレで構成される。
松井×PPTはいずれのシーンも見事な演奏を繰り広げた。「プロローグ」のスイングジャズによって一気に映画が思い出され、「サムウエア」の切ない祈り、「スケルツォ」の変拍子の軽快さ、「マンボ」の熱狂、「チャ・チャ」の静かなステップ、「出会いの場面」のマリアの旋律、「クール~フーガ」の怒りを押し殺した緊迫感から、「決闘」の打楽器や金管楽器による暴力と悲劇の描写、「フィナーレ」の喪失と悲しみまで、「ウエスト・サイド・ストーリー」の雰囲気を一通り味うことができた。松井の師匠は汐澤と広上だからリズム感は抜群、もっとも彼らの弟子たちはみな例外なくリズム感は一級品だけど。
休憩のあと、もう一つの「シンフォニック・ダンス」であるラフマニノフの「交響的舞曲」。ラフマニノフの最晩年、作曲家人生の集大成と言える作品。どちらかというとラフマニノフは苦手な作家だが、この「交響的舞曲」と「パガ狂」だけは特別で、コンサート案内で演目をみつけると聴きたくなる。「交響的舞曲」はラフマニノフの“白鳥の歌”。過去作を引用したり、大胆な和声進行があったりして、自らの作曲活動を振り返りながら、渾身の力をふり絞って書いた作品だと思う。
第1楽章は舞曲といっても行進曲風、中間部のアルト・サックスのメランコニックな旋律は有名で、松井はオーボエ、フルート、クラリネットなどの木管が次々とアルト・サックスと絡む際に、抒情に濃淡をつけるよう注意深く極めて繊細に音を紡いだ。オーボエは東響にいた最上峰行が、フルートはシテイフィルの多久和怜子が客演していた。やがて「怒りの日」の楽句が現れ、冒頭の行進曲風の舞曲に戻ると、その先は過去の作品たちが引用され楽章が閉じられた。
第2楽章はミュート付トランペットやトロンボーンによる不吉なファンファーレが鳴るなか、弦楽器たちがおずおずと妖しくも切ないワルツを奏でる。松井のテンポは相当遅く、音の軌跡は大きくうねるようで、最後まで不気味で頽廃的な雰囲気を漂わせていた。
最終楽章は死者のための旋律「怒りの日」がそこらじゅうに出現する。仄めかしもあれば極めて明瞭に現れることもあり、ラフマニノフの執着のほどが知れる。もちろんそればかりではなく聖歌らしい音型や活発な舞踏の音楽が入り交じって怒涛の展開となる。終盤、松井は冒頭部を再現したあと金管群による最後の「怒りの日」を強奏したが、「アレルヤ」の旋律をそれ以上に強調し、「怒りの日」を打ち消すように力強く全曲を締めくくった。
演奏が終わるや否や、指揮者の棒が下りるのを待ちきれないのか、客席の四方八方からフライング拍手が巻き起こった。これはあまり宜しくないが、松井×PPTの熱演のせいだとすれば、まぁ、気持ちは分からないでもない。
前回PPTを聴いたのは数年前の汐澤のときで、客の入りは随分寂しかった。今日は1階、2階ともほどよく席が埋まっていた。もちろん3階は空きが多く都響公演のように満杯とはいかないけど、それでも師匠のときより集客は数倍上回っていた、めでたい。
2026/7/29 FSM:大野和士×都響 ブリテンとシューマン ― 2026年07月29日 21:34
フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026
東京都交響楽団
日時:2026年7月29日(水) 15:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:大野 和士
共演:ヴァイオリン/竹澤 恭子
演目:ブリテン/青少年のための管弦楽入門
ブリテン/ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
シューマン/交響曲第4番 ニ短調
今年のFSMはブリテンでスタート。猛暑のなか客の入りは6、7割程度、1階と2階の正面はほぼ埋まっていたが、3、4階はガラガラ、P席や2階の舞台横も空席のほうが目立っていた。たしかにコンサートを楽しむような季節じゃない。
ベンジャミン・ブリテンは声楽を含んだ「戦争レクイエム」や歌劇「ピーター・グライムズ」などの大曲で有名だけど、「青少年のための管弦楽入門」や「シンプル・シンフォニー」「4つの海の間奏曲」などの管弦楽曲も人気があってよく演奏される。
「青少年のための管弦楽入門」はヘンリー・パーセルの主題を使って“変奏曲とフーガ”の形式で書いた楽曲。音楽教育を兼ねた解説付きの公演が一般的だが今日は音楽のみ。主題は総奏→木管→金管→弦→打楽器→総奏と演奏され、その後、楽器ごとに各楽器の特性を活かした旋律を披露する。終盤はピッコロを合図にフーガの追っかけっこがはじまり、そのフーガにパーセルの主題が重なるコーダが興奮させてくれる。楽器紹介音楽なれど普通の管弦楽曲としても非常よく出来ている。
ソロの竹澤恭子が登場してブリテンの「ヴァイオリン協奏曲」。失礼ながら竹澤は御幾つになられたのだろう。前橋汀子よりはかなり若いが還暦くらいか? 昔はときどきお二人の協奏曲を聴かせてもらった。
第二次世界大戦前夜、ブリテンが20代半ばで書いた「ヴァイオリン協奏曲」は、古典的な3楽章形式で切れ目なく演奏される。冒頭はティンパニとシンバルによるためらいがちな行進曲風の音型で始まるが、独奏ヴァイオリンが哀愁を帯びた美しい旋律を弾く。竹澤は伸び伸びとした表現の一方で豊かな叙情性をもつ。親しみがありながら気品のある哀歌を奏でてくれた。第2楽章はスケルツォ風で、激しさのなかでヴァイオリンの超絶技巧が全開となる。終盤には長大で劇的なカデンツァが用意されている。竹澤のヴァイオリンは力強く緊迫感をはらみ、ヴァイオリンから最大限のエネルギーを引き出した。終楽章はパッサカリア。トロンボーンが提示した重厚な主題が様々に変奏されていく。コーダは大野×都響が細心の注意を払った弦のピチカートとミュートをつけた金管の弱音、ハープの爪弾きを背景に、竹澤のヴァイオリンが昇天するかのごとく上り詰め静かに曲が閉じられた。20世紀音楽として最良の美しさであった。
シューマンの「交響曲第4番」は「第1番」と同じ年に書かれたが10年後に改訂され、出版年次から「第4番」となった。もとはクララの誕生祝としてプレゼントされたものらしい。全曲休みなしで続けて演奏される。
暗く幻想的な序奏ではじまり、その後、速度を増して主部に突入する。繰り返される転調や楽想の転換が印象的で、不安と情熱とが入り交じりながらエネルギッシュに進行する。アンダンテは弦楽器のピチカートを伴奏にしてオーボエとチェロのソロが重なる。中間部ではヴァイオリンの繊細な独奏があり、穏やかでロマンティックな気分が充満する。スケルツォは力強くリズミカルだけど浮き浮きした雰囲気にはほど遠い。トリオでは前楽章のヴァイオリンの旋律が回帰して懐かしさが戻ってくる。最終楽章は霧に包まれたような序奏から輝かしいトランペットのファンファーレとともに明るく劇的な主部となり、開始楽章の主題も織り交ぜながら熱狂的に全曲を締めくくる。ここはベートーヴェンの「運命」を下敷きにしたのだろう。
シューマンの交響曲は管楽器の重ね合わせが多く、オーケストレーションは重厚だけど濁りが目立つことがある。大野はこれを逆手にとり複雑に絡み合う声部をバランスよくまとめ、分厚く推進力のある堂々とした音楽を明快に鳴らした。ファンタジーや夢想的な世界を大切にしつつも、クライマックスでは劇的でエネルギッシュな響きを都響から引き出した。翳りや葛藤を緻密なアンサンブルで表現すると同時に、情熱を迸らせ感情の爆発を率直に描いた。
それにしても、交響曲が誕生プレゼントとはなんとも豪奢だが、クララを描いたにしてはイメージがそぐわない。一応、「第4番」は暗から明へ、苦悩から歓喜へという構造といえるから、シューマンはクララとの結婚までの苦難と勝利を音にしたものなのかも知れない。
クララはこの交響曲を贈られてどう思ったのだろう。後年、ブラームスが初稿版を出版しようとしたときクララは賛成をしなかったようだから、誕生祝の初稿より現在演奏される10年後の改訂版のほうに愛着があったかに思える。
イメージがしっくりこないのはシューマンの管弦楽法にも原因がある。弦楽器は刻みが目立ってて音が整理しづらいし、木管楽器は一斉に吹奏させるから重苦しい。はっきり聴かせるためには金管楽器でアクセントを付けるとか、打楽器をうまく打ち込めば分かりやすくなるはずで、マーラーなどはオーケストレーションを改変して演奏していた。
さて、クララ自身も芸術家ではあったけど、シューマンもブラームスも実生活の相手として相応しかったのかどうか。シューマンは精神を病み、ブラームスはマザコンで、普通の生活者としては微妙なところだ。芸術と生活という領域を一人の女性がどう折り合いをつけて生き抜いたのか、この辺りのクララの気持ちを知りたいと思う。大野×都響のシューマンの「交響曲第4番」を聴きながら、こんな他愛もないことをぼんやりと考えていた。
2026/7/26 松井慶太×東京カンマーフィル ベートーヴェン「交響曲第4番」 ― 2026年07月26日 21:13
東京カンマーフィルハーモニー
第32回定期演奏会
日時:2026年7月26日(日) 14:00開演
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
指揮:松井 慶太
共演:メゾソプラノ/加賀 ひとみ
演目:ベートーヴェン/序曲「コリオラン」
ファリャ/「恋は魔術師」
ベートーヴェン/交響曲第4番
松井慶太との最初はこの東京カンマーフィルと共演したシベリウスとベートーヴェンの「交響曲第7番」だった。とても感心して、その後、機会があれば彼の演奏会に足を運んでいる。ファリャの「恋は魔術師」は、少し前のOEKの公演で楽しんだばかりだが、今日はベートーヴェンの「交響曲第4番」を併せて指揮するというので渋谷まで出かけた。
まずは「コリオラン」序曲から。作品番号は62。「交響曲第4番」が作品60だからほぼ同時期である。ちなみに間の作品61は「ヴァイオリン協奏曲」、前後には「ピアノ協奏曲第4番」「ラズモフスキーセット」などの傑作が並ぶ。
「コリオラン」は演奏会用の序曲、古代ローマの将軍を主人公にした戯曲に触発されて作られたという。冒頭から強烈な主調の和音が連打される。室内オケだけど思いのほか重量を感じさせる。松井は短いモチーフを徹底的に彫琢しながら前に進める。力強い主題と優しい主題を対比させ、最後は緊張感を維持しながら力尽きて消えるように終えた。
大和田 さくらホールは初めてだが、ほどよい残響のなか各楽器が明瞭に分離する。容量700席のホールながら、天井は高く落ち着いた雰囲気があって好ましい。
続いて「恋は魔術師」。もとはジプシーダンサーの舞台音楽として、8重奏と独唱のために書かれた。後日、通常の管弦楽編成に書き改められ、さらにはバレエ音楽に改変された。フラメンコやジプシーの音楽が色濃く反映され、打楽器のリズムや弦楽器の官能的な旋律が魅力である。
先日のOEKの公演は野村萬斎の舞台が目玉で、とかく狂言と舞踏のほうに注意が行きがちだったが、今日は室内オケと独唱が主役。加賀ひとみの声は押し出しが強く、低音などは良い意味でドスのある歌いまわし。松井の音楽は相変わらず色彩が豊かでリズム感が秀逸。過激な舞踏と静寂な情景を交互に、熱い情熱とミステリアスな世界を描いた。
休憩後がベートーヴェンの「交響曲第4番」。松井の楽曲解釈は申し分なく、その卓越した表現力には脱帽するばかり。各楽章のテンポ感、加減速のあんばい、音量の増減などがしっくりと納得できる。管楽器には多少キズがあったがフルート、オーボエは十分に上手、バロックトランペットは良い音を出していた。なにより、土台である弦楽器の音色が美しくアンサンブルもしっかりしていて、個々の瑕瑾はあまり気にならなかった。
静かで神秘的な序奏に引き込まれ、弾けるような主部に躍動する。コーダの近くティンパニの強打には意表を突かれた。緩徐楽章ではそのティンパニが付点リズムで伴奏を刻むなか、弦楽器が美しくも格調高い旋律を奏でた。活発なリズムのスケルツォを経て、フィナーレは息をもつかせぬ常動曲の高速パッセージで興奮させてくれた。楽器と楽器の間で旋律の受け継ぎが多く、難しいソロもたっぷりあるこの曲を東京カンマーフィルは大奮闘した。
大昔、ベートーヴェンの交響曲全曲を音盤で聴き終わったとき、「第3番」と「第5番」、「第7番」と「第9番」に挟まれた「第4番」と「第8番」が妙に気になって偏愛した時期があった。第一にはクリュイタンス×ベルリンとイッセルシュテット×ウィーンという名盤に惚れ込んだ故だが、ベートーヴェンの女性関係を聞かされたことも多分に影響した。両曲とも具体的な女性の音画ではないかと思い込んだのだ。ベートーヴェンは主観的な感情や思想を音楽に定着した最初の人だったからこう考えても無理ないことだったけど。
「第4番」はミステリアスな暗い序奏から突如として弾けるような疾走が始まる。緩徐楽章では美しく洗練された旋律が歌う。トリッキーで活発なスケルツォのあと、無窮動風の上昇音型は息をもつかせぬほどスリリングだ。
「第8番」は前奏なしで堂々と開始され、清々しく率直で飾らない。スケルツォは規則正しいリズムのなか途中笑い声なども聴こえてくる。メヌエットのなかの郵便馬車のポストホルンは思い出に違いない。フィナーレは洒脱で活力に満ち、終わりそうで終わらないコーダも愛嬌があった。
もし、これらが女性を描いているとしたら「第4番」は美しく神秘的だけど行動に予測不能なところがあり、ちょっと危険な香りがする。「第8番」は率直で飾り気がなく、規則を重んじてはいてもときには羽目を外しユーモアも持ち合わせている、ということになろうか。少なくとも両者は同一人物ではないように思われた。
「第4番」はベートーヴェン36歳、この時期、夫と死別したヨゼフィーネ・ダイム(旧姓:ブルンスヴィック)と親密になっている。「第8番」はベートーヴェン42歳、“不滅の恋人”に宛てた手紙をこの年に書いている。ヨゼフィーネ・ダイムも“不滅の恋人”の有力候補ではあるが、「第4番」と「第8番」を聴く限り“不滅の恋人”は彼女ではない。ここは青木やよひやメイナード・ソロモンが言うアントニー・ブレンターノ(旧姓:ビルケンシュトック)のほうを推すべきだろう。
両曲にまつわる女性たちへの妄想はさておき、次は松井慶太で「交響曲第8番」を聴いてみたい。
2026/7/25 米田覚士×ユニコーンSO マーラー「復活」 ― 2026年07月25日 17:22
ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ
第20回 記念定期演奏会
日時:2026年7月25日(土) 13:30開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:米田 覚士
共演:ソプラノ/鈴木 美郷
メゾ・ソプラノ/石田 滉
合唱/Coro Oración
たにフェス特別合唱団 他
合唱指揮/伊藤 心
演目:マーラー/交響曲第2番「復活」
ユニコーンSOは慶應義塾中等部の卒業生を中心としたアマオケ、太田弦が指揮するブルックナーなどを聴いたことがある。今日は米田覚士のタクトによる第20回記念公演の「復活」。オケの過去の演奏会記録をみると米田との共演が多い。気心が知れているのだろう。米田は昨年のブザンソン国際の覇者、注目の若手指揮者である。
トレモロではじまる弦は荒々しくない。チェロとコントラバスが地の底からきしむように響くがあくまでも音楽として鳴る。やがて憧憬に満ちたヴァイオリンの調べが美しく立ち上がる。米田の設計した開始楽章は厳粛な葬送行進曲のさなかであっても、すでに死からの救済が仄めかされているよう。結尾の葬送行進曲が戻ってきて半音階を急に駆け下りるところも不気味な気配は薄い。
第1楽章を終えたところで、合唱団がP席に入り、ソリストの2人が第1ヴァイオリンの後ろに待機した。結果的にマーラーが指示したように5分以上の休みを置いたことになる。
次の舞曲風の音楽はゆったりとして優しい。どこかほろ苦くそこはかとない悲しさも感じられるけど、牧歌的というより優美かつ朗らかで、米田は幸福な過去の青春時代を回想するかのように描いた。
ティンパニの強打に続き「魚に説教をする聖アントニウス」の旋律がはじまった。皮相な日常、愚かしさや不条理を笑い飛ばすところだが、米田の音楽は大騒ぎすることなく思いのほか大人しい。それに対しロットの交響曲第3楽章の引用の部分は激烈で、マーラーの抑えた諧謔性とロットの強い悲劇性が交錯した。終結はドラの音のあと静寂が訪れ,そのまま第4楽章に移った。
無伴奏で「おお紅いの小さなバラよ」と石田滉が歌い出し,舞台裏からはトランペットによるコラールが吹奏される。独奏ヴァイオリンも活躍する。歌曲「少年の魔法の角笛」の「原光」がそのまま用いられ、「私は神様の御許から来て、再び神様の御許に帰るのだ」と無垢な信仰心と天国への憧れを歌う。短い楽章だがアマオケとしてはとても美しい演奏だった。
最終楽章は最後の審判と復活を描いた黙示録的世界といえようか。クロプシュトックの詩「生れ出たものは滅びる、滅びたものは蘇る」と復活が歌われるが、マーラーの加筆部分を含め訳詞を読むとキリスト教の復活信仰以上に、生と死を永遠に繰り返す永劫回帰を讃歌しているように思える。ここでもロットの最終楽章のテーマが印象的に響き、コーダは鈴木美郷と石田滉の二重唱になり、オルガンの加わった全管弦楽と合唱が壮大なクライマックスを作って終わった。
マーラーは「第1番 巨人」の続編が「第2番 復活」だと述べている。結局「復活」の構造は“巨人の葬送”から青春の二つの回想を経て、天上の“原光”を浴び、最後の審判と復活、さらには永劫回帰を称えて終わるのだけど、「巨人」と同様、ロットの交響曲のテーマが幾つか挿入される。これは敗北し夭折したロットを主人公にし、その復権を企てたものだろう。その上で自らを重ね、ロットとマーラーふたりによる時代から貶められた「新しい交響曲」の完成と勝利とを予告したのだ、と今日の演奏を聴いて改めて思う。