沈丁花の挿し木 ― 2025年05月01日 17:04
5、6年を経て大きく育った沈丁花が、今年も白い花をたくさん咲かせた。
沈丁花は寿命が20〜30年と短く、10年くらいで突然枯れてしまうこともあるようだ。このため挿し木などして跡継ぎを用意しておくほうがいいという。
そこで、花が散った今、挿し木に挑戦することにした。挿し木は去年、五色南天や初雪葛で上手くいった。“柳の下の二匹目のドジョウを狙う”どころか、三匹目を狙うわけだ。
最も伸びた枝を選び、先端から15cmほどの長さで切り取り、上葉を数枚残し切り口を再度斜めに切ったあと1時間ほど水に漬けた。本当は切り口に発根促進剤を塗布したほうがいいのだが、あいにく手元にないためそのまま鹿沼土を入れた鉢に植えた。
2か月くらいで根が出てくるはずなのでその間は日陰で管理する。いや、夏の陽射しは危険だから秋まではこのままにしておく。
1年ほどで地植えできるようになるらしいが、いま庭には植え付けるためのスペースがない。場合によっては移植することなく、鉢での育成も想定して植木鉢は大きなものを選んだ。来年その時が来たら改めてどうするか考えることにする。
とりあえずは順調に根付いてくれることを期待しよう。
切り花 ― 2025年05月03日 13:20
薔薇と紫蘭と姫空木が満開となったので切り花にして食卓の上に置いた。
薔薇は薄いピンク、紫蘭は赤紫、姫空木は白、と色彩の按配がなかなか良い。3・4日は食事をしながら愛でることができそうだ。
これから咲く匂蕃茉莉や梔子は切り花には向かないけど、芍薬とカーネーションのつぼみが膨らんできた。取っ替え引っ替えすれば半月くらいは室内の花を楽しめるだろう。
DVDドライブ ― 2025年05月06日 15:23
このごろのノート型PCにはDVDドライブが内蔵されていない。ストレージのSSD化が進みOSの起動や更新など目が覚めるほど高速で快適となっているが、本体を薄く軽量にしたいためかDVDドライブは非搭載が通常仕様である。
いまや映画であればprime videoやnetflixなどの配信サービス、音楽や動画はyoutubeで事足りる。データの保存・交換もクラウドを介せば可能だし、USBという手もある。たしかにDVDのレンタルやCDを再生することはほぼ無くなってしまった。故障が多いDVDドライブの必要性は小さくなった。
ところが稀に調べものをするとき昔のCDを聴いて確認したくなることがある。古いDVDを簡単に鑑賞できたら有難いと思うこともある。頻繁に使用しないことはもちろん承知の上で、やはり無いよりは有ったほうがいい。PCにおけるDiskへの書き込みは皆無としても音楽や映像の再生ができれば便利である。
ということで、外付けのDVDドライブを価格.comで検索してみた。3,4千円で販売されており、思ったより安価である。機種はBuffaloのDVSM-PLV8U2を選び、さっそく購入することにした。問題なく作動する。普段は箱に収まったままに違いないけど、いざというときには役に立ってくれるだろう。
2025/5/10 フリッチュ×神奈川フィル ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第1番」 ― 2025年05月10日 19:47
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
みなとみらいシリーズ定期演奏会 第405回
日時:2025年5月10日(土) 14:00開演
会場:横浜みなとみらいホール
指揮:ゲオルク・フリッチュ
共演:ピアノ/ミッシェル・ダルベルト
演目:ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15
ブラームス/交響曲第1番ハ短調Op.68
フリッチュは前回2023年の神奈川フィルとの共演が初来日、好評に応えて再来日となった。旧東ドイツ出身の歌劇場指揮者である。
前回がブラームスの「交響曲第2番」で今回が「交響曲第1番」、併せて、ダルベルトのソロで「ピアノ協奏曲第1番」という魅力的なプログラム。
「ピアノ協奏曲第1番」はブラームスが20代半ばで書いた若き日の代表作。これを今年70歳のフランスの名匠が弾く。ダルベルトは明るめの音色ながら重量感があり切れ味も鋭い。何より歌心があって長大なこの曲を最後まで飽きさせない。
冒頭、篠崎史門のティンパニのトレモロと低音楽器による持続音を背景に、ヴァイオリンとチェロのテーマが力強く重なる。まるで交響曲の開始のよう。ダルベルトは腕を抱えたまま鍵盤の前で沈思黙考。しばらくしてオケの激情は弱まり、ピアノが悲哀に満ちた表情をもって語りかけて來る。上昇音階による憧れに満ちた主題が次々と姿を変え発展していく。途中、何度も繰り返されるホルンの優しい響きは「交響曲第1番」と同様、クララへの呼びかけのように聴こえる。今日のホルンのトップは豊田実加。
アダージョは穏やかで幻想的で慈愛に満ちている。鈴木、岡野のファゴットの音階が印象的。シューマンへの哀悼とクララへの憧憬が複雑に絡み合っているような気がする。ピアノ協奏曲というよりは交響曲のなかにピアノ・パートがあって、ダルベルトのピアノがオケをリードしているみたいだ。
終楽章は上昇音型の主題が活気あるピアノで独奏されたあとオーケストラに引き継がれる。主題は徐々に緊張感を高め、カノン風の勢いを維持しながら頂点に向かって行く。劇的なカデンツァを経て全合奏で終結した。
ソリストアンコールはブラームスの恩師シューマンの穏やかで繊細な曲。「子供の情景」より“眠っている子供”“詩人のお話”と掲示されていた。
「交響曲第1番」は「ピアノ協奏曲第1番」を完成したころに着想され、20年の労苦を経て交響曲として結実、ブラームスは43歳になっていた。
フリッチュはゆったりと構築して行く。大袈裟にアクセントをつけないし、派手な演出も施さない。総じて淡白でありながら何とも言えぬ滋味がある。
ただ、過去に絶対的で決定的ともいうべき演奏を聴いた幾つかの曲は、何十年経ってもその演奏が耳に残っている。結局はそのことで今を楽しめない、心の底から満足することができない。不幸といえば不幸だが、至高の演奏会体験の報いだから仕方ない。ブラームスのわずか4曲の交響曲のなかで、この「第1番」と「第4番」はそうした曲である。
前後半とも弦は14型、コンマスは元読響の小森谷巧がゲストだった。小森谷は現在も愛知室内オケや仙台フィルのコンマスでまだまだ元気。オーボエのトップには新日フィルで長く首席を務めた名手・古部賢一が座っていた。
2025/5/17 ウルバンスキ×都響 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」 ― 2025年05月17日 19:57
東京都交響楽団 都響スペシャル
日時:2025年5月17日(土) 14:00開演
会場:サントリーホール
指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ
共演:ピアノ/アンナ・ツィブレヴァ
演目:ペンデレツキ/広島の犠牲者に捧げる哀歌
ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第2番ヘ長調
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調
東響の首席客演指揮者だったウルバンスキが都響を振る。東響とは首席客演指揮者を退任したあとも毎年のように共演しているウルバンスキだが今シーズンはパスをした。シェフを務めるワルシャワフィルと来日するためかと思ったら、都響を指揮するという驚きのニュース、そのサプライズに抗しがたく早々にチケットを手配した。
プログラムは“ショスタコーヴィチ没後50年記念”と銘打って、ピアノ協奏曲と交響曲、それにお国のペンデレツキを組み合わせた。
「広島の犠牲者に捧げる哀歌」は10年ほどまえ東響定期で聴いた。たしか首席客演指揮者の就任披露公演だった。ウルバンスキにとっては名刺代わりの作品なのだろう。微分音が密集するトーン・クラスター技法を用いた弦楽合奏曲で、原題は「8分37秒」と味気ない。標題は後付けながらこの標題によって有名になったともいえる。
旋律らしきものはなく悲劇的な音響が最初から最後まで続くが、ウルバンスキのそれは威圧的ではなく、どこか穏やかで優しい、これは意外。もっとも前回どうであったか思い出せないから比較できないのが残念だけど。
そうそう作者のペンデレツキのこと。都響定期に登場したことがある。庄司紗矢香をソリストとした自作のヴァイオリン・コンチェルトとベートーヴェンの交響曲を振った。自作品は剣呑ながら姿形は好々爺としか見えなかった。
ショスタコーヴィチはヴァイオリン、チェロ、ピアノの協奏曲を各2曲ずつ書いている。ヴァイオリンとチェロ協奏曲はいずれも重く気難しい作品だけど、ピアノ協奏曲は2曲とも軽快で楽しい。「第1番」はトランペットとの二重協奏曲のようだし、「第2番」はトランペットを欠いた小編成のオケと協演する。
ツィブレヴァは色彩感で聴かせるタイプではないが、音は硬質かつ明瞭で濁りかなく良く鳴る。軽やかなこの協奏曲には似合っている。緩-急-緩の古典的な3楽章形式、第1楽章は若々しく快活。のんびりした主題が登場するが、すぐ駆け足となり、いかにもショスタコらしく忙しくなって行く。展開部以降は音楽が華やかさを増す。次の緩徐楽章はメロディーも響きもしゃれた夜想曲風。素直な叙情性に溢れ感動的。こんなに素のままなショスタコは珍しい。続けて演奏される第3楽章は快活な民族舞曲のよう。ハノンのピアノ練習曲も引用されているという。目まぐるしく同じ音型が転げ回る様子はユーモラスでスリリングだ。フィナーレに向けて興奮は頂点に達した。
演奏が終わって、P席からブラヴォーがかかったのだろう、ツィブレヴァは後ろを振り返って丁寧に頭を下げていた。好感度満点である。
後半の「交響曲第5番」は最弱音で開始されたラルゴに尽きる。ウルバンスキの設計した音量、音価、内声部のバランスなどが独特で、しばらくのあいだ弦5部それぞれの行方を見通すことができず不安になったほど。全く覚えのない曲に対面しているようだった。中間部のオーボエの寒々としたソロ、続くクラリネット、フルート、ファゴットの冷たい音色、シロフォンの強打とハープの爪弾きにも震撼する。悲しみと怒りの極地が現出した。そのあとのフィナーレの無機質な高揚こそが白々しく思える。「第5番」は体制に迎合し屈服したようにみせながら、自らの生命を救った交響曲である。彼の生死を分けた作品であることを変態ウルバンスキ×都響の演奏によって改めて知ることができた。