ウエスト・サイド・ストーリー2022年03月02日 16:49



『ウエスト・サイド・ストーリー』
原題:West Side Story
製作:2021年 アメリカ
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
音楽:レナード・バーンスタイン
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、
   リタ・モレノ


 レニーの愛称で親しまれたレナード・バーンスタインが亡くなって、はや30年になる。享年72歳であった。戦時中にニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者となり、急病のブルーノ・ワルターの代役でニューヨーク・フィルを指揮、センセーショナルなデビューを飾る。その後、アメリカ生まれの指揮者としては史上初となるニューヨーク・フィルの首席指揮者(1958年)、次いで音楽監督に就任する。
 バーンスタインは日本とも縁が深い。小澤征爾はバースタインのもとでニューヨーク・フィルの副指揮者を務めた。北米における小澤のキャリアの数々はレニーの助力もあったはずである。大植英次、佐渡裕などもバーンスタインに師事した。調べてみると来日は7度に及ぶ。亡くなる年の1990年には札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)を立ち上げ、後進の育成に最後まで力を尽くした。

 レナード・バーンスタインの実演は、ついに聴くことがなかった。地方に住んでいたせいもあるが、それなら夜行列車を乗り継いで聴きに行ったベーム×ウィーンフィルは何だったのか。当時は生意気にもアメリカ人指揮者を疎んじる気持ちがあったのだろう。
 彼のレコードもマーラーの「交響曲4番」とショスタコーヴィチの「交響曲5番」の2枚しか持っていなかった。だけど、両方とも溝が擦り切れるほど聴いた。それなのにライブへ行こうとは思わなかった。愚かというほかない。

 そのバーンスタインがニューヨーク・フィルの首席指揮者になる前年、39歳で作曲したのがブロードウエイのミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」である。それがのちに映画となる。ロバート・ワイズ&ジェローム・ロビンズの『ウエスト・サイド物語』(1961年)として。
 今回、スピルバーグが60年ぶりにリメイクしてくれた。旧作は映画館で観ていない。ようやくの大画面、念願がかなった。

 「ウエスト・サイド・ストーリー」から編曲した「シンフォニック・ダンス」は、20世紀の重要なオーケストラ作品。音楽のみで充分に説得力があるけど、画面の踊りとともに聴く「マンボ」「チャチャ」などの破壊力は強烈だ。指揮はグスターボ・ドゥダメルとクレジットされていた。激しい動きの絵は? スピルバーグだもの安心して観ていられる。
 それと映像と一緒に流れたときの「マリア」「トゥナイト」のメロディーラインの素晴らしいこと。ロミオとジュリエットであるアンセル・エルゴート(トニー)とレイチェル・ゼグラー(マリア)の若さがまぶしい。旧作に出演したリタ・モレノも、製作総指揮を兼ねつつドクの店の主人として「サムウエア」を歌う。とてもとても90歳には見えない。
 ミュージカルとしては珍しく移民や人種問題など、現在まで増幅され引き摺っているテーマを扱う。50年代や60年代であれば、それがアメリカの自由と寛容と活力の象徴でもありえたかも知れない。しかし、今日では分断や亀裂の深刻化と国家の衰退としてしか感じ取れない。街路に繰り出し大スケールのダンス・シーンで歌われた「アメリカ」を、もはやそのまま賛歌として信じることができなくなっている。

 相変わらず停滞の一方で、自国さえ自分で守ろうとしない東洋の片隅から偉そうには言えないが、リビア、シリア、香港、アフガニスタン、ウクライナなどに応対する欧米の体たらくぶりに、信頼の喪失をみるのは仕方あるまい。ロシア、チャイナの横暴は論外だが、欧米指導者層の利権にまみれた他国への干渉が、たびたびの不幸を生み出している。
 さらには民主主義下の国民だって、情報操作のもと恐怖を植え付ければ、思考停止のまま強制され誘導されることを厭わない、ということがここ2、3年ではっきりして来た。自由の看板を掲げつつ制御可能なのだ。このままでは専制を目指す者たちの高笑いと、民主主義信奉者たちの敗北だって予想できないわけではない。

 そういえば、レナード・バースタインは、ウクライナ系ユダヤ人の移民2世であった。ウクライナの困難は、世界の困難の序奏になるのだろうか。