2026/10/24 喜古恵理香×春オケ 「死と変容」とブラームス「交響曲第3番」 ― 2026年10月24日 19:24



Orchestra of Spring 第8回定期演奏会

日時:2026年10月24日(土) 13:30開演
会場:ミューザ川崎 シンフォニーホール
指揮:喜古 恵理香
演目:ワーグナー/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
   R.シュトラウス/交響詩「死と変容」
   ブラームス/交響曲第3番


 二度目となる喜古恵理香が振る春オケ。
 東響の今シーズン名曲全集の終盤は1月、2月が若手の大井駿と喜古恵理香、3月がベテランの大友直人で、いずれも魅力あるプログラムを楽しみにしているのだけど、その喜古恵理香がR.シュトラウスとブラームスのちょっと難しい曲を振るというので、雨のなか急遽出かけた。

 最初は「さまよえるオランダ人」の序曲。嵐の海の描写と救済をあらわす動機が鬩ぎ合う。救済とはワーグナー好みの“女性の愛による救済”である。パワーあふれる演奏だったが少しばかり音が粗くなったようだ。

 続く「死と変容」は、R.シュトラウスが20代で書いた最初期の交響詩。といっても独墺音楽の集大成にして終着点となったR.シュトラウスの作品であり、こんな難曲にアマオケが挑むのは無謀というほかない。
 正直、個々の技術も合奏能力も十分とはいえず、つっかえつっかえといった風だけど、その分、R.シュトラウスの管弦楽の活かし方とか、指揮者の音楽のつくり様が見えて来て面白くはあった。
 以前、喜古の師匠である広上と東京音大とが繰り広げた見事な演奏にはとても敵わないながら、喜古は緩急の手綱さばきが非常に上手で、とりわけ長いコーダに入ってからの処理などは師匠に匹敵するほどの出来ばえだった。

 ブラームスの「第3番」は彼の他の交響曲に比べいささか演奏頻度が低い。室内楽的な緻密さが必要で曲想も私小説のようで瞑想的。アマオケが演奏するにはこれも難易度が高い。演奏効果がそれなりの「第1番」や「第2番」であれば、勢いだけでなんとかなる場合もあるけれど、この曲ではそうもいかない。
 しかし、喜古×春オケはたどたどしい部分があったにせよ全体としてはよく健闘したと思う。とくに、有名な第3楽章の夢見るような旋律を、哀愁を帯びた弦楽器がしなやかに歌った。また、終楽章、最初の暗い情熱から、途中、緊張と静けさとが交錯しつつ、安らぎに満ちた最後に至るまで、大きなうねりのある演奏で感動を与えてくれた。

 喜古恵理香はやはりプロオケ相手でその実力を確かめたい。期待がふくらむ東響の2月である。

DIGGER/ディガー ― 2026年10月20日 17:29



『DIGGER/ディガー』

原題:Digger
製作:2026年 アメリカ
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
   アレクサンダー・ディネラリス 他
音楽:コスモ・シェルドレイク
出演:トム・クルーズ、リズ・アーメッド、
   ジョン・グッドマン、ザンドラ・ヒュラー


 この映画には、完全に騙された。
 まず、予告編を観て、大体こんな内容だろうと想像していたのだけど、予想と大違い。この中身を事前に想定することなど不可能だ。次に、導入部の30分くらいを観て、先の進行を思い描いたのに、それがことごとく外れた。
 悔しいのは、後から考えるとヒントは幾つかあった。第一に舞台装置が禍々しい、第二に登場人物の演技が仰々しい、第三にいくら老猫だといってもこの猫はいかにも作り物風でおかしいと気付かなければならなかった。
 そして、テーマが巨大、地球環境という余りにも映画に馴染まない問題を取り扱った。いや、今まで散々作られたパニック・ムービーやディザスター・ムービーのことを言うのではない。人間の生存に必然といえる環境破壊というとてつもなく深刻な現象のことである。ところが、映画の構造が複雑な入れ子になっていて、この大テーマを本気で扱おうとしたのかどうかさえよく分からない。

 主人公のディガー・ロックウェル(トム・クルーズ)は政財界を牛耳る石油会社の親玉。老い太り威張り散らして醜悪そのもの。老猫への偏愛は異常を通り越している。米国大統領(ジョン・グッドマン)はポリコレを蹴っ飛ばし、女性を蔑視し、チャイナやロシアを虚仮にする。大統領ばかりでなくとりまきの閣僚、軍人たちも同様。地球や人類の危機など何も考えていない。良識派といえる博士ガネシュ(リズ・アーメッド)もディガーに絡め取られて行くほどで救いようがない。
 ところが、映画の大テーマである地球の危機がどんどん進んで行くなかで、唖然とする大仕掛けが出現する。ぶったまげるとはまさにこのこと。しかし、この映画の凄いところは、大仕掛けが明かされたあとも危機の物語が進行し、観客は白けることなくその物語に引き込まれてしまうことだろう。
 その典型が議会でのディガーの大演説。地球環境における石油業界の悪辣さを認めつつも人類生存の問題意識に結び付けていくロジックはそれなりの真実がある。もとい、真実があると思わせる。俳優トム・クルーズの怪演と狂気の画像のなせるわざである。脚本・監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの才能に感服し脱帽する。さらに極めつけはラストシーンからエンドロールまで続くクライマックス。SF映画で観るディストピアでありながら、その最悪な世界のなかでも人々は創作への共感を失わない。

 『DIGGER/ディガー』の興行成績は日米とも大コケだという。今のところ全世界でわずか1,700万ドルの売上である。ほぼ同時期公開の『バイオハザード』が1億ドルを超過しているのに。「Rotten Tomatoes」の評価もトマトメーターは53%という体たらく。これだけポリコレや左巻きの思想を糾弾したらハリウッドとその周辺の評論家たちの顰蹙を買うのは当たり前だ。この映画がアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞をとったとしても驚かないが、まぁ無理だろう。
 たしかに人を選ぶ作品である。一緒に観た子供たちは、一人は俳優たちの大騒ぎと刺激の強い効果音に我慢できず、映画館を出たいと思ったらしい。もう一人は途中で居眠りをして中抜きで観賞したという。二人とも全く面白くなかった、とぶつぶつ文句を言っていた。

 『DIGGER/ディガー』は虚構と現実とが曖昧な、前衛にして風刺の効いたブラック・コメディであり、パラマウントに買収される前のワーナー最後の作品となった。こういった多義性を隠し持った映画が製作できなくなるとすればハリウッドはもう終わりだろう。
 音楽でいうとショスタコーヴィチを聴いたときのような感慨がある。体制の批判、反抗は本気なのか。複雑、執拗で深刻な問題を、辛辣、滑稽に皮肉と韜晦にくるんで作品とする。作品のなかへ全てをぶちこみ混沌としつつも自立すればそれで了とする。ショスタコーヴィチには圧倒的な音響の快楽があり、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥには真偽が定かでない映像の快楽がある。
 騙されたことに心地よい快感があった。

パシフィル(PPT)の来期プログラム ― 2026年10月18日 10:23



 パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の来シーズンのラインナップが発表されていた。今日の「ぶらあぼ2026年11月号」の広告で知った。PPTのHPを見ると10月1日に公開となっている。

https://ppt.or.jp/information/20261001/

 「2027年、ベートーヴェンとともに生きる。」というキャッチコピーとともに、シーズン8公演全てベートーヴェン作品を並べた。指揮者は半数が監督の飯森範親で、残りを大友直人、大井駿、ミコラ・ジャジューラ、鈴木優人が振る。ソリストは邦人の実力派を揃えており、PPTの新体制は基礎固めが出来つつあるのかも知れない。
 
 プログラムのなかでは飯森範親の「エロイカ」、田部京子がソロを弾く「ピアノ協奏曲」、大井駿の「交響曲7番」などが注目されるけど、チケットをとるかどうかは他との日程調整次第である。

2026/10/17 出口大地×東響 チャイコフスキー「悲愴」 ― 2026年10月17日 21:46



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第107回

日時:2026年10月17日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:出口 大地
共演:ピアノ/マルティン・ガルシア・ガルシア
演目:チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調
   チャイコフスキー/交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」


 出口大地はハチャトゥリアン国際コンクールで優勝し、いきなり東フィルの定期公演に抜擢され日本デビューした。その後は東フィルとの関係を継続しつつ、各地のオーケストラを振っている。東響とも何度か共演しているが聴くのは初めて。
 ピアノのマルティン・ガルシア・ガルシアはスペイン出身、ブルース・リウが優勝したショパンコンクールで第3位、その年はガジェヴと反田が並んで第2位だった。ガルシアは日本でも人気があるようで本公演もよくお客さんが入っていた。

 今日はチャイコフスキー・プログラム、前半は「ピアノ協奏曲第1番」。
 ガルシアは深紅の蝶ネクタイをつけて登場、しっかりとした身体つきで顔の彫も深く一見して押し出しが強い。ここのところのケヴィン・チェンやアレクサンダー・ガジェヴに比べていかつい感じがしないでもないが、序奏のホルンの導入に続くピアノの和音はそんなにびっくりするほどの音量ではなかった。音は明るめで屈託がなく旋律を自然に歌わせる。しかし、自由で気儘という風ではなくオーソドックスで節度がある。弱音はかなり柔らかく内省的だから、チャイコフスキーの重く派手な曲でも軽やかさを失わない。
 出口大地はガルシアの音を注意深く聴きながら反応しているようだった。ソリストとの呼吸を大切にしているのだろう。伴奏は弦を中心に組み立て、虚仮威しとは無縁な穏やかな演奏。
 チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」は、かなり昔、マツ―エフのソロ、ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団で聴いて、体力勝負の曲だと決めつけていた。もちろん、その後、この衝撃を越える演奏に出会ったことはないけど、今日のような繊細でデリケートな表現も有り得ると知りえたのは思いがけない収穫だった。
 ガルシアのアンコールは2曲、シューマン「森の情景」より「予言の鳥」とチャイコフスキー「四季」より「秋の歌」とあった。いずれも温かで優しいモノローグ。

 後半は「悲愴」。今日、この曲の魅力を出口大地によって教えてもらったのかも知れない。
 やはり、弦5部を優先した音づくりで、全体の輪郭を弦によって形作り、東響の美しい木管と豊かな金管、鋭い打楽器を絶妙に組み合わせた。ねちっこくベタベタしたところはなく、お涙頂戴的な芝居がかったところなど皆無で、すっきりと洗練されていた。やや軽めではあるけれど、全体の曲の流れのなかで軽重のメリハリや案分は計算されているから、明暗は十分に描かれ陰影は濃い。スマートでありながら迫力も十分にある。
 出口は左手で持つ指揮棒によって拍を刻むだけでなく、右手で表情豊かに的確な指示を出していく。旋律を大きく歌わせ、煽ることなくクライマックスを演出する。第1楽章のコントラバスとファゴットの暗い響き、闘争や運命の激しい衝突による高揚、第2楽章の優雅でありながら歪んだワルツ、第3楽章の熱狂的な行進曲の空虚さ、終楽章の弦5部が交錯する深い哀悼など、それはそれは見事な演奏を繰り広げた。

 出口大地は弦を主体としつつ管弦楽のバランスを巧みにコントロールし、細部まで神経を行き届かせた音楽を積み上げる。ソリストとの呼吸を大切にし、オケとの対話に最善の注意を払う。優秀で才能あふれた若者であり、全国各地のオケから引く手あまたの理由が分かったような気がする。これからが楽しみな指揮者のひとりである。

N響の来期プログラム ― 2026年10月12日 09:33



 NHK交響楽団のシーズン幕開けは9月からだが、すでに来期(2027-28)のラインナップが発表されていた。

https://www.nhkso.or.jp/news/27-28_programs.pdf

 首席指揮者ファビオ・ルイージの最終シーズンにあたり、「ミサ・ソレムニス」「ドイツ・レクイエム」「大地の歌」といった大作を披露する。
 正指揮者の下野竜也はブルックナーの「交響曲第8番」を振り、名誉音楽監督のシャルル・デュトワは6月にA~Cプログラム全てに登場する。
 他にもホーネック、サラステ、ポペルカ、ソヒエフなど錚々たる指揮者が並ぶ。4月にはネーメ・ヤルヴィの名前がある。もう90歳、来日できるかどうかは直前になるまで分からないだろう。

 来期のN響も積極的に聴くつもりはないけど、サラステ、ポペルカ、ソヒエフあたりのチケットを取ることになるかも知れない。