2026/2/1 川瀬賢太郎×東響 メンデルスゾーン「イタリア」 ― 2026年02月01日 21:05
東京交響楽団 名曲全集 第215回
日時:2026年2月1日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:川瀬 賢太郎
共演:ピアノ/牛田 智大
演目:モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」序曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲第26番 ニ長調K.537
「戴冠式」
メンデルスゾーン/交響曲第4番 イ長調op.90
「イタリア」
モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲でスタート。1年前の川瀬賢太郎はびっくりするほど恰幅がよくなっていたが、今日はまた随分と身体を絞ってきた。神奈川フィル時代に戻って若返った。川瀬本来のキビキビとした序曲が高速で駆け抜けた。
「戴冠式」のソロは牛田智大。以前プレトニョフ×東フィルと共演したグリーグの協奏曲を聴いたことがある。グリーグのときは十代、今は26歳のほっそりとした好青年、上背は並ぶと川瀬を超えている。今日の会場は女性比率が高くほぼ満席、牛田が目当てなのだろう。
モーツァルトの「ピアノ協奏曲第26番」は、神聖ローマ皇帝レーオポルト2世の戴冠式のときに演奏されたというが、もとは自らの予約演奏会用に作曲されたもの。自分自身が演奏するつもりだったから、ピアノ独奏のパートは空白だらけでカデンツァも書かれていない。そのぶん奏者の即興に依存する部分が大きいわけだ。最近は人気がなくて20番以降の名作群のなかではもっとも演奏頻度が低くいようだ。
第1楽章はモーツァルトらしい転調もあまりなく平凡に思えるけど、牛田は表面的な華やかさを抑えつつチャーミングに弾いて行く。続くラルゲットは素朴で淡々とした穏やかな楽章、牛田のピアノの音は自身の内部へ沈潜していくような気配で、「戴冠式」のラルゲットでこれほど心を揺さぶられたのは初めて。モーツァルトの緩徐楽章の凄みをあらためて感じさせた。最終楽章でも普通は輝かしいパッセージが目立つのだが、独奏ピアノは煌びやかさよりは室内楽的な落ち着きがあって感心した。川瀬×東響も大会場での演奏というよりは親密なこじんまりとしたサロンで伴奏しているような気遣いだった。
ソロアンコールはシューマンの「トロイメライ」。ここでも牛田は夢見るようにピアノの響きを自分の内部に向けている風情。モーツァルトもシューマンも見事な解釈だけど、この若さであまり考え過ぎないほうがいいのではないか、とちょっと心配になった。
メンデルスゾーンは、ついこの前、松本×神奈川フィルで聴いたばかり。当然耳は比較する。それと、東響の「イタリア」といえばコロナ禍における指揮者なしでの演奏が鮮烈で強く耳に残っている。
「交響曲第4番」はイタリア滞在中に作曲が始められ、最終楽章にイタリア舞曲であるサルタレッロが取り入れられていることから「イタリア」と呼ばれ親しまれている。豊かな歌、躍動的なリズム、歓喜と熱狂、明暗の交錯などが均整のある楽章構成の中で描かれている。
ただ、当時の交響曲として異例なのは開始楽章が長調でありながら最終楽章が短調で終わる。川瀬の「イタリア」はその革新性に目を付け、明らかにこの最終楽章に焦点を当て全体を組み立てたようだった。ゆったりとした陽光のさす開始楽章、荘重な行進である第2楽章、優美で穏やかな第3楽章、ここまではテンポを引き伸ばし、それでいて軽やかに歩を進め、最終楽章の舞曲で全精力をつぎ込んで思いっきり弾けた。このテンションの高さと加速感に聴衆は大興奮、川瀬の設計ゆえの勝利だろう。
メンデルスゾーンの生涯は38年、モーツアルトは36年しか生きることが許されなかった。天からこれほどの才能を与えられたのなら長生きできるわけはない。凡人は彼らの作品を聴きながら老醜をさらすのみである。
2025/12/28 ノット×東響 ベートーヴェン「第九」 ― 2025年12月28日 21:43
東京交響楽団 ベートーヴェン「第九」2025
日時:2025年12月28日(日) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ソプラノ/盛田 麻央
メゾソプラノ/杉山 由紀
テノール/村上 公太
バスバリトン/河野 鉄平
合唱/東響コーラス
合唱指揮/三澤 洋史
演目:ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125
「合唱付き」
ノットのベートーヴェンにはあまり関心がない。じっさいこの10数年の間、交響曲では「2番」「5番」「8番」くらいしか聴いていない。ノットは現代音楽を除けばブルックナーとR.シュトラウスが一番よくて、あとはモーツァルトとかシューベルトとかがいいと思う。
しかし、いよいよ大詰め、評判の高い「第九」は経験しておきたい、ということでサントリーホールへ出向いた。監督ノット×東響を聴くのはこれが最後となる。相思相愛の両者による「第九」である。
やはり、陳腐なところが全くない新鮮かつ斬新な演奏だった。オケの編成はなんと第1ヴァイオリンがわずか8人、弦の総数は8-8-6-5-4の31、よくある14型に比べれば6割程度の小世帯、過去最少である。ところが演奏がはじまってみるとその編成を意識させない。陰影は鮮明で濃淡は深い。コンマスは景山昌太郎、隣に小林壱成のダブルトップ。プロの弦楽奏者の全員が本気を出すとこういう音がする、という見本みたいなものである。指揮者の役割のひとつは如何に奏者のやる気を引き出すか、ということだと思うが、ノットと東響とは良き相互関係が築かれている。
第1楽章の原始霧からの爆発は尋常ならざる迫力。ティンパニの打ち込み、金管の力強さ、木管のバランスなどに驚かされる。第2楽章の極端なダイナミクスや思いがけない緩急は独特の味わい。安らぎに満ちた第3楽章、ここでの弦の美しさは極上。くだんのホルン聴かせどころは4番奏者、普段は2番に座る藤田麻理絵が吹いた。ノットはここの背景でチェロとヴァイオリンのピチカートを強めに弾かせた。恥ずかしながら、こんなホルンの引き立て方があるのだ、と初めて気付いた。第4楽章の混声合唱は80人ほどが曲の最初から待機していた。ソリストは第2楽章のあと入場し指揮者の左右に位置した。舞台に向かい左手にソプラノ、バス、右手にテノール、メゾという珍しい並びだった。ノットのアゴーギクやデュナーミクはますます激しく、アクセントも強く、「第九」の物語性を表情豊かに彩るようだった。
ノットの手にかかるとあらゆる作品が新たな相貌をみせる。といって、それがちっとも不自然ではなく、何よりも生まれたての音楽に出会えた、という悦びを与えてくれる。マーラーの「第9番」が希望に満ちた音楽だとは気付かなかったし、ブラームスの「第4番」だって、しかめっ面で窮屈なブラームスではなく開放的で広々とした将来を展望するような音楽だった。これまでネガで見ていたフィルムをポジで見直したようなものだ。もっともネガ・ポジと言っても同じものの裏表ではあるから、いい演奏でさえあれば反対側の隠された面が透けて見えるのだけど。
ノットは事前にオケに対し厳しい設計要件を突きつけていると思うが、本番では東響の反応力と融通性信じ、その場の勢いと熱気のまま即興的に動く。その音楽は精緻だけれど厳格さよりは柔軟さが印象的で、熱量は高く響きは立体的だ。弾き方や吹き方に注文をつけているのか、内声部や管弦の按配か、音が薄く平板になるという不満もない。このベートーヴェンの「第九」も細かくいろいろな工夫が為されているものの演奏全体は揺るぎなく起伏に富み、ベートーヴェンの思いや作品の懐の深さが表現されていた。ノットのベートヴェンとしては後々まで忘れられない演奏になりそうである。
アンコールは東響恒例の「蛍の光」。ソリストと合唱はペンライトを持ち、合唱団の一部は客席の通路に並んだ。最後は照明が落とされ終演となった。ノット×東響は晦日の「MUZAジルベスターコンサート2025」が最後となるが、今日でお別れというお客も多かったのだろう。8割くらいの聴衆が残ってノットの一般参賀となった。
この10数年、体調不良で1年半ほど演奏会から離れた時期や、コロナ禍の中止などもあったけど、ノット×東響はいつも充実した演奏を聴かせてくれた、心から感謝をしたい。
2025/11/23 ノット×東響 マーラー「交響曲第9番」 ― 2025年11月23日 21:51
東京交響楽団 名曲全集 第212回
日時:2025年11月23日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:笙/宮田 まゆみ
演目:武満 徹/セレモニアル
マーラー/交響曲第9番 ニ長調
東響の定期演奏会(サントリーホール)と名曲全集(ミューザ川崎)にノットが監督として登場するのはこれが最後となる。演目は12年前にノットが監督就任した最初の定期演奏会と全く同じである。
この間、ノットのマーラーでいえばやはり就任記念の「第9番」が一番記憶に残っている。お互い手探りではあったけど緻密かつ繊細な演奏で、この時はじめてマーラーの「第9番」が、喪失とか崩壊とかというネガティブな世界だけではなく、エネルギーが充溢し希望に満ちた音楽だと気付いて吃驚したことをよく覚えている。
今日の「セレモニアル」は笙の宮田まゆみがP席上段のホール・オルガンの横に位置し、2階席正面と3、4階席のバルコニーに3組の木管奏者が並んだ。丁度、ソリストと木管奏者が上方から舞台を囲むような配置である。宮田さんは前回同様白装束、さすが御歳を召された。10分ほどの武満の楽曲が終わり、休憩なしでそのままマーラーの「交響曲第9番」となった。もっとも楽器の追加や木管奏者が舞台上に戻るまでの時間が必要で、「第9番」の開始は2時半近くになっていた。
マーラーの「交響曲第9番」は当然ながら気合が入っていた。会場は息苦しくなるほどの緊張感が漂う。とは言っても、縦横無尽のノットの指揮に柔らかく応じる東響のレスポンスには感心する。ノットは全体をきっちり設計し、練習では厳しい要求を突きつけていると思うが、本番では勢いと熱気のまま当意即妙に動く。東響の反応力と融通性を信頼してのことだろう。響きは立体的で音が密集している、振幅は大きく平板になるという不満がない。厳格というよりは精緻で柔軟、まさに十数年にわたった両者の集大成といえる演奏だった。
第1楽章の冒頭はチェロとホルンによって不規則なリズムでひそやかに始まる。ハープの短い旋律が続く。ホルンは2番奏者が吹く。藤田麻理絵のゲシュトップト奏法の音色が印象的。そして、第2ヴァイオリンによる「大地の歌」の告別のテーマがはっきりと聴こえてくる。その後、音楽は幾度もフォルテが訪れ激しく苦闘し、最後は安らかに終わる。フォルテの主題はいずれも威圧的で破壊的なものだが、強く耳に残ったのは「永遠に…」という告別のテーマだった。
第2楽章は舞曲。まずは皮肉っぽいレントラー、無骨で粗野な踊り。次いで速いテンポのワルツ、優雅どころか荒々しい。最後は再びレントラー舞曲、ここでも「告別のテーマ」が紛れ込み舞踏は終わる。
第3楽章はブルレスケ。ノットのスピードは狂気をはらみ、乱雑な道化芝居のようであったが、東響の演奏は冴え渡り混乱は全くない。途中、美しくも天国的な世界を垣間見せるが長くは続かない。音楽は再び狂喜乱舞へ。極めて挑戦的で闘争的な演奏だった。
終楽章はアダージョ。弦楽合奏を中心にした崇高ともいえる音楽。ゆっくりと穏やかに弦楽器の音が重ねられ、クライマックスの後に長い静寂が訪れた。コンマス・小林壱成、チェロトップ・伊藤文嗣のソロが秀逸で、ノット×東響は渾身の演奏だった。告別ではあってもそれは悲劇や絶望ではなく、広々とした将来を展望するようなメッセージがこめられているように思えて落涙した。
ノットと東響は、このあと年末に「第九 2025」と「ジルベスターコンサート 2025」を演奏してお別れとなる。
2025/10/18 佐藤俊介×東響 バッハ「ブランデンブルク協奏曲」 ― 2025年10月18日 21:22
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第103回
日時:2025年10月18日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:指揮&ヴァイオリン/佐藤 俊介
フルート/竹山 愛、濱崎 麻里子
オーボエ/荒木 良太、最上 峰行、浦脇 健太
ファゴット/福井 蔵
ホルン/上間 善之、加藤 智浩
チェンバロ/重岡 麻衣
演目:フックス/ロンド ハ長調
フレミング/完全なるドイツ猟師より
「ファンファーレ」
J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲
第1番 ヘ長調 BWV1046
第5番 ニ長調 BWV1050
第3番 ト長調 BWV1048
テレマン/2つのオーボエとヴァイオリン
のための協奏曲
J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲
第4番 ト長調 BWV1049
佐藤俊介と東響とのコラボは、コロナ禍前の初顔合わせを聴いた。モーツァルト・マチネだった。その後、お互いの相性が良いせいか何度か共演をしていたがパス。今回が二度目である。佐藤俊介は古楽器オケであるコンチェルト・ケルンのコンマス・指揮者であり、2023年までオランダ・バッハ協会の音楽監督も務めていた。そのバッハである。
「ブランデンブルク協奏曲」を中心としたこの演奏会、実は神奈川フィル定期の沼尻監督が指揮するブルックナーの「交響曲第8番」と重なってしまった。普通なら迷うことなくブルックナーを選ぶところだけど、今日のプログラムは振替がきかない。それに沼尻はブルックナーを振りはじめたばかりで、この先も聴く機会はあるはずと頭を巡らせ、こちらの演奏会を選ぶことにした。
最初はフックスの「ロンド」、ヴァイオリンの佐藤俊介、ファゴットの福井蔵が独奏者となって管弦楽と協奏した。次いでフレミングの「ファンファーレ」を上間善之、加藤智浩によるホルンが吹奏、そのまま「ブランデンブルク協奏曲」の「第1番」へと繋げた。
「第1番」の編成は、佐藤俊介以外では景山昌太郎をトップとするヴァイオリンが4+4、ヴィオラが3、チェロが2、コントラバスが1、管はオーボエが3、ファゴットが1、ホルンが2。全曲中で最大の規模。曲は急―緩―急の3楽章にメヌエットを加えた4楽章構成。華やかで気持ちよく始まる第1楽章から第2楽章に入ると陰影の深い曲調へと変わり、第3楽章ではホルンとヴァイオリンが全体を主導し華やかさが戻ってくる。ここで終わっても全然構わないのに、おまけのように弦楽器とオーボエがゆったりとメロディを歌いホルンが彩りを添えてメヌエットとなった。
続いて「第5番」、編成がガラッと変わった。ソロの佐藤とヴァイオリンの景山、ヴィオラの西村眞紀、チェロの伊藤文嗣、コントラバスのコーディ・ローズブーム、フルートの竹山愛、チェンバロの重岡麻衣、計7名の小編成、室内楽である。これだけ小さな規模の「第5番」を聴くのは初めて。「ブランデンブルク協奏曲」といえばこの出だしがテーマ音楽といっていいほど有名。フルート、ヴァイオリン、チェンバロ独奏による明るくおおらかな第1楽章、後半のチェンバロの長大なカデンツァは独創的だ。第2楽章はソロ楽器による影のある旋律が歌われる。第3楽章はフルートの楽想が次々とほかの楽器に受け継がれ、絡み合いながら華やかなフィナーレとなった。竹山のフルートは普段の煌びやかな音ではなくて、ちょっとくすんだ、しっとりとした音、楽器本体もシルバーやゴールドとは違い濃茶色、木質系かも知れない。
休憩後は「第3番」から。また編成が大きく変わった。ヴァイオリンは佐藤を含めて3、ヴィオラとチェロも各3、それにコントラバスとチェンバロ。管楽器はなく、ほぼ弦楽合奏曲。演奏時間も全曲中で一番短い。第1楽章は小気味よいテンポの明るい曲想、ただし一瞬不気味な気分があらわれドキッとする。第2楽章は穏やかに静かにアッという間に終わる。第3楽章はスピードを増し再び明るい曲調で駆け抜けた。
「2つのオーボエとヴァイオリンのための協奏曲」は、生涯に4000曲、失われたものを含めれば6000曲を書いたといわれるテレマンの作品。エンターテインメント精神旺盛なバロック時代のスーパースターである。オーボエは荒木良太と最上峰行。アレグロ―アンダンテ―メヌエットの3楽章構成。滅茶苦茶に楽しい曲。アレグロは旋律もリズムも軽妙洒脱であってアグレッシブ、自然と身体が揺れ動く。演奏会の案内チラシには「バロック・THEロック」の副題がついていたが、まさにその通り。アレグロは繰返し演奏をしても構わないとのことだが、今日はダ・カーポなし、残念。テレマンといえば数千曲のうちの「ターフェルムジーク」の一部くらいしか知らないけど、この協奏曲は収穫だった。
最後が再び「ブランデンブルク協奏曲」に戻り「第4番」。竹山愛、濱崎麻里子のフルートとヴァイオリンソロが明るく競い合う。濱崎のフルートも竹山と同じ濃茶色。第1楽章はお伽噺のような世界。2本のフルートによる鳥が鳴きかわすような可愛らしい音色とヴァイオリンの超絶技巧との絡みが聴きもの。第2楽章は一転して寂しげで郷愁を誘うような歌、同じフレーズが繰り返され木霊のよう。第3楽章はバッハ得意のフーガ、精巧で複雑な音の寄木細工。途中、佐藤俊介のヴァイオリンはスリリングで、その後、楽器群が数回の和音を力強く鳴り響かせ曲が閉じられた。
プログラムノートによると、東響定期で「ブランデンブルク協奏曲」を取り上げるのはほぼ半世紀ぶりらしい。たしかにフルオーケストラの団体においてはバロック音楽の演奏機会は稀だろう。そのせいもあってか楽団の奏者たちは嬉々とした表情、聴き手も奏者につられて楽しんだ、といった風情の演奏会だった。
2025/10/12 マルッキ×東響 「田園」と「春の祭典」 ― 2025年10月12日 19:11
東京交響楽団 名曲全集 第211回
日時:2025年10月12日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:スザンナ・マルッキ
演目:ベートーヴェン/交響曲第6番 へ長調op.68
「田園」
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」
スザンナ・マルッキはフィンランド出身。著名な指揮者を輩出しているシベリウス音楽院でパヌラやセーゲルスタムに学んだ。サカリ・オラモとほぼ同世代でもう50代半ば。
もとはチェリストで30歳を過ぎてから指揮活動を本格化し、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を10年近く務めた。現代音楽の演奏集団であるアンサンブル・アンテルコンタンポラン(EIC)の音楽監督も経験している。
今日のプログラムはEICの元監督であるから「春の祭典」は大注目だけど、その前段に20世紀音楽が並ばなくてよかった。「田園」+「ハルサイ」の名曲プログラムとなって一安心である。東響はよくEICの監督たちを招聘する。
マルッキは金髪をひっつめ、黒のパンツに動きやすそうな上着でもって登場した。身体は引き締まっていて、50代とは思えないほど若々しく見える。
「田園」は楽章ごと、あるいは楽章内も緩急、強弱を積極的に対比させる。楽章でいえば第2、5楽章を遅くゆったりと歌わせ、第3、4楽章を急速に強く激しく動かす。同じ楽章の中においてもテンポや音量にはっきりした変化をつけ、ひとつひとつの音を蔑ろにしない。だから音型や響きに新しい発見があって面白いが、いささか全体の音楽の流れが阻害されたように思えた。スダーンや沼尻のように物語がスムーズに見えてこない。音の中身は詰まっているのだけれど、進行が多少ギクシャクして演奏時間が長く感じた。
「春の祭典」も音づくりとしては「田園」とほとんど同じ。ただ「春の祭典」は「田園」のような標題性や物語性はなく、それぞれの部分の音響やリズムで勝負できる曲だから、結構楽しませてもらった。各パートのバランスは計算されつつ野性味もあった。野太くたっぷりとした音で迫力も十分。特に第二部の終盤「生贄の踊り」は狂気といえる変拍子のオンパレードで混沌の極みだが、マルッキの指揮に曖昧なところは全くない。非常に明快で分かりやすく混乱の欠片もない。終わってみると一種の爽快感さえ残した。この指揮姿には惚れる人がいるかも知れない。
コンマスは9月に第一コンサートマスターとして入団した景山昌太郎、隣に新人コンマスで現在は研究員の吉江美桜が座った。オケの弦楽器はしなやか、低音が豊かに膨らみ、管楽器の音色は素晴らしく、打楽器の切れ味は鋭い。今日も美しい東響の音だった。