2022/10/16 ノット×東響 ショスタコーヴィチの「交響曲第4番」 ― 2022年10月16日 21:36
東京交響楽団 名曲全集 第180回
日時:2022年10月16日(日) 14:00 開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ソプラノ/安川 みく
演目:ラヴェル/「鏡」から「道化師の朝の歌」
ラヴェル/歌曲集「シェエラザード」
ショスタコーヴィチ/交響曲第4番 ハ短調 op.43
作曲されてから25年ものあいだ封印されていた、いわくつきのショスタコーヴィチ「交響曲第4番」。今まで生演奏では、バルシャイ、ラザレフ、ゲルギエフ、リットンなどの指揮で聴いてきた。果たしてノットは「第4番」をどう料理するのか。
ノットは、珍しくスコアを順番にめくりながら指揮をした。スコアに書かれている全てを音にしようとする執念が感じられるものだった。しかし、交響曲演奏の、そもそも論として、それほど微に入り細を穿つように音化する必要があるのだろうか。
ショスタコは、交響曲にさまざまなモチーフを放り込み、いろいろなエピソードを次々と出現させる。ノットのように各ページの音符を等価に解き放つと、部分部分は極めてスリリングで面白いが、全体がひとつの音楽として立ち上がってこない。細切れの断片の寄せ集めみたいで、一連の音楽の筋書きが見えてこない。もちろん、ショスタコの多義性がそういう類のものだという議論はできる。しかし、ノットはあまりにも細部にこだわりすぎている。そして、その細部が全体に寄与していないと。
演奏は壮絶を極め、東響の各奏者は、音符をほぼ完璧に再現したと思うが、聴き手は、ショスタコの世界入り込めないままだった。バルシャイやラザレフのような背筋がひんやりと凍りつくような時間はついに訪れなかった。数年まえ同じ東響を指揮したウルバンスキの「第4番」に納得できなかったけど、ノットの「第4番」も別の意味で感銘を受けなかった。
ノットのショスタコは過去にも「5番」「10番」「15番」を聴いている。でも、ほとんど記憶に残っていない。ショスタコの音楽の中に、ノットの演奏技法を拒絶する何かがあるのだろうか。
前半はラヴェルの2曲。スペイン風のリズミカルな「道化師の朝の歌」と、歌付の「シェエラザード」。「道化師の朝の歌」は中間部のちょっと憂鬱な素振りのファゴットが印象的。「シェエラザード」は、けだるく頽廃的な雰囲気を漂わせる。安川みくは若くて清々しい。この曲はもっと年輪を重ねた女性、たとえて言えば、スザンナではなくて、伯爵夫人の声のほうが相応しいように思う。
コンマスは小林壱成、隣のアシストは水谷晃、ツートップで万全の体制。「道化師の朝の歌」とショスタコの「第4番」は16型、「シェエラザード」は12型。
舞台にはマイクが何本も立っていた。いずれCDが販売されるのだろう。楽譜が読める人であれば、ショスタコの楽譜片手に高品質録音を聴くことができるかも知れない。