ジョーカー フォリ・ア・ドゥ ― 2024年10月20日 14:47
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』
原題:Joker: Folie a Deux
製作:2024年 アメリカ
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス、ジョセフ・ガーナー他
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
出演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、
ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー
賛否両論かまびすしい『ジョーカー』その2。どちらかというと否定的な意見が多いようでロッテントマトのTomatometerは30%という低評価。興行成績もはかばかしくなく現在の売上5,000万ドルと低空飛行だ。たしかに、ここ日本の劇場もガラガラだった。
『ジョーカー』の続編を『バットマン』によって予想するなら、バットマンの宿敵ジョーカー=アーサー(ホアキン・フェニックス)は、悪の権化としてゴッサム・シティの強烈な犯罪王にのし上がって行く。そういった筋書きが当然のはずなのに完全に肩透かし。
舞台のほとんどは監獄病院と裁判所にあって大きく物語が動くわけではない。アーサーはジョーカーとして覚醒せず強度の精神不安にさいなまれ、アイデンティティーは揺れ動き引き裂かれたまま。
やがて、アーサーは監獄病院で謎の女性ハーレイ・クイーン=リー(レディー・ガガ)と巡り合い恋に落ちる。映画は異色の暗いミュージカル風の仕立てとなる。ゴッサム・シティという狂った社会における病んだ人々の歌芝居である(音楽は前作同様『TAR/ター』を手がけたアイスランドの女性チェリストでもあるヒドゥル・グドナドッティル)。
「君微笑めば」「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」「遥かなる影」など往年のミュージカル・ナンバーやスタンダード曲が流れ、歌と音楽が映像と同じくらい登場人物の心理を映し出し、映画の主題を浮き彫りにする。幻想的な画像と懐かしい音楽を背景に二人は熱烈に愛し合う。
しかし、リーが求める相手は悪そのもののジョーカーであり、自分が誰であるかも分からない錯乱したアーサーではない。それが悲劇を呼び結末へ。では、『バットマン』のジョーカーは誰なのだ、との思いが阿呆な観客の頭をよぎる。
監督トッド・フィリップスは、前作でアーサーが社会の底辺からジョーカーという狂気の存在へと変貌する過程を描いた。本作では彼の心の闇をとことん掘り下げる。疎外感や孤独、精神の崩壊や狂気が、現代社会の冷酷さや無関心さと同調する。
我々の期待するジョーカーが大暴れという勝手な妄想を、トッド・フィリップスはたやすく足蹴にし、ジョーカー=アーサーという分断された二つの内面をさらに追及し焦点をあて続ける。めくるめくサイコ・スリラーである。
前作はもちろん観ていたほうが楽しめるけど、本作は単なる続編に留まらず、ひとつの独立した作品として余すことなく完結している。
新たな視点からジョーカーというキャラクターを再考させ、狂気と理性の境界が揺さぶられ、強烈な印象と余韻とを残す。劇場映画として久しぶりに大満足した。