2025/9/20 河村尚子 ムソルグスキー「展覧会の絵」 ― 2025年09月20日 21:07
フィリアホール 土曜マチネシリーズ第19回
河村尚子 ピアノ・リサイタル “ある視点” Vol.2
日時:2025年9月20日(土) 14:00開演
会場:フィリアホール
出演:河村 尚子
演目:モーツァルト/ピアノ・ソナタ第8番イ短調
ラヴェル/組曲「クープランの墓」
ナディア・ブーランジェ/新たな人生に向かって
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
フェリアホールにおける河村尚子のリサイタル・シリーズの第2回。オケ好きとしてはピアノ・リサイタルなど普段は見向きもしないのだけど、河村尚子とプログラムに魅かれてチケットを取った。
河村尚子はデビュー当時、モーツァルトの協奏曲を聴いていたく感心した。その後、リサイタルを追いかけることはしなかったが、オケとの協奏曲には何度か遭遇している。今回はプログラムが魅力的で、ソロ・リサイタルに足を運ぶことにした。
チラシのプログラム欄には「In Memoriam...」と付されていた。「In Memoriam...」とは「…を記念して、追悼して」という意味で、墓碑銘にしばしば用いられる言葉らしい。今回の楽曲はいずれも亡き人に捧げられた曲である。モーツァルトは母親を、ラヴェルは第一次世界大戦で戦死した知人たちを、ナディア・ブーランジェは病弱だった妹リリー・ブーランジェを、そしてムソルグスキーは友人の画家ヴィクトル・ハルトマンの死を、それぞれ追悼し、「別れ」を音楽にして残した。
まずはモーツァルトのピアノソナタK.310、短調は2曲のみ。このイ短調とトラットナー夫人マリア・テレジアに献呈されたハ短調である。ハ短調はいろいろ秘密がありそうな曲だが、イ短調は深い悲しみに包まれた曲。
第1楽章、河村はプレストのような速さで開始して吃驚、緊張と不安が漂い長調への転調すら明るさがない。演奏時間の半分を占める緩徐楽章はゆったりとつぶやく。河村はこの楽章を最重要としスポットを当てた。穏やかな気分や慰めもあるが、不穏な不協和音や転調が連続する。プレストは素早く駆け抜け慰藉のないまま終わった。
「クープランの墓」は1.プレリュード、2.フーガ、3.フォルラーヌ、4.リゴドン、5.メヌエット、6.トッカータの6曲で構成される。4曲を抜粋した管弦楽曲版はときどき聴く。クープランはフランスのバロック時代の作曲家の名前。クープランの生きた時代様式を意識して書かれ、各曲ごとに戦死者に捧げられている。
「プレリュード」はイスラム風なパッセージが常動曲風に動き、装飾音が典雅な雰囲気を高める。「フーガ」は演奏が非常に難しそうだが、河村は穏やかな雰囲気のまま進める。「フォルラーヌ」はダンス音楽で、音が引っかかったり揺れ動くリズムが印象的。「リゴドン」も舞曲、河村は力強いリズムで弾き、明るく活発な主部と憂いを帯びた中間部との対比を際立たせた。「メヌエット」は優雅で気品溢れる演奏、トリオは緊張感が高まる。「トッカータ」はせわしない同音連打が次第に高揚し、テンポアップしながら壮大で華やかなコーダに向かって行く。河村はピアニスティックな技巧を駆使し、あの「ボレロ」と同じような興奮を再現した。管弦楽曲版に「トッカータ」を含まないのは今更ながら残念だ、と思わせるほど。
ここで20分間の休憩。
ナディア・ブーランジェは19世紀末から20世紀の後半までを生きたフランスの作曲家兼教育者。「新たな人生に向かって」によって追悼された妹のリリー・ブーランジェも作曲をよくした。ナディア自身は妹リリーの才能に敵わないと感じていたという。かなり沈鬱で暗い曲。河村はこの曲を「展覧会の絵」の前奏曲のように扱い、アタッカで「プロムナード」につなげた。
「展覧会の絵」はもちろんピアノ組曲がオリジナルなのだけど、受容からいえば管弦楽編曲が先だから、ピアノを聴いても頭のなかではラヴェルの楽器たちが鳴る。「プロムナード」のトランペット、「古城」のアルト・サックス、「ビドロ」のテューバ、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」のピッコロ・トランペットなどである。そして、ピアノ組曲は録音ではホロヴィッツ、リヒテルなどの超絶というべき音盤があるから、どちらにせよピアニストが実演でこの曲を取りあげるには覚悟がいるだろう。
しかし、河村の演奏が始まってみると、そんなこんなは吹っ飛んでしまった。多彩な音色、幅広いダイナミックス、芯の強いタッチ、そして何より豊かな表現力でピアノの世界に引きずり込まれてしまった。
「プロムナード」のそれぞれが全く違う肌ざわりで弾かれ、「小人」の陰鬱でグロテスクな歩み、「古城」の哀愁を含む甘美な旋律、「テュイルリーの庭」の目まぐるしく騒然とした動機、「ビドロ」の暗く重々しい調べ、「卵の殻をつけた雛の踊り」の雛鳥の鳴き声やせわしない動き、「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」の低音と高音の対決、「リモージュの市場」の喧騒、「カタコンベ」の不気味な重量をもった響き、「バーバ・ヤーガ」の叩きつける和音の連打から、ついに「キエフの大門」が姿を現す。「プロムナード」が変形しコラールが変奏され、巨大なエネルギーが解放されるように曲が閉じられた。
とことん圧倒された。何とまあムソルグスキーは恐ろしいピアノ組曲を作ったものだ。これから管弦楽版を聴くときには、今までとは逆に頭の中で河村尚子のピアノが鳴るような気がする。