読響の来期プログラム2022年11月09日 13:32



 各楽団の来期プログラムの発表が、首都圏のオケ以外でも九響、京都市響、名古屋フィルなど相次いでいる。
 首都圏では昨日、読売日本交響楽団が来シーズン(2023/4~2024/3)のラインナップを発表した。

 https://yomikyo.or.jp/2022/11/2023yomikyo.pdf

 サントリーホールの定期、名曲がそれぞれ年10公演、東京芸術劇場でのマチネが土日同一プログラムで計20公演、横浜みなとみらいホールにおけるマチネが8公演である。 
 読響の定期公演は相変わらず尖がっていて、ヴァイグレの指揮するシュレーカー、アイスラーなどあまり馴染みのない音楽家が並ぶ。名曲ではツァグロゼクのブルックナー「交響曲第8番」が必聴。マチネのなかでは横浜の小林資典に注目しよう。

 読響の定期会員への復帰は来期も見送るつもり。夜公演が辛いし、新しい曲への意欲が失せて来ている。
 何よりも演奏会通いを減らしたい。神奈川フィルと東響の定期は継続予定で、新日フィルをどうするか迷っている。多分、他は厳選して聴くことになろう。

2022/8/30 河村尚子×読響(弦楽五重奏) シューマンのピアノ協奏曲2022年08月30日 19:32



横浜18区コンサート 第Ⅱ期 
 室内楽で聴く協奏曲の愉しみ

日時:2022年8月30日(火) 15:00開演
会場:神奈川県民ホール 小ホール
出演:ピアノ/河村 尚子
   読売日本交響楽団メンバー(弦楽五重奏)
    ヴァイオリン/長原 幸太、川口 尭史
    ヴィオラ/鈴木 康浩
    チェロ/室野 良史
    コントラバス/瀬 泰幸
演目:モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジーク
        K. 525より 第1楽章(弦楽五重奏)
   ドヴォルザーク/弦楽五重奏曲 第2番 ト長調
        Op. 77より 第3楽章、第4楽章
   シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 Op. 54
        (ピアノと弦楽五重奏)

 
 横浜みなとみらいホールは、この10月にリニューアルオープンとなる。ホール休館期間中に、横浜市内各所で開催されてきたのが「横浜18区コンサート」。
 今回は河村尚子が出演、一緒するのは長原幸太をリーダーとする読響メンバーの弦楽五重奏団である。
 会場の神奈川県民ホール・小ホールは定員400名強、完売公演となった。館内の装飾は質素ながらパイプオルガンが設置されていた。

 河村尚子が登場する前に、弦楽五重奏団だけでモーツァルトとドヴォルザークから1曲ずつ、といっても全曲ではなく一部楽章のみ。肩慣らしのようなものだ。
 次いで、シューマンのピアノ協奏曲。
 弦楽五重奏が伴奏だから、シューマン独特の管楽器の音を塗り重ねたような響きはなく、ピアノがより強く訴えかけてきて、意外な驚きがもたらされる。親密な第2楽章からはじけるような第3楽章へ入るころには、同じシューマンの「ピアノ五重奏曲」に匹敵する室内楽の名曲ではないか、と錯覚するほど。河村尚子のピアノは勁く雄弁、読響メンバーは真剣な中にも笑みがこぼれ、この機会を楽しんでいるよう。
 それにしても弦楽器は、いまさらながらアンサンブルの基盤だと再認識する。ピアノにしても管にしても色彩感豊かな楽器だけど、多声部の弦の織物のうえでこそ一層際立つ。

 オーケストラ相手の協奏曲を室内楽編成にすることで、新鮮な凝縮された音楽が聴こえてくる。「横浜18区コンサート」は10月には終わるが、こういった名曲に新たなスポットを当てる企画を、今後とも続けてほしいものだ。

2022/7/29 井上道義×読響 「告別」とブルックナー「交響曲第9番」2022年07月30日 11:00



フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2022
 読売日本交響楽団

日時:2022年7月29日(金) 19:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:井上 道義
演目:ハイドン/交響曲第45番「告別」
   ブルックナー/交響曲第9番(ノヴァーク版)


 今年のサマーミューザの大一番、井上×読響のハイドンとブルックナー。客席はほぼ埋まっていた。
 井上にとって特別の作曲家であるハイドンの「告別」とブルックナー最後の「交響曲第9番」との組み合わせは、再来年末に引退を表明している井上のメッセージだろう。

 最初は、ハイドンの「告別」。
 指揮台を置かず、タクトも持たない。いつも以上に表情豊かな指揮ぶり。8-6-4-4-2の小型編成だからオケとの会話が一層微笑ましい。
 4楽章の、件のアダージョの部分になると、オケのなかに入って踊る。踊るというか、歩き回り、天を仰ぎ、譜面台に顔を伏せ、観客を笑わせる。照明がだんだん落とされ、奏者が一人二人と持ち場を離れ、舞台から降りていく。
 パイプオルガンの前には大きなスクリーンが設置されていて、そこに読響メンバーの普段着の写真がつぎつぎと投影される。最後にはコンマスの日下紗矢子とVn.2の首席が、演奏しながら暗くなった舞台袖へ消えていく。
 この曲、井上のプレトークによると、「告別」という標題がよくないそうな。「休暇申請」あたりが相応しいという。疾風怒濤の開始から瞑想的な緩徐楽章、メヌエットと続く演奏はもちろん、最終楽章の演出にお客さんは大いに沸いた。

 休憩後、ブルックナーの未完成交響曲。
 師匠のセルジュ・チェリビダッケの影響か非常に遅いテンポ。第1楽章だけで30分、全曲通すと60分を優に超え、70分近くかかったのではないか。とにかく悠然と焦らず急がず。といって、これ見よがしの見得を切るところはない。剛毅でなく柔らかい。ティンパニのマレットもかなり軟性のものを使っていた。
 とくに第1楽章などは緩いくらい。井上も老いたか、との感想がちらりと横切る。第2楽章はノットように鋭くなく、3楽章は大野のように不協和音を強調しない。どちらかというと、ドイツ・オーストリア音楽の終焉に向かう曲として解釈する最近の傾向よりは、ひと昔前の、ドイツ・オーストリア音楽が辿り着いた頂点としてのブルックナー。
 それでも第2楽章のスケルツォは、井上のリズム感が横溢し流れがよくなり、第3楽章は、深く沈潜しつつ心に沁みる音楽となっていた。大野のように人生の最期において苦悩し燃え尽きるような音楽でも、ヴァントとのように枯れた恬淡とした音楽でもない。雄渾で重層的でありながら透明感を失わず、音楽に抱かれるような演奏になっていた。

 読響はさすがである。ブルックナー演奏の歴史からして違う。16型の最大編成でありながら、スケルツォにおけるピチカートの音色の相違、アダージョにおけるアップボウ、ダウンボーの対比の見事なことなど、とりわけ弦5部が素晴らしかった。
 ヴィオラのトップは柳瀬省太、チェロは遠藤真理のようだったが、なんといって日下紗矢子の存在が圧倒的。日下さんがのる日は音が変わる。金管の大音量のなかでも弦5部を奮い立たせ、各パートの役割を明確に浮かび上がらせる。Vn.1が総奏していても彼女の音が聴こえる。多分、計測できないにせよ誰よりも一瞬早く弾き始めている。弦の奏者たちは安心して彼女の音について行ってるはず。ほんとに名コンサートマスターである。

 井上はブルックナーを読響とやりたいと公言していた。2019年だったか、同じフェスタにおいて「8番」を取り上げ、忘れられない名演を披露してくれた。そのあと芸術劇場で「7番」を、そして、今回の「9番」である。読響とのブルックナーはこれで最後になりそうだが、本人もいうように「何事も終わりがある」。あと2年少々、彼のブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部などは機会をみて追っかけてみようと思っている。


 この公演の前、井上道義へのインタビュー映像がYouTubeに上がっていた。
 nacoさんが運営する「厳選クラシックちゃんねる」という番組のなかの一部。井上へのインタビューについては、どうやらミューザ川崎が広報を兼ねて協力したようだけど、オールドメディアではとても制作できる内容じゃない。
 例えば、TVにおいて一人の人物にスポットを当て、1時間以上も放送時間を確保することなどできないだろう。インタビューがあったとしても制作側で角度をつけ、都合よく切り取って放映するのがせいぜい。SNSには敵わない。
 nacoさんはアマチュアなのに、質問はシンプルで的確、相手の話をよく聞き、切り返しも鋭い。プロでもなかなかこんな具合にはいかない。対する井上道義の応答は融通無碍で、すべてが名言である。
 前後編あり。後編だけは今週初めにLinkをはったが、改めて紹介しよう。

前編 https://www.youtube.com/watch?v=McfV3BdOKSE
後編 https://www.youtube.com/watch?v=ciWe5dxgbM4

 このなかで、指揮者、オーケストラ、演奏会について発言している部分を、例示的に拾いだしておく。

〇指揮者とは
「指揮者はメッセンジャー、オケと聴衆の<結び人>」
「音楽はどこかへ向かう。どこへ向かうか、指揮者はちょっと前を行かなければならない」
〇オケとの対話
「奏者の欠点をあげつらうほうが楽、じゃどうしたらいいかというほうが難しい」
「日本語にはニュアンスがあり過ぎる。練習でどういう言葉を使うのかというのは音楽の内容より重要かもしれない」
〇演奏会の魅力
「人の命と同じ、生れて死ぬのが演奏会、音楽会はやり直しができない。一回かぎりだから尊い」
「演奏してお客さんがその場で聴いて初めて完成するのが音楽。だから全ての楽譜は未完成。どういう形で完成させなければならないかを、恐れながら悩みながら、それでも自分はできると信じながら、指揮をし演奏しているのだと思う」

2022/1/20 下野竜也×読響 ブルックナー交響曲第5番2022年01月21日 10:24



読売日本交響楽団 第614回 定期演奏会

日時:2022年1月20日(木) 19:00 開演
会場:サントリーホール
指揮:下野 竜也
演目:メシアン/われら死者の復活を待ち望む
   ブルックナー/交響曲第5番 変ロ長調 WAB 105


 1年以上も前、2021年度の定期演奏会の演目が発表されたときから、ツァグロゼクのプログラムを楽しみにしていた。
 ツァグロゼクは、昔から現代音楽への取り組みでいろいろと話題になっていて、名前だけは馴染みがあったが、はて、その演奏となると放送でも音盤でも真正面から聴いたことはなかった。2019年2月の読響とのリーム&ブルックナーの実演が初めての出会いとなった。
 そのブルックナー「交響曲第7番」が素晴らしかった。ブルックナーの「7番」は、「5番」「8番」などに比べ、前半の二つの楽章に対し後半が弱い。アダージョまでが勝負で、あとは印象薄く流れてしまうことが多い。1,2楽章の名演はあっても、全体を通して満足することがなかなかできない。そのせいもあって後々まで演奏の余韻が残ってくれない。
 ところがツァグロゼクは明らかに4楽章にクライマックスを設計し、楽章を追うごとに熱量を増していった。いつもなら全曲のコーダは、途中で断ち切られたような中途半端さがつきまとうのだが、このときは違った。じわりじわりと盛り上げ完全に燃焼した。全編にわたって稠密で細密画のようでありながら巨大さを失わず、「7番」における過去最高の演奏となった。
 3年ぶりの来日で今度は「5番」を振るという。期待の大きさが分かろうというもの。しかし、変異株による入国制限のため来日不能。正直、かなりガッカリした。
 このツァグロゼクの代役が下野竜也だという。下野は9年前の読響正指揮者の退任公演で「5番」を取り上げた。絶賛されたその演奏を聴き逃している。で、気を取り直して、チケットを手配したという顛末。

 プログラムは、メシアンの「われら死者の復活を待ち望む」から始まった。
 管楽器と打楽器のための合奏作品。管楽器は木管・金管を問わないが、打楽器は金属製打楽器のみ、鍵盤や木製は使わない。5曲からなり、それぞれに聖書から引用されたテクストがそえられている。20世紀の半ばフランス文化相のマルローから二つの大戦の犠牲者を追悼するための曲として委嘱を受けたという。タイトルの通り死者の復活と救済を祈る鎮魂歌。
 下野は休止を慎重にはさみ残響を意識した音づくり、不協和音が一杯ながら苦痛ではない。メシアンらしくガムラン風の響を背景に鳥の声や人の声などが聴こえる。不思議な音響に包まれる。読響の管・打はなかなかの好演、荘厳で豊かな響きのなかで30分ほどの時間が短く感じた。

 次いで、ブルックナーの「5番」(ハース版)。
 構築物の巨大さからいえば「8番」に並ぶ。終楽章で各楽章の主題を次々と出してくるところなどは、明らかにベートーヴェンの影響。これが畢竟「8番」終結の各楽章の主題を同時に鳴り響かすというとんでもないコーダに結実する。コラールだとかフーガだとかの結構も大きい。でも、全体の印象は茫洋として、いたって地味。だから、多分、ブルックナーのシンフォニーのなかでは、聴かせるがための演奏がもっとも難しい厄介な曲。しかし、嵌まると「8番」と同じように、とてつもないことになる。
 「5番」には鮮烈な思い出が二つある。
 そのひとつは、20年ほど前、朝比奈の代演でハウシルトが新日フィルを振った。この演奏がまことに見事で聴衆を興奮させた。そのせいもあってかハウシルトはその後も何度も来日したと思う。あのときは最終楽章のコーダのみ金管を増量させた。ラッパ吹きの何人かが3楽章が終わると舞台に入ってきて、ずーっと沈黙していたあと、結末だけを壮大に吹奏した。その後も「5番」は何度も聴いたけど、こういった手管はこの時だけ。楽譜に指定があるわけではなかろう。外連味たっぷりで禁じ手のような気もしたが、その効果は絶大だった。
 もうひとつは、10年ほど前、飯守×シテイフィル。ブルックナーチクルスの一環で、指揮者もオケも最初から気合が入っていた。曲の進行につれ音楽は魁偉を極め、終楽章に到達。その半ばあたり、ここぞというコラール主題の登場で金管が飛び出した、大事故である。音楽は一瞬ばらけたが、泰然として音楽は進み無事結末を迎えた。シティフィルといえば飯守の信頼する手兵である。そうであっても事故が起きる。飯守の棒は分かりにくい。だからこそ逆にオケの緊張が持続するのだろう。そもそも飯守は洗練された音楽を目指しているわけではなく、素朴であっても心の底から迸る情趣を現前させようとする。それは確かに陰影深く実現された。生じた事故の大きさとともに記念碑的演奏となった。
 ブルックナー演奏は、朝比奈やマタチッチのように細部には拘らず大掴みで、ひたすら悠然と、あるいは豪快に歩みを進めるものから、ヴァントやスクロヴァチェフスキのごとく細部を彫琢し尽くし、ヴァントは重厚に、スクロヴァチェフスキは鋭利に、それぞれの感性で徹底的に透明に仕上げるもの、スダーン、飯守のように全体を見通し、各声部をバランスさせ、洗練と無骨という違いがあるにせよ、真面目に音を積み上げていくやり方、ツァグロゼクやノットのように現代音楽の側からブルックナーに光を当て、室内楽のように緻密にかつ大きさを失わず、あるいは当意即妙でありつつダイナミックに再構築する方法、そして、これは音盤だけの感想だけど、冷たく繊細で、それでいて強靭なチェリビダッケや、剛毅でありながら端正なカイルベルトまで様々だけど、では、下野竜也は如何に。
 下野のコントロールに隙はない。楽章ごとのテンポ設定、楽章のなかでの緩急、音量調整、強弱のタイミング、いずれもきっちり整理されている。オケもほとんどミスはなく、弦は重厚、管もよく鳴って、読響がブックナーを得意とするオケであることがよく分かる。全体に引き締まっていながら滑らかな、いい演奏だったと思う。
 しかし、それが心に訴えてこない。ブルックナーの音楽は、主題が出てくるごとに、転調するごとに、次々と新しい風景をみせてくれる。その風景から立ち上がる音を聴いていると、いつのまにか高みに引き上げられる、あるいは、跪きたくなることがある。ところが、下野の音楽は、なんの問題もなく前進し、内声部もよく聴こえるのに景色が変わって行かない。色彩も単調で物語が展開しない。どうして?
 これは突拍子もないことだし、話したことも人柄も知らないので放言の類だが、下野が善人すぎるのではないか。あまりに音楽が真っ直ぐで雑味がないことが、面白味を欠くのかも知れんと邪推する。もっとも、発信する側に問題がないのに、素直に受け止められないのは、たんに受信するこちら側の心象に欠陥があるのかも知れないが。
 結局、一言、今回は嵌まらなかったわけだ。

読響の来期プログラム2021年12月01日 20:47



 今年もカレンダーが残り1枚となった。早い早い、もう師走である。

 読売日本交響楽団の来期(2022/4~2023/3)プログラムが発表された。
 
https://yomikyo.or.jp/2021/12/2022yomikyo.pdf

 サントリーホールでの定期演奏会及び名曲シリーズが各10公演、池袋の東京芸術劇場コンサートホールにおける土曜/日曜マチネシリーズは、10公演を2日間同一プログラムで。その他、ミューザ川崎の川崎マチネシリーズ4公演と大阪定期演奏会が3公演ある。

 定期演奏会は、ブラームス、ブルックナー、マーラー、R・シュトラウス、ショスタコーヴィチなどの大曲と、ダニエル・シュニーダー、ルディ・シュテファン、エトヴェシュといったあまり名の知られていない作曲家の作品が組み合わされている。
 名曲シリーズは、とくに12月のモーツァルト「交響曲25番」とヤナーチェク「タラス・ブーリバ」、1月の黛敏郎「曼荼羅交響曲」とマーラーの「交響曲6番」の公演が面白そう。

 読響は海外からの招聘が多い。今、ウーハンコロナの変異株の影響で外国人の新規入国が全面停止。とりあえずは1カ月間のようだが、海外演奏家の来日は厳しくなっている。先行きが不透明で見通せない状況だろう。事務局の心労はまだまだ続きそうだ。