022/12/4 音大フェスティバル 「火の鳥」「死と変容」「シベ2」2022年12月04日 21:03



第13回音楽大学オーケストラ・フェスティバル
   東京音大・国立音大

日時:2022年12月4日(日) 15:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
出演:東京音楽大学(指揮/広上淳一)
   国立音楽大学(指揮/尾高忠明)
演目:ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」
   R.シュトラウス/交響詩「死と変容」(東京)
   シベリウス/交響曲第2番(国立)


 前半、広上×東京音大が2曲、1919年版の「火の鳥」組曲と交響詩「死と変容」。
 広上は、プロが相手のときのように、踊ることも、あっちを向いたり、ジャンプすることもなく、各楽器の出に対しては、もれなくキューを送っていた。ほとんどは左手で、まれにタクトで。顔を向け、身体を向け、目での合図は勿論のこと、いちいち頷いて学生たちの演奏を了解していく。
 このように非常に細かく指示し確認していたけど、これによって音楽が停滞するということがない。学生たちもその指揮に懸命に応え、むしろ、溌剌とした生気がだんだん漲ってくる。広上の語り口の上手さはいつものことで、その真摯な指揮姿と相まって、ぐんぐん音楽に引き込まれて行く。
 「火の鳥」では、1.序奏、2.火の鳥の踊り、3.火の鳥のヴァリアシオン、4.王女たちのロンド、5.魔王カスチェイの凶悪な踊り、6.子守歌、7.終曲、という場面を、卓抜したリズム感と色彩感によって鮮明に描き分けた。
 「死と変容」では、多くの管楽器奏者が加わり入れ替わって、さらに熱量を増した。「死と変容」は、R.シュトラウス25歳のときの作品。「ドン・ファン」と並び、交響詩の時代の初期にあたる。死をテーマにするのはロマン派の専売特許のようなもの。それを3管編成で、ハープ2台とドラが加わる大規模なオーケストラ作品として書いた。
 今まで、仰々しい、こけおどし的な音響ばかりの曲と思っていたが、今日は音楽そのものを意味深く聴かせてくれた。最晩年の弦楽合奏による「メタモルフォーゼン」(変容)の滅びの音楽の切実さにはほど遠いが、しかし、R.シュトラウスは、さらにそのあと「4つの最後の歌」の、あの「夕映えの中で」において、若き日の「死と変容」を引用したのだった。
 曲を聴きながら、2つの大戦を含んだ19世紀半ばから20世紀半ばにかけて、大方この100年の激動と、そのなかで翻弄された作曲家の軌跡とを思わずにはいられなかった。
 広上は、音楽専門の学生とはいえ、学生オケからこれだけの音楽を引きだす。先日の「第九」、数年前の「ツァラトゥストラはかく語りき」も同様。教育者としても一流というべきだろう。広上、恐るべし。そして、今日の東京音大の奮闘を称えたい。

 後半は、尾高×国立音大のシベリウス「交響曲第2番」。
 意外に思われるけど20世紀になって完成された作品。イタリア旅行でインスピレーションを得たと言われているが、音楽からは北欧の荒涼たる光景を感じてしまう。民謡風のメロディと、曲全体の構成が交響曲の常道である「暗から明」、さらにコーダの大団円もあって人気が高い。
 前半と比較するのは分が悪い。熱演で元気がいいのは結構だが、いささか魅力に乏しい演奏だった。技術的にどうこうというよりは、指揮者にその責があるか、はたまた指揮者と聴き手との相性の悪さがこの曲で露呈したかのどちらかだろう。
 物足りない、あるいは具合の悪い演奏は、プロでも往々にしてある。半分くらいはその類だ。しかし、以前、おなじ尾高×国立音大で、ブラームス「交響曲第2番」の忘れられない演奏を聴いているだけに、今回はまことに残念。