タイムシフト視聴(2) ドン・キホーテ、シベリウス交響曲5番 ― 2021年10月01日 09:02
直撃は避けられたようだ。颱風が関東へ最接近中。それなりに雨が降り風が吹いている。
3カ月ほど前の7月17日に、サントリーホールで公演されたノット×東響「第692回定期演奏会」のライブ配信が、いま再度、無料配信されている。今月の13日まで視聴できる。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv332585253
サントリー定期の翌日には、同一プログラムで川崎定期が開催された。この演奏会は会場で聴いている。以下に少し感想を書いた。
http://ottotto.asablo.jp/blog/2021/07/18/9399355
動画を観ると、演奏することは全身運動だとよく分かる。表情豊かに身体が揺れ動く。各奏者は他者の音を聴こうとするから、身体が自然にそちらに向かう。隣の音であれば両者が寄り添うようになる。そして、各パートの首席は(典型的なのはコンマスだが)、常に他のパートのトップとアイコンタクトをとっている。合奏をつくりあげるには、これだけの運動を伴う。
人によっては「奏者って指揮者を見ていないみたい、指揮者の役割ってなに?」と言うが、画面では一目瞭然。ひとりひとりの奏者は、実によく指揮者の様子を観察している。オケの面々は常に真剣勝負をしていて、難関を越えたとき、ふと力が抜け笑みがこぼれる。指揮者は指揮者でアクセルを吹かしたり、ブレーキを踏んだり、頻繁なギアチェンジを、これも全身を使って表現する。
動画は、こういった指揮者、奏者の細かな表情や仕草が見て取れ、まことに興味深い。
指揮者スダーンとノットの動画を比べると、スダーンは、余分な情感を削ぎ落し、音の細部を徹底的に追及して本番を迎えているように思える。音そのものの訴える力を信じているのだろう。自分の求める確固とした音楽があるから、いつの演奏会でもしっかりとした手ごたえを与えてくれる。「幻想交響曲」などこれ以上の演奏はないと思わせるほどの強い説得力がある。
ノットも、音楽を細かく丹念に詰めて公演に臨んでいることは確かだが、本番ではそのときの雰囲気や気分でかなり自由に動くところがある。演奏する側としては予測不能で、けっこう緊張すると思う。でも結果としてエネルギッシュでスリリングな音楽ができあがる。この「ドン・キホーテ」やシベリウス「交響曲5番」は、ノットらしく暖かく希望に満ちた音楽になっているけど、クライマックスにおける速度や音量の漸増などは、会場の空気、その場の勢いを借りてオケを追い込んで行くようにみえる。うちの貧弱な再生装置を通してもその興奮が伝わってくる。
ノットがこれだけ自由自在に動けるのは、東響にはスダーンとの厳しい10年の経験があったから。スダーンの10年も、その前の秋山さんとの40年の基盤があってのこと。
オケは、いやオケに限らずどの組織でも国家でも、その成立には、歴史・伝統・文化という見えない力が大きく与っている、それが現在を支えるために最も大切で、尊重すべきものなのだろう。
僕のワンダフル・ライフ ― 2021年10月08日 07:00
『僕のワンダフル・ライフ』
原題:A Dog's Purpose
製作:2017年 アメリカ
監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:W・ブルース・キャメロンほか
出演:デニス・クエイド、ペギー・リプトン、K・J・アパ
いかにも家族向け映画の題名のようで、まさにその通り。小さな子供から大人、老人までそれぞれ楽しむことができる。けれど、涙を見せるのが恥ずかしいのであれば、一人で密かに鑑賞するほうがいい。
それほどの犬好きではなく、犬を飼ったこともない人間でも大泣きしてしまうのだから、犬好きで犬と暮らしている人であれば号泣すること必至。たとえば、ふだん空威張りの家長がいるとして、その長たる者が映画なんぞでクシャクシャの顔を家族に見せるのはみっともないと思うのなら、やはり、絶対一人で観るべきだ。
原作はW・ブルース・キャメロンの『野良犬トビーの愛すべき転生』という小説(翻訳本が新潮社文庫にある)。全米でベストセラーになったらしい。キャメロンは脚本にも参加している。
犬が何回も生れ変わりをしたのち、元の飼い主のところへ戻る話なのだが…
犬のベイリーは、子供時代のイーサン(ブライス・ガイザー)に命を救われ、固い絆で結ばれる。その後のイーサン(K・J・アパ)の人生は、なかなか過酷なものがあって、ベイリーとの別れも来る。
何十年後、転生を繰り返し姿形を変えたベイリーは、半分世捨て人のようなイーサン(デニス・クエイド)を見つける。イーサンはもちろんベイリーとは分からない。しかし、ベイリーはイーサンの昔の恋人ハンナ(ペギー・リプトン)を引き寄せるきっかけとなり、イーサンとハンナは結ばれる。
大詰め、ベイリーはイーサンに、自分がベイリーだと知ってもらいたいと、ボール遊びをねだる。ベイリーはイーサンの子供時代に覚えたボール遊びの特技を披露する。それを驚きをもって呆然と眺めるイーサン。“ベイリーだった”と知った真の再会の瞬間、イーサンとベイリーが幸せを取り戻す結末は、それはそれは感動的なものとなる。
監督はスウェーデン出身の名匠ラッセ・ハルストレム。
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』でアカデミー賞にノミネートされ、忠犬ハチ公をリメイクした『HACHI 約束の犬』で話題となるなど、“犬もの映画”でも有名だが、この人のナンバーワンといえば何といっても『サイダーハウス・ルール』だろう。ラッセ・ハルストレムを最初に知ったのもこの映画で、あまりに感心したので『ギルバート・グレイプ』や『やかまし村の子どもたち』など過去の映画を、レンタルビデオ屋であさったものだ。
『サイダーハウス・ルール』は、2000年アカデミー賞の複数部門で候補になったものの、作品賞、監督賞は『アメリカン・ビューティー』にさらわれ、わずかに脚色賞(ジョン・アービング)と助演男優賞(マイケル・ケイン)のみにとどまった。このとき初めてアカデミー賞への不信感を抱いたのだが、いま考えてみれば実におめでたい話だ。そうそうシャーリーズ・セロンに出会って惚れたのはこの映画だった。後年、初代スパイダーマンで名が売れたトビー・マグワイアの抑えた演技にも唸った。レイチェル・ポートマンの音楽にも泣いた。『サイダーハウス・ルール』は、これまでに観たなかで、間違いなくベストテンの上位に座る。
なお、『僕のワンダフル・ライフ』の続編として『僕のワンダフル・ジャーニー』が2019年に公開された。主演は引き続きデニス・クエイド。ラッセ・ハルストレムは製作総指揮にまわり、ゲイル・マンキューソが監督を務めている。
神奈川フィルの来期プログラム ― 2021年10月09日 07:50
首都圏オーケストラの先陣を切って、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が次年度(2022/4~2023/3)の公演速報を発表した。
https://www.kanaphil.or.jp/news/783/
2022年4月から沼尻竜典が音楽監督に就任する。その沼尻は4月にブラームスの1番、7月にショスタコーヴィチの8番、1月にサン=サーンスの3番など3公演を指揮する。
特別客演指揮者の小泉和裕は、11月にオネゲルとベートーヴェン、3月にシューマンとレスピーギという共にちょっと捻った組み合わせ。
その他の指揮者では阪哲朗がグレイトを、三ツ橋敬子がボロディンの2番、下野竜也がブルックナーの6番を振ってくれる。海外からはロシア出身のダニエル・ライスキン、ドボルジャークの8番などを演奏する。
とりたてて珍しい演目はないが、1年通して聴いてもいいかな、と思えるプログラム。年度後半は改修後のみなとみらいホールへ戻るため、これも楽しみ。神奈川県立音楽堂でのシリーズは、川口成彦の弾き振りが面白そう。
都響の来期プログラム ― 2021年10月13日 17:33
本日、東京都交響楽団の2022年度(2022/4~2023/3)のプログラムがHPに掲載された。
https://www.tmso.or.jp/j/news/14919/
A(東京文化会館)、B(サントリーホール)、C(東京芸術劇場)の3シリーズ24公演のほか、プロムナードコンサートと特別演奏会が加わる。
音楽監督・大野和士は英雄の生涯、グラゴル・ミサ、復活などの大曲を、首席客演指揮者のアラン・ギルバートはモーツァルトの三大交響曲、終身名誉指揮者・小泉和裕はチャイコフスキーやベートーヴェンの交響曲、名誉指揮者のエリアフ・インバルはブルックナー4番などを振る。
上記以外の指揮者としては、クラウス・マケラのショスタコーヴィチ7番とマーラー6番が興味深い。トーマス・ダウスゴーやヨーン・ストルゴーズ、準・メルクルといったウーハンコロナ禍で来日中止を余儀なくされていた指揮者たちも改めて登場する。
2021/10/13 兵士の物語 ― 2021年10月14日 09:40
狂言・ダンス・音楽による「兵士の物語」
日時:2021年10月13日(水)19:00
会場:かなっくホール
出演:狂言/高澤祐介
ダンス/伊藤キム
演奏/カメラータかなっく
Vn/川又明日香、Cb/菅沼希望、
Cl/勝山大舗、Fg/柿沼麻美、
Tp/林辰則、Tb/菅貴登、
Perc/篠崎史門
演目:イーゴリ・ストラヴィンスキー/兵士の物語
昨夜の音楽劇「兵士の物語」は、公演時間が1時間をゆうに超えた。
昔、器楽だけの組曲版を聴いたことはあるが、語り・演劇・バレーを伴う舞台作品を観るのは初めて。
「兵士の物語」の音楽は、カメレオンのように作風を変え続けたストラヴィンスキーが、原始主義時代といわれる3大バレー音楽を書いたあと、新古典主義時代へ移る前、第一次大戦後の自らの経済的苦境を打破するために作曲したもの。
戦争直後の疲弊した状況下で、大規模な作品の上演が望めないため、オリジナルは7人からなる小オーケストラをバックに語り手・兵士・悪魔の3人が舞台に登場する。現在では、これに拘らず様々な形式で上演されている。一人芝居でも可能だし、反対に、王や王女など台詞のない人物を何人か登場させることだって出来る。
今回は、語り手と兵士を狂言師の高澤祐介が羽織袴姿で務め、悪魔をダンサーの伊藤キムが演じた。王女は小面にドレス風の布をまとった人形であったが、伊藤キムが人形使いとなっていた。伊藤はいっとき王の役柄にもなった。あと後見が一人、簡単な舞台装置を設えたり、衣装を用意するなどした。奏者は舞台上手に位置した。
物語自体は民話風の荒唐無稽な、たわいもない話で、教訓話らしきものはあるが人生訓というほど深刻なものではない。ただ、狂言様の台詞回しや身のこなしと、コンテンポラリーダンスの組合せが新奇で、ストラヴィンスキーの尖っていながら茶化したような音楽と妙にピッタシ合っている。なかなか面白い不思議な感覚を味合せてくれる舞台だった。