2025/9/15 大野和士×都響 モーツァルト「戴冠式ミサ」2025年09月15日 21:57



東京都交響楽団
  サラダ音楽祭メインコンサート 

日時:2025年9月15日(月・祝) 14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
指揮:大野 和士
共演:ダンス/Noism Company Niigata
      演出振付/金森 穣
   ソプラノ/砂田 愛梨
   メゾソプラノ/松浦 麗
   テノール/寺田 宗永
   バス/狩野 賢一
   合唱/新国立劇場合唱団
     合唱指揮/冨平 恭平
演目:モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲 KV620
   モーツァルト/ミサ曲ハ長調 「戴冠式ミサ」
   ペルト/フラトレス~弦楽と打楽器のための
   ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」第2組曲
   ラヴェル/ボレロ


 「サラダ音楽祭」とは身体に良さそうな名称だけど、食べる「サラダ」ではなく、“Sing and Listen and Dance〜歌う!聴く!踊る!”をコンセプトにした音楽祭とのこと。器楽だけでなく声楽、舞踏を統合した祭りで2018年に始まったという。盛沢山なプログラムのなか、モーツァルトの「戴冠式ミサ」K.317が目当て。

 モーツァルトの宗教曲といえば「レクイエム」や「ハ短調ミサ」が高名だが、いずれもウィーン時代に書かれた未完の作品。完成された教会音楽としてはザルツブルグ時代の「戴冠式ミサ」が最高傑作だろう。
 青年モーツァルトの最も辛い時期である。彼は21歳のとき母とともにマンハイム・パリへ就職活動の旅に出た。世間は冷たく何処も雇ってくれない。異国の地パリでは母を亡くし、マンハイムやミュンヘンでのアロイジアとの恋は実らない。仕方なしに従妹ベーズレに慰めてもらいながら負け犬となって帰郷する。このときモーツァルトは23歳になっていた。
 ザルツブルクに逼塞したモーツァルトの心情は、その時書かれた作品が手がかりになるはずだけど、悲壮感や大きな叫びは一つとしてない。ただ、この年「ポストホルン・セレナーデ」「ディヴェルティメント第17番」「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」、そしてこの「戴冠式ミサ」という後のウィーン時代に匹敵する陰影の濃い楽曲が残された。いずれも明るさや希望を失うことなく、深い哀しみと憂いをたたえた、信じられないほど美しい音楽たちである。

 「戴冠式ミサ」は通常文のキリエ(憐れみに讃歌)によってスタートする。合唱が「キ」と強く発声し、「リエ」と声を潜めて歌い始める。新国の合唱団はたっぷりとした余裕のある歌声。その極めて印象的な出だしからソリストたちの「キリスト、憐れみたまえ」が続く。ソプラノの砂田愛梨は芯のある伸びやかな声で客席までよく届く。グローリア(栄光の讃歌)はエネルギッシュで華やか。クレド(信仰宣言)は輝かしく限りない高揚感に満ちている。
 涙に濡れた音楽じゃない。失意の帰郷から2か月、モーツァルトに何が起こっているのか。1月の末、モーツァルトは嫌々ながら馬車に乗り、従妹ベーズレの膝枕で帰郷した。「戴冠式ミサ」が完成したのは3月下旬である。ベーズレは数カ月の間モーツァルト家に留まった。二人はじゃれ合っていたに違いない。ベーズレは音楽や心根を語る相手ではなかったかも知れないが、モーツァルトが言う“天使”の役割を務めてくれた。モーツァルトの青春時代の最大の危機を救ったのは彼女だった。
 サンクトゥス(聖なるかな)は天空から神が舞い降りたかのよう。ここでの合唱団の歌唱も堂々たる音楽というだけでなく親しみやすさを兼ね備えていた。ベネディクトゥス(ほむべきかな)は穏やかな前奏のあとソリストたちが落ち着いた四重唱を聴かせる。アニュス・デイ(神の子羊)はソプラノ・砂田の見事な独唱。この旋律がオペラ「フィガロの結婚」の第3幕、伯爵夫人のアリア「美しい時はどこへ」によく似ている。それゆえ「戴冠式ミサ」は聖俗混同と問題にされ、否定論の根拠とされたこともあった。
 でも、これはおかしい。「戴冠式ミサ」が先に書かれ「フィガロ」は後にできた。順序が逆である。伯爵夫人の祈りの気持ちをミサの旋律からから引用したのであれば、論説自体が牽強付会、笑止千万である。
 最後にむかってアニュス・デイのテンポは少し速くなり,冒頭の「キリエ」の旋律が再現し、曲は次第に盛り上がり、決然とした合唱で全曲が結ばれた。 
 大野和士と都響とは親密さを増し、大野は一段と総卒力を高めているようだ。新国立の合唱団も大野のいわば手兵であり、統制のとれた管弦楽と声楽が感動的な「戴冠式ミサ」を披露してくれた。

 「戴冠式ミサ」の前には「魔笛」序曲が演奏された。オペラ指揮者でもある大野の手にかかると、舞台への期待感が嵩じてくる。このところ「魔笛」はご無沙汰である。
 前半はモーツアルトの2曲を終えて休憩となった。

 後半の最初はペルトの「弦楽と打楽器のためのフラトレス」。弦5部と打楽器の演奏にNoism Company Niigataの舞踏を加えて上演された。Noism Company Niigataは、東響の新潟定期演奏会の会場でもある「りゅーとぴあ」(新潟市民芸術会館)専属の舞踊団、新たな舞踏芸術を創造することを目的としているという。
 前方の客席を5列ほど潰し舞台を拡張し、そこで舞踏が演じられた。8名の男女が黒っぽい衣装に同色の頭巾を被り、はじめはさり気ない小さな動きからはじまり、音楽に合わせて段々と動きは大きく激しくなっていった。音楽は一種の変奏曲でほの暗く神秘的で静謐な音型が繰り返され、ときどき発せられる打楽器が印象的な作品。ベルトはエストニア生まれ、中世音楽やミニマル・ミュージックにも通じるシンプルな和声やリズムに特徴がある。ヒーリング音楽としても愛聴されている。
 
 続いて、管弦楽だけでファリャの「三角帽子」。ディアギレフが手がけたバレエ作品のための音楽。2つの組曲があり、第2組曲は「隣人たちの踊り」「粉屋の踊り」「終幕の踊り」の3曲からなる。
 いずれもホルンが大活躍する。ホルンのトップは客演の大野雄太だった。東響の首席を辞めたあと大学の教師に転職したと思っていたが、いつのまにか新日フィルの首席に復職していた。古巣に戻ったわけだ。久方ぶりに思い切った気持ちのいい吹奏を聴かせてもらった。
 
 最後は再度Noism Company Niigataとの共演で「ボレロ」。昨年大好評だったことから今年もプログラムに入った。
 舞台では紅い衣裳の井関佐和子を中心に、黒い衣装の8人が円形に囲んで待機している。スネアドラムが3拍子のリズムを刻み始めフルートが重なり、次々と楽器が加わる。音楽のリズムに紅い衣装が反応し、その動きが周囲に伝播する。やがて大きな輪は3人ずつに分割され、さらに横方向に伸びていく。音楽は最大のクライマックスを迎え、舞踏は圧倒的な熱量をもって解放された。

 大野和士は2015年から都響の音楽監督を務め、2026年3月まで任期を延長している。都響は来年以降の指揮者体制についてこの秋頃に発表するとしているが、果たして誰になるのだろう。
 大野のさらなる延長は有り得ないことではないが、普通に考えれば首席客演指揮者であるアラン・ギルバートが後任としては順当といえるだろう。ギルバートは現在エルプフィルハーモニーの首席指揮者とデンマーク王立歌劇場の音楽監督を務めている。都響人事に注目である。

2025/6/7 マリオッティ×東響 ロッシーニ「スターバト・マーテル」2025年06月07日 20:07



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第100回

日時:2025年6月7日(土) 14:00開演
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ミケーレ・マリオッティ
共演:ソプラノ/ハスミック・トロシャン
   メゾソプラノ/ダニエラ・バルチェッローナ
   テノール/マキシム・ミロノフ
   バスバリトン/マルコ・ミミカ
   合唱/東響コーラス(合唱指揮:辻裕)
演目:モーツァルト/交響曲第25番ト短調 K.183
   ロッシーニ/スターバト・マーテル


 ミケーレ・マリオッティが東響に再登場、ローマ歌劇場の若き音楽監督である。一昨年初共演しシューベルトの「グレイト」とモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」を聴かせてくれた。今回は定期と名曲全集の2つのプログラムで指揮をする。
 定期演奏会ではマリオッティが十八番のロッシーニと再びモーツァルトを組み合わせてくれた。

 まずは、映画『アマデウス』で有名になった小ト短調。
 モーツァルト17歳、シュトゥルム・ウント・ドラングの時代。しかし、マリオッティの小ト短調は疾風怒濤というよりは熟成した堂々たる交響曲となった。
 ゆっくりとしたテンポ、シンコペーションのリズムに乗せて第1楽章が始まった。ホルンを強調しオーボエをたっぷりと歌わせる。のっけから落涙とは勘弁してほしい。ホルンのトップは上間、オーボエは荒木。アンダンテは弱音を際立たせ、低速でそろりそろりと歩みだす。アーティキュレーションや強弱のつけ方が独特なのだろう。初めて聴く曲のよう。メヌエットはトリオのオーボエ、ファゴット、ホルンの絡みに脱帽する。装飾音も聴こえてきてびっくりする。ファゴットは福士、ホルンは3番白井と4番藤田が活躍、藤田麻理絵は新日フィルから移籍したベテラン。今は研究員のようだけど下吹きの強力なメンバーとなりそう。フィナーレになってようやく聴きなれた小ト短調となった。
 マリオッティのモーツァルトはアイデアが一杯詰まっている。それでいて珍奇にならず多彩で格調高い表現が崩れない。改めて感心した。

 「スターバト・マーテル」は、ロッシーニがオペラから引退した後に書かれた名作。
 磔刑に処せられたイエスの足元で嘆き悲しむ聖母マリアを描いた音楽でヴィヴァルディやぺルゴレージ、ドヴォルザークらも同名の作品を残している。
 全10曲。導入唱の「悲しみの聖母は立ちつくし」は、いかにも宗教音楽らしい暗い雰囲気で開始される。合唱と4人のソロが出揃う。2曲目はテノールのアリア、まるでオペラのアリアのように朗々と。マキシム・ミロノフの声は甘く優美。超高音域までアクロバテックに駆けあがる。声に艶がありながら過剰な表現にはならない。第3曲はソプラノとメゾの二重唱。ハスミック・トロシャンは会場の隅々まで良く通る透明感ある強い声。円熟のダニエラ・バルチェッローナは輝かしく量感があり柔らかい。4曲目はバスのアリア、マルコ・ミミカは滑らかで深い響き。第5曲は合唱によるア・カペラ。東響コーラスは100人を越えていた。いつものように全員が暗譜、圧巻の歌声だった。4曲目のアリアと5曲目の合唱は敬虔な祈りの音楽となっていた。第6曲はソリストによる四重唱、民謡風の素朴な曲調とハーモニーが美しい。第7曲はカヴァティーナでダニエラ・バルチェッローナが静かに歌い上げる。第8曲は金管が咆哮しドラマチックな展開となる。ハスミック・トロシャンの絶唱に胸を突かれる。第9曲は再びア・カペラ。普通はソロ歌手の四重唱であるが、今回は無伴奏のコーラスに歌わせた。ここからフィナーレに突入し、合唱はオケと一体となりエネルギッシュで気迫溢れる歌唱となった。「アーメン、世々限りなく」をフーガ形式で繰り返しながら感動的なクライマックスを築いた。
 マリオッティの才能、統率力は前回において承知済みのはずだけど、このロッシーニを聴いてさらに恐るべし指揮者であると思い知った。それに反応した東響も見事だった。コンマスはニキティン、アシストにはソリストの吉江美桜、チェロのトップには日フィルの菊池知也がゲストだった。
 公演後の会場は熱狂の嵐、マリオッティの一般参賀となった。明日、サントリーホールで同一公演があり当日券も発売される。もう一度聴きたいくらいだが残念ながらN響と重なっている。来週の名曲全集を楽しみにしたい。

 さて、ロッシーニは、40作ものオペラをものにしたが、40歳手前で劇場音楽からきれいさっぱり手を引いてしまった。以降はオペラを一切書かず、年金生活者となって趣味と実益を兼ねた料理の創作に情熱をそそいだ。才能が枯渇した訳ではない。それが証拠に「スターバト・マーテル」には、あふれ出る旋律があり神への信仰を感じ取ることができる。オペラの筆を折ってからのロッシーニは漫然と美食にまみれて過ごしたのではない。この「スターバト・マーテル」は彼の並々ならぬ才能がなおも衰えてはいなかったことを何よりも証明している。

2024/12/22 大植英次×神奈川フィル 「第九」2024年12月22日 22:16



神奈川フィルハーモニー管弦楽団
   For Future 巡回公演シリーズ

日時:2024年12月22日(日) 14:00開演
会場:横浜みなとみらい大ホール
指揮:大植 英次
共演:ソプラノ/宮地 江奈
   メゾソプラノ/藤井 麻美
   テノール/村上 公太
   バリトン/萩原 潤
   合唱/神奈川ハーモニック・クワイア
演目:モーツァルト/「バスティアンとバスティエンヌ」
          序曲
   ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調Op.125
          「合唱付き」


 神奈川フィルの演奏会案内によると、「第九」が1824年にウィーンのケルントナートーア劇場で初演されてから今年が200年目に当たるという。

 大阪フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの名誉指揮者である大植英次は、ハノーファー音楽大学では終身正教授も務めていて、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のシェフであるヨアナ・マルヴィッツの師匠である。大植自身はバーンスタインの弟子だからマルヴィッツはバーンスタインの孫弟子ということになる。
 大植はもう70歳に届こうとしている。オーケストラ・ポストは名誉職のみで、後進の指導に重きをおいているのかも知れない。それでも時々は帰国して指揮をしてくれる。首都圏ではN響、東響、日フィルなどを振っているが、神奈川フィルとは相性が合うとみえ定期演奏会を中心に毎年のように指揮をしている。
 ところが大植×神奈川フィルを聴く機会がなかなか訪れない。彼が振るときに限って他楽団と日程が重複したり用件が出来してパスせざるをえなかった。大植を聴くのはコロナ禍の東響を相手にした演奏会以来である。

 「第九」の前に歌芝居「バスティアンとバスティエンヌ」の序曲から始まった。弦は8型、管はオーボエとホルン、打楽器は用いない。今日のコンマスは読響の戸原直がゲスト。
 モーツァルトはこのとき12歳の少年。この序曲の何が興味深いかというと主題が「エロイカ」と瓜二つ。もっとも同じような旋律であってもこちらは鄙びて長閑なもの。大植×神奈川フィルの演奏も優しく可愛らしい。
 多分、本歌取りをしたのではなく、たまたま一緒になってしまったのだろう。聴き手からするとモーツァルトの曲のなかにベートーヴェンが浮かび上がる。その2分ほどの序曲を終え、休憩を挟むことなくそのまま「第九」へ。

 弦は14型に増強され、管楽器・打楽器奏者が加わる。最近の「第九」は12型や、場合によっては10型の小編成で、ピリオド奏法を取り入れた歯切れ良い音楽になることが珍しくない。
 もちろん大植はそんな演奏などに拘泥しない。第1楽章は神秘的な開始、音の大きな波小さな波が興奮を高めていく。第2楽章はかなり快速、金管を強調して気合十分。第3楽章は弦の美しさが際立つ。ホルンのトップは坂東さんだったが、くだんのソロは楽譜通り4番奏者が吹いた。初めてみる若い男性、新しく入った契約団員なのかゲストなのか分からないけどすごく上手い。演奏後、大植は真っ先に4番奏者を立たせ称えたが、さもありなん。終楽章はうねるうねる、パウゼは深く、タメも十分、濃厚な演奏を繰り広げた。そんな大植の指揮にオケは食らいつき、合唱も久野綾子や岸本大などが参加するプロ集団だから一分の隙も無い。

 吃驚したのはソリストと合唱団が舞台へ登場する場面。席はP席ではなくオケと同じ舞台上に用意されていた。普通は第2楽章が終わったあとソリストと合唱とが入場するか、合唱団ははじめから待機しソリストのみ第3楽章の前に着席する。ところが、今日は最終楽章が開始されてもソリストや合唱団が出てこない。空席のまま。
 トランペットが鳴り、オケは先行楽章の主題をひとつひとつ否定し、新たな歓喜のテーマを低弦が提示する。そのときようやく上手からバリトンの萩原潤が、遅れてテノールの村上公太が入場した。2人は舞台上でハグしたり肩を叩きあったりしてちょっとした演技をする。下手からはメゾの藤井麻美とソプラノの宮地江奈が続き、4人が揃うと握手をしたり周りを見まわしたり小歌劇のように振舞う。
 そのうちに、40人ほどの合唱団が舞台奥の定位置についた。歓喜のテーマが各楽器によって演奏され丁度終わるところだった。おもむろにバリトンの萩原が「O Freunde」と歌いだす。こんな演出は前代未聞、大植のアイデアだろう。意表をつかれたものの、これはこれで感心し納得してしまった。
 それと、はじめて気づいたのだが大植の指揮棒が奇妙な動きをする。ときどき逆手に持ち替え、いつのまにか指揮棒が消える。指揮棒を譜面台に置く指揮者はいるけど、大植はどうやら上着の袖のなかへ入れてしまうようだ。指揮棒を袖のなかへ入れたまま両手の指先をヒラヒラさせ指示する。その指示も非常に細かく丁寧な場合と、まったく奏者に任せてしまうときがある。指揮の不思議もひとつのマジックかもしれないと思う。
 
 それにしても大植の音楽は外連味たっぷり。だけど、わざとらしさとか嫌味は感じない。古典派というよりロマン派のベートーヴェン。振幅が大きく堂々として懐かしさを覚えるベートーヴェンだった。
 明日、19時からミューザでも同一プログラムによる公演がある。横浜は完売だったが川崎は残券があるようだ。

 今年最後の演奏会、一年が終わった。

モーツァルトの新曲!2024年09月24日 17:12

 

 モーツァルトの知られざる曲が250年ぶりにライプツィヒの市立図書館で発見されたという。
https://www.l-iz.de/kultur/musik/2024/09/ganz-kleine-nachtmusik-unbekanntes-mozart-stuck-leipzig-603576

 弦楽三重奏のための7つの楽章で構成された12分程度の小品。モーツァルトが10歳ころ書いたもので「ガンツ・クライネ・ナハトムジーク」(とても小さな夜の音楽)と名付けられたらしい。もちろん「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とは別物です。

 YouTubeにはライプツィヒ初演の模様が公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=QVpJtVG0YR0

2024/9/6 二期会 「コジ・ファン・トゥッテ」2024年09月07日 10:48



東京二期会オペラ劇場 「コジ・ファン・トゥッテ」

日時:2024年9月6日(金) 14:00 開演
会場:新国立劇場 オペラパレス
指揮:クリスティアン・アルミンク
演出:ロラン・ペリー
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
出演:フィオルディリージ/吉田 珠代
   ドラベッラ/小泉 詠子 
   グリエルモ/小林 啓倫
   フェランド/金山 京介
   デスピーナ/七澤 結
   ドン・アルフォンソ/黒田 博
   合唱/二期会合唱団、新国立劇場脱硝団
      藤原歌劇団合唱部
演目:モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ 全2幕


 藤原歌劇団の「コジ・ファン・トゥッテ」を日生劇場で観たのは一昨年のこと。岩田達宗演出、川瀬賢太郎指揮の新日フィルだった。
 今回はシャンゼリゼ劇場との共同制作でロラン・ペリーが演出・衣装を担当し、アルミンクが同じ新日フィルを指揮した二期会の公演。
 アルミンクは、かって10年間ほど新日フィルの音楽監督を務めていた。この間、いろいろな噂話はあったもののお互い相性はよかったと思う。その両者が再びまみえ、二期会とでつくりあげるモーツァルトである。

 幕が上がると、何処かの放送局の録音スタジオのような舞台である。何本もマイクが立っており、譜面台には台本か譜面が置いてある。奥にはミキサー室らしきものが設えてある。ミキエレットのキャンプ場と同じでロラン・ペリーの読み替え上演である。
 この舞台装置にどんな意味があるのか良くわからない。最初、出演者たちはマイクの前に立ち、台本あるいは譜面を広げていたから、ここで「コジ・ファン・トゥッテ」を収録しているという設定なのか。それが徐々にマイクは舞台裏にひっこめられ、台本・譜面はなくなり、いつのまにかミキサー室らしきものも暗闇となってしまったから、だんだんと「コジ・ファン・トゥッテ」本来の舞台があらわれてくる、ということなのかも知れない。
 もっとも衣装は簡素な現代風のままだし、ナポリの海も空も雰囲気もない。ただ、男たちが変装するアルバニア人は顔を白塗りしただけの、黒の服装も仰々しくなくて好感を持てたけど。とにかく、セットはシンプルで大袈裟に自己主張することなく、結果、音楽や劇をやたら邪魔することがないのは救いであった。

 二期会の歌手たちはさすが粒揃いで、ソロも申し分ないが、アンサンブルがとても洗練されていて、重唱の多いこのオペラの美点をあらためて浮き彫りにしてくれた。余談ながら字幕をあらためて追いかけていると、ダ・ポンテとモーツァルトのつくった台詞にいちいち頷いてしまう。「コジ・ファン・トゥッテ」は前二作と違って種本はなく全くのオリジナルだったはず。そして、その言葉にぴったりと寄り添い、ありとあらゆる感情を音楽にしたモーツァルトの天才に茫然とする。

 今回の公演における最大の収穫は管弦楽だろう。アルミンクと新日フィルのコンビは能う限りの柔らかな美しい音楽を奏でた。「コジ・ファン・トゥッテ」は筋書きが荒唐無稽ゆえに、音楽も歯切れはいいがひたすら駆け抜けてしまうことがあるけど、アルミンクはこの騙し合いの物語を、途中途中に絶妙の休符を挟みながら穏やかなテンポで優しく繊細に描いた。
 だから、弦・管・打楽器のひとつひとつの音がまるで重い意味を持っているかのように聴こえてくる。この不謹慎な物語のなかに真実を浮かび上がらせ、不実の告白の中に本当の心情が顕わになる。心の奥底まで音楽が沁みわたり情動が蠢く。この愛おしむような管弦楽の響きに何度となく泣き崩れそうになった。