2025/4/6 ノット×東響 ブルックナー「交響曲第8番」2025年04月06日 21:26



東京交響楽団 名曲全集 第206回

日時:2025年4月6日(日) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
演目:ブルックナー/交響曲第8番 ハ短調WAB108


 新年度最初の東響名曲全集、昨日の東京定期と同一のプログラム。ノットは監督としてのラストイヤー初っ端にブルックナーの大曲をもってきた。ノット×東響は積極的にマーラーとブルックナーを取りあげてきて、マーラーの交響曲は「大地の歌」を含め全曲、ブルックナーもコロナ禍で中止となった「第6番」を除いて「第1番」から「第9番」までを演奏している。
 「第8番」は今回が二度目となる。前回の2016年のときは体調不良でチケットを駄目にしている。だから「第8番」だけが聴けていない。前回は一般的なノヴァーク第2稿での演奏だったというが、今回は珍しい初稿版である。ノヴァークの初稿版は10年ほど前にインバル×都響で聴いたことがある。実演はかなりレア、その意味でも期待が大きい。

 で結果は、期待を遥かに上回った。新年度早々から途轍もない演奏を聴いた。ノットは確信を持って振り、東響は完璧にノットの要求に応えた。監督とオケとは10年を経て強固な信頼で繋がっているのだろう。弦の豊かな響き、精緻な木管、精度の高い金管、鳴らしすぎないティンパニなど隙のない演奏で充実の90分だった。「第8番」は朝比奈、飯守、井上、マタチッチ、スクロヴァチェフスキ、スダーンなどハース版やノヴァーク第2稿版の過去の名演が記憶に刻まれているが、今日のこの初稿版はそれらと並ぶ格別の演奏となった。
 初稿版だからといって粗削りで取り散らかしたようなところは全くなく、素朴ながらしっかりと纏まっていた。第1楽章からニキティンと小林壱成に率いられた弦は雄弁で、荒木、竹山をはじめとする木管のアンサンブルも美しい。ホルンの上間、トランペットの澤田など金管も万全。第1楽章のコーダは主題が消え入るような形で締めくくるのが普通だが、初稿版ではトゥッティで力強く楽章を終える。第2楽章では特にトリオの部分が初稿と2稿とで大きく異なっており鄙びた独特の雰囲気が和ませる。第3楽章は2稿で削除された経過句がそこら中に残っておりクライマックスに至るまでが長大。洗練されていないが何ともいえない味わいがある。ハープは3台用意されここぞという活躍。シンバルも初稿は3連打を2度叩き計6発である。終結部の泣かせどころのホルンとワグナーチューバは読響の松坂さんや伴野さんなどが参加していたようだが、これら客演陣も大殊勲だった。第4楽章になって3管編成となり、ホルン9本が吹き鳴らされる。この終楽章で楽器編成が2稿と同じになるが全体の印象は随分違う。ノットは小細工なしに真向勝負、最後まで説得力を維持したまま大団円に向かう。ものすごい音圧でありながら威圧感はなく、透徹な音ゆえか峻厳であっても温かみのあるブルックナーが屹立した。

 ブルックナーはベートーヴェンが「第九」を作曲した年にリンツの近くで生まれた。リンツはモーツァルトの交響曲でも有名。地理的にはウィーンから西へ約100kmちょっと。リンツからさらに西へ100kmほどにザルツブルグがあるから、ザルツブルグとウィーンとの中間である。
 ブルックナーは早くから音楽的才能に恵まれていたようで、10歳になるかならないかで、オルガン奏者の父親の代役を務めている。ただ本格的に作曲に手を染めたのは40歳近くになってから。50歳ころに「第4番」を公表して交響曲作家として世間に認められるようになり、ここから70歳過ぎまで書き続け、未完の「第9番」までを残した。
 大器晩成といったらよいのか、奥手といったらよいのか。彼のいろいろなエピソードを読むと、仕事に対しても女性に対しても一般的な常識というものからズレたおかしな人だったようである。
 しかし、いつも思うのだが独墺で進化し続けた交響曲は、ブルックナーによって頂点を極めたと。このあとも交響曲はシベリウス、マーラー、ショスタコーヴィチと書き続けられるけど、シベリウスは交響曲における論理性を追及しながら、最後の「第7番」は単一楽章に収斂してしまう。マーラーは「交響曲は世界のように全てを包含しなければならない」と語って、あらゆるものを交響曲のなかに放り込んでしまった。ショスタコーヴィチとなると交響曲はますます何でもありの奇怪な世界となる。いや現実の世界そのものが雑駁で何でもありの奇怪なものになってしまった所為かもしれない。
 ブルックナー以降は、交響曲がひたすら解体していく歩みのような気がする。交響曲としての均衡を辛うじて保っているのはブルックナーまでである。そして、ブルックナーの音楽からは、作為のない自然と無垢な感情が並び立つ。そのことが往々にして彼岸を感得したと錯覚することになる。人は、言葉によって世界を理解するが、音楽によって世界を感じる。聴こえてくるのは言葉で表すことのできない究極の何者かである。
 「第8番」はブルックナーが完成させることのできた最後の交響曲である。その初稿版は、他者の批判を受け入れ、冗長な部分を刈り込み、全体の統一感を高めた2稿版に比べれば、原初的で素朴な衣装を纏っているものの紛れもない完成形である。これこそが独墺音楽の、ある種行きついた極北といえる作品ではないかと思う。