稲荷神社の柴犬2022年01月02日 14:11



 稲荷神社がある。線路沿いの細い道から十数段ほど石段を登ると、もう鳥居である。普段、鳥居のふもとには柴犬が繋がれている。今日は社務所の前に移されていた。
 境内は初詣の人で賑わっていて、社殿は開け放たれ灯がともされ、神主が正装で御幣を手にしていた。社殿の手前には一対の小ぶりの石のお狐様が鎮座している。今まで、ちゃんと境内を見渡すことがなかったせいか、柴犬に気をとられていたせいか、目に入らなかった。稲荷神社だからお狐様が居て当たり前だ。

 社務所前の柴犬はというと、参拝客の子供やご婦人方から頭や首を撫でられ目を細め愛嬌を振りまいている。
 いつもは柴犬に手を出しても寄って来ない。一瞥され尻を向けられるのがオチだ。だいたいが石段の天辺か中途で、寝てるか座り込んで起き上がりもしない。このあたりの犬や猫は、なんて愛想なしが多いのか、と思っていた。
 ところが今日である。神社としては書き入れ時だろう。ふつうは閑散としている境内にも初詣のお客さんが溢れている。神社の柴犬は、うんともすんとも言わないものの、ちゃんと自分の役割をわきまえ奉仕している。

 鳥居の下が定位置であるはずの柴犬が、朝夕いないときがある。
 ある日の夕方、神社のそばで宮司の奥さんらしき女性に連れられて歩いているのを見たから、朝夕は散歩に出ている。また小雨が降っているときにも姿が見えなかった。きっと社務所のなかで雨宿りしているのだろう。
 けっして放置されているのではない。それどころか大事に育てられている。だからといって、今日のような振る舞いをしてみせる、というわけではもちろんないだろうけど。頭のいい犬だ。

パシフィックフィルの来期プログラム2022年01月03日 08:14



 東京ニューシティ管弦楽団のHPに、パシフィックフィルハーモニア東京(2022/4/1に改名)の2022年度定期演奏会のラインナップが掲載されていた。

 http://www.tnco.or.jp/

 今まで東京芸術劇場で開催していた9回の定期公演のうち、7回はそのまま池袋で、2回はサントリーホールで開催される。別に練馬文化センターの1回と合わせ計10公演の詳細である。

 このうち4月から新音楽監督に就任する飯森範親が半数の5公演を指揮し、ショスタコーヴィチの「交響曲第1番」、ホルストの「惑星」、ブルックナーの「交響曲第4番」などのほかは、本邦初演が3曲も含まれるという意欲的なプログラムである。
 客演指揮者では鈴木秀美の「太鼓連打」と「エロイカ」、秋山和慶のエルガー「チェロ協奏曲」(ソロ/新倉瞳)と「不滅」あたりが期待できそう。

 海外勢の指揮者は、6月のステファン・アズベリーと9月のオーギュスタン・デュメイの2人。ソリストは、5月のニュウニュウとマーティ・フリードマン、来年1月のヤン・インモの3人。
 パシフィックフィルに限らないが、来日できるかどうかは変異株の流行次第、どの楽団も不安を抱えたままのプログラム発表である。

「マトリックス」その42022年01月06日 17:08



『マトリックス レザレクションズ』
原題:THE MATRIX RESURRECTIONS
製作:2021年 アメリカ
監督:ラナ・ウォシャウスキー
脚本:ラナ・ウォシャウスキー、デビッド・ミッチェル、
   アレクサンダル・ヘモン
出演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス、
   ジェシカ・ヘンウィック


 正月映画に選んだのは「マトリックス」その4、つまり『マトリックス レザレクションズ』。
 ほぼ20年前の「マトリックス」3部作は、綺麗に完結している。ウォシャウスキー兄弟――いや今は姉妹――も、当時は続編を製作することなど想定していなかっただろう。それが興行上の要請なのかどうなのか、さらに「マトリックス」を作ることになった。
 神話のごとく完成し閉じてしまい、そして、あれだけの話題を提供した作品群の後継となれば、物語的にも映像的にも困難を極めることを承知のうえで。
 その回答が『マトリックス レザレクションズ』であるのなら、これは真っ先に観なければならない。 
 なお、「マトリックス」その4には、ラナの妹のリリーは参加していないという。ラナ・ウォシャウスキー単独での作品となった。

 物語は神話から60年後の世界。3部作をメタ構造に内包させ、仮想現実ではゲームとして、現実世界では聖書として扱うという意表をつく展開ではじまる。こういう手があったかと、思わず膝を打った。映画の冒頭数十分、仮想現実のなかで3部作の後継ゲームをどうするかというやり取りが笑わせる。自己言及的な視点が「マトリックス」の続きであるような、続きでないような気分を誘う。その後は3部作を引用しながら、旧作と同様、虚実の間を行き来する。世界観は特に変わらず、必然的に3部作を復習するような具合となる。
 映像面は3部作ほどの斬新さに欠ける分、より現実味が増している。戦闘シーンもメインキャラクターたちは、相応に歳を重ね動きが鈍くなってるはずなのに、カメラワークと編集カットとを駆使し、スピード感豊かに撮られている。さすが旧作のようなあっと言わせる新奇なシーンは少ないものの、現代的で熟成した安定感のある映像が次々と現れる。
 キアヌ・リーブス(ネオ&アンダーソン)やキャリー=アン・モス(トリニティー&ティファニー)は、仮想現実に対するぼんやりとした違和感を翳りをもって演じている。それは一段と陰影を深め、SF映画ながらリアリティを高めることに貢献している。ネオとトリニティーの愛も健在だ。一方、新しいキャラクターでは、ジェシカ・ヘンウィック演じるバッグスが活動的で魅力的、生身の人間が縦横無尽に飛び跳ね、新時代の女性を象徴しているよう。ことに守旧派になってしまった年老いたナイオビ(旧作と同じジェイダ・ピンケット・スミスが演じている。因みに彼女はウイル・スミスの奥様)を対極に置き、懐かしさとともに時代の移り変わりを鮮やかに描いている。

 『マトリックス レザレクションズ』は、3部作を知っていればもちろん、この一作だけでも完結された作品として楽しめる。
 もっとも、「マトリックス」その4が終わってみると、3部作をもう一度観てみたいと思う。本作においてゲーム的にも聖書的にも扱われた世界を再確認したいと。
 実際、当時は3部作の世界観に惹き付けられたというよりは、ビジュアル側の面白味のほうに魅了されていた。
 SF映画――SF小説やSF漫画もそう――は、往々にして近未来を予知してしまうことがある。今、3部作を改めて鑑賞すれば、台詞の一つひとつが鮮度を保ったまま、新たな意味を付け加えてくれそうな、そんな気がするのだ。

長谷寺の蝋梅(ロウバイ)2022年01月14日 16:36



 江ノ電が4両編成で走っているので、ちょっとビックリした。それとも2両編成だと思っていたのが記憶違いなのだろうか。
 鎌倉駅から、それこそ4、5分乗り、長谷寺に行ってみた。蝋梅が季節だという。
 まさしく蝋のような艶の黄色い花が見頃。梅は紅も白も一輪か二輪ほどで、ほとんどが蕾だったが、たしかに蝋梅は季節だった。

 長谷寺は、池と花木の按配が見事で、高台まで足を運べば鎌倉の海も一望にできる。境内には堂が五つ六つあり、経蔵、書院、鐘楼も配置されている、長谷寺の観音様は、「かきがら」の導きによって鎌倉に流れ着いたという伝承があり、「かきがら稲荷神社」があわせて祀られている。

 再び江ノ電で鎌倉駅に戻り、鶴岡八幡宮の参道を経由して北鎌倉駅まで歩いた。北鎌倉ではゆっくり昼食をとり、夕方にならないうちに帰ってきた。
 真冬にしては幸いにも暖かい日差しで、散歩日和でした。

2022/1/15 高関健×シティフィル ブリテン・ラロ・メンデルスゾーン2022年01月15日 21:01



東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第348回定期演奏会

日時:2022年1月15日(土) 14:00 開演
会場:東京オペラシティ コンサートホール
指揮:高関 健
共演:ヴァイオリン/戸澤 采紀
演目:ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」より
           4つの海の間奏曲
   ラロ/スペイン交響曲 二短調 作品21
   メンデルスゾーン/交響曲第3番 イ短調 作品56
           「スコットランド」

 
 20世紀末までは、子正月の今日15日が「成人の日」と定められていた。その後、三連休をつくるため月曜日に祝日が移動した。現在では1月の第2月曜日が「成人の日」、今年はすでに終わった。
 「成人の日」に限らないが祝日の移動は本来の意味が薄れる。余暇の拡大、景気対策などを意図するなら、祝日の移動より別途その名目で三連休などを設けるほうがいいような気がする。もっとも、休みが多すぎるといった意見はあるし、今のように身動きがとれない事態が続いているようでは、連休も何もあったものではないけど。

 さて、新年最初の演奏会は、高関健×シティフィルとなった。
 プログラムの両端に英国関連の、それも海つながりの音楽を置き、真ん中にヴァイオリン協奏曲という3曲構成である。

 1曲目はブリテンの「4つの海の間奏曲」。
 オペラ「ピーター・グライムズ」の幕間音楽を再構成したもので、必ずしも舞台の進行通りとは違う。「夜明け」「日曜の朝」「月光」「嵐」と並ぶ。間奏曲の一つひとつは、いずれもわずか3、4分なのだけど、通して聴くと巧みな自然描写もあり、まるで交響詩を聴いているよう。「夜明け」は広大な海から朝日が昇る、高音のヴァイオリンとフルートにハープが絡む主題は厳しい北の海。「日曜の朝」はスケルツォ、木管楽器がしきりにスタッカートするなか、金管のコラール、鐘の音が響く。「月光」は緩徐楽章、低弦とバスーンが主導する弔いの音楽、フルートとハープは月の光か。「嵐」は冒頭からティンパニの連打、全楽器で描き出す凶暴な海の嵐。
 あいかわらず高関さんは丁寧でがっしりした音作り、それに応えるシティフィルは分厚く重量感たっぷり。「ピーター・グライムズ」の悲劇がいっそう強調される。ただ、オペラシティホールは、音量の増大に伴い音が飽和気味になって(席の関係かも)、解像度が落ちるのが残念。
 ブリテン、メシアン、ショスタコーヴィチは、多分、現代音楽のなかで後世まで残るであろう作家。と言っても現代音楽の定義や範疇は曖昧だから、作品を年代で区切り第二次大戦以降としておく。ほかの有象無象の無調音楽、前衛音楽を書いた作家たちは、書物の片隅には残るかも知れないが、音楽としては跡形もなくなっているだろう。なんの、壮大な実験だった、と思えば惜しむ必要はない。

 2曲目はラロ。
 ラロといえば「スペイン交響曲」。「チェロ協奏曲」「イスの王様(序曲)」なども稀に演目にのるが、50歳を越えてから書いたこの「スペイン交響曲」だけは今日でも普通に演奏される。たとえ1曲でも150年も聴き続けられている。偉大なことだ。先の話のつながりでいえば100年後、現代の作家のなかで何人がラロに匹敵することができようか、それこそ死屍累々といった光景が目に浮かぶ。
 「スペイン交響曲」は交響曲という名のヴァイオリン協奏曲。5楽章構成。初演した名手サラサーテに捧げられている。「スペイン交響曲」の初演の1カ月後にビゼーの「カルメン」が上演されている。そのあともシャブリエ、ラヴェル、ドビュッシーなどによるスペイン風の作品が続く。「スペイン交響曲」はパリにおけるスペインブームの嚆矢でもあった。さらに、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が「スペイン交響曲」に触発されてつくられたことは有名な話。
 ソリストは戸澤采紀。まだ二十歳そこそこ、成人になったかならないかという年頃。見かけも小柄。これで線が細いと「スペイン交響曲」は厳しい、と懸念したが、とんでもない。音量は溢れるほど、音色も低音から高音まで潤いがあって、歌いまわしも間合いも余裕を持った堂々たるもの。
 冒頭いきなり「ダンダン,ダー,ダダダ,ダーン」とオケが力強いモチーフで開始したあと、ヴァイオリンの導入部でまずもって惹きつけられた。2楽章は3部形式、スペインの民族舞踊のような趣、引きずるようなリズムも見事。3楽章、間奏曲、ヴァイオリンが物憂げで悲哀を漂わせる、G線の音がほんとに豊潤、ここでついに落涙。4楽章、緩徐楽章、哀愁をおびた荘厳で甘美な世界をじっくりと歌う。5楽章、飛び跳ねるような楽想、オケはほとんど沈黙、独奏ヴァイオリンが名人芸を披露、戸澤さんの一人舞台。
 いやビックリした。戸澤采紀さんは、シティフィルのコンマスの戸澤哲夫さんの愛娘、親子共演というおまけまでついた。今日の演奏会の最大の収穫は、この戸澤采紀さん、この先が楽しみだ。

 3曲目がメンデルスゾーン。
 「スコットランド」は3番となっているがこれは出版順。出版が遅れた4番「イタリア」、5番「宗教改革」のほうが早く仕上がっている。「スコットランド」を構想したのは「イタリア」「宗教改革」より早かったようだが、速筆のメンデルスゾーンがめずらしく完成まで10年以上かけた。彼の最後の交響曲。
 「スコットランド」は、暗鬱な北の海をイメージしたということだけではない。着想を得たのは、スコットランド女王メアリー・ステュアートが居城としたホリールード宮殿、そこで最初の楽想が書き留められている。
 メアリーは凄惨な運命に翻弄され、最期は陰謀と暗殺の首謀者としてエリザベス1世の命により刑死している。メアリーとエリザベスの話は何度も映画になっている。最新の映画は2018年、アメリカ・イギリス合作の『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』。
 当然、メンデルスゾーンはその史実からインスパイアーされている。そのためもあってか音楽は全編にわたって陰鬱で暗く重い。その意味では、シティフィルの音色はこの曲に相応しい。あまりにも重すぎるきらいはあるけど。
 面白いのは終楽章、コーダに至って、唐突にイ長調の讃歌が出現する。それが不自然だという人もいる。短調のまま終えるのがメンデルゾーンの本意ではなかったかと。たとえば指揮者クレンペラーは最晩年、2度目のステレオ録音(1969年 バイエルン放送交響楽団とのライブ)のとき、問題のイ長調部分をカットし、イ短調で終わらせるという大胆な改変を行っている。
 一方で、着手して10年以上の時を経た交響曲である。年齢を重ねるにつれ暗いまま終わらせたくないというメンデルスゾーンの心境の変化が反映されたのかも知れない。さらには、メンデルスゾーンはこの交響曲を英国のヴィクトリア女王に献呈している。終楽章の突然の讃歌は、彼が愛したであろう英国の弥栄と王室への敬愛をこめたものではなかったかと解釈する人もいる。
 さすが高関さんは、ここのコーダをじっくりと聴かせた。アッチェレランドをかけるという軽薄なことはしない。いっそう重心を落としテンポに細心の注意を払って、悲劇を越えたあとの讃歌を存分に奏でた。
 事実、メアリー・ステュアートの子ジェームスは、スコットランド王として即位するとともにイングランドの王位を継いだ。グレートブリテン王国の端緒である。もう一人の女王エリザベス1世は子を残さなかった。メアリーの血は連綿と続いて行く。この後の英国王はすべてメアリーの直系子孫である。