2022/3/5 川瀬賢太郎×神奈川フィル 退任公演:マーラー交響曲1番2022年03月05日 22:33



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会第375回
(神奈川フィル創立50周年記念公演)

日時:2022年3月5日(土)14:00
場所:神奈川県民ホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/小曽根 真
演目:ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
   マーラー/交響曲第1番ニ長調「巨人」


 残念ながら本公演をもって川瀬賢太郎が神奈川フィルの常任指揮者を退任する。在任8年、川瀬に注目したのはここ3、4年に過ぎないけど、毎回楽しませてもらった。
 今日の公演、マーラー「交響曲第8番 千人の交響曲」の予定が、舞台上の人と人との距離が確保できないということで曲目変更となった。もともと、この「千人の交響曲」は、2020年の11月に神奈川フィル創立50周年記念として企画されたもの。ウーハン・コロナのせいで延期され、川瀬の任期ぎりぎりの1年半先送りし、再挑戦を目指したがやはりダメだった。

 曲目変更で前半は、小曽根真のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」が演奏されることになった。
 小曽根さんとは2度目である。最初に聴いたのは数年前のこと。でも、ほとんど何も覚えていない。モーツァルトの協奏曲をノット×東響と共演したと思う。
 調べてみると2017年、モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第6番」だった。ブルックナーの「交響曲 第5番」がメインプログラム。しかし、こうして公演の輪郭がはっきりしても記憶が戻ってこない。ブルックナーでさえ茫漠としている。ノットだから会場で興奮させてくれたことは間違いないだろうが、そのときの音楽が身体に刻み込まれていない。ブルックナーが覚束ないのだから前段のモーツァルトは尚更。ソロにも特段惹かれるところがなかったのだろう。
 そして、今回は苦手なラフマニノフ。「ピアノ協奏曲第2番」は彼の作品のなかでも演奏頻度は高いが、いつまでたっても馴染めない。ラフマニノフもチャイコフスキーも作品に含まれる湿気が多すぎる。
 それはともかく、小曽根さんの演奏。ラフマニノフのピアノとしては少々軽めだけど、ジャズ風というか即興風というか耳慣れないモチーフが散りばめられ、その意味ではライブ感満載で面白かった。しかし、やはりラフマニノフの苦手意識は払拭されない。
 アンコールは、小曽根さんの自作「My Tomorrow Your Tomorrow」、川瀬のリクエストだという。

 後半は、マーラーの「交響曲1番 巨人」。
 以前、この曲はマーラーが友人ロットの生涯を描いたもの、ロットへのオマージュではないかと書いた(http://ottotto.asablo.jp/blog/2021/05/28/9382163)。それを確認させてくれるような演奏だった。
 第1楽章と第2楽章はアタッカ。そのあと、かなり間をとり、第3楽章と最終楽章をまたアタッカで繋いだ。つまり「春、終わりのない」と「順風に帆をあげて」を一体とし、場面転換をしてから「座礁、カロ風の葬送行進曲」を経て「地獄から天国へ」という、生と死の物語として、である。
 テンポは全体に遅く、ゆっくりした語り口。せわしない伸び縮みもない。そのためもあってか音楽の彫は深く、各楽器から予期せぬ音が聴こえてくる。弦5部はそれぞれが自己主張し、管はそれぞれが意味を伝える。第1楽章は鳥の声が呼び鳴き、確かに春ではあるが、将来を予感するかのように、ただならぬ雰囲気が漂う。第2楽章はロットから引用したテーマが跳ね回り順風満帆だ。一転して、第3楽章は突然の葬送。いつもなら、ちょっと滑稽に感じることもあるけど、川瀬は最初から最後まで悲しみの音楽をつくった。コントラバスの米長さんの素晴らしいソロが、各楽器に引き継がれ盛り上がって来るところで涙腺が決壊した。中間部の鄙びた民謡風の節回しでさえ悲劇性をおびる。最終楽章の激しい音楽が不思議にも静寂を呼び込む。迫力に不足はないものの、絶叫することはなく、どこか優しさに包まれて終わる。

 マーラーの「交響曲1番 巨人」は、繰り返し聴いている曲だけど、納得できる演奏に出会うのはなかなか難しい。鮮明に覚えているのは、ウラディミール・ユロフスキ×ベルリン放送交響楽団とか、ヴァシリー・ペトレンコ×オスロ・フィルハーモニー管弦楽団とか。これらは公演前半の協奏曲も名演で、記憶が増幅されているせいもある。ユロフスキのときは、アンスネスが弾いたモーツアルトの「ピアノ協奏曲21番」、ペトレンコのときは、諏訪内晶子のメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」だった。
 そうそう、ペトレンコのちょっと前に、同じ「巨人」をバッティストーニ×東フィルで聴いた。このときのバッティストーニは、まだ東フィルの現ポジションに就く前だったと思う。指揮を予定していたアロンドラ・デ・ラ・パーラが妊娠して公演をキャンセル、バッティストーニが曲目を変更せず代役を務めた。しかもマーラーを初めて振ったといういわくつきのコンサート、これが凄い演奏だった。
 バッティストーニにとっては、初めてのマーラーなのだから、当然、マーラーの交響曲全体を見渡して、「大地の歌」とか「9番」「10番」とかを踏まえて解釈した「巨人」ではない。マーラーが新しい音を発見しつつ「交響曲1番」を作曲したときの、出来上がったばかりの作品に立ち会ったようなものだ。とてつもなく新鮮で強烈なマーラーを聴かせてもらった。これが今までのベストワンだ。

 川瀬は、バッティストーニ同じくらいの年齢だろうが、解釈は老獪といっていいほど。この優しさ、愛おしさはどこから来るのだろう。ロットの「交響曲」を研究し演奏したことで、マーラーの音楽が変貌したと想像してみると楽しい。
 今日のこれは、バッティストーニの対極にありながら、バッティストーニ×東フィルを凌ぐ演奏ではあるまいか。演奏が終わって、熱狂的な拍手のなか、ふと、ワルター最晩年のレコードを聴いた時の感触がよみがえってきた。

 オケは14型、コンマスは石田泰尚。﨑谷直人も舞台に乗って、ツートップのはずであったが、﨑谷さんは体調不良で降板。﨑谷さんもこの3月で神奈川フィルを卒業である。出演できないのは慙愧に堪えない思いだろう。
 終演後、川瀬が何度か拍手で呼び戻される。3度目か4度目、川瀬は﨑谷さんの顔がプリントされたTシャツで登場した。着替えたわけではない、出演できなかった無念の﨑谷さんにかわって、このTシャツを正装の下に着こんで指揮をしたのだろう。
 この川瀬の友情、心づかい、優しさが、今日のマーラーのすべてを物語っている。

 3月下旬に、川瀬は常任客演指揮者を務めているオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)を率いて東京へ来る。今月もう一度、川瀬を聴く予定である。