2021/8/22 アンテルコンタンポラン 細川俊夫とマーラー2021年08月23日 10:39



サントリーホール サマーフェスティバル 2021
アンサンブル・アンテルコンタンポラン 東洋-西洋のスパーク

日時:2021年8月22日(日)18:00
場所:サントリーホール
指揮:マティアス・ピンチャー
共演:ソプラノ/シェシュティン・アヴェモ
   能声楽/青木涼子
   メゾ・ソプラノ/藤村実穂子
   テノール/ベンヤミン・ブルンス
   アンサンブルCMA
演目:細川俊夫/オペラ「二人静」~海から来た少女~
   (原作/平田オリザ 能『二人静』による)
   グスタフ・マーラー/「大地の歌」
   (コーティーズ編曲/声楽と室内オーケストラ用)

 半世紀ほど前に、ピエール・ブーレーズによって創設されたアンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)が、この困難のなか来日してくれた。現在の監督は作曲家でもあるマティアス・ピンチャー。
 聴いたのは細川俊夫のオペラ「二人静」と、マーラーの「大地の歌」(室内オーケストラ版)。“東洋-西洋のスパーク”と題する公演。

 細川の「二人静」はEICが委嘱した作品で、2017年にパリで初演、そのあとケルン、トロントなどで上演し、今回が日本初演。
 パリの初演時の映像は、字幕なしだがYouTubeでみることができる。

 https://www.youtube.com/watch?v=ZHck3LCJ7zM

 普通オケに対して我々が抱くイメージは、分厚い弦の絨毯の上で木管が色をつけ、金管が訴え、打楽器が踊る、といったものだが、EICを聴くと、弦・管・打楽器が切れ目なくつながって、溶け合い一体となって聴こえてくる。弦が少ないこともあるが、名手たちの驚異的なアンサンブルのなせるわざだろう。“ゲンダイ音楽”とは思えないほどまろやかで、恐ろしいくらい美しい音を出す。
 主人公の少女を歌ったソプラノのシェシュティン・アヴェモは、語りを含めてこれ以上ないはまり役。青木涼子の静御前は、PAを使っているようだが、能の発声がこういうものなのか、くぐもって音域は狭い。異界の存在としては相応しいのかも知れない。
 この40分間の音響は極めて魅力的で、会場も大いに沸いた。作曲家の細川俊夫、原作者の平田オリザも登壇し、あたたかい拍手を浴びていた。

 マーラーの「大地の歌」は、当日までシェーンベルク編曲の室内楽版だと思い違いをしていた。これは先日のフェスタ サマーミューザKAWASAKIでの「交響曲4番」室内楽版と同様、「私的演奏協会」で上演するために、ピアノやハルモニウムが登場する版。EICのメンバーを10数人ピックアップして演奏するものだとばかり思っていた。
 ところが、今回はそうではなくて、コーティーズが編曲したマーラー原曲の音色や音調を中規模の室内オーケストラで実現しようとするもの。ピックアップメンバーどころか、EICのほぼフルメンバーに加え、サポートとして管数人とアンサンブルCMA(サントリーホール室内楽アカデミー)から弦10数人が参加し、40~50人規模のオーケストラを編成した。ソロは藤村実穂子とベンヤミン・ブルンス。
 マーラーの「大地の歌」は、細川とは編成が異なることもあるが、それぞれの楽器を強調し、さまざまな感情を各楽器に表現させるような演奏。ピンチャーは起伏が大きく、休止をきっちり取って場面転換を図り、歌詞と音色とを結びつけていく。ソロの藤村とブルンスは言うまでもなく素晴らしい。

 思うのだが、ハイドンから始まりドイツ・オーストリアが育てた交響曲は、ブルックナーによって幕が引かれ、マーラーによって新しい交響曲が産み出された。その流れのひとつはシェーンベルク、ウェーベルン、ベルク以降に引き継がれ、西洋音楽の解体へと進み、もうひとつはショスタコーヴィチに受け継がれ、ついには国家に対峙する音楽となって、これも行き止まりとなってしまった。
 どちらにせよ、マーラーの「大地の歌」は「9番」と並び、ロットとともに“新しい交響曲の創始者”たらんとしたマーラーの偉大なる到達点である、と再確認した次第。

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