2022/12/2 ネトピル×読響+ムローヴァ ショスタコVn協、小ト短調、タラス・ブーリバ ― 2022年12月03日 09:48
読売日本交響楽団 第657回名曲シリーズ
日時:2022年12月2日(金) 19:00 開演
会場:サントリーホール
指揮:トマーシュ・ネトピル
共演:ヴァイオリン/ヴィクトリア・ムローヴァ
演目:ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番
イ短調 作品77
モーツァルト/交響曲第25番 ト短調 K.183
ヤナーチェク/狂詩曲「タラス・ブーリバ」
魅力的なプログラム、ショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第1番」を前半に置いて、後半モーツァルトの「交響曲第25番」とヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」を演奏するという、時代も内容も楽曲種類も全く異なった心憎い組み合わせ。
指揮はチェコの俊英ネトピル、ソリストはヴィクトリア・ムローヴァ。かってソ連から亡命したムローヴァがショスタコーヴィチの傑作を弾く。
「ヴァイオリン協奏曲第1番」
ムローヴァは上背があって長身のネトピルと並んで立っても引けを取らない。ほとんど直立不動で何の構えもなく弾きだす。
第1楽章、ノックターン。瞑想的、内省的で暗い、ムローヴァがミュートをつける。十二音技法をもちいた前衛的な楽章でありながら、夜想曲という標題のとおりの美しさ。
第2楽章、スケルツォ。ショスタコ得意のスケルツォだからブラックで滑稽、「交響曲第10番」に先行する作品だけあって、音名象徴であるDSCH音型も現れる。トリオでは行進曲調になり打楽器が打ち鳴らされる。ムローヴァは、この激しい楽章でも身動きが極めて少ない。楽器と身体が一体というか、楽器を身体の一部ようにしてコントロールしていく。技巧的な力強い重音が連続するがモノともしない。
第3楽章、パッサカリア。主題と8つの変奏からなる。ムローヴァのヴァイオリンが歌う、その重厚で荘厳で美しい旋律をまえにして、自然首が垂れる。後半のカデンツァは長大、オケが沈黙するなか、楽章冒頭の主題や前楽章のトリオ、DSCH音型などが登場、グリッサンド、重音がバッハへのオマージュであることは紛れもない。完璧な音程、多様な技巧、音色の変化、音量の調節、ヴァイオリンをこんなに易しそうに弾いていいものだろうか。
アタッカで第4楽章へ、ブルレスケ。土俗的というか民族的というか華やかで明るい主題が出現。熱狂的に転調を繰り返し、その主題が発展していく。ムローヴァのピチカートによる跳ねるような奏法が曲を盛り上げる。コーダに向けては一気に加速し、ホルンによるパッサカリア主題のなか、独奏ヴァイオリンが忽然と現れ、なだれ込むように狂乱のうちに終わる。真に一級のヴィルトゥオーソを聴いた。
ムローヴァのアンコールは、何と先週のヴァイトハースと同じ。バッハのパルティータ第2番「サラバンド」、2週連続の絶品、こんな幸せなことはない。
「小ト短調」
モーツァルト17歳のときの「交響曲第25番」。映画「アマデウス」の冒頭で使われ、尚更有名になった。モーツアルトの交響曲が正確に幾つあるか知らないが、短調で書かれたのは「第40番」とこの曲のみ、同じト短調。十数年後の三大交響曲を予見さすような、それでいて、天才モーツァルトであってさえ、この時でしか書き得なかった疾風怒濤時代の作品。
第1楽章、シンコペーションのリズムに乗り、せきたてられ雪崩落ちるメロディ、弦の激しいきざみ、4本のホルンの強奏、オーボエの悲哀、ここのオーボエにはいつも泣かされる。第2楽章、一転、穏やかに歩むような旋律だが、ちょっと寂しく薄暗い、ヴァイオリンとファゴットが対話しているよう。第3楽章、メヌエット。舞曲とはいっても陰がある。管楽器で奏でるトリオのなかで、オーボエは第1楽章とは違い明るく柔らかい、晴れ間がみえ陽がさす。第4楽章は再びシンコペーションのリズム、悲痛な表情。
ネトピルはタクトをもたず、尖ったところのない演奏、老練な指揮者風。ただ、最終楽章だけは高速で走り抜け、少し浮いた感じがしたけど。それに、終演後、ホルン4人を一番に称えていたが、むしろ、オーボエが一等でしょう。
「タラス・ブーリバ」
ネトピルにとってヤナーチェクは、自国の作曲家の一人、ドヴォルザーク、スメタナ、スーク、そしてマーラー(含めていいだろう)と同様、御国ものの演奏ということになる。
ゴーゴリの小説『タラス・ブーリバ』に基づく標題音楽。第1曲「アンドレイの死」、第2曲「オスタップの死」、第3曲「予言、タラス・ブーリバの死」となっていて、コサックの隊長タラス・ブーリバと2人の息子の闘いと死を描いたもの。「シンフォニエッタ」「グラゴル・ミサ」と並ぶヤナーチェクの代表作のひとつ。
音盤ではアンチェルを第一、クーベリックを第二として愛聴してきたが、オルガンを含む大規模な管弦楽の演奏効果は格別で、実演があれば足を運びたくなる曲。読響では前監督のカンブルランが就任間もないころ聴いた。
ネトピルは、超低速運転で、情緒纏綿たる演奏。そのため、各楽器の動きは良くわかったが、いささか音楽の流れが阻害された。かえって3曲とも終盤のクライマックスがぼやけてしまった。コンマスの日下さんのソロには感心したけど。
「タラス・ブーリバ」の音楽は、寄せては返す波のようで、その波に身体を預けていると、唐突に全く違う場面に転換し、また別の波が押し寄せ引いていく。そして、幾つかの場面が登場するうちに物語は高揚し、頂点に達したところで突然断ち切られたように終わる。リズムは鋭く弾け、悲惨な話なのに輝かしい響き。オーケストレーションや楽想は独創的で、斬新なフレーズや意外な転調、特殊な管弦楽法が次々とあらわれ、まさに手に汗握るのだが、ネトピルは思入れが強すぎて、聴き手はちょっと置いてきぼりをくった感じ。しかし、これほどの名曲、もう少し実演の機会があってもいいと思う。