タイヤ交換2025年06月02日 10:28



 定期点検のさい「来年の車検までにはタイヤを交換したほうがいいです」と言われた車、もう8年乗っている。普段は買物に使うだけだから走行距離はたいしたことないものの経年劣化はそれなりだろう。
 で、思い切って交換することにした。すべてディーラー任せにして作業は1時間足らずで済んだ。ところが車が戻ってみると、もとのミシュランにかわって名前も知らないタイヤを履いている。

 担当者にどこの製品かと聞くと「グループ会社全体で積極展開しているメンテナンス・修理用の部品ブランドです」とのこと。
 グループに所属する各メーカーのエンジニアが選定した補修部品で、本社が安全性など検証テストを行い、純正部品と同等の品質が確保されているものをリーズナブルな価格で提供しているのだという。
 このコンセプトは処方箋薬局で耳にする「ジェネリック医薬品」に似ている。だから当初は部品ブランドの認知度が低いこともあって「ジェネリックパーツ」という言葉でもって市場拡大を図ってきたという。

 タイヤ交換してからそれほど乗ってはいないが、路面からの当たりは柔らかくその分車内は静かになった。挙動は誰しもがわかるほど軽やかで上々。今のところすこぶる快適である。
 とまれ、長く乗りたいオーナーにとっては自動車メーカー推奨のリーズナブルな補修部品が用意されていることは喜ばしい。最良のパーツであるかどうかは別としてオーナーに寄り添ったメーカー及びディーラーのサポートだと納得した次第。

2025/6/7 マリオッティ×東響 ロッシーニ「スターバト・マーテル」2025年06月07日 20:07



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第100回

日時:2025年6月7日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ミケーレ・マリオッティ
共演:ソプラノ/ハスミック・トロシャン
   メゾソプラノ/ダニエラ・バルチェッローナ
   テノール/マキシム・ミロノフ
   バスバリトン/マルコ・ミミカ
   合唱/東響コーラス(合唱指揮:辻裕)
演目:モーツァルト/交響曲第25番ト短調 K.183
   ロッシーニ/スターバト・マーテル


 ミケーレ・マリオッティが東響に再登場、ローマ歌劇場の若き音楽監督である。一昨年初共演しシューベルトの「グレイト」とモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」を聴かせてくれた。今回は定期と名曲全集の2つのプログラムで指揮をする。
 定期演奏会ではマリオッティが十八番のロッシーニと再びモーツァルトを組み合わせてくれた。

 まずは、映画『アマデウス』で有名になった小ト短調。
 モーツァルト17歳、シュトゥルム・ウント・ドラングの時代。しかし、マリオッティの小ト短調は疾風怒濤というよりは熟成した堂々たる交響曲となった。
 ゆっくりとしたテンポ、シンコペーションのリズムに乗せて第1楽章が始まった。ホルンを強調しオーボエをたっぷりと歌わせる。のっけから落涙とは勘弁してほしい。ホルンのトップは上間、オーボエは荒木。アンダンテは弱音を際立たせ、低速でそろりそろりと歩みだす。アーティキュレーションや強弱のつけ方が独特なのだろう。初めて聴く曲のよう。メヌエットはトリオのオーボエ、ファゴット、ホルンの絡みに脱帽する。装飾音も聴こえてきてびっくりする。ファゴットは福士、ホルンは3番白井と4番藤田が活躍、藤田麻理絵は新日フィルから移籍したベテラン。今は研究員のようだけど下吹きの強力なメンバーとなりそう。フィナーレになってようやく聴きなれた小ト短調となった。
 マリオッティのモーツァルトはアイデアが一杯詰まっている。それでいて珍奇にならず多彩で格調高い表現が崩れない。改めて感心した。

 「スターバト・マーテル」は、ロッシーニがオペラから引退した後に書かれた名作。
 磔刑に処せられたイエスの足元で嘆き悲しむ聖母マリアを描いた音楽でヴィヴァルディやぺルゴレージ、ドヴォルザークらも同名の作品を残している。
 全10曲。導入唱の「悲しみの聖母は立ちつくし」は、いかにも宗教音楽らしい暗い雰囲気で開始される。合唱と4人のソロが出揃う。2曲目はテノールのアリア、まるでオペラのアリアのように朗々と。マキシム・ミロノフの声は甘く優美。超高音域までアクロバテックに駆けあがる。声に艶がありながら過剰な表現にはならない。第3曲はソプラノとメゾの二重唱。ハスミック・トロシャンは会場の隅々まで良く通る透明感ある強い声。円熟のダニエラ・バルチェッローナは輝かしく量感があり柔らかい。4曲目はバスのアリア、マルコ・ミミカは滑らかで深い響き。第5曲は合唱によるア・カペラ。東響コーラスは100人を越えていた。いつものように全員が暗譜、圧巻の歌声だった。4曲目のアリアと5曲目の合唱は敬虔な祈りの音楽となっていた。第6曲はソリストによる四重唱、民謡風の素朴な曲調とハーモニーが美しい。第7曲はカヴァティーナでダニエラ・バルチェッローナが静かに歌い上げる。第8曲は金管が咆哮しドラマチックな展開となる。ハスミック・トロシャンの絶唱に胸を突かれる。第9曲は再びア・カペラ。普通はソロ歌手の四重唱であるが、今回は無伴奏のコーラスに歌わせた。ここからフィナーレに突入し、合唱はオケと一体となりエネルギッシュで気迫溢れる歌唱となった。「アーメン、世々限りなく」をフーガ形式で繰り返しながら感動的なクライマックスを築いた。
 マリオッティの才能、統率力は前回において承知済みのはずだけど、このロッシーニを聴いてさらに恐るべし指揮者であると思い知った。それに反応した東響も見事だった。コンマスはニキティン、アシストにはソリストの吉江美桜、チェロのトップには日フィルの菊池知也がゲストだった。
 公演後の会場は熱狂の嵐、マリオッティの一般参賀となった。明日、サントリーホールで同一公演があり当日券も発売される。もう一度聴きたいくらいだが残念ながらN響と重なっている。来週の名曲全集を楽しみにしたい。

 さて、ロッシーニは、40作ものオペラをものにしたが、40歳手前で劇場音楽からきれいさっぱり手を引いてしまった。以降はオペラを一切書かず、年金生活者となって趣味と実益を兼ねた料理の創作に情熱をそそいだ。才能が枯渇した訳ではない。それが証拠に「スターバト・マーテル」には、あふれ出る旋律があり神への信仰を感じ取ることができる。オペラの筆を折ってからのロッシーニは漫然と美食にまみれて過ごしたのではない。この「スターバト・マーテル」は彼の並々ならぬ才能がなおも衰えてはいなかったことを何よりも証明している。

2025/6/8 フアンホ・メナ×N響 チャイコフスキー「悲愴」2025年06月08日 21:06



NHK交響楽団 第2039回 定期公演 Aプログラム

日時:2025年6月8日(日) 14:00 開演
会場:NHKホール
指揮:フアンホ・メナ
共演:ピアノ/ユリアンナ・アヴデーエワ
演目:リムスキー・コルサコフ/歌劇「5月の夜」序曲
   ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
   チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調 「悲愴」


 予定していたウラディーミル・フェドセーエフは体調が思わしくなく降板、前回も来日できなかった。92歳では止むを得ないか。代役にBプロに出演するフアンホ・メナがAプロも振ることになった。曲目に変更はない。

 ロシア・プログラムの最初はリムスキー・コルサコフの「5月の夜」序曲。10分足らずの小品、曲自体にそれほど魅かれるところはないが、メナが指揮するN響の音は、先日のルイージの時のように窮屈な感じがなく開放的に鳴っていたのが印象的だった。

 ユリアンナ・アヴデーエワが登場して、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。序奏と24の変奏曲、途中から「怒りの日」の旋律が加わってくる。木管楽器を重用したオケの響きと複雑にして華々しいピアノの技巧が魅力。ラフマニノフは苦手な作家の一人だけど、この「パガ狂」と「交響的舞曲」だけはいつ聴いても楽しい。そして、ラフマニノフといえばやはり「怒りの日」を聴きたい。
 アヴデーエワは2010年のショパン国際コンクールでの優勝者、ラフマニノフの機知にあふれた重厚な音楽をエネルギッシュにかつロマンチックに歌い上げる。ダイナミックで迷いのない打鍵に圧倒される。一方で、有名な第18変奏などでは儚い音色でたっぷりと歌う。打鍵が精密でダイナミックレンジが大きいこともあってNHKホールにおいてこれほど高解像のピアノに出会ったのは初めて。伴奏のメナ×N響はリズムを重視した躍動的なサポートだった。

 後半はチャイコフスキーの「悲愴」。メナは金管を強奏させ全体に乾いた豪快な音づくり。第1楽章は劇的ながら外連味なくN響の奏者たちも気持ちよく吹奏しているかのようだった。第2楽章は濃厚というよりは優美なワルツ、第3楽章は快活で推進力のある行進曲、終楽章は余分な表情をつけることなく作品にそのまま語らせるような設計だった。

 フアンホ・メナはスペイン出身、BBCフィルの首席指揮者を務めたこともある。チェリビダッケに師事し、Bプロでは恩師譲りのブルックナーを披露する。今回のAプロの代役はフェドセーエフの年齢を懸念し、事前に話があって準備していたのだろう。
 それより、フアンホ・メナは今年の初め、自身のSNSで初期のアルツハイマーであると公表した。指揮者でアルツハイマーを患うというのは致命的だと思うが、指揮を続けて行くとのこと。今日の演奏でも病を感じさせるような兆候はみえなかった。
 家族や医師の助けのもと出来ることは何でもする、音楽への情熱、家族という存在、それが進行を遅らせることを信じている、とメナは語っていた。年齢は60歳ほどだから今の時代まだ若い。音楽が支えになってアルツハイマーの悪化が少しでもくい止められるといいのだけれど。

東京交響楽団の人事2025年06月12日 18:06



 景山昌太郎が9月1日付けで東響の第1コンサートマスターに就任する。
 十年以上にわたってハーゲン歌劇場オーケストラの第1コンサートマスターを務めているが、欧米の年度替わりを機に帰国するのだろう。幾多のヨーロッパオケのゲスト・コンサートマスターとしても招かれていて年齢は37歳。ノット監督の任期最終年に間に合った。次期ヴィオッティとの音楽作りも待ち遠しい。
 これで東響の第1コンサートマスターは小林壱成、グレブ・ニキティンとの3名体制となる。

https://tokyosymphony.jp/news/56401/

 なお、コンサートマスターの田尻順は6月10日付で定年を迎えたが、再雇用契約にて引き続きコンサートマスターとして在籍する。
 また、ちょっと旧聞ながら3月に退団したフルートの相澤政宏が、4月1日付けで客演首席フルート奏者として就任していた。客演での相澤さんにはまだ出会っていないけど、これは嬉しい。

2025/6/14 マリオッティ×東響 チャイコフスキーとプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」2025年06月14日 20:50



東京交響楽団 名曲全集 第208回

日時:2025年6月14日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ミケーレ・マリオッティ
共演:ヴァイオリン/ティモシー・チューイ
演目:チャイコフスキー/幻想的序曲
            「ロメオとジュリエット」
   チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
   プロコフィエフ/バレエ組曲
            「ロメオとジュリエット」
       モンターギュ家とキャピュレット家
       少女ジュリエット
       マドリガル
       メヌエット
       仮面
       ロメオとジュリエット
       タイボルトの死


 マリオッティの名曲全集はロシアもの3曲。チャイコフスキーとプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の間に、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を挟んだ。

 チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」からスタート。幻想的序曲となっているが、演奏会用のオーケストラ・ピースである。2、3年前にもライスキン×神奈川フィルで聴いた。
 冒頭はクラリネットとファゴットによるコラール風の荘重な音楽、ロメオとジュリエットの理解者であるロレンス修道僧をあらわしているという。続く主題は弦楽器と管楽器の激しい掛け合い、剣戟をイメージさせる両家の諍い。戦いが落ち着いてきたところでイングリッシュホルンとヴィオラによる甘美な主題が出現する。恋するロメオとジュリエットであろう。その後、悲劇的なトランペットによって2人の死が暗示される。そして、各主題が交錯しながら激しく盛り上がり、終結部は葬送行進曲から木管楽器による天上の音楽となって曲が閉じられる。
 マリオッティ×東響の演奏は何幕かの舞台を駆け抜けたように熱くドラマチック。マリオッティは加速や減速、クレッシェンドやディミヌエンドに独特の工夫があって意表をつかれることしばしばだが、そこがまた隠し味として効いている。
 ミューザはよく埋まっていた。当日券が販売され完売公演ではなかったはずなのに、先日のマリオッティの評判もあって急遽駆け付けた人もいたのではないか。最初の曲から客席は大いに盛り上がっていた。

 舞台をセット仕直し数名の奏者が出入りして、そのまま同じチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」。ソリストのティモシー・チューイは、インドネシア系のカナダ人、ヴァイオリンはアメリカで学んだようだ。
 チューイのチャイコフスキーはポルタメント、ルバートを交えて情緒纏綿たる節回し。時代がかっているとは言い過ぎながら、昔のメン・チャイで表と裏にカップリングされたレコードの演奏を思い出していた。チューイはボウイングが巧みでとても綺麗な音だけど、弾くときの姿形は情熱的。背を屈め反らし身体を大きく動かす。場合によっては足を踏み鳴らしそうな勢いだった。
 伴奏のマリオッティはかなりテンポを揺らしていたものの呼吸の乱れは全くない。ふだん我儘な歌手たちと合わせているから当然か。東響はやはり木管たちの個人技が冴えわたっていた。フルートはゲストだったが、オーボエ荒木、クラリネット吉野、ファゴット福井という面々。
 チューイのアンコールはコリリアーノの「レッド・ヴァイオリン・カプリース」だという。まったくもって目の覚めるような演奏。会場はやんやの歓声に溢れていた。

 休憩後、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。もともとのバレエ音楽は50数曲で構成されており、そこから3つの組曲が編まれている。各組曲がそのまま演奏されることはほとんどない。だいたいが指揮者の好みで再編成される。数年前に聴いたウルバンスキの場合は3つの組曲から満遍なくセレクトしていた。今日のマリオッティは第2組曲の2曲で開始し、その後第1組曲の5曲を順に並べた。
 マリオッティ×東響の演奏はバレエ音楽としてどうなのか、ちょっと首を傾げた。ドラマチックに描いて切れ味鋭く濃厚ながら、踊りの音楽としては流れが悪い。誤解を招きやすい言い方ではあるけど、プロコフィエフの音楽はストラヴィンスキーがそうであるように、音楽で語る中身より単純にリズムと響きの面白さがある。マリオッティが物語に捉われ過ぎたのではないかと、その分、バレエの躍動感とリズムや響きの楽しさが損なわれたように思う。
 どちらにせよこの「ロメオとジュリエット」は目の詰まった演奏で、前半のチャイコフスキーの2曲を含めて音楽でお腹一杯になった気分だ。今日もマリオッティはオーケストラが捌けた後カーテンコールで呼び出されていた。

 マリオッティはこれからも継続的に東響を振ってほしい。ノットのように演奏会形式でいいからロッシーニやプッチーニなどのオペラ上演を企画してくれたら最高である。
 ノットのあとの音楽監督はイタリア系のロレンツォ・ヴィオッティだから、同じイタリア系で年齢も上、オケのポストにも興味がなさそうなマリオッティに首席客演指揮者というのは難しいかも知れない。
 まて、ヴィオッティはスイス出身、たしか父方の祖父母がイタリア人だ。いや、出自や肩書諸々の話ではない、贅沢を言わないまでもマリオッティにはせめて毎年1回くらい来日してほしい。東響事務局の奮闘を陰ながら応援したい。