クチナシ2021年06月02日 07:15



 6月、クチナシ(梔子)の季節である。三大香木のひとつ。渡哲也のヒット曲「くちなしの花」のほうが有名か。

 原種は一重咲の6花弁で、梅雨どき純白の花を咲かせて強い香りを漂わせる。とくに湿気の多い夜によく香る。秋には橙赤色の果実をつける。果実はカロチノイドという色素を含み食品の着色料として利用される。また、「山梔子(さんしし)」として消炎や鎮静作用のある漢方薬となる。
 庭木には一重咲ではなく八重咲のクチナシがよく用いられ、こちらは実がつかない。常緑の低木で株立状に育つ、樹高は2mくらいになるらしい。

 クチナシとは、果実が熟しても開裂しないので「口無し」、転じて「クチナシ」になった、との説がある。木質はツゲなどに似ており、将棋の駒などに利用される。また、将棋盤や碁盤の脚は、クチナシをかたどっていて、勝負には第三者による口出し無用という意味があるという。
 
 庭にあるのは背丈60cmほどの八重咲である。買ってしばらくは葉色が悪く、葉形も欠けたものがあったりして精彩がなかったが、ここ1年ほどは元気。今年は豪華な花をたくさん付けている。
 一つひとつの花は、花持ちが悪く、咲き始めは純白だが、翌朝にはクリーム色に変化し、数日後には褐色なってしまう。ただ、次から次へと咲いてくれるので、7月くらいまでは花を楽しめる。
 クチナシは静岡以西に自生し、比較的暖かい気候を好む。自生地の北でも適応するが、乾燥には弱い。オオスカシバの幼虫(イモムシ)にも気をつけなければならない。日照、乾燥、害虫など栽培の難易度もやや高い。この先も油断禁物。

東響 タイムシフト期間延長2021年06月05日 09:24



 東響より以下の案内があった。

 5月27日に無料ライブ配信を行った「音楽監督ジョナサン・ノット指揮 特別演奏会」の見逃し配信(タイムシフト)期間延長が決定いたしました。
 6月27日(日)23:59まで、無料でご視聴いただけます。皆様のご視聴、お待ちしております。

◇東京交響楽団 特別演奏会
指揮=ジョナサン・ノット
ピアノ=児玉麻里
ヴァイオリン=グレブ・ニキティン(東京交響楽団コンサートマスター)

■ベルク:室内協奏曲-ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための
■マーラー:交響曲 第1番 ニ長調 「巨人」

ご視聴はこちら→ https://bit.ly/3uaRX5r

シラノ・ド・ベルジュラック2021年06月06日 08:33



 シラノ・ド・ベルジュラックを知ったのは、はるか昔のこと。それは本来の演劇でもなければ、戯曲としての本でも、映画でもない。TVで観た『白野弁十郎』という時代劇に翻案した物語でのことだった。
 ところが、ここで記憶に混乱が生じている。主人公の白野を演じているのが三船敏郎で、あと司葉子と宝田明を覚えていて、古い映画のTV放映を観たと思っていた。しかし、調べてみると、この映画は『或る剣豪の生涯』というタイトルで、主人公も白野弁十郎という名前ではなくて駒木平八郎といった。『シラノ・ド・ベルジュラック』の翻案で、司も宝田も出演しているのは間違いない。脚本・監督は『無法松の一生』の稲垣浩、音楽は伊福部昭、1959年の製作である。余計なことだが『無法松の一生』は『シラノ・ド・ベルジュラック』の影響を受けているという人もいる。
 では、『白野弁十郎』とは何かということだが、もともとは新国劇の沢田正二郎のために、額田六福が『シラノ・ド・ベルジュラック』を翻案し、沢正亡きあとは弟子の島田正吾が長く演じた舞台劇のタイトルである。時代劇になった『シラノ・ド・ベルジュラック』が少なくとも2種類あるわけだ。この『白野弁十郎』がTVドラマとして3回ほど放送されたらしい。当の島田正吾が2回、長門勇が1回主演した。よくよく思い出してみると、島田と長門の両方の記憶が蘇ってきたので、少なくともTVで複数回観たのだろう。
 はて、三船の映画と混線したのはどうしてか。『或る剣豪の生涯』がTV放映されたという確証がとれないから、多分、特別番組のようなもので、翻案ものの映画や舞台の断片が紹介され、それが記憶の中で混同を起こしているとしか考えられない。ちょっと気持ちが悪いが、そう納得することにした。
 と、ここまでは前置きである。

 最近、といっても、もう半年くらい前のこと、『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』という映画を観た。戯作『シラノ・ド・ベルジュラック』誕生の裏側を描いたもの。劇作家エドモン・ロスタンを主人公にコメディ調に仕立てた映画である。何の準備もなしに映画館に足を運んだのだが、意外とシラノ・ド・ベルジュラックの物語を覚えていた。

 シラノは従姉妹のロクサーヌに密かに想いを寄せている。ロクサーヌが美男のクリスチャンに恋をしていると知ると、自分は身を引いてふたりの仲を取り持つ。天下の俊傑で、詩人、剣客、理学者、音楽家と多才ながら、大きく醜い鼻に悩み人に愛されないと思っているシラノが、美男であっても文が書けず口説けないクリスチャンに代わって恋文を綴ったり、夜のバルコニーの下で愛を囁く。
 その甲斐あってロクサーヌとクリスチャンは夫婦になるが、クリスチャンは戦場に倒れ、ロクサーヌは修道院に入る。
 10年以上の歳月が流れ、修道院のロクサーヌは、毎週訪ねてくるシラノとの面会だけを楽しみにしている。ある日シラノは、ロクサーヌが大切にしているクリスチャンからの最後の手紙を借りて読む、いや、夕闇暮れるなかで暗唱する。
 これに気づいたロクサーヌは、数々の手紙の主がシラノであったと知る。バルコニーの下での愛の語りも彼だったと。だが、そのとき頭に重い傷を負っていたシラノは、ロクサーヌに問い詰められながらも、己の秘めた想いを告げることなく、ロクサーヌの腕のなかで息絶える、という話である。

 『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』は、もとは2016年に初演されたフランスの演劇。舞台版の台本をつくり、演出を務めたアレクシス・ミシャリクが脚本を書き、自ら監督となって映画化した。
 19世紀末の劇作家のエドモン・ロスタン(トマ・ソリヴェレ)は、売れない日々を過ごしている。そんなある日、大女優のサラ・ベルナール(クレマンティーヌ・セラリエ)の口利きで、名優コンスタン・コクラン(オリヴィエ・グルメ)に面会し新作を依頼される。コクランからの要望は喜劇で、開幕までの期限は3週間しかない。ロスタンは、足繫く通うカフェの店主オノレ(ジャン=ミシェル・マルシャル)の助言によって、とりあえず主人公を17世紀実在の銃士シラノ・ド・ベルジュラックと決めたが、なかなか筆は進まない。
 困り果てたロスタンだったが、友人の美男俳優レオ(トム・レーヴ)が恋慕する衣装係のジャンヌ(リュシー・ブジュナー)へのラブレターを、レオに代わって代筆することをヒントにしてシラノの構想をふくらませる。ロスタンが台本を書いている最中に遭遇するトラブルの様々が作品の材料になり、新作戯曲が徐々に出来上がっていく。
 映画は『シラノ・ド・ベルジュラック』のあらすじが自然に分かってくる、という仕掛が凝らされている。そうこうするうち大詰め、クライマックスを迎える。戯曲でいえば最終章(5幕 シラノ週報の場)の公演本番である。本当は舞台装置であるものが突然実写に変わる。そのとき観客は、とても懐かしい場面に出会ったような大きな感動を受ける。
 そして、エンドロールでは、歴代の「シラノ俳優」であるコンスタン・コクラン、ホセ・ファラア、ジェラール・ドパルデューなどが紹介される。この物語とキャラクターが世界中で愛されてきたかを改めて知ることになる。

 映画が終わって、肝心のロスタンの戯曲を読んだことはもちろん、歴代の映画や舞台を観たことがなかったことに思い当たった。で、長年ほったらかしておいた宿題を片づけるつもりで、ゆっくりと半年かけて以下の作品を読んだり観たりした。

戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』
著者:エドモン・ロスタン
訳者:辰野 隆・鈴木 信太郎
刊行:1951年/1983年改版
出版:岩波書店
 古い本だが版を重ねた名訳。べらんめい調で言葉のリズムも素晴らしい。これを読むと群集劇のように登場人物が多く、セリフだらけに吃驚する。巻末の解説では、シラノの実在と創作との対比がしてあって、戯曲は相当程度事実を踏まえて書かれていることが分かる。実際は『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』で描かれたように、わずか3週間で仕上げられたものではないだろうけど。

映画『シラノ・ド・ベルジュラック』1950年 アメリカ
監督:マイケル・ゴードン
脚本:カール・フォアマン
出演:ホセ・ファラア、メイラ・パワアズ、ウィリアム・プリンス
 題名役のホセ・ファラアがアカデミー賞を獲得した。ヒロインのメイラ・パワアズは、ロクサーヌのイメージとちょっと齟齬があって座り心地が悪い。すでにパブリックドメインになっているモノクロ映画で、書割っぽいセットや拡がりのない映像は、さすが今の時代、鑑賞するには辛いところがある。

映画『シラノ・ド・ベルジュラック』1990年 フランス
監督:ジャン=ポール・ラプノー
脚本:ジャン=クロード・カリエール、ジャン=ポール・ラプノー
出演:ジェラール・ドパルデュー、アンヌ・ブロシェ、ヴァンサン・ペレー
 当時のフランス映画界で最大の製作費を投じた力作。カンヌ国際映画祭男優賞をはじめ様々な賞を受けている。主演のジェラール・ドパルデューは言うまでもなく性格俳優。アンヌ・ブロシェのロクサーヌが清楚で美しく適役。映画らしい広々とした背景のなかで戯曲の幕場を補うようにしてドラマが進んでいく。衣装や美術も惚れ惚れするほど素敵。シラノ・ド・ベルジュラックを知るための決定版といえる。

演劇『シラノ・ド・ベルジュラック』2007年 アメリカ
演出:デヴィッド・ルヴォー
脚本:アントニー・バージェス
出演:ケヴィン・クライン、ジェニファー・ガーナー、ダニエル・サンジャタ
 ブロードウェイ「リチャード・ロジャース劇場」での公演を撮影したもの。『時計じかけのオレンジ』のアントニー・バージェスが脚色・脚本。素人目にはロスタンの戯曲をほぼ忠実に再現しているように見える。ケヴィン・クラインのシラノがまさにはまり役で圧倒的。ジェニファー・ガーナーは勝気なロクサーヌといった感じ。一部キャストにリアリティを欠くが、この頃からDiversity & Inclusionの風潮があったのかも。

演劇『シラノ・ド・ベルジュラック』2017年 フランス
演出:ドゥニ・ポダリデス
出演:ミシェル・ヴュイエルモーズ、フランソワーズ・ジラール、ロイック・コルベリー
 本場「コメディ・フランセーズ」の舞台をフィルム化した作品。意図したものであろうが衣装や美術に時代としての一貫性が乏しい、舞台も雑然としている。たしかに群衆劇のようなパワーが漲り、膨大なフランス語が飛び交い、それなりの快感はある。ミシェル・ヴュイエルモーズが演じるシラノは、ほとんど3時間喋り続ける。フランソワーズ・ジラールはコケティッシュなロクサーヌ。「リチャード・ロジャース劇場」のほうが万人向けかも知れない。

翻案映画『愛しのロクサーヌ』1987年 アメリカ
監督:フレッド・スケピシ
脚本:スティーヴ・マーティン
出演:スティーヴ・マーティン、ダリル・ハンナ、リック・ロソヴィッチ
 シラノの鼻、代筆、バルコニー下の告白などを脚色しながら映画に取り入れ、シラノを現代の消防署長、ロクサーヌを天文学者に置き換えて描いている。しかし、引用は中途半端でシラノとロクサーヌが従妹関係でもなく、肝心かなめの第5幕がすっぽりと抜け落ちていたりする。『シラノ・ド・ベルジュラック』とは似ても似つかないものになってしまった。かと言って、別の主張が明確というわけでもない。スティーヴ・マーティンのお遊び、といったら失礼か。

翻案映画:『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』2020年 アメリカ
監督:アリス・ウー
脚本:アリス・ウー
出演:リーア・ルイス、ダニエル・ディーマー、アレクシス・レミール
 Netflixで配信され評判となっている映画。『シラノ・ド・ベルジュラック』からアイデアを借りているものの、オリジナルとは違ったメッセージを発信する。監督・脚本のアリス・ウーは両親が台湾移民、マイクロソフト勤めを経て小説家、脚本家、映画監督になったという異例の経歴を持つ才媛。同性愛者であることをカミングアウトしている。この映画でも同性愛的感情が重要なプロットになっている。主演のリーア・ルイスも中国系アメリカ人の女子高生役。映画のなかではプラトンやサルトル、オスカー・ワイルドなど先人の箴言が散りばめられ、愛の様々なかたちを語る。でも堅苦しくはない。しゃれたセリフだけでなく、電車や自転車を使いながら、教会や森の温泉など背景にしながら、美しい映像を見せてくれる、これは秀作である。

 『シラノ・ド・ベルジュラック』は、今となっては時代がかった自己犠牲と騎士道精神がテーマといえるが、この物語が投げかける「嘘と真」「醜と美」「外見と中身」といった二項対立が妙に気になる。それと「身・心」「男・女」という本来一つでありながら二つとして現れてしまう永遠の命題を絶えず問いかけて来る。それが時代を越えて人々を引き付ける魅力となっているのだろう。

 このあと、機会があればシラノ・ド・ベルジュラックを知るきっかけとなった『白野弁十郎』や『或る剣豪の生涯』、加えて『無法松の一生』も見直したいと思っている。

オーケストラ解体新書2021年06月11日 07:58



書 名:『オーケストラ解体新書』
編 者:読売日本交響楽団
著 者:飯田 政之・松本 良一
刊行年:2017年
出版社:中央公論新社

 『オーケストラ 知りたかったことのすべて』は、フランスで音楽批評を担当しているクリスチャン・メルランが、欧米のオーケストラの裏側を取材したものだけど、この本は読響の事務局がオケの舞台裏を案内したもの。とうぜん読響にスポットが当てられているが、日本のオーケストラの現状と抱えている問題がよく分かる。
 著者の二人は、いずれも読売新聞社の出身者で読響事務局長と総務部長代行を務める。記者からオケの経営に携わるようになって「こんな面白いオーケストラの世界は格好の取材対象だ。もっと一般のファンにも知っていただきたい」という気持ちから本にしたものだという。

 演奏会を実現するための切り盛り――ホールの確保、指揮者・ソリストとの出演交渉、楽譜の手配、広報、プログラム作成、チケットの販売、楽団員との調整、ステージの設営等々――と、それに伴うトラブルやハプニングなど、事務局の日常や苦労話がたっぷり紹介されている。
 併せて、執筆当時の常任指揮者カンブルランや楽団員にもじっくりと話を聞いている。演奏会のドキュメントや「日本のオーケストラの課題を語る」といった鼎談もある。それと各章に幾つか挟み込まれるコラムや関係者へのインタビューがとても興味深い。

 オーケストラの聴衆にとっては、ときどき気になる日本のオケの実情や課題、西欧オケとの相違などについても、改めていろいろと知ることができる。

余白の美しさ2021年06月15日 20:00



映画『ブータン 山の教室』
原題:Lunana: A Yak in the Classroom
製作:2019年 ブータン
監督:パオ・チョニン・ドルジ
脚本:パオ・チョニン・ドルジ
出演:シェラップ・ドルジ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザム

 この4月に岩波ホールで公開された『ブータン 山の教室』を2カ月遅れで観ることができた。平日昼のミニシアターでの上映だったが、結構観客が入っていた。

 首都ティンプーの今どきの若者ウゲンは、教師でありながら歌手としてオーストラリアへ行くことを夢見ている。ある日、上司から標高4,800メートルの地にあるブータン北部のルナナ村の学校に赴任するよう命じられる。一週間以上かけ到着した村は、電気も通っていない辺境の地。学校には黒板も紙もない。すぐにでも街に戻りたいと考えるウゲンだが、学ぶことを渇望する子供たちのために、結局は春から秋にかけ教師を務め、自然とともに暮らす村人たちと接し、自分のなかの何かが変わっていく。邦題の「山の教室」とは、誰よりも新人教師ウゲン自身が学んだ教室ということだろう。
 
 ウゲンは、1年足らずのルナナ村での生活のあと、やはりオーストラリアに行く。酒場で雇われ歌手として歌っている。映画の最後、ルナナ村で教えてもらった「ヤクに捧げる歌」を歌う。果たして、このままオーストラリアに留まるのか、祖国へ帰るのか、ルナナ村を再訪するのかはもちろんわからない。
 ウゲンに「ヤクに捧げる歌」を教えた若い娘セデュは、ルナナ村の丘で毎日歌う。「歌を万物に捧げているの、人、動物、神々、この谷の精霊たちにね」と応え、「オグロツルは鳴くとき、誰がどう思うかなんて考えない。ただ鳴く、私も同じ」と語る。
 ルナナ村の村長は妻と息子を亡くしているが、嘆きはしない。ただ、村一番の歌い手だったのに歌わなくなっただけだ。しかし、ウゲンが村を離れる時、「ヤクに捧げる歌」を歌って送ってくれた。
 クラス委員の幼いペム・ザムは、両親が離婚し父と暮らしている、その父は飲んだくれで働きもしない。でも、ペム・ザムは賢く笑顔を絶やさず、天使のように可愛い。
 悲しみや辛さを表わさないからといって、ルナナ村の人々が幸せ、というわけでもなかろう。

 監督は多くを語らない。事実を淡々と描くのみで、くどくどと説明をしない。さりげなくいろいろな所に伏線を張ってはいるけど。大げさな身振りも全くない。実際のルナナ村の住民が出演しているというが、自然のなかに演技が溶け込んでいる。
 観客のそれぞれは、省略されている様々を補うことになる。すると、その想像力の余白にゆっくりと美しさが広がって行く、悲しみを伴って。感動の一作。