2023/10/14 ノット×東響 「ペレアスとメリザンド」「グラゴル・ミサ」2023年10月14日 20:27



東京交響楽団 川崎定期演奏会 第93回

日時:2023年10月14日(土) 14:00開演
場所:ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:ジョナサン・ノット
共演:ソプラノ/カテジナ・クネジコヴァ
   メゾソプラノ/ステファニー・イラーニ
   テノール/マグヌス・ヴィギリウス
   バス/ヤン・マルティニーク
   合唱/東響コーラス
   オルガン/大木 麻理
演目:ドビュッシー/ペレアスとメリザンド
         (ノット編の交響的組曲)
   ヤナーチェク/グラゴル・ミサ


 「ペレアスとメリザンド」はドビュッシーが書いた唯一のオペラ、全曲を演奏するに3時間ほどかかる。このオペラを抜粋した演奏会用の組曲版がいくつかある。今回はノット自身が50分ほどに編曲したもの。“ドビュッシーは音楽で物語を語っている。舞台転換のための間奏曲も含め、時系列に沿ってライトモチーフをたどりながら物語を浮き彫りにしたい”とは、プログラムノートに載っていたノットの発言要旨。

 オペラ「ペレアスとメリザンド」は、物語自体が曖昧につくられ謎に包まれているように意図されている。それを音で表現するのに最適なのがドビュッシーの音楽かも知れない。管弦楽は過剰な表現を避け、沈黙さえも音楽的効果のために用いられているかのごとく。調性や和声は慣習にとらわれず色彩感豊かで幻想的。
 オペラそのものを知っていれば音楽に従って場面が浮かぶのだろうけど、その知見がないから残念。東響の精度の高いアンサンブルと透明感のある音色は、過度に感情を押し出すことなく品格を保って移ろいゆく。水の流れに身を任せてたゆたうかのよう。荒木良太のオーボエ、最上峰行のイングリッシュホルン、竹山愛のフルート、吉野亜希菜のクラリネット、澤田真人のトランペット、皆さんお見事でした。

 今回の「グラゴル・ミサ」は、演奏会用の標準版ではなく原典版に準拠したユニヴァーサル版とのこと。原典版はリズムが重層的で編成も大きい。「イントラーダ」は終曲だけでなく冒頭にも配置されている。“原典版は複雑すぎたため、当時の演奏技術では改訂せざるをえなかった。現在の楽器や演奏技量があったら変えることはなかったはず。東響のような良いオケがそこにあるのだったら、この複雑な版を使わない手はない”と、インタビューのなかでノットは語る。

 原典版は、1.イントラーダ、2.序奏、3.キリエ、4.グローリア、5.クレド、6.サンクトゥス、7.アニュス・デイ、8.オルガン独奏、9.イントラーダの9曲で構成される。
 「イントラーダ」は、弦の独創的な刻みと金管を主体にしたファンファーレ。ノットのスピードは速く、抜群の切れ味をみせてはじまった。
 「序奏」は、標準版が演奏の容易さを優先して3/4拍子に統一されているのに対し、原典版では金管のみが3/4拍子、弦は7/8拍子、木管は5/8拍子で演奏するよう指示されている。リズムが重なり合い躍動する。しかし、ノットの演奏は歪びつな野性味を感じさせるよりは鮮烈なエネルギーを放出しているかのようだった。
 「キリエ」は、チェロとトロンボーンをヴァイオリンが追っかけたあと、合唱が「主よ憐み給え」と歌いだす。「序奏」と同じくらい短い楽章だが、ぶ厚い合唱とソプラノ独唱が印象的。東響コーラスはいつものように暗譜で力強い歌声。ソプラノのカテジナ・クネジコヴァは圧倒的な歌唱。荘厳な音楽がホールを満たす。
 「グローリア」は、グロッケンシュピールと弦の前奏に続き、ハープとヴィオラのアルペッジオの上を吉野さんのクラリネットが揺れ動く。その管弦楽を背景に歌われるソプラノ独唱はまるでアリア。軽快なリズムの合唱部がはさまれテノールが加わる。全体が美しいオペラの一場のよう。テノールのマグヌス・ヴィギリウスはヘルデンテノールと紹介されていたものの声の通りがちょっと、席の関係かも知れない。
 「クレド」は、低弦が奏でるユニゾンから澤田さんのトランペットソロに先導されテノールが歌い始める。中間部はバンダのクラリネットを背景に小太鼓と3対のティンパニを伴うオーケストラが咆哮し、オルガンが鳴り合唱が叫ぶ。最後は「Amin Amin」(アーメン アーメン)の感動的な合唱によって長大な楽章が終わる。
 「サンクトゥス」は、ヴァイオリン、ハープ、チェレスタが天上の音楽を奏で、小林壱成のヴァイオリン独奏が重なる。ソプラノ、テノール、バス独唱の順で「聖なるかな」が唱えられる。合唱が呼応し、上間さんのホルンを中心にオーケストラが壮麗な響きを奏でる。
 「アニュス・デイ」は、とても静謐な音楽。ヴァイオリンとコントラバス、トロンボーンのあと、合唱が静かに入ってくる、順次バス、テノール、アルト、ソプラノと経過し、最後は合唱で閉じられる。バスとアルトは共に出番が少ないが、バスのヤン・マルティニークは、TVで観たビシュコフ×チェコ・フィルの「グラゴル・ミサ」にも出演していた。
 終章の前に挿入される「オルガン独奏」は、対位法を駆使したパッサカリア、無窮動が劇的に展開する。大木麻理さんの超絶的技巧と迫力。これだけのオルガンソロが披露されるのにプログラムノートには大木さんの名前がない、不思議。
 最後は冒頭で演奏された「イントラーダ」が還ってくる。この高揚感、興奮の幕切れ。

 「グラゴル・ミサ」は古代教会スラヴ語を使用したミサ。宗教音楽というには粗野で荒々しくエネルギーに満ちている。ノット×東響の演奏は、もちろんエネルギーの横溢はあっても土俗的、民族的というよりは都会的と言っていいほど洗練されていたけど。
 ヤナーチェクはチェコ東部のモラヴィア地方に生まれ育った。スメタナやドヴォルザークは西部のボヘミアの出身。ボヘミアはヨーロッパの一部で都会風、モラヴィアは東洋と繋がる農耕牧畜の地といわれる。
 妻がある身のヤナーチェクは60歳を越えてから恋をした。40歳も年下の既婚者のカミラである。老いらくの恋。ここから74歳で亡くなるまで信じられないほどの傑作が生み出される。「カーチャ・カバノヴァー」以降の4つのオペラ、「タラス・ブーリバ」「シンフォニエッタ」、2つの弦楽四重奏曲「クロイツェル・ソナタ」「ないしょの手紙」、そして極めつけがこの70歳を過ぎてからの「グラゴル・ミサ」である。これは熱烈な愛を注いだカミラからの霊感というべきものだろう。恐るべき情熱である。

 ノットはドビュッシーとヤナーチェクの“2つの作品には神秘性という共通点がある”と指摘しているが、その音楽は対照的だ、と思う。ドビュッシーは大声で威圧することなく、小声で微妙なニュアンスを表現する。ヤナーチェクは短い動機を反復させ変化させながら、ときに優美にときに熱狂する。日本の作家でいえば武満徹と伊福部昭くらい違う。
 どちらを選ぶか、と問われれば、ドビュッシーや武満のガラス細工のような繊細さは上品過ぎてとっつきにくい。ヤナーチェクや伊福部の民族色濃厚で土俗的な荒々しさのほうが懐かしく親しみやすい。伊福部は「民族の特殊性というものを通過して、共通の人間性に到達しなければならない」と語っていた。「民族の美感を通過させなければ真のインターナショナルには到達できない」と。その言葉にも共感する。

 ノット×東響のヤナーチェクは、インターナショナルで現代音楽とさえ感じさせるものではあるけど、次は「タラス・ブーリバ」や「シンフォニエッタ」を是非とも取り上げてほしい。この先をさらに聴きたい。


追記
今日の演奏会もニコニコ動画で配信された。

https://live.nicovideo.jp/watch/lv340528618