ギルバート・グレイプ2022年09月05日 16:10



『ギルバート・グレイプ』
原題:What's Eating Gilbert Grape
製作:1993年 アメリカ
監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:ピーター・ヘッジズ
音楽:アラン・パーカー、ビョルン・イシュファルト
出演:ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、
   ジュリエット・ルイス


 「12ケ月のシネマリレー」と題して、映画の黄金時代に生まれた名作を、月替わりで12ヶ月連続して上映するプロジェクトが先月からはじまった。
 その第1作『ギルバート・グレイプ』を月遅れながら二番館で観た。

 監督は名匠ラッセ・ハルストレム。むかし『サイダーハウス・ルール』で打ちのめされ、彼の過去作品をレンタル・ビデオ屋であさったとき観ている。画面は当然小さなTVだったから、感心はしたけどそんなに強烈な印象を持ったわけではなかった。ただ、若き日のジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオがずっと気になっていて、もう一度大画面で確かめようと思った。

 アイオワ州の片田舎、ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)と知的障害のある弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)は、道端でキャンピングカーの軍団を待っている。
 ギルバートは生れてからこの田舎町を出たことがない。彼には守らなければならないハンディを負った弟アーニーがいるし、夫が自死したことで過食症となり、歩くことさえままならない巨体の母親ポニー(ダーレン・ケイツ)もいる。失業中の姉や学生の妹も同居している。長男はとっくに町を出てしまった。次男であっても家長として食料品店で働き家計を支え、家族の面倒をみている。自分のことなど考える余裕もない。
 いつもなら通り過ぎてしまうキャンピングカーの1台が故障して、しばらく町にとどまることになった。ギルバートは、その故障したキャンピングカーで暮らすベッキー(ジュリエット・ルイス)と出会って、別の風が吹いてくるのを感じるようになる。転機が訪れる。恋の芽生え、考えてもいなかった未来への希望、しかし、断ち切ることのできない家族への絆と愛情、自己犠牲や責任感との板挟み。切ないほど青春の痛みが横溢する。

 ジョニー・デップは癖のある演技で名を知られているが、このとき30歳、ここでは淡々とした自然体でありながら、内面を押さえようとして、それでも滲み出てくる表情など、ジョニー・デップ会心の1作だろう。
 レオナルド・ディカプリオは19歳、アーニーと同年。子役からスタートした彼が、演技をしているとは思えないほど知的障害者を演じ切って、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。納得の役づくりである。

 脚本はピーター・ヘッジズ、原作は彼自身の同名の小説。
 撮影はスヴェン・ニクヴィスト、イングマール・ベルイマン作品でも撮影を担当した名カメラマン。大画面でこその雄大な風景と美しい映像が胸を突く。
 音楽はアラン・パーカーとビョルン・イシュファルト。ギターとピアノ中心のシンプルな音楽が涙を誘う。
 そして、何といってもラッセ・ハルストレム。ギルバートの家族や町の人々の人間模様、日々の暮らしをユーモアにくるみ、たまらなく愛おしい小さな幸せと、ささやかな人生をさらっと描いて行く。名匠の暖かくやさしい眼差しと、その手腕に狂いはない。

 キャンピングカーが田舎町に入ってくるところで始まった映画は、新しい世界、新しい人生を予感するように、キャンピングカーが田舎町を出ていくところで終わる。

 映画は劇場で観るものだ。こんなに強い衝撃を受けるとは…
 『ギルバート・グレイプ』は間違いなく青春映画の傑作だった。『サイダーハウス・ルール』と並んで自身の名作リストに加わった。

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