2022/7/3 角田鋼亮×デア・フェルネ・クラング 英雄の生涯と1905年2022年07月03日 20:53



デア・フェルネ・クラング 第6回演奏会

日時:2022年7月3日(日) 13:30 開演
会場:サントリーホール
指揮:角田 鋼亮
演目:R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」 Op. 40
   ショスタコーヴィチ/交響曲第11番 「1905年」


 角田鋼亮を一度聴いてみたいと思っていた。そこへ料理でいえばメインディッシュを2皿、目の前に出されたから、発作的にチケットを取った。
 デア・フェルネ・クラングはアマオケらしいが、プロの奏者も何人か参加している。HPをみると、「Der ferne Klang 遥かなる響き 音楽を愛する気持ち、団長への強い信頼を携えて日本中からプロアマ問わず集結」と書いてある。また「2011年、名古屋マーラー音楽祭への出演を機に創立。日本全国から2年に一度集まり、角田鋼亮氏の指揮の下、名古屋、京都において演奏会を行ってきた。…2022年より東京に拠点を移し」とある。角田鋼亮も名古屋出身、どうやら名古屋繋がりで発足し、マーラーを演奏するために結集、その活動を各地に広げようとしているようだ。

 それはさておき、今日の演目はマーラーではないが、普通では組み合わせることのない2曲が演奏された。
 チケットを千鳥格子状に販売したようで、会場は前後左右1席ずつ空いている。それでも千鳥格子がすべて埋まっていないから4割程度の入りか。特等席でゆったりと聴くことができた。
 ただ、普段と違って聴衆は半ば若い女性たち。オケのメンバーの友人・知人なのか、角田目当てなのか分からないが、華やかでいい。いつもは老人ばかり目立つ演奏会、本来はこうあってほしい。

 前半はR.シュトラウスの「英雄の生涯」。
 角田の“英雄”は、功成り名遂げた老熟が回顧するかのようでなく、血気盛んな青年が恋をし、闘いつづけているような若々しい颯爽とした演奏。テンポは早く、ダイナミクスは大きい。そういえば、「英雄の生涯」を書いたときのR・シュトラウスは30歳の半ば、その年齢のR.シュトラウスに相応しい。
 オケはメンバー表にざっと120名、コンマスは水村浩司、コントラバス10挺、ホルン9本、壮大な音響ながら、最強音でもバランスは崩れない。木管を中心になかなかの演奏水準。

 後半はショスタコーヴィチの「交響曲第11番 1905年」。
 「1905年」を最初に聴いたのは、ラザレフ×日フィルの豪演。予備知識のないまま曲に引きずり込まれ、茫然自失。このときの衝撃があまりに大きかったので、その後何度かの「1905年」は、ついついラザレフとの対比で、物足りない気分を味わってきた。
 今回はアマオケだから最初から比較するまでもない。そして、冷静に聴いてみると、なんという描写音楽だろう。
 第1楽章、霧に覆われてスタートする。陰々滅滅たる弦の響き、トランペットの呻き、不気味なティンパニの連打。冬の宮殿前広場の只ならぬ気配。第2楽章、宮殿前の阿鼻叫喚、凍てつく大地。スネア、ティンパニ、金管が暴れ、銃弾が飛び交う。フガートで描かれる殺戮、虐殺。心底恐怖を覚える。第3楽章、コントラバスとチェロのピチカートのうえをヴィオラが歌う犠牲者へのレクイエム。第4楽章、革命歌、労働歌が入り交じる。全楽器の強奏、不屈の民衆の力。帝政ロシアへの警鐘が鳴る。全楽章通しで演奏される。音楽で描いた叙事詩だった、と改めて確認できた。
 角田の棒は明晰で、曖昧さのない縁取りのはっきりした演奏。曲の構造がよく分かる。さすが、金管などのミスは隠せないが、指揮者のコントロールが十分に効いた熱量の高い演奏だった。

 角田鋼亮×デア・フェルネ・クラングに感謝して、もう一度、この「交響曲第11番 1905年」をラザレフ×日フィルで聴いてみたい。しかし、このようなご時世、なおさら実現は難しかろう。

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